文档:風起 企劃書
跳至導覽
跳至搜尋
主頁面 | 風起 觀影手冊 | 目錄 |
◄ Page 02-03 ストーリー | Page 04-05 企画書 飛行機は美しい夢 | Page 06-07 ► |
主頁面 | 吉卜力的教科書 風起 | 目錄 |
◄ 鈴木敏夫 数々の葛藤や偶然の末に生まれた | Part1 映画『風立ちぬ』誕生 |
宮崎駿イメージボード 空を飛ぶ夢 ► |
飛行機は美しい夢 |
飛機是場美麗的夢 (來源:宮崎駿映畫館 譯者:花袋)
|
---|---|
零戦の設計者堀越二郎とイタリアの先輩ジャンニ・カプローニとの同じ志を持つ者の時空をこえた友情。いくたびもの挫折をこえて少年の日の夢にむかい力を尽すふたり。 大正時代、田舎に育ったひとりの少年が飛行機の設計者になろうと決意する。美しい風のような飛行機を造りたいと夢見る。 やがて少年は東京の大学に進み、大軍需産業のエリート技師となって才能を開花させ、ついに航空史にのこる美しい機体を造りあげるに至る。三菱A6M1、後の海軍零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦である。1940年から三年間、ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機であった。 少年期から青年期へ、私達の主人公が生きた時代は今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった。関東大震災、世界恐慌、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争につぐ戦争、一方大衆文化が開花し、モダニズムとニヒリズム、享楽主義が横行した。詩人は旅に病み死んでいく時代だった。 私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。 |
零戰的設計者堀越二郎和義大利的前輩卡布羅尼(Caproni)有相同的志向,兩人的友情也超越了時空。主人公不知經歷了多少的挫折,竭盡全力完成了少年的夢想。 大正時期,生于田間野地的少年立志要成為一名飛機的設計者。夢想著造出如美麗的風一般的飛機。 少年入了東京的大學,在成為一名軍需產業的精英技師之後,他的才能才得以展現,造出了航空史上的美麗機體。三菱A6M1,這是以後海軍零式艦戰鬥機,也就是零戰。從1940年開始後的3年間,零戰成為了世界上傑出的戰鬥機。 從少年時期到青年時期,主人公所出生的年代是比當今飄蕩這閉塞感的日本還要激烈的年代。關東大地震、世界恐慌、失業、貧困和結核病、革命和法西斯主義,言論鎮壓和接連不斷的戰爭。這個時期,一方面大眾文化開始傳播,另一方面,現代主義、虛無主義和享樂主義開始橫行。這是詩人病死於旅途的時代。 我們的主人公二郎從事飛機設計的這個時代正是日本帝國瀕臨毀滅,即將崩壞的時代。但是,這部片子並不想涉及譴責戰爭這方面的內容。優秀出彩的零戰也並沒有鼓舞日本的年輕人。事實上,也並沒有打算要自己做民間飛機的打算。 我們想要描繪出的就是忠於自己的夢想的一個主人公。瘋狂充溢著夢想,不會隱藏這份瘋狂。對過分美麗的東西的嚮往也是對人生的一種叱責。傾倒於美麗的代價是很少的。二郎零零散散地幹著些工作,遭遇了挫折,而後開始了設計者之路。而且,二郎還具有其自身的獨創性和才能。關於他的這個方面我們也會有所描寫。 |
この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は、“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。 |
這部電影的名字《風起》由來於堀辰雄的同名小說。堀辰雄將保羅·瓦勒里所作的一節詩譯為「風起,唯有努力試著生存。」因為電影中的堀越二郎和文學家堀辰雄是生活在同一時代,所以才能創作出主人公「二郎」。然後,在神話化的零戰機誕生的這條線中,還穿插著青年技師二郎和美麗不幸的少女菜穗子的相遇這一故事線路,電影中還添加了卡布羅尼(Caproni)叔叔穿越時空的這一情節,完全描繪了1930年的青春,是一部特性鮮明的作品。 |
映像についての覚書 |
關於畫面的備忘錄 |
大正から昭和前期にかけて、みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい。空はまだ濁らず白雲生じ、水は澄み、田園にはゴミひとつ落ちていなかった。一方、町はまずしかった。建築物についてセピアにくすませたくない、モダニズムの東アジア的色彩の氾濫をあえてする。道はでこぼこ、看板は無秩序に立ちならび、木の電柱が乱立している。 少年期から青年期、そして中年期へと一種評伝としてのフィルムを作らなければならないが、設計者の日常は地味そのものであろう。観客の混乱を最小限にとどめつつ、大胆な時間のカットはやむを得ない。三つのタイプの映像がおりなす映画になると思う。 日常生活は、地味な描写の積みかさねになる。 夢の中は、もっとも自由な空間であり、官能的である。時刻も天候もゆらぎ、大地は波立ち、飛行する物体はゆったりと浮遊する。カプローニと二郎の狂的な偏執をあらわすだろう。 技術的な解説や会議のカリカチュア化。航空技術のうんちくを描きたくはないが、やむを得ない時はおもいっきり漫画にする。この種の映画に会議のシーンが多いのは日本映画の宿痾である。個人の運命が会議によって決められるのだ。この作品に会議のシーンはない。やむを得ない時はおもいきってマンガにして、セリフなども省略する。描かねばならないのは個人である。 |
從大正時期到昭和前期,我想描繪出一幅融融綠意、生機勃勃的日本風土。天空還很澄淨,白雲飄蕩,水清園潔。雖然城鎮很貧窮,但也不想把建築物都塗成褐色,而是想要很泛濫地使用用那種很具有現代東亞感的顏色。道路坑坑窪窪,招牌也歪歪扭扭地掛著,木頭的電線桿參差不齊地立在各處。 雖然不是非要做成那種從少年到青年,再到中年的這麼一種記錄的電影,但電影中所描述的卻是設計者的日常生活。我們會最大程度地避免讓觀眾們看得混亂,在不得已之時才大膽地使用時間的切換。這三段時期的相互交錯,共同構成了這部影片。 日常生活就是一些平常小事描寫的堆砌。 夢中有著更自由的空間,官能性也好。時間、氣候不定,大地也有著起伏,飛行在空中的物體優先地漂浮在空中。這可能就表現出了卡布羅尼和二郎的瘋狂的偏執吧。 影片裡會出現有關技術的解說,會議的場面也會帶有諷刺意味。雖然不是那麼想深入描寫關於航空技術方面的知識,要是迫不得已的情況,會採用漫畫的方式來講解。像這種電影當中會出現許多開會的場景,這種開會的場景是日本電影的一個宿疾。個人的命運有會議來決定。所以在這部影片中不會出現開會的場景。實在必須出現的時候,也會用漫畫的方式來代替,並且不會添加台詞。這部影片中,我們想描繪表現的只是人而已。 |
リアルに、 幻想的に 時にマンガに 全体には美しい映画をつくろうと思う |
真實的 幻想的 時而漫畫式的 大家都想做出美麗的電影 |
2011.1.10 宮崎 駿 |
2011.1.10 宮崎駿 |