文档:Animage 1981年8月號

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スタジオジブリの出発点・宮崎駿〈伝説の大特集〉
7月10日発売のアニメージュ2020年8月号は、通算506号にして “42冊目” の8月号。

さて、数ある “アニメージュ8月号” のなかでも、“伝説の8月号” と呼ぶべき1冊があることをご存じだろうか?

それは、1981年8月号(Vol.39)だ。
金田伊功(彼もまた “伝説のアニメーター” だ)による『さよなら銀河鉄道999』のイラストが表紙を飾るこの号。
そこには、当時としてはあまりにも早すぎたーーそれゆえに、後に結果としてアニメの歴史のなかで大きな意味を持つことになる大特集が掲載されている。


「宮崎駿 冒険とロマンの世界」

宮崎駿の大特集。
現在なら何の違和感もないし、アニメ雑誌に限らず一般誌、TV・ラジオ等も含むどのメディアで実施されても不思議はないだろう。
だが、この特集の掲載号が発売されたのは1981年の7月だ。
当時、宮崎はTVシリーズ『未来少年コナン』(1978〜79年)と映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)を作り終えた時期。『風の谷のナウシカ』原作の連載がアニメージュでスタートするのは翌年1982年2月号(1982年1月発売)で、同作の映画公開が1984年3月。『天空の城ラピュタ』(1986年8月公開)制作にあたってスタジオジブリが設立されたのは、4年後の1985年。

つまり、この世界にまだ「ジブリアニメ」も「世界のミヤザキ」も存在していない時期に、この特集は生まれたのだ。

全31ページにわたる大特集は、『未来少年コナン』と『ルパン三世 カリオストロの城』を中心に宮崎監督の演出と作画にスポットをあてている。


▲『未来少年コナン』のイメージボードの数々


▲宮崎作品の楽しさを、主人公像、メカニック描写、「走り」などの動き、舞台のリアリティ、などの視点から分析


▲東映動画入社(1963年)以降の仕事歴を詳細に振り返る「宮崎駿マンガ映画の系譜」

特集全編にわたり宮崎本人のインタビューがフィーチャリングされているほか、高畑勲、大塚康生、山本二三、森康二、芝山努、羽根章悦、才田俊次、小田部羊一といった関係者、仕事の仲間にも取材がなされており、当時の編集部の熱意が感じられるような、濃厚な特集になっている。

当時、アニメージュ編集部に在籍してこの特集に関わり、後にスタジオジブリプロデューサーとなる鈴木敏夫は、次のように振り返る。

当時は宮崎駿なんて誰も知らない時代だったから、そんな特集を組むことは、『アニメージュ』がアニメファンから総スカンを食らうということなんです。宮さん(=宮崎駿/引用者注)自身も、冗談じゃないと言って、そう簡単にはOKしてくれなかった。
(中略)
「(他の編集部員に/引用者注)トシちゃん、返本率50%になるぞ」と脅されて、本当に半分返本されてきたんですけど(笑)。
(『BEST OF アニメージュ アニメ20年史』[1998年/徳間書店刊]より)

そして「でもこの特集がなかったら、今のジブリは存在しなかったんだから、面白いでしょ」と続けている。

当時はけっして「大ヒット」とはいえなかったこの特集こそが、『風の谷のナウシカ』連載からアニメ化、そしてスタジオジブリ誕生へと続いていく流れの出発点であり、その意味では日本のアニメの歴史の中でも特筆すべき位置を占めている。
そして、作家・宮崎駿を語る際にこの特集は、今もなお必須にして最重要な資料のひとつでもあるのだ。