文档:Spirited Away Suite/專輯解說

出自宫崎骏与久石让中文百科
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9.11以後の”異界”を”だまし絵”で生き抜くオーケストラの音楽──
久石譲『Spirited Away Suite』について
911之後的「異界」以「視覺陷阱」活下去的交響樂音樂——
關於久石讓『Spirited Away Suite(神隱少女交響組曲)』
本盤のタイトル曲でもある「Spirited Away Suite」(「千と千尋の神隠し」組曲)の冒頭は、ピアノのメインテーマ「あの夏へ」──主人公・千尋のテーマとも言い替えてもいい──から始まる。その演奏を収録した本盤の音源を初めて聴いたとき、今から18年前の2001年7月の記憶が頭にパッと思い浮かんだ。まさに”あの夏”とも言えるような思い出だが、当時、発刊されて間もない映画雑誌『PREMIERE』のインタビュー取材のため、とても暑い日の午後、久石の下を訪れたのである。
このとき、すなわち2001年7月、久石は宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の音楽を書き上げ、そしてフランス人のオリヴィエ・ダアン監督の映画『Pe Petit Poucet』の音楽を完成させたばかりの頃だった。当然、インタビューの中では、その2本にも話が及んだ。
映画本編の詳しい紹介はここでは割愛するが、まず『千と千尋の神隠し』は、親元から切り離された千尋という名の少女が異世界つまり”異界”に足を踏み入れ、自分の力で生き抜いていこうとする姿を描いた成長譚である。
この取材の中で久石は、宮崎監督の独特の世界観で作られた現実の風景とまったく違う世界=”異界”をどう音楽で表現すべきか、非常に苦労したと述べていた。通常の音楽のつけ方や作曲アプローチでは表現しきれないので、例えば今回の組曲内の「神さま達」では琉球音楽、「カオナシ」ではインドネシアのガムラン風の音楽、というように、アジアの民族音楽のさまざまな要素をオーケストラの中に足す方法で作っていったのだと。しかも、日本が属する東アジアやインドネシアが属する東南アジアだけでなく、シルクロードの向こう側、遥か西のユーラシア大陸全般に至るまでアジアというものを拡大解釈し、それを西欧音楽の象徴たるオーケストラの中に放り込んでいく。わかりやすく言えば、台湾の夜市のように、ありとあらゆる要素を投入していく方法だ。そのように雑多なものをオーケストラの中に取り込むことで、なんとか宮崎監督の世界観を表現できるかもしれないというのが、取材の中で久石が語っていた作曲アプローチであった(それが、メインテーマ「あの夏へ」以外の曲がいままでコンサートで演奏されにくかった理由のひとつでもある)。18年経った現在から振り返ってみても、これは日本人でありアジア人である作曲家・久石譲だからこそなし得た、非常にユニークなアプローチであると思う。
  跟本專輯名稱同名的曲目「Spirited Away Suite」(『神隱少女』組曲)的開場就是以鋼琴演奏主題曲「One Summer's Day」一一可說是主人翁·千尋的主題曲——以此揭開序幕。當我第一次聽到在本專輯中收錄那場演奏的音源時,腦中突然浮現的是距今18年前,2001年7月的記憶。剛好符合那個夏天的回憶,當時為了剛發行沒多久的電影雜誌「PREMIERE」的專訪,在非常炎熱的夏日午後去拜訪了久石先生。
  當時,也就是2001年7月,久石先生完成了宮崎駿導演的『神隱少女』的音樂。那時他也才剛完成法國導演奧利維耶·達安的電影『Le Petit Poucet』的配樂工作。當然,他在專訪中也提及了這兩部電影。
  在電影本篇中有詳細的介紹,所以在這邊請容許我割愛不提。首先『神隱少女』是描述一位名叫做千尋的少女,被迫離開父母身邊進入奇異世界,也就是所謂的「異界」,靠自己的力量活下去的成長故事。
  在這次專訪中,久石先生闡述自己對於要如何用音樂表現出宮崎導演獨特的世界觀中所創造出來與現實風景完全不同的世界=「異界」而感到相當苦惱。因為用一般音樂的配樂和作曲方式是無法表現出來的。舉例來說,這次的組曲中的「眾神」是採用琉球音樂、而「無臉男」是採用印尼甘美朗風的音樂,像這樣在交響樂中融人亞洲民族音樂的各種要素來創作。然而,所謂的亞洲不僅僅包含日本所屬的東亞及印尼所屬的東南亞,甚至遠達絲路的另一頭,遙遠的西方歐亞大陸都被擴大解釋為亞洲的範疇,然後融入象徵西歐音樂的交響樂中。簡單來說。這方法就像台灣的夜市一樣,融入了所有的要素。久石先生在闡述作曲方法時說道,像這樣把又雜又多的東西融入交響樂中,說不定就可以勉強表現出宮崎導演的世界觀。(這也是為什麼在過去的演奏會中,除了主題曲「One Summer's Day」以外的曲目都非常難演奏的原因之一。)經過18年後的現在再回過頭來看,我認為這只有身為亞洲日本人的作曲家·久石讓才能做到的十分獨特的手法。
「Le Petit Poucet」は、『千と千尋の神隠し』と同じ2001年に久石が手掛けたフランス映画『Le Petit Poucet』のメインテーマである。フランスの童話作家シャルル・ペローの『親指小僧』に基づく実写映画だが、実はこの作品も、『千と千尋の神隠し』と同じく親元を離れた主人公プセたちが不思議な世界、つまりは”異界”に放り込まれてさまざまな冒険を体験し、生き抜いていく物語を扱っている。
本盤には本編オープニングで流れるメインテーマのオーケストラ版が収録されているが、映画のエンドロールでは、ヴァネッサ・パラディが歌ったヴォーカル版が使用されている。そういった事情もあり、久石はこのテーマを”シャンソン”として書いたと取材の中で語っていたが、いま、このメインテーマを改めて聴き直してみると、フランス映画にふさわしい気品に満ちた”シャンソン”であると同時に、久石でなければ絶対に書けない、いかにも彼らしいメロディで作られた音楽だと思わずにはいられない。日本人であり、アジア人である作曲家・久石譲から出てきた”久石メロディ”が、ヨーロッパの昔話の真髄とも言える童話を映画化した『Le Petit Poucet』のメインテーマになっているところが、実に興味深いのである。
本盤を手に取られたリスナーは、ぜひこの機会に『Le Petit Poucet』の全編を見て頂きたいのだが(現在はDVDで容易に視聴可能)、映画本編に流れるサウンドトラックでは、尺八や和太鼓などの邦楽器がオーケストラの中にふんだんに取り入れていることに気づくだろう。
取材当時、久石は「西欧のオーケストラだけで音楽をまとめてしまうよりも、日本的なものにこだわりながら作っていった方が、自分としてはリアリティのある音楽が作れる。ペローの童話の世界は、確かにヨーロッパの世界観に属しているけれど、逆に音楽では、日本的な要素をどんどん出した方が説得力が増してくる」と述べていた。
この発言を音楽用語の”ユニゾン”という言葉を用いて言い換えてみると、ヨーロッパの童話や題材をヨーロッパ的な音楽スタイルで”なぞる”つまり”ユニゾン”で音楽を付けるのではなく、すこし違った視点で物語を捉えながら敢えて”ズラした”音楽を付けていく。そうしたアプローチを用いながら日本人の作曲家が作曲することで、童話が本来持つ怖さや残酷さ──ヨーロッパ人は子供の頃からその童話に慣れ親しんでいるので、かえって意識に上りにくくなっている──が、より際立って見えてくるということなのだ。これが『Le Petit Poucet』の音楽の素晴らしさであり、同時に作曲家としての久石の特質が遺憾なく発揮された好例というべきであろう。
  「Le Petit Poucet」是法國電影『Le Petit Poucet』的主題曲,跟『神隱少女』一樣都是在2001年由久石先生作曲而成。雖然這是將法國童話作家夏爾·佩羅的『拇指姑娘』真人化的電影,但主人翁布賽和『神隱少女』一樣離開父母被丟入奇幻世界,也就是所謂的「異界」體驗各項冒險進而活下去的故事。
  本專輯收錄的是在本篇開場時播放的主題曲的交響樂版本,在電影結束時使用的是凡妮莎·帕拉迪絲演唱的歌聲版本。因為這個原因,久石先生在專訪中提到將這個主題訂為「香頌」來創作。現在重新聽完這首主題曲後會發現,除了充滿符合法國電影氣質的「香頌」外,同時也會發現唯有久石先生才能創作出,一聽就知道這是具有久石風格的旋律所創作出來的音樂。身為亞洲日本人的作曲家·久石讓所創作的「久石旋律」變成可說是歐洲民間故事精髓的童話「Le Petit Poucet」的主題曲,著實令人感到十分有趣。
  而購買本張專輯的聽眾們,請一定要趁這個機會欣賞「Le Petit Poucet」整部電影(現在有出DVD,很容易取得欣賞),大家一定會發現搭配電影的交響樂配樂中,大量採用尺八以及和太鼓等等日本傳統樂器。
  專訪當時久石先生表示「比起只用西歐的交響樂來完成樂曲,還不如堅持採用日本的樂器來作曲,這樣才能做出更真實的音樂。佩羅的童話世界確實屬於歐洲的世界觀,相反地在音樂上盡量端出日本要素反而更具說服力。」
  這個發言若用音樂用語「unison」來替換的話,歐洲的童話和題材,不用歐洲的音樂風格來「臨摹」=「unison」來配樂,而是用略為不一樣的視點來看整個故事,並故意配上「偏離」的音樂。而這樣的手法——用日本作曲家創作的樂曲,反而更能看清童話故事原始的可怕和殘酷。——歐洲人因為從小就熟知那個童話故事,所以反而很難意識到這點。這就是「Le Petit Poucet」音樂精彩的地方,同時也是可以毫無遺憾發揮作曲家久石讓特質的最佳案例。
久石が同時期に手掛けたこれら2つの映画は、全く無関係な作品であるにもかかわらず、たまたま2001年に作られ、それぞれの本国で公開された。そして偶然にも、”異界”に放り込まれた人間がどう生きるのかという題材を扱ったファンタジー作品でもあった。その当時、久石を含む映画の作り手たちは、ファンタジーの物語にリアリティを持たせるべく全力を注ぎ込み、彼らが生み出した数々のファンタジーを我々観客はエンタテインメントとして素直に受け入れ、喜び、熱中することができた時代だった──2001年の夏の段階までは。
ところがこの取材から約2ヶ月後の2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生した。たった一晩で、それ以前と以後の世界がまったく変わってしまった。
旅客機が高層ビルに突っ込み炎上する──どんな映画でも描けなかった光景を、当時を生きていた久石を含む我々は、テレビを通じてリアルタイムで見てしまった。つまり、現実のほうがファンタジーよりも先をいってしまったのである。
人間がいくらファンタジーの世界を想像し、その物語にリアリティを持たせようとしたところで、あの9.11の映像を見せつけられたとき、現実のほうが遥かに凄まじいのだということを、我々はいやが上にも思い知らさせた。我々は一体何だったのだろう……と。特に、映画やテレビなど映像に携わる人間は(久石も例外なく)、これまで追い求めてきた世界とは、ファンタジーとはいったい何なのだろう、大きな疑問符を突きつけられることになった。
別に言い方をすれば、9.11をリアルタイムで体験してしまった人間は、まさに千尋やプセたちと同様、宮崎監督やダアン監督が描いた”異界”、つまりいままで自分たちが生きてきた世界とは違った世界(そして自ら望まない世界)に放り出され、その世界を現実として生きろと、無理難題な要求を突きつけられてしまったのである。その過酷な事実を新たな現実として受け入れ、生きていかねばならないにしても、我々が”異界”に適応するのは容易なことではなく、当然のことながら多くの時間を要した。誰もが皆、同じように苦しみ、考え、自分なりに答えを見つけ出していくことを余儀なくされた。
では、アーティストとしての久石は、9.11から受けた衝撃や思いをどう表現したのか? 音楽家として、今までと違う現実、9.11以後の世界という”異界”とどのように向き合うべきなのか? その回答のひとつが、2001年から3年後の2004年に立ち上げた、新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O.)の創設と、本盤ラストに収録されているW.D.O.のテーマ曲「World Dreams」の作曲である。その答えにおいて、久石は伝統的な西洋のオーケストラの中で、力強いメロディを”ユニゾン”で鳴らすという驚くべき結論を見出した。もちろん、久石はその結論にやすやすと達したわけではない。9.11のはるか以前から、ミニマル・ミュージックを通じて”異界”を意識化させてきたアーティスト・久石なくして、その結論に達することは出来なかっただろう。
  而久石先生在同時期負責的這兩部電影,雖然是毫無關連的兩個作品,只是碰巧都是在2001年完成,在各自的母國上映。然而卻剛好都是描述被丟入「異界」的人類要如何生存下去這個題材的科幻作品。在那個時代,包括久石先生在內的電影製作團隊認為科幻故事也要具有真實性,並全心投人製作。而我們觀眾可以單純地以純娛樂來接受他們所創作出來的各種科幻情節,並感到喜悅、為之瘋狂。——在2001年夏天的階段的確是如此。
  然而,在專訪過後約2個月的2001年9月11日,在美國同時發生多起恐攻事件。僅僅一個晚上,就讓之前和之後的世界完全走樣。
  客機撞上高樓大廈並燃燒起來——這是沒有任何一部電影描述過的光景,包括活在當時的久石先生和我們,透過電視即時看到這個畫面。也就是說,現實比科幻更快離去。
  人類就算再會想像科幻的世界並把故事真實化,在看到911的影像後,不被迫明白現實遠比科幻世界來得更加悽慘和壯烈。那我們究竟算什麼……?尤其是從事電影和電視等等相關產業的人(久石先生也不例外),不禁會想過去追求的世界、追求的科幻究竟是什麼?被巨大的問號給敲醒。
  換個方式來說,當下經歷過911的人,彷彿就像千尋和布賽一樣,被丟人宮崎導演和達安導演所描繪的「異界」,也就是和自己過去生活的世界完全不同的世界(而且還是自己不期望的世界),然後在那個世界真實地活下去,並且被迫面對許多無理、困難的要求,且必須把那個殘酷的事實當成新的現實來接受並繼續活下去。然而我們想要適應「異界」並非容易的事,當然需要許多時間。不管任何人都一樣痛苦、需要思考、並找出自己的答案。
  那麼,身為藝術家的久石先生,在受到911的衝擊後,要如何表現自己的感受呢?身為音樂家,要如何面對和現在迥異的現實,這個名為911之後的世界的「異界」呢?其中的一個答案就是,在2001年後的3年,也就是在2004年創設的新日本愛樂World Dream Orchestra(W.D.O.),以及創作收錄在本專輯中W.D.O.的主題曲「World Dreams」。在這個答案中,久石先生得到在傳統的西洋交響樂中,用「unison」的方式鳴奏強而有力的旋律這個驚人的結論。當然,久石先生也不是輕而易舉就得到這個結論的。比911更早之前,若藝術家久石先生沒有藉由簡約音樂將「異界」意識化的話,應該也得不到這個結論吧!
改めて説明するまでもないが、久石はミニマル・ミュージックの作曲家としてキャリアをスタートさせた。話をわかりやすくするため、ミニマル・ミュージックとは「繰り返しや反復などを用いながら微細なズレを生み出し、そのズレから豊かなテクスチュアを紡ぎ出していく音楽」と仮に定義しておくが、ミニマリストとしての久石が他のミニマルの作曲家と異なるユニークな特徴のひとつは、彼がエッシャー的な視点を備えた作曲家だという点である。
久石はミニマル・ミュージックを書き始めた頃から、オランダの抽象画家マウリッツ・エッシャーの作品に非常に強い関心を抱いていた。エッシャーはだまし絵(錯視画)で有名な画家だが、久石はそのエッシャーの作品から影響を受けながら、だまし絵がもたらす錯視効果とミニマル・ミュージックがもたらす錯視効果(より正確に言えば錯聴効果)の類似性に注目し、実際のミニマル・ミュージックの作曲に生かしていった。
エッシャーは、現実の世界に存在していない図形や模様があたかも存在しているように描くことによって、人間のものの見方、もっと大きく言えば、世界の捉え方そのものに対して、問題提起を行った画家である。特に晩年の作品では、あるパターンを幾重にも繰り返し、積み重ねていくことで、そこからまったく違うものが生まれていく変容(メタモルフォーゼ)を追求していくようになった。
そうしたエッシャーの特徴に久石は注目し、自身の作品においても、同じ音形やフレーズを繰り返し、少しずつズラしていきながら、全く異なるものを生み出し、音楽を変容させていくという実験を重ねていった。その方法論は、作曲家として初期の活動を始めた40年前から現在に至るまで、本質的には変わることなく受け継がれているといっても過言ではない。そうした彼のミニマル・ミュージックに対する向き合い方、言い換えればエッシャー的な方法論に基づくミニマル作品が、本盤には2曲収録されている。
まず、1985年のアルバム『α-BET-CITY』の中に収録されていた曲がオリジナルとなる、タイトルもそのままずばりの「DA・MA・SHI・絵」。そして1944年にエッシャーが描いた原画「Encounter(遭遇)」にインスパイアされて生まれた、弦楽合奏のための「Encounter」。ユーモラスな響きを持ち、同じフレーズや音型を繰り返すうちに音楽がすっかり別のものに変容してしまう、まさにエッシャーのだまし絵を見ているような感覚に非常に近い驚きや喜びを、リスナーはこの2曲から感じていただけるのではないだろうか。
作曲年代が約30年離れた、これら2曲が端的に示しているように、久石がエッシャー的なミニマル・ミュージックを書くということは、すなわち、人間の見方やものの捉え方が実のところは錯視的であり、あるいは変容していくものだということを音楽を通じて表現し、問題提起していることにほかならない。わかりやすく言えば、「いま現実に見えているものだって、突然”異界”に変容するとも限らないよ」ということである(ちなみに1992年に久石のアルバム『My Lost City』は、まさにそうした問題意識から生まれた作品である)。
40年前から、そうした問題意識を片時も忘れることなく、作曲というフィールドにその意識を生かしながら音楽を表現してきたところに、実は久石のミニマリストとしての最大の強みが存在する(ミニマルの繰り返しや反復はあくまでも技法であり、それ自体が目的ではない)。だからこそ、彼のミニマル・ミュージックが我々に強く訴えかけてくるのではあるまいか。
そういう作曲家・久石が9.11という”異界”に遭遇(encounter)したとき、単にその事件に寄り添った音楽を書いたり活動をしたりするだけではなく、今までと違った現実を生き抜くために、それに応じた音楽的姿勢を持って活動し、生きねばならないと決断したのは想像に難くない。
  不需要我再次說明,大家應該都知道久石先生是以簡約音樂的作曲家身份開啟了自身的音樂經歷。為了讓大家容易瞭解,所謂的簡約音樂我們把它定義成「利用不斷地反覆、重複創造出些微的偏離,再由那些偏離編織出豐富織體的音樂」,而身為簡約主義者的久石先生和其他簡約音樂作曲家不同的獨特之處就是,他是具備艾雪式視點的作曲家。
  久石先生打從開始創作簡約音樂時,便非常強烈注意荷蘭抽象畫家莫里茲·柯尼利斯·艾雪的作品。雖然艾雪是著名的視覺陷阱(錯視畫)畫家,久石先生受到艾雪作品的影響,開始注意視覺陷阱畫帶來的視覺錯亂效果和簡約音樂帶來的視覺錯亂效果(正確來說應該是聽覺錯亂效果)的類似性,並實際應用於簡約音樂的作曲上面。
  艾雪是一個藉由把不存在於真實世界的圖形和模樣繪成好像真的存在一樣,對於人類看東西的看法,更誇大地來說對於看待世界的方法,不斷提出疑問的畫家。尤其是他晚年的作品,不斷反覆某個類型,追求藉由不斷地累積,變化(Metamorphose)成截然不同的東西。
  而久石先生注意到艾雪的特徵,也在自身的作品中進行實驗,反覆相同的音型和樂句,並一點點地錯開下去,創造出完全不同的東西,讓音樂變身的實驗。而這個方法論,可說是在40年前開始以作曲家的身份進行初期活動開始到現在,在本質上並無改變且持續繼承下去。而本張專輯收錄兩首他面對簡約音樂的方式,換言之即是基於艾雪式方法論的簡約音樂作品。
  第一首收錄於1985年「α-BET-CITY」專輯中的曲子為原創樂曲,曲名也直接命名為「DA·MA·SHI繪」。第二首為受到艾雪在1944年所繪的原畫「Encounter(遭遇)」啟發而生,為了弦樂合奏而生的「Encounter」,具有幽默的聲響,在反覆相同的樂句及音型下完全變成別的東西,彷彿就像在看艾雪的視覺陷阱畫一般,聽眾應該可以透過這兩首樂曲實際體會到那種又驚又喜的感覺。
  作曲年代距今已經超過30年,就像這兩首樂曲明白地表現出,久石先生創作的艾雪式簡約音樂其實是透過音樂表達人類看待事情的方式實際上是一種視覺錯亂,也可說是不斷持續變化,藉此點出問題所在。簡單來說,「現在實際上看到的東西,某天說不定會突然變化成『異界』。」(順道一提,1992年久石的專輯「My Lost City」就是由這個問題意識所衍生出來的作品。)
  自40年前便無時無刻記著這種問題意識,並在作曲領域中活用此意識來表現音樂的手法,其實是久石先生身為簡約主義者最大的強項。(簡約音樂的反覆和重複只是一種技巧,並不是主要目的。)正因如此,他的簡約音樂才會如此打動我們。
先に触れたように、久石は9.11以後の世界という”異界”への回答として、W.D.O.を創設した。なぜ、オーケストラなのか? ”異界”が現れる前の馴染み深い音世界を懐かしむとか、西洋音楽の伝統に回帰するとか、そういう話ではない。『千と千尋の神隠し』や『Le Petit Poucet』のように、敢えてオーケストラに”異界”を取り込むことで、”異界”そのものを生き抜いていこうとする、ひとつの決意表明として、オーケストラを選んだのである。そのオーケストラの中に、これまで久石が抱えてきた問題意識、つまりエッシャー的な問題意識に基づくミニマル・ミュージック的な方法論を持ち込むことで、今までとは違った現実、すなわち”異界”を生きていくことはどういうことなのか、それを追求していくためにオーケストラを選んだのである。だからこそ、オーケストラの中で「World Dreams」のような”ユニゾン”のメロディを歌う意味が生まれてくる。もし、オーケストラが”異界”の響きを表現するだけだったら、多様性に満ち溢れた音楽的にも比喩的な意味でも”不協和音”の衝突のまま終わってしまうから。
  而這樣的作曲家久石讓在遭遇(Encounter)到911這個「異界」時,我們不難想像他並不是單單為了靠近那個事件而創作音樂、從事活動,而是為了在和過去迥異的現實中生存下去,並以相對應的音樂姿態而從事活動,進而決定活下去。
  剛剛也有提到,久石先生對於在名為911以後的世界的「異界」的回答是創設了W.D.O.。為什麼是交響樂呢?並非要懷念在「異界」出現之前極為熟悉的音樂世界,或是回歸西洋音樂的傳統這類的話。反而是像『神隱少女』及『Le Petit Poucet』一樣,刻意在交響樂中加人「異界」,並表明決定在「異界」中活下去才選擇交響樂的。在
  響樂中,帶入過去久石先生所抱持的問題意識,也就是基於艾雪式問題意識的簡約音樂化的方法論,和過去迥異的現實,也就是在「異界」中活下去究竟是怎麼樣的一件事,為了追求這個答案才選擇了交響樂。正因如此,在交響樂中才會創造出像「World Dreams」一樣唱著「unison」的旋律的意義。如果交響樂只能表現出「異界」的聲響,那充滿多元化的世界不論在音樂上面或比喻上面來說,也只能以「不和諧的聲音」互相衝撞來收尾。
奇しくも9.11以後、この18年のあいだに音楽を世の中に届けていく方法そのものも大きく変わってしまった。それ以前は、アルバムやレコードといったパッケージで音楽を届けることがアーティストにとってのひとつの目標であり、またゴールでもあった。ところが18年経った現在、インターネットなどのデジタルの普及によって音楽のあり方自体が大きく変容し、ストリーミングで音楽を聴き、あるいは1曲だけダウンロードして楽しむといった聴き方が日常のものとなった。好むと好まざるとに関わらず、そういう音楽の”異界”に我々は生きているのである。
だが、”異界”は必ずしも悪いことだけではない。この現行を書いている2019年7月現在、中国で初めて劇場公開された『千と千尋の神隠し』は新作映画を上回る大ヒットを記録し、新たなファン層を生み出している。そしてこの9月には、アメリカの名指揮者デニス・ラッセル・デイヴィスがチェコ・ブルノで「DA・MA・SHI・絵」のヨーロッパ初演を振ることが決まっている。18年前、このように世界が変わることになるとは、実は久石本人ですら想像もつかなかったはずだ。
そういう”異界”を現実のものとして生きている現在の我々にとって、何を拠りどころとしながら生き、どのように世界を見つめていかなければならないのか? 本盤『Spirited Away Suite』には、その難問に対してアーティスト・久石譲が誠実に出した回答──9.11以後の”異界”を”だまし絵”で生き抜くオーケストラの音楽──が凝縮して表現されている。
  奇妙的是自9.11以後的18年間,世界傳遞音樂的方式發生了巨大的變化。在那之前,對藝術家而言,以專輯或唱片來傳遞音樂是一個目標,也是一個終點。然而經過18年後的現在,由於網路等等數位化的普及,讓音樂的存在方式出現很大的變化。以串流媒體聽音樂或是只下載一首曲子來聽的方式已經是家常便飯。不管你喜不喜歡,我們已經活在這種音樂的「異界」裡了。
  然而,「異界」並非絕對不好。在我寫這篇稿子的2019年7月的現在,首次在中國電影院上映的『神隱少女』票房比全新上映的電影還要高出許多,創下爆紅紀錄,並催生出新的粉絲層。而今年9月,美國知名指揮家丹尼斯·羅素·戴維斯也決定在捷克布爾諾指揮「DA·MA·SHI繪」的歐洲首演。相信久石先生本人在18年前也無法預料到世界會變化成現在這副模樣吧!
  對於現在活在現實「異界」的我們而言,究竟該依靠什麼活著,又該怎麼看待這個世界呢?針對這個難解的問題,久石讓誠實地在本張專輯「Spirited Away Suite(神隱少女交響組曲)」中做出回答——以利用「視覺陷阱」在911以後的「異界」存活下去的交響樂——濃縮成一句話來表現。
前島秀国/Hidekuni Maejima
サウンド&ヴィジュアル・ライター
2019/07/01
前島秀國/Hidekuni Maejima
音樂&視覺·作家
2019/07/01
Spirited Away Suite
Spirited Away Suite
2018年の「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2018」にて初演。2001年7月20日公開の宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』から。構成楽曲は次のとおり。
あの夏へ One Summer’s Day/夜来る Nighttime Coming/神さま達 The Gods/湯屋の朝~底なし穴 View of the Morning ~ The Bottomless Pit/竜の少年 The Dragon Boy/カオナシ No Face/6番目の駅 The Six Station/ふたたび Reprise/帰る日 The Return
  於2018年「久石讓&World Dream Orchestra 2018」中首次演出。來自2001年7月20曰上映的宮崎駿導演之電影「神隱少女」。曲目如下:
  那個夏天One Summer's Day/黑夜來臨Nighttime Coming/眾神們The Gods/溫泉屋的早晨〜無底洞View of the Moming-The Bottmless Pit/白龍少年The Dragon Boy/無臉男No Face/第六個車站The Sixth Station/重新開始Reprise/歸日The Return。
Le Petit Poucet
Le Petit Poucet
2001年、オリヴィエ・ダアン監督のフランス映画『Le Petit Poucet』(邦題:プセの大冒険 真紅の魔法靴)メインテーマより。シャルル・ペローの童話『親指小僧』をもとに実写化された映画。ヴォーカル版はヴァネッサ・パラディの歌う「La Lune Brille Pour Toi」。2001年の東北ツアーで演奏されたメインテーマを、2018年「久石譲&ワールド・ドリーム・オーケストラ2018」において書き直して披露された。
  來自2001年奧利維耶·達安導演的法國電影『Le Petit Poucet』(拇指姑娘)的主題曲。將夏爾·佩羅的童話故事『拇指姑娘』真人化的電影。演唱版是由凡妮莎·帕拉迪絲演唱「La Lune Brille Pour Toi」。在2001年東北巡迴演奏會演奏的主題在2018年「久石讓&World Dream Orchestra 2018」中重新證釋並加以演出。
DA・MA・SHI・絵
DA·MA·SHI繪
エッシャーのだまし絵にインスパイアされた1985年の作品、『α-BET-CITY』で発表された。1996年の「PIANO STORIES II ~The Wind of Life~ Part 1 Orchestra Night」の際にオーケストラ版に書き直された後、2010年『ミニマリズム』収録時にLSO(ロンドン交響楽団)の演奏による初収録された。
  於「α-BET-CITY」中發表受莫里茲·柯尼利斯·艾雪的視覺陷阱所啟發的1985年的作品。在1996年的「PIANO STORIES II〜The Wind of Life〜」重新編排成交響樂版後,在收錄2010年「極簡主義」時首度收錄LSO(倫敦交響樂團)的演奏版本。
Encounter for String Orchestra
Encounter for String Orchestra
オリジナルは、2012年、「フェルメール光の王国展」のために書き下ろした「Vermeer & Escher」の室内楽曲。その中から4曲を選び、弦楽四重奏曲として再構成・作曲し直した「String Quartet No.1」(初演:2014年9月29日「Music Future Vol.1」)の第1曲「Encounter」を、更に弦楽合奏用に書き直した作品。2017年2月12日、久石譲指揮、ナガノ・チェンバー・オーケストラにて初演。本盤が初収録となる。
  原創曲是為了2012年「維梅爾光之王國展」所編寫的「Vermeer & Escher」的室內樂曲。從中節選四首樂曲,以弦樂四重奏的方式重新架構、編曲為「String Quartet No1」(首演:2014年9月29日「Music Future Vol.1」)。再將第一首樂曲「Encounter」編成弦樂合奏用作品。2017年2月12日由久石讓指揮,Nagano Chamber Orchestra首次演奏。並首次收錄於此張專輯。
World Dreams
World Dreams
2004年、久石譲と新日本フィルによるW.D.O.結成時に、テーマ曲として作曲された作品。「作曲している時、僕の頭を過っていた映像は9.11のビルに突っ込む飛行機、アフガン、イラクの逃げまどう一般の人々や子供たちだった。『何で……』そんな思いの中、静かで優しく語りかけ、しかもマイナーではなくある種、国歌のような格調あるメロディが頭を過った」
  2004年久石讓和新日本愛樂結成W.D.O.時所創作之主題曲。「當我在作曲的時候,腦中浮現的畫面是911恐攻時撞上大樓的飛機、以及阿富汗、伊拉克到處逃命的一般平民及孩子們。當自己想著『為什麼……』的時候,安靜地、溫柔地開始訴說,而且不是小格局,而是某種像國歌一樣格調的旋律出現在腦海中。」