文档:吉卜力日志/幽灵公主/1

来自宫崎骏与久石让中文百科
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幽灵公主 制作日志 目录 
 7月 「幽灵公主」宣传活动·伴田报告 「信州之旅」报告
「もののけ姫」キャンペーン
伴田(ともだ)さんレポート
《幽灵公主》宣传活动
伴田(Tomoda)报道
吉卜力日志 tomoda2.gif
東宝・伴田さん
吉卜力日志 tomoda2.gif
东宝·伴田先生
97.6.20(金) 福岡
 キャンペーン出発。
 前日からの台風が、多少心配ではあったが、羽田ー福岡間はまあ、大丈夫だろうと思っていた。しかし胸騒ぎを覚え、9時30分待ち合わせのところ、余裕を見て8時45分に羽田到着。早めに、宮崎監督、鈴木プロデューサーと3人分をチェックインしようと思いカウンターに行くが、飛行機が機材どりのために遅れるかもしれない、との情報が入る。乗るはずのJAS305便は四国から羽田に到着する予定だったのだが、四国は台風の直撃をうけており、飛行機が羽田に来ていなかった……
 そのため、急遽9時45分発のJALに変更。しかし、待ち合わせ時間から15分しかなく、慌てて宮崎監督と鈴木プロデューサーと連絡をとる。宮崎監督は自宅からハイヤーで羽田に来る予定。羽田まで2時間ほど時間をみているが、渋滞したら飛行機に間に合わない。電話をしてみると監督はすでに空港に。渋滞もなく8時50分には空港に着いたとのこと。鈴木プロデューサーはちょうどモノレールに乗ったところで、9時25分には空港に着くということで、何とか飛行機には間に合いそう。
 JASではスーパーシートを予約しており、JALでもスーパーシートがあるというのでJALに行ってみると、スーパーシートはもう満員で、「JASでスーパーシートの券を一般のシートに替えてから来てください。」と言われ、右往左往の結果、ようやくJALに乗り換える。
 福岡到着。晴天。宿泊予定のホテルの中華レストランにて昼食。
 午後1時過ぎより合同記者会見。ここにて、ディダラボッチ�登場。このディダラボッチの着ぐるみはこのキャンペーンのため3体作られ、行く先々で登場する予定。まさに宮崎監督あるところにディダラボッチあり。ちなみにこのディダラボッチの着ぐるみは、170cm以下のごく細の人しか着られないため、その体型の人を各地で探してもらっているらしい。
 合同記者会見は無事終了。
 TNC「サンデーブランチ」を喫茶店で収録。
 地域限定のラジオ放送、天神エフエム収録。伴田さん曰く、とんがり系(?)のファッショナブルなお姉様2人が取材。熱心なインタビューで、監督も熱心に答えていたらしい。街で拾った「もののけ姫」や宮崎監督に対する声を録音したテープをお土産でもらう。
 次のFBS「めんたいワイド」の出演まで1時間空いたので、気晴しに3人そろってパチンコ。宮崎監督、伴田さんが揃ってフィーバーし、鈴木プロデューサーはフィーバーかからず。
 「めんたいワイド」に生出演の後、FBS福岡放送「奥様10時半」録画。ここで再びディダラボッチ登場。中に入っているアルバイトさんはもう汗だく。頭にまいていたタオルを宮崎監督が巻直す場面も。「アルバイトの人も大変ですね。」と言うと、「いやあ、本当大変ですよ。まあ、僕が入るわけじゃないから別にいいけど」と言う伴田さんでした。
 テレビ収録の後、夕食まで時間があったので、キャナルシティに見学に行く。そこだけが、まるでロサンゼルスのショッピングセンター。支配人のハリー・ブランさんに映写室など中を案内してもらう。監督も「面白い経験をした」とご満悦の様子。
 整体の先生も午後から合流するはずだったが、台風直撃のため飛行機が飛ばず。結局、3時間ほど空港で待機してもらい、6時15分発の飛行機に乗り、無事福岡到着。夕食後、感動の再開を果たす。
1997年6月20日(星期五) 福冈
 宣传活动启程。
 虽然前一天开始的台风让人有些担心,但羽田到福冈的航班应该问题不大。然而,心中总有些不安,原定9点30分集合,我提前到8点45分到达羽田机场。本想早点为宫崎骏导演、铃木敏夫制片人和我办理登机手续,但柜台告知飞机可能因设备调配而延误。我们原本要乘坐的JAS305航班预计从四国飞往羽田,但四国正遭受台风袭击,飞机还没到达羽田……
 于是,我们紧急改签为9点45分起飞的JAL航班。然而,离集合时间只剩15分钟,我急忙联系宫崎导演和铃木制片人。宫崎导演原本计划从家乘专车前往羽田,预计需要2小时,如果堵车可能赶不上飞机。打电话确认时,导演已经到达机场,没有堵车,8点50分就到了。铃木制片人刚坐上单轨列车,预计9点25分到达机场,看来还能赶上飞机。
 我们原本在JAS预订了超级座位,听说JAL也有超级座位,便去询问,但被告知超级座位已满,需要将JAS的超级座位票换成普通座位后才能登机。经过一番折腾,终于成功改签JAL航班。
 抵达福冈,天气晴朗。在预定住宿的酒店中餐厅用午餐。
 下午1点过后,举行联合记者会。会上,迪达拉波奇登场。为了这次宣传活动,制作了三套迪达拉波奇的服装,计划在各地亮相。果然,有宫崎导演的地方就有迪达拉波奇。顺便一提,这套服装只有身高170厘米以下、体型纤细的人才能穿,因此似乎在各处寻找符合条件的人。
 联合记者会顺利结束。
 在咖啡馆录制TNC的《Sunday Brunch》。
 录制地区限定的广播节目,天神FM。伴田先生提到,两位时尚的尖头系(?)姐姐前来采访。她们非常热情,导演也认真回答了问题。我们还收到了一份礼物,是街头录制的关于《幽灵公主》和宫崎导演的观众声音的磁带。
 距离下一场FBS《明太子Wide》的录制还有一小时,三人决定去打弹珠放松一下。宫崎导演和伴田先生都中了奖,铃木制片人则没有。
 在《明太子Wide》直播结束后,录制FBS福冈放送的《奥様10时半》。迪达拉波奇再次登场。扮演者已经汗流浃背,宫崎导演还帮忙重新整理了头上的毛巾。我说:“兼职的人真不容易啊。”伴田先生回应道:“是啊,真的很辛苦。不过反正不是我穿,所以无所谓。”
 电视录制结束后,距离晚餐还有时间,我们决定去参观运河城。那里简直就像洛杉矶的购物中心。经理哈里·布朗先生带我们参观了放映室等内部设施。导演也显得非常满意,表示“这是一次有趣的经历”。
 原本计划下午与整体师会合,但因台风导致航班取消。最终,整体师在机场等了大约三小时,乘坐6点15分的航班顺利抵达福冈。晚餐后,大家感动地重逢。
97.6.21(土)晴れ。 熊本
 9時50分ホテルロビー集合。
 福岡10時18分発のつばめ7号に乗って一路熊本へ。11時30分熊本着。熊本東急イン、地下レストランにて昼食。ちなみに宮崎監督は冷麺定食750円。鈴木プロデューサーと伴田さんはうな重セットで800円。
 12時45分より、宮崎監督、鈴木プロデューサーとアニメ好きの大学生30名との座談会。学生さんが緊張していたのか、いまいち元気がなかったそうです。ここでもディダラボッチ登場。
 その後の合同記者会見も無事終了。
 座談会や記者会見の合間の休憩室として使ったのが、ホテルの結婚式場らしき部屋。神式の部屋らしく、それほど大きくはないのだが、戸だながあり扉をあけると中からウエディングケーキが……
 熊本リビング新聞取材。
 KBS「情報生テレビ」収録。
 TKU「若っ人ランド」収録。ここでは伴田さんは立ち合わなかったらしいが、今どきの若者2人が取材。
 熊本日日新聞文化部取材。この熊本日日新聞は、熊本に住んでいて読んでいない人はいない、というほどメジャーな新聞。
 休憩2時間。ここで一度、会社に連絡をもらい鈴木プロデューサーの呼びだしがかかるまで、キャンペーンの模様を聞く。
 夕食はKKRホテルの中のレストランで、熊本城見ながら郷土料理を食べる。側にいたおばちゃんのグループがうるさかったらしく、鈴木プロデューサーに「伴田くん、うるさいって言ってきてよ」と言われていたとか。
 整体の先生は午後から自由時間。夜合流して、夕食の後、鈴木プロデューサーと宮崎監督はマッサージを受けるため部屋に下がり、伴田さんは、熊本で一緒に行動していた熊本東宝の東支配人、九州支社の杉課長と反省会を兼ね熊本の街へ。
 余談だが、熊本の宿泊ホテルである熊本ニュースカイホテルは、天皇陛下が熊本を訪れると必ず、宿泊されるホテルらしい。
1997年6月21日(星期六)晴。熊本
 9点50分在酒店大堂集合。
 乘坐10点18分从福冈出发的燕子7号列车,一路前往熊本。11点30分抵达熊本。在熊本东急酒店的地下餐厅用午餐。顺便说一下,宫崎导演点了冷面套餐,750日元。铃木制片人和伴田先生点了鳗鱼饭套餐,800日元。
 12点45分开始,宫崎导演、铃木制片人与30名喜欢动画的大学生进行座谈。据说学生们有些紧张,气氛不太活跃。这里也提到了“迪达拉波奇”。
 之后的联合记者会也顺利结束。
 座谈会和记者会之间的休息室是酒店里看起来像婚礼场地的房间。似乎是神式的房间,虽然不大,但有一扇门,打开门后里面有一个婚礼蛋糕……
 接受了熊本生活新闻的采访。
 KBS“信息生电视”节目录制。
 TKU“若人乐园”节目录制。这里伴田先生似乎没有参与,但有两名当代年轻人接受了采访。
 接受了熊本日日新闻文化部的采访。熊本日日新闻在熊本非常有名,住在熊本的人几乎都会读。
 休息两小时。在此期间,公司联系了铃木制片人,询问了宣传活动的进展情况。
 晚餐在KKR酒店的餐厅享用,一边欣赏熊本城一边品尝当地美食。旁边有一群阿姨很吵,铃木制片人对伴田先生说:“伴田君,去告诉她们安静点。”
 按摩师下午是自由时间。晚上汇合后,晚餐结束后,铃木制片人和宫崎导演回房间接受按摩,伴田先生则与熊本东宝的东经理、九州分公司的杉科长一起前往熊本市内,进行总结会。
 顺便一提,熊本住宿的酒店——熊本新天空酒店,据说天皇陛下每次访问熊本都会住在这里。
97.6.22(日)雨 札幌
 休みを利用して札幌へ。整体の先生は、熊本から東京に戻る。宮崎監督は、熊本から札幌への移動など「リアリティに欠ける」と言っていたらしいのだが、ともかく、予定どおりお昼には札幌到着。日曜日ということで取材する側もお休み。タイトなスケジュールの中、気晴しをしようと支笏湖に向かう。途中、芸術の森にて昼食の後、支笏湖で1時間ほどボート遊び。男3人1つのボートには乗れないので、宮崎監督と鈴木プロデューサーが一緒に乗り、伴田さんは寂しく1人で。
 タクシーにて札幌に戻る。夕食は札幌ビール園にて。ジンギスカンにしようとしたのだが、長蛇の列で、鈴木プロデューサーの意見もあり、同じ敷地内のバイキングレストランに行く。カニ、寿司、肉といろいろあったらしいが、うどんが一番おいしかったとのこと。

<ニュース速報> 6/23、やっと「伴田さんレポート」をインターネットに載せた、とホッと一息ついたところに鈴木プロデューサーより電話が入る。「メールを送っておいたから見てね」とのことなので、さっそくメールを見てみると…… 以下鈴木さんからのメールです。ご覧下さい。 ******鈴木さん情報*******  22日は休みを利用して「支笏湖」へ。3人でボートに乗ることになったが、ひとりで乗り込んだ“丸東”の伴田くん、漕いでるうちに何と座礁。遭難事件をひき起こしました。宮さんとー緒にアップアップの伴田くんを助けに向かうことに。必死の形相の伴田くん、助かったときには、両手を合わせてガタガタ身体を震わせていました。忙中閑あり。キャンペーンで疲れていたぼくらには、一時の清涼飲料水となった「事件」ではありました。  あくる23日は、再びー日中取材。昼メシの場所に「携帯電話」を忘れた伴田くん、お店の人に届けてもらったときは、恥ずかしそうに頭を掻いてました。伴田くんには、忘れられない「北海道キャンペーン」になったことでしょう。ぼくらを楽しませてくれた伴田くん、ありがとう。 *************************  ちなみに、昨日(6/22)の夜の伴田さんとの電話では、支笏湖では1時間程ボートに乗ったということ以外、一言も触れていませんでした!! まだ伴田さんレポート以外に隠された秘話がありそうですが、それは鈴木プロデューサーからの情報で皆さんにお伝えできるでしょう。たぶん。それにしても、伴田さんには一本とられた。
97年6月22日(星期日)雨 札幌
 利用休息日前往札幌。整体老师从熊本返回东京。据说宫崎导演曾表示从熊本到札幌的移动“缺乏现实感”,但无论如何,按照计划中午抵达札幌。因为是星期日,采访方也休息。在紧张的日程中,为了放松心情,前往支笏湖。途中在艺术之森享用午餐后,在支笏湖划船约一小时。三个男人无法同乘一艘船,所以宫崎导演和铃木制作人一起乘船,伴田先生则孤单一人。
 乘出租车返回札幌。晚餐在札幌啤酒园。原本打算吃成吉思汗烤肉,但因为排长队,加上铃木制作人的建议,去了同一场地内的自助餐厅。据说有螃蟹、寿司、肉等各种食物,但最好吃的是乌冬面。

<新闻快报> 6月23日,终于将“伴田先生报告”上传到互联网,刚松了一口气,铃木制作人打来电话。“我已经发了邮件,请查看。”于是立刻查看邮件……以下是铃木先生的邮件。请阅读。 ******铃木先生的信息*******  22日利用休息日前往“支笏湖”。三人决定一起划船,但独自上船的“丸东”伴田君,划着划着竟然搁浅了。引发了遇难事件。宫先生和我一起去救伴田君。伴田君一脸拼命的样子,获救时双手合十,身体颤抖不已。忙中偷闲。对于因宣传活动而疲惫的我们来说,这起事件成为了一时的清凉饮料。  第二天23日,再次进行了一整天的采访。伴田君在午餐地点遗忘了“手机”,当店员送来时,他害羞地挠了挠头。对伴田君来说,这一定是一次难忘的“北海道宣传活动”。感谢伴田君给我们带来了欢乐。 *************************  顺便说一下,昨晚(6月22日)与伴田先生的电话中,除了在支笏湖划船约一小时外,他一句话也没提!! 似乎还有隐藏在伴田先生报告之外的秘闻,但那些信息可能会通过铃木制作人传达给大家。大概吧。不过,伴田先生这次真是被摆了一道。
97.6.23(月)薄曇り 札幌
 11時にホテルロビーに集合。
 HBCラジオ「オトコのホンネ」収録。
 ホテル4階の和食のお店"あおい"にて昼食。
 FM北海道収録。収録をするスタッフとパーソナリティの若い女性が来る。パーソナリティの女性は中学の時「風の谷のナウシカ」の漫画を読み、それ以来宮崎監督のファンになったそうだ。「もののけ姫」を観た感想は「結婚するならアシタカだ」だそうで、思わずうなずいてしまった。
 合同記者会見。再びディダラボッチ登場。
 次のテレビの収録まで時間があったので、パチンコに行く。福岡に続く第2回戦。しかし、教えられたパチンコ屋に行くと、すでにつぶれてなくなっていた…… その裏に、お客が一人もいない寂れたパチンコ屋があり、入るのに躊躇したが結局3人で入る。3人ともフィーバーが回転もせず、駄目かと思ったときに、鈴木プロデューサーがフィーバー。「こんなガラガラのパチンコ屋でフィーバーするなんて鈴木プロデューサーはすごい」と宮崎さんの一言。結局宮崎監督、伴田さんは8000円のマイナス。鈴木プロデューサーだけがプラスとなった。
 HTBテレビの「思うツボ」の収録。
 続いてSTVの「どさんこワイド」の収録。
 次のテレビ収録まで、また時間が空いたので、「もう1回行きますか」とパチンコをしに街に出る。しかし、パチンコ屋がない!! 仕方なく散歩がてら歩いていると神社を発見。3人でおみくじを引く。宮崎監督末吉、鈴木プロデューサー中吉、伴田さん中吉。おみくじはその辺りに結わき、路面電車にのってテレビ局に戻る。
 TVHテレビ「もりもりTOOLBOX」収録。ディダラボッチ登場。いくら札幌とは言え、中に入っている人はもう汗だく。「やっぱり大変ですよ。まあ、僕は着ないので関係ないけど」とまた、知らぬ顔の伴田さん。
 夕食はキャンペーン時によく使う”高はし”にて。カニ、お刺身など土地のおいしいものを食べさせてくれるお店で、カニが特においしかったそうです。
 ホテルのロビーで、追っかけらしき2人組が現われる。「サインしてください。」とおもむろに「紅の豚」のパンフレットを差し出す。よく見ると声優さんのサインがしてあり、「宮崎監督のサインで完成します」とのこと。写真も一緒に撮り「お疲れのところ、ありがとうございました。」と言って帰っていったそうだ。よく宿泊ホテルがわかったなあ。
 その後は反省会もなく、伴田さんも9時過ぎには部屋に戻る。明日は、仙台に移動し、夜東京に戻ってくる予定。
1997年6月23日(星期一) 阴天 札幌
 11点在酒店大堂集合。
 HBC广播电台《男人的真心话》录制。
 在酒店4层的和食餐厅“青”吃午餐。
 FM北海道录制。录制的工作人员和年轻的女主持人来了。女主持人说她初中时读了《风之谷》的漫画,从那以后就成了宫崎导演的粉丝。她看了《幽灵公主》后的感想是“如果要结婚,就要嫁给阿席达卡”,我不由得点了点头。
 联合记者会。再次出现迪达拉波奇。
 在下次电视录制之前有时间,于是去打弹珠。继福冈之后的第二场。然而,到了被推荐的弹珠店,发现已经倒闭了……在它后面有一家空无一人的破旧弹珠店,虽然犹豫了一下,但最终还是三个人进去了。三个人都没有中奖,正觉得没希望的时候,铃木制作人中了奖。宫崎先生说:“在这么冷清的弹珠店里中奖,铃木制作人真厉害。”结果宫崎导演和伴田先生各亏了8000日元,只有铃木制作人赚了。
 HTB电视台《思うツボ》的录制。
 接着是STV的《どさんこワイド》的录制。
 在下次电视录制之前,又有了空闲时间,于是决定“再去一次吧”,上街去打弹珠。然而,找不到弹珠店!!无奈之下,散步时发现了一座神社。三个人抽了签。宫崎导演抽到了末吉,铃木制作人中吉,伴田先生中吉。把签系在附近,然后坐电车回到电视台。
 TVH电视台《もりもりTOOLBOX》的录制。迪达拉波奇再次出现。虽然是在札幌,但里面的人已经汗流浃背了。“果然很辛苦啊。不过,反正我不穿,所以没关系。”伴田先生又装作不知道的样子。
 晚餐是在宣传活动时常去的“高桥”。这是一家提供当地美食如螃蟹和生鱼片的店,据说螃蟹特别好吃。
 在酒店大堂,出现了两个像是粉丝的人。“请签名。”他们慢慢地拿出了《红猪》的宣传册。仔细一看,上面已经有声优的签名了,他们说“加上宫崎导演的签名就完整了”。还一起拍了照片,说“在您这么累的时候打扰了,谢谢。”然后就离开了。他们居然知道我们住的酒店。
 之后没有进行总结会,伴田先生也在9点多回到了房间。明天将前往仙台,晚上返回东京。
97.6.24(火) 仙台
 札幌から飛行機で仙台に移動するため千歳空港へ。
 朝食をまだすませていなかった鈴木プロデューサーと伴田さんは目玉焼とパンのセットで朝ご飯。ホテルで朝食をすませた宮崎監督も一緒にサンドウィッチを食べる。
 仙台空港上空で、「霧がたちこめているため、着陸できないかもしれない」との放送が入る。「伴田くん、何喜んでるの」と鈴木プロデューサー。伴田さんは「別に喜んでないですよ。」と言っていたが、真偽のほどはわかりません。ふっと霧が晴れたら地面が目の前で「なかなか面白かった」と宮崎監督。
 仙台市内で昼食。宮崎監督は蒸篭そば、鈴木プロデューサーと伴田さんは割子そば。
 東日本放送「TVイーハトーブ」収録。この番組は東北6県にオンエアされている番組だそうです。ここでディダラボッチ登場。しかし予定していたアルバイトくんがディダラボッチに入れず、急遽営業の人が着ぐるみを着ることに。またプレーカーがとんだりするハプニングも。
 合同取材。ディダラボッチ登場。
 FM仙台「グッドバイブレーション」収録。
 45分間の休憩が入り、当然のごとく「行きますか」とFM仙台の裏にあるパチンコ屋へ。宮崎監督、伴田さんは大負け、鈴木プロデューサーのみフィーバー。
 激しいバトルの後、宮城テレビに遅れ気味に到着する。宮城テレビ放送、さとう宗幸さんが司会の「OH!バンデス」に生出演。この番組は、視聴率が20%を超えることもある、地元の人がよく見る番組だそうです。
 6時過ぎのやまびこに乗るため、タクシーで仙台駅に向かう。劇場の人がお弁当を買ってきてくれている間に、お茶をしようと近くの喫茶店に入るが、宮崎監督がスパゲティが食べたいと言いだし、伴田さんと二人、お弁当の前にスパゲティを食べる。ちなみに鈴木プロデューサーはお弁当がまずくなると言ってずっと我慢。
 宮崎監督は、大宮で下車。鈴木プロデューサー、伴田さんは東京駅まで乗る。
 キャンペーン初日から、飛行機が変更になってしまったり、支笏湖で伴田さん座礁事件があったり、波乱含みのキャンペーンもひとまず終了。本当にご苦労様でした。
1997年6月24日(星期二) 仙台
 为了从札幌乘飞机前往仙台,我们前往千岁机场。  
 还没吃早餐的铃木制作人和伴田先生点了煎蛋和面包作为早餐。已经在酒店吃过早餐的宫崎导演也一起吃了三明治。  
 在仙台机场上空,广播通知说:“由于大雾,可能无法降落。”铃木制作人问:“伴田君,你在高兴什么?”伴田先生回答:“我没有高兴啊。”不过,真假难辨。突然雾散了,地面出现在眼前,宫崎导演说:“还挺有趣的。”  
 在仙台市内吃午餐。宫崎导演点了蒸笼荞麦面,铃木制作人和伴田先生点了割子荞麦面。  
 在东日本放送的《TV伊哈托布》节目录制。据说这个节目在东北六县播出。节目中,迪达拉波奇登场了。然而,原本计划扮演迪达拉波奇的临时工没能上场,紧急情况下由营业部的人穿上玩偶服。此外,还发生了播放器故障等意外。  
 联合采访。迪达拉波奇再次登场。  
 在FM仙台的《Good Vibration》节目录制。  
 有45分钟的休息时间,大家理所当然地决定去FM仙台后面的柏青哥店。宫崎导演和伴田先生输得很惨,只有铃木制作人运气爆棚。  
 激烈的战斗后,我们稍晚到达了宫城电视台。在宫城电视台的《OH! Bandes》节目中,由佐藤宗幸主持,我们进行了现场直播。据说这个节目在当地非常受欢迎,收视率有时超过20%。  
 为了赶上6点多的“山彦号”列车,我们乘出租车前往仙台站。在剧场工作人员为我们买便当的时候,我们决定去附近的咖啡店喝茶,但宫崎导演突然说想吃意大利面,于是他和伴田先生在便当前先吃了意大利面。顺便一提,铃木制作人担心便当会变凉,一直忍着没吃。  
 宫崎导演在大宫站下车。铃木制作人和伴田先生则一直坐到东京站。  
 从宣传活动的第一天开始,飞机行程就发生了变化,伴田先生在支笏湖还发生了“搁浅事件”,这场充满波折的宣传活动终于告一段落。大家真的辛苦了。
97.6.30(月) 甲府
 10泊11日の長期キャンペーンに出発。
 「フォーカス」の記者の人が、フォト日記「密着 宮崎駿」のために同行。3日目ぐらいまで同行する予定。伴田さんは「あなたがインターネットの伴田さんですか」と言われたそうです。おそるべし、インターネット。
 新宿駅発スーパーあずさ5号に乗って甲府に向かう。宮崎監督は八王子駅から乗車。11時30分ごろに甲府の駅に着く。
 昼食。監督と伴田さんは醤油につけたアワビがごはんにのっているもの(名前がわかりません)、鈴木プロデューサーはそれにおかずがいろいろついているもの、だそうです。
 YBS本社に到着。本社の建物は、有名な建築家の設計によるもので、コンクリートむきだしの、一種異様なたたずまいだったとか。
 YBSラジオ開局特番の「らくらくスタジオ」に生出演。この番組は毎日、パーソナリティが変わるのですが、この日はフォークシンガーの小室等さん。
 この「らくらくスタジオ」にて伴田さんが昔の知り合いに偶然会う。と言っても女性ではありません。伴田さんが、東宝関西支社の興行部、京都宝塚劇場にいた時、そこでアルバイトをしていたオギノくんと感動の再会。その頃、大学生だったオギノくんは就職の時に実家の甲府に帰る、という話をしていたのだが、伴田さんは会うまでその話をスッカリ忘れていたらしい。すかさず、鈴木プロデューサーが「伴田くんの知り合い?」「伴田くんの京都時代ってどうだったの?」とオギノくんに聞くと、そのバイトがひどい奴(伴田さん談)で「女ったらしで……」などなど鈴木プロデューサーに言っていたらしい。詳しくは鈴木プロデューサーが帰ってきたら聞けるかなあ、と思っています。
 1時30分からYBS社長の野口英一さんとご歓談。YBSは、新聞社、旅行代理店、学校などを経営する多角経営の会社だそうです。
 YBSテレビ「ワイドニュース」収録。
 YBSテレビ「スーパーモーニング」収録。
 山梨日日新聞取材。
 1時間ぐらい時間が空いたので、近くの喫茶店にて、山梨での担当セールスの上田さんと4人でお茶をする。その後「いつものように行きましょうか」ということでパチンコ屋へ。結局、3人とも全滅、悲惨な結果に終わってしまった。意気消沈して次の取材へ。
 キリン館という喫茶店にて合同取材。
 その後試写会の舞台挨拶。甲府では「もののけ姫」の試写を2館取りで行っているので、まず甲府東映セントラルで1回目の舞台挨拶。ここにてディダラボッチ登場。第1次キャンペーンの教訓を生かして、ディダラボッチに改良を加える。見た目は変わっていないし、アルバイトくんも「狭い」と言っていたが、伴田さんが言うには、「きついと言いながら、まだまだ楽そう」ということ。
 ここでは、抽選が行われ、商品はなんとトトロの着ぐるみパジャマ。監督が抽選箱を持ち、着ぐるみパジャマを着た子供達が番号のついたボールをひく。当たった人が何人いたのかはちょっとわかりません。
 2回目の舞台挨拶は、甲府シネマカリテ。
 夕食は、劇場の人と一緒に、水車庵にて和食を食べる。
 ホテルに戻る。宿泊先の甲府フジヤホテルは温泉があって3階が大浴場となっているらしいです。  その後、上田さん、オギノくん3人一緒に夜のミーティングへ。テレビで香港の返還を見ながら夜を明かしたということです。
1997年6月30日(星期一) 甲府
 开始了为期10天11夜的长期宣传活动。
 《Focus》杂志的记者为了拍摄“密着 宫崎骏”的摄影日记而同行。预计会同行到第三天左右。伴田先生被问到“你是网络上的伴田先生吗?”。互联网真是令人敬畏。
 从新宿站乘坐超级梓5号前往甲府。宫崎导演从八王子站上车。大约11点30分到达甲府站。
 午餐。导演和伴田先生吃的是酱油腌鲍鱼盖饭(不知道名字),铃木制作人则是配了各种小菜的版本。
 到达YBS总部。据说总部大楼是由著名建筑师设计的,裸露的混凝土结构,给人一种异样的感觉。
 在YBS广播开播特别节目“轻松工作室”中现场直播。这个节目每天都会更换主持人,当天的主持人是民谣歌手小室等先生。
 在“轻松工作室”中,伴田先生偶然遇到了以前的熟人。不过不是女性。伴田先生在京都宝冢剧场工作时,曾在那里打工的荻野先生与他重逢,场面十分感人。当时还是大学生的荻野先生曾说过毕业后要回老家甲府工作,但伴田先生似乎完全忘记了这件事。铃木制作人立刻问荻野先生:“你是伴田先生的熟人吗?”“伴田先生在京都时是怎样的?”荻野先生似乎说伴田先生是个“很糟糕的家伙”(伴田先生的说法),“花心大萝卜……”等等。详细情况等铃木制作人回来后再问吧。
 从1点30分开始与YBS社长野口英一先生进行愉快的交谈。YBS是一家经营报社、旅行社、学校等的多元化公司。
 YBS电视“Wide News”录制。
 YBS电视“Super Morning”录制。
 接受《山梨日日新闻》的采访。
 有一个小时的空闲时间,于是和山梨的销售负责人上田先生等四人一起在附近的咖啡馆喝茶。之后,“像往常一样去吧”,于是去了弹珠店。结果三人都全军覆没,结局悲惨。沮丧地前往下一个采访地点。
 在名为“麒麟馆”的咖啡馆进行联合采访。
 之后是试映会的舞台致辞。在甲府有两家影院放映《幽灵公主》,所以首先在甲府东映中央影院进行第一次舞台致辞。在这里,迪达拉波奇登场了。根据第一次宣传活动的经验,对迪达拉波奇进行了改进。外观没有变化,打工的年轻人也说“很窄”,但伴田先生说:“虽然嘴上说很紧,但看起来还是很轻松。”
 在这里进行了抽奖,奖品竟然是龙猫的连体睡衣。导演拿着抽奖箱,穿着连体睡衣的孩子们抽取带号码的球。不知道有多少人中奖了。
 第二次舞台致辞在甲府Cinema Carite进行。
 晚餐与剧场的工作人员一起在水车庵吃日式料理。
 回到酒店。住宿的甲府富士屋酒店据说有温泉,三楼是大浴场。之后,上田先生、荻野先生三人一起参加了晚上的会议。据说他们一边看电视上香港回归的报道,一边度过了夜晚。
97.7.1(火) 静岡
 伴田さんは、7時30分起床。大浴場に行く。
 温泉気分にひたりつつ、8時50分に集合の後、ふじかわ4号に乗って静岡に向かう。このふじかわ4号は、特急だが、3両編成の単線で、宮崎監督は後部車両で車窓を楽しんでいた。
 静岡到着。担当セールスは、菅野氏。
 昼食は、静岡新聞のビル17階にあるレストランにて、3人仲良くカレーライス。周りに高いビルもなく、ここのレストランは非常に眺めがよかったそうです。
 静岡新聞取材。
 静岡朝日テレビに移動。共同取材。ディダラボッチ登場。ディダラボッチの着ぐるみに入っていたのは、今まで男の人ばかりだったのだが、ここでは何と女の人。普通、ディダラボッチが登場するのは最後で、監督と並んで写真を撮るというのがパターンらしい。そして、目線を撮るのが伴田さんの役目らしいのだが、「今日のディダラの中身は女性なんですよ」と監督に言うと「何嬉しそうにしてるの。それなら、素早く目線をとればいいのに」と監督に言われたとか。
 休憩が1時間。「行きますか」といつものパターンになりつつ、時間が中途半端なので、1階にある、見て触れて遊べるトリックアートのアーサー美術館に行く。壁画があるのだが、片目で見ることによって、遠近感が変わり立体で見えてしまう。パンフレットによると「トリックアートとは2次元(平面)の作品を3次元(立体)的に描く芸術です。……」とのことです。怪獣が飛び出してきたり、紙飛行機が飛んでいるように見えるらしい。
 静岡第一テレビにて「静岡○ごとワイド」生出演。ディダラボッチ登場。ちなみにここで着ぐるみを着ていた人は男の人です。
 1時間ちょっと休憩。「行こう」とすると、社長が挨拶をしたいとのこと。パチンコ屋に行けなくなってしまい、そのままホテルにチェックイン。
 静岡東宝プラザにて、舞台挨拶。ディダラボッチ登場。初めディダラボッチは舞台袖に立つだけだったのだが、制止を振り切り、舞台中央へ。監督曰く「フットワークが軽くて素晴らしい」ということでした。
 夕食は、静岡東宝プラザから歩いて、10分ぐらいのところのお寿司屋さんへ。おかみが「うちの娘がファンなんです」と娘さんを連れてきて、サインと記念撮影をして帰って行った。
 9時前まで食事をして、ここでも「行きますか」と、昼間目をつけていたパチンコ屋へ。伴田さんはマイナス4000円と惨敗。監督と鈴木プロデューサーは2人揃ってフィーバー。監督はもうニコニコで「キャンペーンを通しての負けを取り戻した」。鈴木プロデューサーは伴田さんに「若いうちは修行した方がいい」と一言。伴田さんは残りのキャンペーンで、軍資金が持つかどうか心配だそうです。
 今日からまた、整体の先生も合流し、ホテルロビーにて感動の再会。
 今日の出来事。静岡第一テレビ「静岡○ごとワイド」にて、監督が出番を待っている時、中学生ぐらいの男の子(本当は高校3年生だそうです。後からわかりました。)が近づいてきて、監督にサインをお願いしていたそうです。ここまではよくある話なんですが、(どうして監督の居場所がわかったのか、という疑問は置いておいて)今度は「はんださん、インターネットのはんださんですよね」と、スタジオの脇にいた伴田さんの方に来たらしい。
 皆さんも、気づいていると思いますが、伴田さんの強い希望もあり、伴田さんレポートのところにルビをふりました。皆さん「はんださん」ではなく「ともださん」です。今度、声をかける時は間違えないようにしましょう。それにしても、インターネットおそるべし!!
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7月1日(火)追加分
 パチンコ屋での出来事。
 パチンコの玉が残り少なくなったので、宮崎監督が玉を買いに行っている間、なんと残りの一つが見事にフィーバー。女性の店員さんが代わりに打ち続けてくれ、男性の店員さんが「もう1回フィーバーしてるから、席にもどらなきゃ」と呼びに来てくれた。監督曰く「静岡はいい街だ。」とのことです。
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97.7.1(周二) 静冈
 伴田先生7点30分起床。去大浴场。
 沉浸在温泉的氛围中,8点50分集合后,乘坐富士川4号前往静冈。这趟富士川4号虽然是特快列车,但只有3节车厢,而且是单线运行,宫崎导演在后车厢欣赏着窗外的风景。
 抵达静冈。负责销售的是菅野先生。
 午餐在静冈新闻大楼17楼的餐厅,三人一起愉快地吃了咖喱饭。周围没有高楼大厦,这家餐厅的视野非常好。
 静冈新闻采访。
 前往静冈朝日电视台。共同采访。迪达拉波奇登场。之前扮演迪达拉波奇的都是男性,但这次竟然是一位女性。通常迪达拉波奇会在最后登场,和导演一起拍照是惯例。而伴田先生的任务是拍摄视线,但当他告诉导演“今天迪达拉波奇里面是女性”时,导演说“你看起来很高兴嘛。那就快点拍好视线吧。”
 休息1小时。“走吧”按照惯例,但因为时间有点尴尬,所以去了位于一楼的可以看、摸、玩的阿瑟美术馆。那里有壁画,用一只眼睛看的话,远近感会发生变化,看起来像是立体的。根据宣传册,“错觉艺术是一种将二维(平面)作品以三维(立体)方式绘制的艺术。……”据说怪兽会跳出来,纸飞机看起来像是在飞。
 在静冈第一电视台的“静冈○ごとWide”节目中现场出演。迪达拉波奇登场。顺便说一下,这里扮演迪达拉波奇的是男性。
 休息1小时多一点。“走吧”的时候,社长说要打个招呼。结果没能去成弹珠店,直接入住酒店。
 在静冈东宝广场进行舞台致辞。迪达拉波奇登场。一开始迪达拉波奇只是站在舞台侧面,但挣脱了制止,走向舞台中央。导演说“动作轻快,非常棒”。
 晚餐从静冈东宝广场步行约10分钟到一家寿司店。老板娘说“我女儿是粉丝”,带着女儿来要了签名和纪念照后离开。
 吃饭到9点前,然后去了白天看中的弹珠店。伴田先生输了4000日元,惨败。导演和铃木制作人两人都中了奖。导演笑着说“通过这次活动把之前的损失都赚回来了”。铃木制作人对伴田先生说“年轻的时候应该多修行”。伴田先生担心剩下的活动经费是否够用。
 从今天开始,整骨老师也加入了,在酒店大堂感动的重逢。
 今天的事情。在静冈第一电视台的“静冈○ごとWide”节目中,导演在等待出场时,一个看起来像初中生的男孩(后来才知道是高三学生)走近导演,请求签名。这本来是很常见的事情,(暂且不论他是怎么知道导演的位置的)但接下来他走到在工作室旁边的伴田先生那里,说“伴田先生,是网络上的伴田先生吧”。
 大家可能也注意到了,在伴田先生的强烈要求下,我们在伴田先生的报告部分加了注音。大家请注意,不是“はんださん”而是“ともださん”。下次打招呼时不要弄错了。不过,互联网真是厉害啊!!
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7月1日(周二)追加内容
 弹珠店的事情。
 弹珠快用完了,宫崎导演去买弹珠的时候,剩下的一个竟然中了奖。女店员帮忙继续打,男店员过来叫“又中奖了,得回座位了”。导演说“静冈是个好地方。”
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97.7.2(水) 名古屋 雨
 静岡9時47分発の新幹線にて名古屋へ出発。
 整体の先生も一緒。
 まず、中日新聞社にて、中日新聞と中日スポーツの取材。中日新聞社では、すでにディダラボッチがロビーで待機しており、いきなり監督とのツーショット写真を撮るところから始まった。やはり、ディダラ改良の成果は大きいらしく、前に比べて簡単に入れるようになっている。この日、ディダラボッチの着ぐるみを着たのは、女性だったそうです。
吉卜力日志 didara2.gif
ディダラボッチの全身像です。ただし、この写真はキャンペーンのものではありません。
 昼食は、東宝中部支社の偉い人も交えてうなぎを食べる。この席で鈴木プロデューサーは、伴田さんの悪行(?)をばらし、伴田さんはもう笑うしかない、という状態だったらしい。  朝日新聞取材。カメラマンは女性だった。ちなみに中日新聞のカメラマンも女性で、「最近は女性が増えているんですね。」と監督の一言。  中京テレビまで、タクシーで移動。「ニュースプラス1」「きくち教児のおめざめワイド」「奥様ランチ」「電波大将軍」「めざせ相楽天」「インフォメーションスポット」の6番組収録を一気にこなす。  CBCに移動。  休憩の時間ということで、例のごとく、例の場所へ出かける。しかし、全員バツ。特に伴田さんは、福岡以来フィーバーなし。監督曰く「そのうち、公金に手を付けるにちがいない。」  「ミックスパイ下さい」TV生出演。この日は「宮崎駿スペシャル」として30分番組。もののけ一色のすばらしい番組だったそうです。  ホテルで休憩。パチンコへは行ってません。  名宝スカラ座にて舞台挨拶。大きな劇場で、お客さんが1000人入るそうです。「ここでディダラボッチの出番があったかどうか、忘れてしまいました。」とのこと。  夕食は鳥なべ。伴田さんは肉の中で、鳥肉が一番好きで「死ぬほど食べました」ということです。  9時過ぎ、まあ「行きますか」と例の場所へ。監督は2回もフィーバー。鈴木プロデューサー、伴田さんはフィーバーならず。「パチンコの本場で出せて嬉しい」と監督。鈴木プロデューサーに陰りが見えはじめ、伴田さんはにんまり。  その後解散。
1997年7月2日(星期三) 名古屋 雨
 上午9点47分从静冈乘坐新干线前往名古屋。
 整骨医生也一同前往。
 首先在中日新闻社接受中日新闻和中日体育的采访。在中日新闻社,迪达拉博奇已经在大厅等候,采访一开始就拍摄了与导演的合影。看来迪达拉的改进效果显著,比以前更容易进入。据说这天穿着迪达拉博奇服装的是一位女性。
吉卜力日志 didara2.gif
这是迪达拉博奇的全貌。不过,这张照片并非宣传活动的照片。  午餐时,东宝中部支社的高层也一起吃了鳗鱼。在餐桌上,铃木制片人揭露了伴田先生的恶行(?),伴田先生只能苦笑。  接受朝日新闻的采访。摄影师是女性。顺便提一下,中日新闻的摄影师也是女性,导演说:“最近女性越来越多了。”  乘坐出租车前往中京电视台。一口气录制了《新闻Plus 1》、《菊地教儿的早安Wide》、《太太午餐》、《电波大将军》、《目标相乐天》、《信息点》六个节目。  前往CBC电视台。  因为是休息时间,大家照例去了那个地方。但所有人都输了。尤其是伴田先生,自从福冈以来就没有赢过。导演说:“他迟早会动用公款的。”  在电视直播节目《请给我Mix Pie》中出演。这天是“宫崎骏特别节目”,时长30分钟。据说这是一档充满《幽灵公主》氛围的精彩节目。  在酒店休息。没有去打弹珠。  在名宝斯卡拉座进行舞台致辞。据说这是一个能容纳1000人的大剧场。“我忘了这里是否有迪达拉博奇的出场。”  晚餐是鸡肉锅。伴田先生最喜欢鸡肉,他说:“我吃得快要死了。”  晚上9点多,大家说“去吧”,又去了那个地方。导演赢了两次。铃木制片人和伴田先生没有赢。导演说:“在弹珠的发源地能赢真是高兴。”铃木制片人开始显得沮丧,伴田先生则笑眯眯的。  之后大家解散。
97.7.3(木) 金沢
 8時45分にロビー集合。
 9時10分、名古屋発のしらさぎ号にて金沢に出発。
 金沢都ホテルチェックイン。
 金沢では、金沢地区中部興行の虎岩常務にご案内いただく。虎岩さんは、見ためがヤーさま風でパンチパーマの小柄な人。鈴木プロデューサーととても気が合っていたということです。
 「おにわそと」で昼食。店名がひらがななのか、漢字を使うのか、伴田さんの記憶に無く、よくわかりませんでした。間違っていたらごめんなさい。
 北陸中日新聞取材。朝刊のトップに載るそうです。ただし、いつ載るのかははっきりとわかりません。
 北国新聞取材。
 次の取材まで時間があったので、地元の神社に行き、おみくじを引く。宮崎監督、伴田さんは大吉。監督は「これでパチンコは大丈夫だ」と確信する。鈴木プロデューサーは末吉。
 読売新聞取材。
 休憩。「例にもれず行ってまいりました。」ということでホテルの近くのパチンコ屋へ。ここで伴田さん、遂にフィーバーかかる。宮崎監督と鈴木プロデューサーはバツ。
 テレビ金沢「じゃんけんぽん」に生出演。この番組のディレクターがまたパチンコが大好きで、パチンコでの勝ち負けを1年間手帳につけていたら、1年間で30万マイナスだった。などと話していたら番組の打ち合わせが全てパチンコの話で終わってしまった。打ち合わせが無きに等しいにもかかわらず番組は順調に終了。ディダラボッチもちゃんと出演。
 金沢ニュー東宝にて舞台挨拶。この劇場はホテルの地下2階にあるそうです。ディダラボッチも元気に登場。そして、ここでメイジャーの徳山さんと感動の再開。伴田さんの話では、徳山さんも虎岩さんにひけをとらないくらい怪しいとのこと。
 夕食は地元の魚を賞味する。
 その後、伴田さん、虎岩さん、徳山さんの3人で片町にてミーティング。キャンペーンは順調に進んでいるということです。
1997年7月3日(星期四) 金泽
 8点45分在大厅集合。
 9点10分,乘坐从名古屋出发的“白鹭号”前往金泽。
 在金泽都酒店办理入住。
 在金泽,由金泽地区中部兴行的虎岩常务带领我们。虎岩先生外表像黑帮风格,留着爆炸头,身材矮小。据说他和铃木制片人非常合得来。
 在“おにわそと”吃午餐。店名是用平假名还是汉字,伴田先生记不清了,所以不太确定。如果错了请见谅。
 接受北陆中日新闻的采访。据说会登上晨报的头版,但具体什么时候刊登还不清楚。
 接受北国新闻的采访。
 在下次采访前有时间,去了当地的神社抽签。宫崎导演和伴田先生抽到了大吉。导演确信“这下玩弹珠机没问题了”。铃木制片人抽到了末吉。
 接受读卖新闻的采访。
 休息。“照例去了。”于是去了酒店附近的弹珠机店。在这里,伴田先生终于进入了狂热状态。宫崎导演和铃木制片人则输了。
 在金泽电视台的“じゃんけんぽん”节目中现场出演。这个节目的导演也非常喜欢玩弹珠机,据说他把一年内玩弹珠机的输赢记录在笔记本上,结果一年下来亏了30万。结果节目的讨论全都变成了关于弹珠机的话题。尽管讨论几乎等于没有,但节目还是顺利结束了。迪达拉波奇也顺利出演。
 在金泽新东宝进行舞台致辞。据说这个剧场位于酒店的地下二层。迪达拉波奇也精神抖擞地登场了。在这里,与梅杰的德山先生感动重逢。据伴田先生说,德山先生和虎岩先生一样可疑。
 晚餐品尝了当地的鱼。
 之后,伴田先生、虎岩先生和德山先生三人在片町开会。据说宣传活动进展顺利。
97.7.4(金) 大阪
 8時55分。ロビー集合。
 金沢発雷鳥20号に乗って一路大阪へ。伴田さんは、大阪北野劇場にいたこともあるので、大阪は得意だそうです。
 東宝関西支社の近くの料亭にて昼食。中庭があったり、滝が流れていたりと、とても涼やかな所で、監督も「こんなに小さい庭があって、テレビを見ながらゴロンとなれたらいいな」と言っていたそうです。
 フロムA取材
 株式TODAY取材。
 休憩。「行きますか」と宮崎監督、鈴木プロデューサー、、徳山さん、伴田さん、東宝関西支社のパチンコ大好き人間T氏の5人でパチンコ屋へ。伴田さん、T氏2人でフィーバー。他の人達はフィーバーかからず。伴田さんは「運が向いてきた」と大喜び。そして「鈴木プロデューサーは負けがこんでいる」と言ってまたまた大喜び。
 ラジオ「アシッド映画館」取材。
 朝日新聞取材。
 読売テレビ「MONOモノ倶楽部」「黄金の法則」「てれびI need you」収録。ディダラボッチ登場。
 休憩で「もう一度行きますか」と例の場所へ。監督大フィーバー。キャンペーン中で一番の大当りだそうです。鈴木プロデューサーもやっとフィーバー。伴田さんはフィーバーかからず。今度は鈴木プロデューサーが大喜び。(鈴木プロデューサーの話では、伴田さんはパチンコで負けると顔がひきつるらしいです。)フィーバーが続いていたが、次の取材の時間が迫ってきており、後ろ髪をひかれる思いでパチンコ屋を後にする。
 産経新聞取材。
 夕食は鶴橋で焼肉を食べる。入ったお店というのがすさまじい店で、入ったとたん煙がぼうぼう。しかも、窓を開けると隣近所に迷惑なので、窓は閉まったまま。上着などに煙の匂が着かないよう、ごみ袋が渡されその中に上着を入れておくとか…… 肉の盛り合わせも、まさに肉のかたまり。肉々しいものがドン。という感じだったそうです。「暑くて、煙たくて、ひたすら焼いて食いました。」と伴田さん。「これは戦いですね。」と監督。あまりに暑くて、鈴木プロデューサーが上半身裸になるという事件も起こる。
 焼肉をお腹いっぱい食べて大阪でのキャンペーンも無事終了。
97年7月4日(星期五) 大阪
 8点55分。在酒店大堂集合。
 乘坐从金泽出发的雷鸟20号列车,一路前往大阪。伴田先生曾经在大阪北野剧场工作过,所以对大阪很熟悉。
 在东宝关西分公司附近的料亭吃午餐。那里有中庭和瀑布,非常凉爽,导演说:“如果有这幺小的庭院,可以一边看电视一边躺着就好了。”
 接受《From A》的采访。
 接受《株式TODAY》的采访。
 休息。宫崎导演、铃木制片人、德山先生、伴田先生和东宝关西分公司的弹珠爱好者T先生五人一起去弹珠店。伴田先生和T先生两人中了头奖。其他人没有中奖。伴田先生非常高兴,说:“运气来了。”然后又说:“铃木制片人一直在输。”又大笑起来。
 接受广播节目《Acid电影院》的采访。
 接受《朝日新闻》的采访。
 在读卖电视台录制《MONO俱乐部》、《黄金法则》和《电视I need you》。迪达拉波奇登场。
 休息时,大家又去了那个地方。导演中了头奖,据说是这次宣传活动中的最大奖。铃木制片人也终于中了头奖。伴田先生这次没有中奖。这次轮到铃木制片人非常高兴。(据铃木制片人说,伴田先生在弹珠机上输了时,脸会抽搐。)虽然大家还在继续玩,但由于下一个采访的时间快到了,大家依依不舍地离开了弹珠店。
 接受《产经新闻》的采访。
 晚餐在鹤桥吃烤肉。那家店非常特别,一进去就烟雾弥漫。而且因为开窗会影响到邻居,所以窗户一直关着。为了防止外套沾上烟味,店家还提供了垃圾袋,让大家把外套放进去…… 肉拼盘简直就是一堆肉块,非常丰盛。伴田先生说:“又热又烟,只能不停地烤着吃。”导演说:“这简直是一场战斗。”因为太热了,铃木制片人甚至脱掉了上衣。
 吃完烤肉,大阪的宣传活动也顺利结束了。
97.7.5(土)鳥取 晴れ
 9時45分ホテル出発。新大阪駅発のスーパーはくと3号に乗って鳥取へ向かう。昼食は列車の中で駅弁を食べる。
 鳥取着。山陰中央新報取材。
 日本海テレビに入る。特番「宮崎駿の世界」1時間30分のテレビ収録。ディダラボッチ登場。ここで着ぐるみを着ていたのも女性。(いくら改良されたとはいえ、170cm以下の極細の人しか入れないという条件の元では、やはり女性が入るしかないのかも。)キャンペーン期間中で一番長く着ぐるみを着ていたそうです。トータルで20分以上。ディダラボッチに入っていた女の子に、鈴木プロデューサー以下みんながかけよって介抱するという場面もあったとか。取材を受けながら、横で見ていた監督は「男共が群がりやがって」と一言。
 日本海新聞取材。
 キャンペーンも半ばを過ぎ、だいぶ疲れもたまっている。「疲れをおとしていただこう」と鳥取では三朝温泉に宿泊予定。しかし、そこにはパチンコ屋がないため、鳥取駅の近くで、パチンコ。徳山さんのみフィーバー。他の人はフィーバーかからず。その後、三朝温泉へ向かう。
 ここで言い忘れていたことが一つ。お昼から日本テレビの奥田さん、大阪から東宝関西支社宣伝部の豊田さんが同行。伴田さんいわく「豊田くんは猿そっくりなので、みんなから孫くんと呼ばれています」。「孫くん」は伴田さんより2つ年下で、伴田さんは下っ端から脱出できて大喜び。
 夕食は日本海テレビの社長さんと一緒。芸者さんも2人いたそうです。芸者さんがいるので、踊りもあったが、その中で3人で踊るおどりが内容が少しエッチだったらしい。(どんな踊り?)16、17、18歳の女の人達の踊りで、芸者さんが2人いるので、17、18歳の役はできるが、16歳の役が足りない。メイジャー徳山さんは髭が生えているのでさすがに無理。結局「孫くん」が女形と化して16歳役を熱演。「どうやらこのときから目覚めてしまったらしい。」(伴田さん談)
 夕食後解散。
 温泉に入ってゆっくり休む。
 川沿いに外湯があってこれが混浴であるという情報を入手。大喜びの伴田さんはさっそく「孫くん」を誘って、川沿いにある混浴の温泉へ。しかし居るのはおやじばっかりで、あえなく玉砕。残念でした。
97年7月5日(星期六)鸟取 晴
 9点45分从酒店出发。乘坐从新大阪站发车的超级白兔3号列车前往鸟取。午餐在列车上吃车站便当。
 到达鸟取。接受山阴中央新报的采访。
 进入日本海电视台。进行特别节目《宫崎骏的世界》1小时30分钟的电视录制。迪达拉波奇登场。这里穿着玩偶服的也是女性。(尽管已经改良了,但在只有170厘米以下极瘦的人才能穿进去的条件下,果然还是只能由女性来穿。)据说这是宣传活动期间穿着玩偶服时间最长的一次,总共超过20分钟。据说当迪达拉波奇里的女孩出来后,铃木制作人和其他人都跑过去照顾她。导演在旁边看着采访,说了一句:“这群男人真是围得团团转。”
 接受日本海新闻的采访。
 宣传活动已经过半,大家都相当疲惫。“让我们放松一下吧”,计划在鸟取的三朝温泉住宿。然而,那里没有柏青哥店,所以在鸟取站附近玩柏青哥。只有德山先生中了奖,其他人都没有。之后前往三朝温泉。
 这里有一件事忘了说。从中午开始,日本电视台的奥田先生和从大阪来的东宝关西分公司宣传部的丰田先生同行。伴田先生说:“丰田君长得像猴子,所以大家都叫他‘孙君’。”“孙君”比伴田先生小两岁,伴田先生因为不再是底层而非常高兴。
 晚餐与日本海电视台的社长一起。据说还有两位艺伎。因为有艺伎,所以也有舞蹈表演,其中三人一起跳的舞蹈内容似乎有点色情。(是什么样的舞蹈?)是16、17、18岁女孩的舞蹈,因为有两位艺伎,所以17、18岁的角色可以扮演,但16岁的角色不够。德山先生因为长了胡子,所以实在不行。最终“孙君”化身为女角,热情地扮演了16岁的角色。“似乎从那时起他就觉醒了。”(伴田先生谈)
 晚餐后解散。
 泡温泉,好好休息。
 得知河边有露天温泉,而且是混浴。伴田先生非常高兴,立刻邀请“孙君”一起去河边的混浴温泉。然而,那里只有大叔们,结果惨败。真是遗憾。
97.7.6(日)出雲
 今日は日曜日。お休みのはずがNHKの取材が入ったためお仕事。
 8時10分、三朝出発。車にて倉吉へ向かう。倉吉から乗ったいずも3号は寝台列車で、鈴木プロデューサーはいきなり寝台で寝る。監督、他の人もしばしお休み。
 10時過ぎに出雲着。出雲大社にてNHK松江の収録。
 お昼は出雲大社の近くにある八雲そばにて。
 13時から朝山神社でNHK特番「宮崎駿の日本人の忘れ物」を約4時間かけて収録。
 出雲駅に移動。
 出雲駅にて20分時間が空いたので、「一発勝負」をかけてパチンコ屋へ。鈴木プロデューサーのみフィーバー。瞬く間に時間は過ぎ、岡山へ移動するために、17時46分出雲発のやくも28号に乗る。夕食は車内でとるはずだったが、パチンコで惨敗したショックのためか伴田さん駅弁を買うのをすっかり忘れてしまい、周囲からは冷たい視線…… おまけに3両編成の電車のため、売り子さんもいなかったが、途中の駅で弁当が買えるとの情報が入り、着いたとたん弁当を買いに走る。しかし、そのお弁当はあまりおいしくなく、ひたすら「申し訳ありません」という状況だったらしい。
 岡山着。ホテルチェックイン。
 宮崎監督、鈴木プロデューサー、徳山さん、奥田さん、「孫くん」、伴田さん、今度は「行きかますか」ではなく「飲みますか」と駅前のホテルのラウンジへ(泊まる予定のホテルのラウンジは既に閉まっていた)。1時間30分程、飲んでお話をして、その日は解散。
 しかし、奥田さん、伴田さん、「孫くん」こと豊田さんの3人は小腹が減ったので、ラーメン屋を探して夜の街をさまよう。結局、焼肉とラーメンのお店を見つけ、焼肉とラーメンとビールを食べて、飲んでホテルに帰ったということです。
97年7月6日(星期日)出云
 今天是星期日。原本是休息日,但因为NHK的采访安排,所以还是工作了。
 早上8点10分,从三朝出发。乘车前往仓吉。从仓吉乘坐的出云3号是卧铺列车,铃木制作人一上车就躺在卧铺上睡觉。导演和其他人也稍作休息。
 10点多到达出云。在出云大社进行NHK松江的录制。
 午餐在出云大社附近的八云荞麦面店解决。
 下午1点开始在朝山神社进行NHK特别节目《宫崎骏的日本人遗忘之物》的录制,大约花了4个小时。
 之后前往出云站。
 在出云站有20分钟的空闲时间,于是决定“一决胜负”去弹珠店。只有铃木制作人运气好,瞬间时间就过去了。为了前往冈山,乘坐了17点46分出发的夜行列车28号。原本打算在车上吃晚餐,但可能是因为在弹珠店惨败的打击,伴田先生完全忘记了买车站便当,周围投来了冷眼……而且因为是3节车厢的列车,车上也没有卖便当的人,但听说中途的站可以买到便当,所以一到站就跑去买便当。然而,那个便当并不怎么好吃,似乎一直在说“对不起”。
 到达冈山。入住酒店。
 宫崎导演、铃木制作人、德山先生、奥田先生、“孙君”、伴田先生,这次不是“去吗”而是“喝吗”,前往车站前酒店的休息室(原本打算入住的酒店的休息室已经关门了)。大约喝了1小时30分钟,聊了聊,当天就解散了。
 然而,奥田先生、伴田先生、“孙君”丰田先生三人因为有点饿了,于是寻找拉面店,在夜晚的街道上徘徊。最终找到了一家烤肉和拉面的店,吃了烤肉、拉面和啤酒,然后回到了酒店。
97.7.7(月)岡山 広島
 9時30分、ホテルを出発。
 徳山さんとはここでお別れ。入れ替わりにスタジオジブリの米沢さんが合流する。
 岡山東宝にて合同取材。ディダラボッチ登場
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じっと出番を待つディダラボッチ。このままの姿で30分。しかも出番は約1分。
 岡山テレビ「あいらぶYOU」、山陽放送テレビ「ハマイエてれび」の2本収録。  伴田さんは昨日の焼肉が腹に残っていて、気分がすぐれない様子。更に公開前日のスケジュールにつき、問題が発生。伴田さんの苦悩の色が濃くなる。東宝関西の孫悟空こと豊田さん、日本テレビの奥田プロデューサーと鳩首会談するも名案出ず。
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東宝関西の孫悟空こと豊田さん、右は鈴木さんが描いた豊田さんの似顔絵
 岡山から広島へ移動し、まずホテルへ。ここであの「映画興行師」、東宝関西興行の前田さんの出迎えをうける。本に書かれたそのままのイメージの人で、本当に心遣いが細やかな人との印象を受ける(米沢談)。見かけはやーさんみたいでこわい(伴田談)。
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「映画興行師」の前田さんです
 「カレーが食べたい」という鈴木プロデューサーのリクエストでホテルの喫茶店へ入り、全員でカレーを注文。ここで出てきた薬味がなぜか大好評、らっきょうは大盛りでおかわりしたにもかかわらず、全部食べ尽くしてしまった。食後、駅前でパチンコ屋を探し歩いたが見つからず、しばし彷徨。街で「もみじ饅頭」の製造実演(但し機械)をじっとみていた監督は、機械からアンコが出ていないのを見て店に入り「アンコが入ってない種類もあるのですか」と店員に尋ねる。「あれは実演用で販売用ではないのでアンコが入っていない」とのこと。「もったいないじゃないか」と監督はぶつぶつ。
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「もみじ饅頭」製造実演の前で
 中国新聞取材。  広島テレビ「テレビ宣言」収録。  広島宝塚劇場にて、舞台挨拶があるのだが時間が空いたので、「孫くん」以外の人はパチンコ屋へ向かう。(ちなみに「孫くん」は雨が降り出してきたため、全員の傘を買いに走る。下っ端ゆえの悲運。)米沢さんは生まれてはじめてのパチンコで、何が何だかわからないまま玉をはじいていたが、結果はよく当たるパチンコ屋で全員フィーバー。戻る時間になっても、鈴木プロデューサーはフィーバーが止まらず「先に行ってて」ということなので、他の人は鈴木プロデューサーを置いて、劇場に直行。
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フィーバーする宮崎監督と伴田さん
 広島宝塚劇場にて舞台挨拶。  そのまま劇場で広島テレビ「こちらマル○生活研究所」の収録。  監督少々疲れ気味。お好み焼きでも食べに行こうと思っていたら、「ちょっと、まあちょっと」と前田さんに言われるまま、おすすめのお店に連れられて行ってしまった。広島の郷土料理を出してくれるお店で、新鮮な魚づくしで疲れも吹っ飛ぶ。前田さんは「わしはいつも食べてるからええんじゃ」と米沢さんに自分の分まで食べさせていた。でも、「いつも人に勧めていて、一体前田さんはいつ食べるんだろう」と鈴木プロデューサーは素朴な疑問を抱く。  お店に向かう途中、ファンとおぼしきおじさんが「高畑監督、娘がファンなんです。サインください」と近づいてきた。宮崎監督はおもむろにサインした後、一言「僕は宮崎です」。  その後、ホテルで解散。伴田さんは部屋で「孫くん」と関西支社の貝谷さんの3人でお酒を飲みながら夜のミーティングを開いたということでした。
97年7月7日(星期一)冈山 广岛
 上午9点30分,从酒店出发。
 在这里与德山先生告别,随后与吉卜力工作室的米泽先生汇合。
 在冈山东宝进行联合采访。迪达拉波奇登场
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静静等待出场的迪达拉波奇。以这样的姿态等待了30分钟,而出场时间只有大约1分钟。  录制了冈山电视台的《爱LOVE YOU》和山阳放送电视台的《哈麦耶电视》两档节目。  伴田先生因为昨天的烤肉还在胃里,感觉不太舒服。再加上公开前一天的日程安排出现问题,伴田先生的苦恼更加深重。东宝关西的孙悟空丰田先生与日本电视台的奥田制作人进行了紧急会议,但未能想出好办法。
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东宝关西的孙悟空丰田先生,右边是铃木先生画的丰田先生的肖像画  从冈山前往广岛,首先到达酒店。在这里,我们见到了那位“电影放映师”——东宝关西放映的前田先生。他给人的印象与书中描述的一模一样,非常细心周到(米泽谈)。外表看起来像是个严厉的大叔(伴田谈)。
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“电影放映师”前田先生  由于铃木制作人提出“想吃咖喱”,我们去了酒店的咖啡厅,大家都点了咖喱。这里的调味料意外地大受欢迎,尽管腌姜已经加了很多,但还是被我们全部吃光了。饭后,我们在车站附近寻找弹珠店,但没找到,只好四处徘徊。导演在街上看到“红叶馒头”的制作演示(虽然是机器制作的),发现机器里没有馅料,便走进店里问店员:“有没有不放馅料的种类?”店员回答说:“那是演示用的,不是卖的,所以没有馅料。”导演嘟囔着:“这不是浪费吗?”
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在“红叶馒头”制作演示前  接受中国新闻的采访。  录制广岛电视台的《电视宣言》。  在广岛宝冢剧场有舞台致辞,但因为时间还早,除了“孙君”之外的人都去了弹珠店。(顺便说一下,“孙君”因为下雨,跑去给大家买伞。这是下层的悲惨命运。)米泽先生是第一次玩弹珠,完全不知道自己在做什么,但结果却意外地中了很多,大家都兴奋不已。到了该回去的时间,铃木制作人还沉浸在兴奋中,说:“你们先走吧。”于是其他人把铃木制作人留在那里,直接去了剧场。
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兴奋的宫崎导演和伴田先生  在广岛宝冢剧场进行舞台致辞。  随后在剧场录制广岛电视台的《这里是丸○生活研究所》。  导演显得有些疲惫。本来打算去吃广岛烧,但前田先生说:“稍微等一下。”于是我们被他带到了他推荐的一家店。这家店提供广岛的乡土料理,新鲜的鱼类料理让我们疲惫一扫而空。前田先生对米泽先生说:“我经常吃,所以没关系。”他还把自己的份让给米泽先生吃。不过,铃木制作人提出了一个简单的问题:“前田先生总是推荐别人吃,他自己什么时候吃呢?”  在去店里的路上,一位疑似粉丝的大叔走近说:“高畑导演,我女儿是您的粉丝,请给我签个名。”宫崎导演默默地签了名,然后说了一句:“我是宫崎。”  之后,大家在酒店解散。伴田先生在房间里与“孙君”和关西分公司的贝谷先生三人一起喝酒,开了个夜间会议。
97.7.8(火)広島 松山
 9時からホテルにて、広島ホームテレビ「花本マサミようこそ広島へ」収録。まず、鈴木プロデューサーが取材を受け、次に監督が取材を受ける。お土産に鈴木プロデューサーは地元の名酒を、宮崎監督は「冬虫夏草」をもらう。
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自分のサインをする鈴木プロデューサー 番組収録の1場面
 収録後、少し時間があったので喫茶店へ行く。米沢さんが、宮崎監督から注文を受けていた「ツール・ド・信州」の提灯の見本を見せる。監督は「これでいいじゃないですか」と満足そう。
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「ツール・ド・信州」のための提灯、場所はスタジオ内です
 松山に行くため、宇品港へタクシーで向かう。宇品港で前田さんとはお別れ。船の中で、TVを見ていたら、突然NHKのクラシックアワーで米良さんが歌っているのに気づく。みんなで見るも5分ぐらいで終わってしまった。残念。  松山観光港にて、「プレジデント」の記者2人と合流。2日間の密着取材を行うらしい。黒塗りのハイヤーが2台迎えに来ていて、そのまま料亭「花ぜん」へ。松山の映画館の関係者と一緒に食事。豪華な昼食だった。食事の時は、場所が四国だけに「お遍路」の話でひとしきり盛り上がる。
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松山での豪華な食事
 愛媛新聞に移動、取材。  テレビ愛媛「とにかく愛媛500」収録。  次の取材まで、時間があったので宮崎監督、鈴木プロデューサー、伴田さんは揃って松山城まで散歩。リフトに乗って、お城の天守閣に登る。近くのお店で宮崎監督はところてん、鈴木プロデューサー、伴田さんはソフトクリームを食べてちょっと休憩。今まで、車での移動ばかりで歩くことがあまりなかった監督は「歩けていい汗がかけた」と喜んでいた。  南海放送で共同取材及び「ニュースプラス1」生出演。ディダラボッチはたぶん共同取材に登場。「ニュースプラス1」ではアナウンサーに「松山を舞台にした映画を作ってください。」と言われ「松山は海も山も街も全部揃っていて、映画の舞台としていいですね。」と監督。それを聞いたアナウンサーはすっかり乗り気、是非是非とせまられ、監督はタジタジ。
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「ニュースプラス1」生出演
 この後、米沢さんはみんなと別れ、最終の飛行機で東京に戻るために一人松山空港へ向かう。空港にて同じく最終の飛行機で松山にやって来た、電通の曽我さんと出会う。10秒ほどの束の間の再会だったらしい。「頑張ってきます」と曽我さんは道後の街へ向かって行った……  空港で米沢さん、曽我さんが感動の再会を果たしている頃、宮崎監督一行は、例の場所で盛り上がっていた。監督フィーバー、伴田さんなんと4回フィーバー。鈴木プロデューサーはフィーバーかからず、相変わらずダメ。不調が続きます。  夕食は、最近ずっと和食が続いているのでお肉にしよう、ととんかつのお店へ。しかし、鈴木プロデューサー、伴田さんは牛を食べる。  宿泊先の道後プリンスホテルにて温泉に入り、ゆっくり休む。  しかし、夜中の1時、伴田さん、東宝の矢部さん、電通曽我さん、「孫くん」こと豊田さんの4人は、「お腹がすいた」とホテルの向かいのラーメン屋に行く。ラーメンだけのつもりが、生ビール、ラーメン、チャーハンとしっかりと食べることに。曽我さんはダイエット中らしく「俺は絶対汁は飲まない」と叫んでいたとか。伴田さんがチャーハンをラーメンの汁でかっこんでいると「異常だ」の一言。
97.7.8(火)广岛 松山
 9点开始在酒店进行广岛家庭电视台的节目《花本雅美欢迎来到广岛》的录制。首先,铃木制作人接受采访,接着宫崎导演接受采访。作为礼物,铃木制作人收到了当地的名酒,宫崎导演则收到了“冬虫夏草”。
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铃木制作人在签名 节目录制的一个场景  录制结束后,因为还有一些时间,大家去了咖啡馆。米泽先生展示了宫崎导演之前订购的“信州之旅”灯笼的样品。导演满意地说:“这样就可以了。”
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为“信州之旅”准备的灯笼,地点在工作室里  为了前往松山,大家乘出租车前往宇品港。在宇品港与前田先生告别。在船上,大家看电视时突然发现NHK的古典音乐时段中米良先生在唱歌。大家一起看了大约5分钟就结束了,很遗憾。  在松山观光港,与《总统》杂志的两位记者汇合。他们似乎要进行两天的贴身采访。两辆黑色豪华轿车来接大家,直接前往料亭“花膳”。与松山电影院的相关人员一起用餐。午餐非常豪华。用餐时,因为地点在四国,大家聊起了“巡礼”的话题,气氛非常热烈。
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在松山的豪华午餐  前往爱媛新闻,接受采访。  在爱媛电视台录制节目《总之爱媛500》。  在下次采访之前,宫崎导演、铃木制作人和伴田先生一起散步到松山城。乘坐缆车登上城堡的天守阁。在附近的小店里,宫崎导演吃了凉粉,铃木制作人和伴田先生吃了冰淇淋,稍作休息。之前一直坐车,很少走路的导演高兴地说:“走路出了汗,感觉很好。”  在南海广播进行联合采访及《新闻加1》的直播。迪达拉博奇可能出现在联合采访中。在《新闻加1》中,主持人说:“请以松山为背景拍一部电影吧。”导演回答:“松山有海有山有城市,作为电影的背景很不错。”主持人听了非常兴奋,一再请求,导演显得有些不知所措。
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《新闻加1》直播  之后,米泽先生与大家告别,独自前往松山机场,搭乘最后一班飞机返回东京。在机场,他遇到了同样搭乘最后一班飞机来到松山的电通公司的曾我先生。两人进行了大约10秒的短暂重逢。曾我先生说了句“我会加油的”,然后前往道后的街道……  当米泽先生和曾我先生在机场重逢时,宫崎导演一行人在某个地方正热闹非凡。导演非常兴奋,伴田先生更是兴奋了四次。铃木制作人没有兴奋,依旧状态不佳,持续低迷。  晚餐时,因为最近一直吃日式料理,大家决定去吃炸猪排。然而,铃木制作人和伴田先生选择了吃牛肉。  在住宿的道后王子酒店泡温泉,好好休息。  然而,凌晨1点,伴田先生、东宝的矢部先生、电通的曾我先生和“孙君”丰田先生四人因为“肚子饿了”去了酒店对面的拉面店。原本只打算吃拉面,结果还点了生啤酒、拉面和炒饭。据说曾我先生正在减肥,大喊“我绝对不喝汤”。伴田先生用拉面汤泡炒饭,被说“太奇怪了”。
97.7.9(水)高松
 8時30分ホテル出発。松山発いしづち6号で高松に向かう。高松で「フォーカス」の記者と合流。またまた密着取材が始まる。しかも「プレジデント」の記者も一緒。
 昼食はうどんと天ぷら。宮崎監督は、ここの所歩いていないので食をしぼりはじめたとか。
 キャンペーンも終わりに近づき、疲れのせいか伴田さんの記憶もあやふや。ここでちょっとメンバーを確認しておこう。高松の劇場関係者に、宮崎監督、鈴木プロデューサー、電通曽我さん、東宝矢部さん、「孫くん」こと豊田さん、伴田さんに整体の先生。いつのまに整体の先生がと思いきや8日から合流していたらしいです。確認をして良かった。
 西日本放送「ニュースプラス1」ディダラボッチ登場。
 RNCラジオ「ラジオでDON」収録。
 四国新聞取材。
 KSB瀬戸内海放送「にこまるTV」収録。ディダラボッチ登場。
 時間が空いたので、宮崎監督と鈴木プロデューサー、伴田さんの3人で屋島に行く。屋根のような形をした山で、そこからは高松を一望できるということです。3人と言いましたが、「フォーカス」「プレジデント」の記者も同行しています。
 ケーブルメディア四国でFM徳島「グッドモーニングサタデー」を収録。今回徳島には行かなかったので、徳島からクルーがやって来て取材をしていく。
 合同取材。ディダラボッチ登場。
 ホテルに戻り、食事に行く。日本テレビ奥田さんが合流。
 「かに庄」で食事の後、食休みに「行きますか」とパチンコ屋へ。伴田さんまたまたフィーバー。今回も4回フィーバーしたそうです。「キャンペーンを通しての負けを取り戻したんじゃないですか」と聞くと「自分の金と出張旅費がまぜこぜで、精算しないと損したのかどうかわからないんですよ」と危ない発言。「そのうち公金に手を出すに違いない」という監督の予言は当たったかも。監督フィーバー、矢部さんと奥田さんもフィーバー。しかし、「孫くん」はマイナス6000円、曽我さんもマイナス7000円。「孫くん」は最後までぶつぶつ文句を言っていた。曽我さんも生まれて初めての本格的なパチンコで7000円も負けてすごいショックを受けていたらしい。鈴木プロデューサーは絶不調。伴田さんはウッシッシと影で大喜び。
 その後、またお腹がすいたので、「うどん」を食べに行く。メンバーは曽我さん、矢部さん、伴田さん、「孫くん」の4人。ダイエット中の曽我さんは「俺は絶対汁は飲まねえ」と言いつつ食べていた。それから「おいしい日本酒のお店があれば」とぶらぶらと歩いて飲み屋に入る。曽我さんは「くそー、今度の日曜日は運動するぞ」と言いながら焼酎とロックを2杯飲む。
1997年7月9日(星期三)高松
 8点30分从酒店出发。乘坐从松山出发的“石锤6号”前往高松。在高松与《Focus》的记者会合。又一次开始了紧密的采访。而且《President》的记者也一起。
 午餐是乌冬面和天妇罗。宫崎导演因为最近没有走路,所以开始控制饮食。
 宣传活动也接近尾声,可能是因为疲劳,伴田的记忆也变得模糊。在这里稍微确认一下成员。高松的剧场相关人员,宫崎导演、铃木制片人、电通的曾我先生、东宝的矢部先生、“孙君”丰田先生、伴田先生和整骨师。不知不觉中整骨师也加入了,似乎是从8号开始合流的。确认一下真是太好了。
 西日本放送《News Plus 1》中出现了“迪达拉波奇”。
 RNC广播《Radio Don》录制。
 四国新闻采访。
 KSB濑户内海放送《Nico Maru TV》录制。出现了“迪达拉波奇”。
 因为有空闲时间,宫崎导演、铃木制片人和伴田先生三人去了屋岛。那是一座形状像屋顶的山,从那里可以俯瞰高松。说是三人,但《Focus》和《President》的记者也同行。
 在Cable Media四国录制了FM德岛的《Good Morning Saturday》。这次没有去德岛,所以德岛的团队过来采访。
 联合采访。出现了“迪达拉波奇”。
 回到酒店后去吃饭。日本电视台的奥田先生也加入了。
 在“蟹庄”吃完饭后,休息时去了弹珠店。伴田先生又进入了狂热状态。据说这次也狂热了四次。问他“是不是通过宣传活动把输的钱都赢回来了”,他说“自己的钱和出差旅费混在一起,不算清楚的话不知道是不是亏了”,真是危险的发言。导演的预言“迟早会动公款”可能说中了。导演也狂热了,矢部先生和奥田先生也狂热了。但是,“孙君”输了6000日元,曾我先生也输了7000日元。“孙君”一直到最后都在抱怨。曾我先生也是第一次正式玩弹珠,输了7000日元,似乎受到了很大的打击。铃木制片人状态极差。伴田先生在暗地里高兴得不得了。
 之后,又饿了,所以去吃“乌冬面”。成员是曾我先生、矢部先生、伴田先生和“孙君”四人。正在减肥的曾我先生一边说“我绝对不喝汤”一边吃。然后说“如果有好喝的日本酒的店”,就随便走走进了酒馆。曾我先生一边说“可恶,这个星期天一定要运动”,一边喝了两杯烧酒加冰块。
97.7.10(木)高知 雨
 キャンペーン最後の日。8時30分ロビー集合。高松発しまんと3号で高知に移動。
 TV高知「じゃらんじゃらん」「イブニング高知」の2本を収録。
 お昼は「土佐っ子」にて。大皿にお刺身や鰹のたたきなど海の幸がドカンドカンと盛られていた。
 13時30分からRKC「公演通りのウィークエンド」「こうちNOW」の収録。
 高知新聞取材。
 NHK「よさこい1番星 ようこそ土佐へ」の収録。17分の番組で13分間「もののけ姫」の話。7月14日(月)に放送予定だそうですが、「時間は忘れました。疲れがたまって記憶が0に近い」とのことです。
 その後、飛行機にて羽田に向かう。ミニ弁当(ご飯の上にハンバーグや魚のフライがのっている)を買って機内で食べるが、食べ終わるとすぐ機内食が配られた。「食べましょう」と監督の一言でこれも食べる。
 6時過ぎ、無事に羽田到着。監督は車で自宅へ。
 これにてキャンペーン第2弾は終了。次回は7月14日からです。

**伴田さんより**
 宮崎監督本当にお疲れ様でした。
 短期間で移動するので、今どこにいるのかわからなくなることが間々ありましたが、各媒体の方もありがとうございました。
 最後に「孫くん」の秘密をばらしてしまいましょう。「孫くん」の荷物がめちゃくちゃでかいんですよ。僕たちより短期間なのに。そこで監督が「中身を点検する」と言って「孫くん」の鞄の中を見てみると、飲んでないウーロン茶が2、3本。読みかけの雑誌が2、3冊。ゲームボーイが2つ……
「かばんを持ってたら結婚できないよ」と監督の一言でした。
1997年7月10日(星期四)高知 雨
 宣传活动的最后一天。早上8点30分在酒店大堂集合。从高松乘坐“しまんと3号”前往高知。
 在高知电视台录制了《じゃらんじゃらん》和《イブニング高知》两档节目。
 午餐在“土佐っ子”餐厅用餐。大盘子里装满了生鱼片和鲣鱼刺身等海鲜,分量十足。
 下午1点30分开始,在RKC电视台录制了《公演通りのウィークエンド》和《こうちNOW》。
 接受了高知新闻的采访。
 在NHK录制了《よさこい1番星 ようこそ土佐へ》。这是一档17分钟的节目,其中13分钟都在谈论《幽灵公主》。据说节目将于7月14日(星期一)播出,但“我忘记了具体时间。太累了,记忆几乎为零”。
 之后,乘坐飞机前往羽田机场。在飞机上买了迷你便当(米饭上放着汉堡肉和炸鱼),刚吃完,飞机餐就送来了。在导演的一句“吃吧”下,又继续吃了。
 晚上6点多,顺利抵达羽田机场。导演乘车回家。
 至此,第二波宣传活动结束。下一次活动将从7月14日开始。

**来自伴田的消息**
 宫崎导演真的辛苦了。
 由于在短时间内频繁移动,常常会忘记自己在哪里,但还是要感谢各家媒体的支持。
 最后,让我来揭晓“孙子”的秘密吧。“孙子”的行李超级大。虽然他的行程比我们短,但导演说“检查一下里面”,结果发现“孙子”的包里有两三瓶没喝的乌龙茶、两三本没看完的杂志、两个Game Boy……
导演说了一句:“背着这样的包,可结不了婚啊。”
97.7.14(月)青森
 「もののけ姫」が大ヒットの中、第3次キャンペーンが始まる。伴田さんから第1日目の報告の電話があったのは、14日の夜の10時ちょっと過ぎ。今までに比べると一段と時間が早い。「みんなにメシとパチンコの話しかないじゃないか、と言われ心の中で泣きました。」「今日から心を入れ替えてキャンペーンの報告をすることにしました」ということです。
 14日朝JAS213便、9時45分羽田発の飛行機で青森へ。「ジブリに7時30分にハイヤーをよこしてほしい」との宮崎監督の要望だったので、ハイヤーがジブリに監督を迎えに行く。ハイヤーの運転手さんは裏道をよく知っている人だったのだが、今日は行く道、行く道混んでいて、結局羽田に着いたのは9時35分過ぎ。空港では、鈴木プロデューサー、伴田さん、「プレジデント」の記者2名(再び密着取材のため)が監督を待っていた。伴田さん「監督、お疲れのところごめんなさい」と心の中で思いつつ、全員ダッシュで飛行機に乗り込む。ギリギリセーフ、危ないところでした。
 1時間弱で青森空港着。日本テレビのスタッフが8月9日の特番収録のため、宮崎監督一行を待ち構えており、青森でのキャンペーンは空港での照明とフラッシュの嵐から始まった。
 青森での取材は13時からだったので、「本当ならゆっくり見たいが、表敬訪問ということで行きましょう」という監督の一言で、三内丸山遺跡に行き、縄文時代の遺跡を見る。
 昼食もここでとることに。宮崎監督は塩ラーメンと焼きそば、鈴木プロデューサーと伴田さんは醤油ラーメン、全員ラーメンにゆでたまごを入れる。「これを入れると豪華になる」と監督のお言葉です。伴田さんは、これだけでは足りないのでフランクフルトを食べ、鈴木プロデューサーと一緒に、デザートでソフトクリームを食べる。ソフトクリームは鈴木プロデューサーの好物らしい。このレストランでは中に猪の肉が入った、その名も「縄文ラーメン」というラーメンがあるのだが、誰一人興味を示さず。
 13時から取材のため、「時間があればゆっくり見たい」という監督の言葉を残し、三内丸山遺跡を後にする。青森放送で東奥日報の取材。ディダラボッチ登場。今回着ぐるみを着たのは、上半身裸でトランクスいっちょうの、生身で勝負のアルバイトくんでした。
 鈴木さん達には内緒なんですが、伴田さんはキャンペーンの旅費の仮払い申請書を出すのを忘れてしまい、この時点での所持金がわずか2万円ばかり。取材が行われている間に近くの銀行に走り、とりあえず自分の預金からお金をおろしてきたとか。これが鈴木さんに知られると、また伴田さんがいじめられてしまうので、とりあえず、キャンペーンが終わるまで内緒にしておきましょう。
 青森放送ラジオ「あおもりTODAY」収録。この番組は25年続いている長寿番組で、宮崎監督は「月曜ラジオバザール」に出演。パーソナリティは、夏目洗光さんと麻生詩織さんのお二人。麻生さんは演歌歌手だそうです。伴田さんが言うには、麻生さんは変わった人で、「宮崎監督の目がかわいい」とか「好きな食べ物は何ですか」など、今までのキャンペーン中に出なかった、素朴で変な質問をしていたということです。
麻生さん 「好きな音楽は何ですか?」
宮崎監督 「特にないんですけど、聞き出すと同じ曲を何遍も聞くんです。」
麻生さん 「演歌は?」
宮崎監督 「全く聞きません。」
麻生さん 「私、演歌歌手なんです。」
宮崎監督 「それは失礼しました。」
など話ははずみ、15分の予定だったのだが、30分強の生出演に。横で見ていた伴田さんは、この後の番組構成はどうなるんだろう、と心配し「押してるけどいいんですか」と聞いたのだが「いいんです」というあっさりとした返事が返ってきて、「この後の構成は…」と気になりながら、番組は進んでいった。
 1時間休憩。せっかくの青森ということで、ねぶたまつりのねぶたを作っている作業現場を見学に行く。アスタムという場所で千葉作竜さんというねぶた作りの職人さんに会う。12才の時からねぶたを作り始め、今や50才。32年間もねぶたを作っている大ベテランの千葉さんにいろいろなお話しを聞かせてもらう。
 その後、パチンコへ、時間もなく全員バツ。
 16時30分から青森放送にて、「出会いふれ会い生てれび」の打ち合わせ。好視聴率の人気番組だそうです。この時点で、宮崎監督の出番が17時30分頃だと判明。「もう少し、パチンコができたのに」と悔しがる鈴木プロデューサー。ディダラボッチもまたまた登場。中に入っているのは例のトランクスいっちょうのアルバイトくんです。彼の協力もあり無事番組終了。
 各メディアのトップ媒体の取材をこなし、今日は6時前には取材が終わる。そこで、「雪辱戦だ」ということで、昼間のパチンコ屋へ再度乗り込む。鈴木プロデューサーはツキに見放されたのか、全くフィーバーかからず。「いくらつぎこんでいるのだろう」伴田さんは心の中で思いつつ、聞けなかったそうです。宮崎監督も全くフィーバーかからず、途中で散歩に行ってしまう。伴田さんは絶好調で3回フィーバー。青森放送で合流した整体の先生はスロットでコインをじゃらじゃら出して大喜び。
 車で、ホテルに移動。海沿いの眺めがすばらしく良い所だそうです。
 夜は、宮崎監督、鈴木プロデューサー、伴田さん、東宝映画営業部の南川さん、整体の先生の5人で部屋で和食を食べる。劇場成績がホテルに届いており、成績も上々。伴田さんも、明るい気持ちでキャンペーンに同行できると喜んでいました。
 それから、伴田さんより怪情報が。関西支社の「孫くん」こと豊田さんが東北のどこかで現われるらしいというのです。まだ、はっきりしてないのですが。大きなバックにお茶と雑誌とゲームを持って、監督一行と感動の再会ということになるでしょうか。キャンペーン続報をお待ちください。
97.7.14(月)青森
 在《幽灵公主》大热的同时,第三次宣传活动开始了。伴田先生在14日晚上10点刚过时打来了第一天的报告电话。相比之前,时间提前了不少。“大家都说我只顾着吃饭和打弹珠,心里真是难过。”“从今天开始,我决定重新振作,认真做宣传报告。”他这样说道。
 14日早上,乘坐JAS213航班,9点45分从羽田机场出发前往青森。宫崎导演要求“7点30分派车到吉卜力来接我”,于是司机前往吉卜力接导演。司机虽然熟悉小路,但今天一路堵车,最终到达羽田机场时已经过了9点35分。在机场,铃木制片人、伴田先生以及《President》杂志的两名记者(再次进行贴身采访)在等待导演。伴田先生心里想着“导演,辛苦了,真是不好意思”,大家一路狂奔登机,勉强赶上了,真是惊险。
 不到一小时,飞机抵达青森机场。日本电视台的工作人员为了8月9日的特别节目录制,早已在机场等候宫崎导演一行,青森的宣传活动在机场的闪光灯和照明中拉开了序幕。
 青森的采访从13点开始,导演说:“本来想慢慢看,但既然是表敬访问,那就去吧。”于是大家前往三内丸山遗址,参观了绳文时代的遗迹。
 午餐也在这里解决。宫崎导演点了盐拉面和炒面,铃木制片人和伴田先生点了酱油拉面,大家还在拉面里加了煮鸡蛋。导演说:“加了鸡蛋就显得豪华了。”伴田先生觉得光吃这些不够,又吃了法兰克福香肠,还和铃木制片人一起吃了软冰淇淋作为甜点。软冰淇淋似乎是铃木制片人的最爱。这家餐厅还有一种名为“绳文拉面”的拉面,里面加了野猪肉,但没人对它感兴趣。
 13点开始采访,导演留下了一句“如果有时间真想慢慢看”,大家离开了三内丸山遗址。在青森广播电台接受了东奥日报的采访。迪达拉博奇登场了。这次穿着玩偶服的是上半身赤裸、只穿一条短裤的兼职小哥,他用自己的身体来挑战这个角色。
 虽然铃木先生他们不知道,但伴田先生忘了提交宣传活动的旅费预支申请,此时他手头只有大约2万日元。在采访进行时,他跑到附近的银行,从自己的存款中取了些钱。如果这件事被铃木先生知道,伴田先生又会被欺负,所以暂时保密,等宣传活动结束再说。
 在青森广播电台录制了《青森TODAY》节目。这个节目已经持续了25年,宫崎导演参加了《周一广播集市》的录制。主持人是夏目洗光先生和麻生诗织小姐。据说麻生小姐是演歌歌手。伴田先生说,麻生小姐是个有趣的人,她问了一些在之前的宣传活动中从未出现过的简单而奇怪的问题,比如“宫崎导演的眼睛好可爱”“您喜欢吃什么”等等。
麻生小姐:“您喜欢什么音乐?”
宫崎导演:“没什么特别的,不过一旦喜欢上一首歌,就会反复听。”
麻生小姐:“那演歌呢?”
宫崎导演:“完全不听。”
麻生小姐:“我可是演歌歌手哦。”
宫崎导演:“那真是失礼了。”
谈话就这样展开,原本计划15分钟的节目,最终变成了30多分钟的直播。在一旁观看的伴田先生担心接下来的节目安排,问道:“时间超了没关系吗?”得到的回答是“没关系”,虽然心里还在想着“接下来的安排怎么办”,但节目继续进行。
 休息了一小时。难得来到青森,大家去参观了制作睡魔祭灯笼的工场。在Astam这个地方,见到了制作灯笼的工匠千叶作龙先生。他从12岁开始制作灯笼,如今已经50岁,有着32年经验的老手千叶先生给大家讲了很多有趣的故事。
 之后,大家去了弹珠店,但时间不够,所有人都输了。
 16点30分,在青森广播电台进行了《相遇与交流直播电视》的讨论。据说这是一个收视率很高的热门节目。这时,宫崎导演的出场时间定在17点30分左右。铃木制片人遗憾地说:“要是再有点时间,就能多打会儿弹珠了。”迪达拉博奇再次登场,里面还是那位只穿一条短裤的兼职小哥。在他的帮助下,节目顺利结束。
 完成了各大媒体的采访,今天的采访在6点前结束。于是,大家决定“雪耻”,再次前往白天的弹珠店。铃木制片人似乎运气不佳,完全没有进入状态。“他到底投了多少钱?”伴田先生心里想着,但没敢问。宫崎导演也没有进入状态,中途出去散步了。伴田先生状态极佳,三次进入状态。在青森广播电台汇合的整骨医生在老虎机上赢了一大堆硬币,非常高兴。
 乘车前往酒店。据说这里沿海的景色非常美丽。
 晚上,宫崎导演、铃木制片人、伴田先生、东宝电影营业部的南川先生以及整骨医生五人在房间里吃了日式料理。剧场的成绩已经传到酒店,成绩相当不错。伴田先生也心情愉快,能够继续陪同宣传活动。
 接着,伴田先生透露了一个奇怪的消息。据说关西分公司的“孙君”丰田先生可能会在东北的某个地方出现。虽然还不确定,但他可能会带着一大包茶、杂志和游戏,与导演一行进行感人的重逢。请继续关注宣传活动的后续报道。
97.7.15(火)秋田
 伴田さん、7時起床。部屋の窓から外を眺めると宮崎監督が散歩をしている。温泉に入った後、伴田さんも40分ばかり散歩を楽しむ。
 8時30分朝食。昨日の夜、夜食としておにぎりが配られ、監督はそのおにぎりを朝食べたばかりだったので、食欲があまりないとのこと。朝食は豪華で、整体の先生は「ビールがあるといいですね。アハハハ、冗談ですよ。」横で聞いていた伴田さんは「この人マジだな。」と思ったそうです。
 青森から秋田に行くため、浅虫温泉駅から快速うみねこに乗って、まず青森駅へ。「プレジデント」の記者も同行。電車が混んでいたので、立ったまま15分。青森駅からいなほ12号で秋田に向かう。昼食は電車の中。以前、伴田さんは出雲にて駅弁を買い忘れてしまった苦い記憶があるので、今度は忘れないようにまず監督にどんなお弁当がいいか尋ねると「駅弁は車内で買うもんです。」との答えが。しかし、伴田さんは全員分お弁当(うに弁当、海峡弁当)を買う。「全員分買ったのですか?」と聞くと「それが気配りというものです。」との伴田さんの答えでした。12時過ぎにお弁当の時間。宮崎監督は朝食を食べ過ぎたため、「伴田くんにあげるよ」とお弁当を伴田さんに渡す。伴田さん、仕方なしにお弁当を2つ食べることに。
 13時秋田着。まずホテルにチェックイン。駅のすぐ近くのホテルだそうです。
 秋田魁新報社にて取材。ディダラボッチ登場。通常、ディダラボッチは最後に出てきて、監督と並んで立って写真撮影をしていたのだが、今回はソファに座って写真を撮ることになった。監督と2人、ソファに座り足を組んだりしていたそうです。伴田さん曰く「頑張り屋でアドリブもきく、とてもいいヤツでした。」とのこと。
 そして、忘れてはいけないことが一つ。「孫くん」こと関西支社の豊田さん登場。普通、関西支社の人間が、キャンペーンのため東北まで来ることはないが、「「孫くん」に会いたい」という宮崎監督の強い要望で、東北にやって来る。「孫くん」の荷物はというと、今回はリュックサック一つで、前回よりは小さくなっていた。しかし、「ウーロン茶と雑誌がなくなっただけで、後は変わらない。」と宮崎監督。伴田さんも「僕は「孫くん」がゲームをまた2つ持って来ているという情報をつかんでいます。」と言っていました。
 秋田テレビ「なんでもアリーナ525」収録。「なんでもアリーナだから、なんでもアリだね。」ということで、なんとディダラボッチを中心とした番組に。話題も着ぐるみのことばかり。アルバイトくんがディダラボッチの着ぐるみを脱ぐところまで撮影していたとか。「カットされなければ、テレビで見ることもできるでしょう。」
 70分休憩。「行きますか」ということで、新しい大きなパチンコ屋に行く。鈴木プロデューサーようやくフィーバー。「あのときの鈴木さんの顔は一生わすれません」と伴田さん。その伴田さんは、とういうと、またまたフィーバー。宮崎監督、「孫くん」はフィーバーならず。「孫くん」はパチンコしに来たのにダメでした。
 秋田放送にて、「ラジオマンボジャンボ」収録。鈴木プロデューサーが出演。オン・エアは7月22日(火)22時30分から。秋田にお住まいの方はお楽しみに。
 同じく秋田放送にて「ワイドゆう」に宮崎監督がテレビ生出演。ディダラボッチも登場。「もののけ姫」の話題を中心に番組も無事終了。ディダラボッチも改良が重ねられ、日々着やすくなっているとか。「みんなが着てのびた、ということもありますが。僕は着ないので別にいいです。」と伴田さん。
 夕食は、ホテルのレストランで全員ステーキ。「着ぐるみくんも一緒に食べようよ」ということで、アルバイトくんも一緒に食事をする。ここで、東宝宣伝部の矢部さんが、ドカーンと大きな数字(「もののけ姫」興行成績)を持って登場。その知らせにキャンペーンの疲れもふっとぶ。
 食事の後、夜のパチンコ屋へ。全員玉砕。「いったい、秋田の街にいくら落としたのか」という悪夢のような夜だった。
 ホテルに戻ってラウンジにて全員でミーティング。宮崎監督は「ツール・ド・フランス」が秋田で放送されておらず、非常に残念がっていた、ということです。そういえば、「「ツール・ド・フランス」をビデオに録画せよ」という命令が制作の田中さんに出ていました。
97.7.15(周二)秋田
 伴田先生,7点起床。从房间的窗户往外看,宫崎导演正在散步。泡完温泉后,伴田先生也享受了40分钟的散步。
 8点30分吃早餐。昨晚,夜宵发了饭团,导演刚吃了那些饭团,所以没什么食欲。早餐很丰盛,整骨师说:“有啤酒就好了。哈哈哈,开玩笑的。”在旁边听到的伴田先生心想:“这人认真的吧。”
 从青森去秋田,从浅虫温泉站乘坐快速海猫号,先到青森站。《总统》杂志的记者也同行。电车很挤,站了15分钟。从青森站乘坐稻穗12号前往秋田。午餐在电车上。以前,伴田先生在出云忘记买车站便当,留下了痛苦的回忆,所以这次为了不忘,先问导演想要什么样的便当,导演回答:“车站便当是在车上买的。”但伴田先生还是买了所有人的便当(海胆便当、海峡便当)。当被问“买了所有人的份吗?”时,伴田先生回答:“这就是体贴。”12点过后是便当时间。宫崎导演因为早餐吃多了,把便当给了伴田先生,说:“给伴田君吧。”伴田先生无奈吃了两份便当。
 13点到达秋田。先到酒店办理入住。据说酒店就在车站附近。
 在秋田魁新报社接受采访。迪达拉波奇登场。通常,迪达拉波奇最后出场,和导演一起站着拍照,但这次决定坐在沙发上拍照。据说导演和迪达拉波奇两人坐在沙发上,翘着腿。伴田先生说:“他很努力,即兴发挥也很好,是个很棒的家伙。”
 还有一件不能忘记的事。“孙子”关西分公司的丰田先生登场。通常,关西分公司的人不会为了宣传活动来到东北,但宫崎导演强烈要求“想见‘孙子’”,所以丰田先生来到了东北。关于“孙子”的行李,这次只有一个背包,比上次小了。但宫崎导演说:“只是少了乌龙茶和杂志,其他没变。”伴田先生也说:“我听说‘孙子’又带了两个游戏。”
 秋田电视台《什么都有的竞技场525》录制。“因为是‘什么都有的竞技场’,所以什么都有。”于是,节目以迪达拉波奇为中心。话题也全是关于服装。据说还拍到了兼职小哥脱下迪达拉波奇服装的场景。“如果没被剪掉,应该能在电视上看到。”
 休息70分钟。“去吧”,于是去了新开的大型柏青哥店。铃木制作人终于进入狂热状态。伴田先生说:“我永远不会忘记那时铃木先生的表情。”而伴田先生自己也再次进入狂热状态。宫崎导演和“孙子”没有进入狂热状态。“孙子”来打柏青哥,但没成功。
 在秋田广播电台录制《广播曼波跳跃》。铃木制作人出演。播出时间是7月22日(周二)22点30分。住在秋田的朋友敬请期待。
 同样在秋田广播电台,宫崎导演在《WIDE YOU》节目中直播。迪达拉波奇也登场。节目以《幽灵公主》为主题顺利结束。据说迪达拉波奇的服装经过多次改良,越来越容易穿。伴田先生说:“大家都说穿起来很舒服。但我不穿,所以无所谓。”
 晚餐在酒店的餐厅,所有人都吃了牛排。“让服装小哥也一起吃吧”,于是兼职小哥也一起吃饭。这时,东宝宣传部的矢部先生带着一个大数字(《幽灵公主》的票房成绩)登场。这个消息让大家忘记了宣传活动的疲惫。
 饭后,去了晚上的柏青哥店。全军覆没。“到底在秋田的街上花了多少钱?”这是一个噩梦般的夜晚。
 回到酒店,在休息室开会。宫崎导演因为《环法自行车赛》没有在秋田播出,感到非常遗憾。说起来,制作部的田中先生接到了“把《环法自行车赛》录下来”的命令。
97.7.16(水)山形 雨
 「今、パチンコから戻りました。」と伴田さんから連絡があったのが、夜11時ちょっと過ぎ。お疲れのところ申し訳ないなあ、と思いつつ16日のキャンペーンの模様を聞く。
 7時40分、ホテルロビー集合。東宝宣伝部の矢部さんは、飛行機で東京に戻るため、別行動だが挨拶をしにロビーへ現れる。宮崎監督、鈴木プロデューサー、伴田さん、「孫くん」こと豊田さん、南川さん、整体の先生の6人は、8時2分の秋田発こまくさ6号に乗るため、秋田駅へ。集合時間が早かったため、誰も食事を取らなかった模様。宮崎監督、伴田さんは、駅でお蕎麦を5分で食べる。鈴木プロデューサーはどこかから調達してきたパンを、「孫くん」はおにぎりを車内で食べていた。
 11時に山形着。まずは昼食。大きな器にざるそばが山ほどのっている大板そばを、山形の劇場スタッフと一緒に死ぬほど食べる。
 TVユー山形で「ときめきクラブ」収録。ディダラボッチ登場。オン・エアは7月18日(金)14時55分から。残念ながら山形のみの放送です。山形にお住まいの方はお楽しみに。
 休憩。いつもの通り「行きますか」とパチンコ屋へ。「ここに来て、パチンコの回数と投資金額が増えたんですよね。6、7千円つぎこんでも平気。1万円ぐらい使うとちょっと使ったかな。という感じです。感覚が麻痺してます。」と感想をもらす伴田さん。この時の結果はというと「パチンコばっかりで、結果がどのパチンコのものかわかりません。頭の中がフィーバー状態です。」ただ、「孫くん」がダメだったことは覚えているとのことでした。「孫くん」ここに来て負けが込んでます。途中「銀行に行ってきます」と「孫くん」が席を外す。戻ってこないので、「孫くん」を探そうと店を出ると雨の中「孫くん」が悲壮感を漂わせて戻ってきた。「たくさん使ってしまった、という後悔の念がかじられました。」(伴田さん談)
 駅前のビブレでお茶をする。宮崎監督と鈴木プロデューサーの「「孫くん」は何故負けるのか」という熱い講義を受ける。その後「もう1回行く?」ということで2回目のパチンコ。
 宮崎監督と伴田さんは「羽根もの」をやる。わずかにバツ。「孫くん」は熱い講義にかかわらずバツ。「鈴木さんの結果は忘れてしまいました。」ということです。
 取材のため山形放送に行く。山形新聞取材。
 山形テレビ「ぴよぴよ卵ばくだん」生出演。高視聴率の人気番組。ディダラボッチも登場。一般の人も参加していて、宮崎監督にいろいろと質問をしていた。
「キャラクターはどのような時に思いつくのですか?」
「思いきり悩んで、出てくる時に出てきます。」などなど。
 伴田さんはスタジオの隅にいたのだが、その場所からは、一般の参加者と監督のやりとりが聞き取りにくく、後の内容はよくわからなかったらしい。「サボっていたわけではありません。」とのこと。番組が終わると宮崎監督にサインを求める長蛇の列が。監督は一人一人にサインをする。
 今日の宿である赤湯温泉に行くため、山形から新幹線に乗る。時間的には20分ぐらい。山形を観光していた、整体の先生とも駅で合流。「孫くん」は今日帰る予定だったが「勝つまで(パチンコに)帰ってはいけないんじゃないか」ということで、鈴木プロデューサー自ら、「孫くん」の上司に電話する。いかに「孫くん」がキャンペーンに必要かを説明し、「孫くん」の上司から了解を得る。「孫くん」は赤湯温泉に泊まることに。
 宿に着くとお風呂にも入らず、(宮崎監督だけ「5分だけ入らして」とお風呂に入る)食事。
 食事が終わると、「じゃ、行きますか。」この辺りで一番よく出る「ポパイ」というパチンコ屋を紹介してもらい、タクシーに乗って出かける。ちなみにメンバーは、宮崎監督、鈴木プロデューサー、伴田さん、「孫くん」、南川さんです。整体の先生は「宿で温泉に入って、ゆっくりしています」とのこと。
 パチンコ屋では、使うは使う、お金を使う。1万円ぐらい使ったところで、伴田さんが店内を見回すと宮崎監督の姿がない。疲れたので先に帰ってしまったらしい。南川さんも、ちょぼちょぼ出していたが、そのうち疲れたと言って先に帰ってしまった。「孫くん」はまだフィーバーかからず。「いくら使ったのか恐くてきけません」と伴田さん。この時点で、帰ろうとしたが、最後にもう一回、3人で3000円のカードを一枚ずつ買う。まず、鈴木さんと伴田さんがフィーバー。「孫くん」はもう半泣き状態。最後にやっとフィーバーがかかり、目出たく3人がフィーバーということになった。結局「蛍の光」のかかる11時までパチンコ屋でねばる。
 旅館に戻ると、宮崎監督と整体の先生が待っていてくれた。
「「孫くん」出た?」
「出ました」
「よかった、よかった。それにしても、何時間やってるの。その精力をもっと宣伝に使ってくれたら。」
 返す言葉なし……
 山形でのキャンペーンも無事終了。明日は新潟へ向かう。
97.7.16(周三)山形 雨
 晚上11点刚过,伴田先生联系我说:“现在刚从柏青哥店回来。”虽然觉得在他疲惫的时候打扰他有些抱歉,但还是询问了16日宣传活动的情况。
 7点40分,大家在酒店大堂集合。东宝宣传部的矢部先生因为要乘飞机回东京,所以单独行动,但他还是来大堂打了招呼。宫崎导演、铃木制片人、伴田先生、“孙君”丰田先生、南川先生以及按摩师共6人,为了乘坐8点02分从秋田出发的“小牧草6号”列车,前往秋田站。由于集合时间较早,大家似乎都没有吃早餐。宫崎导演和伴田先生在车站花了5分钟吃了荞麦面。铃木制片人则不知从哪里弄来了面包,而“孙君”在车上吃了饭团。
 11点到达山形。首先是午餐。大家和山形剧场的工作人员一起,拼命地吃了一大碗堆得像山一样的“大板荞麦面”。
 在山形电视台录制了“心动俱乐部”节目。迪达拉波奇登场。节目将于7月18日(周五)14点55分播出。遗憾的是,只有山形地区才能收看。住在山形的观众敬请期待。
 休息。像往常一样,大家决定去柏青哥店。“来到这里后,玩柏青哥的次数和投入的金额都增加了。即使投入6、7千日元也毫不在意。花1万日元左右时,才会觉得有点多了。感觉已经麻木了。”伴田先生这样说道。至于这次的结果,“一直在玩柏青哥,已经分不清是哪次的结果了。脑子里一片狂热。”不过,他记得“孙君”这次表现不佳。“孙君”来到这里后一直输。中途,“孙君”说“我去一下银行”离开了座位。因为一直没有回来,大家决定出去找他,结果在雨中看到“孙君”带着悲壮的表情回来了。“他后悔自己花了太多钱。”(伴田先生语)
 在车站前的Vivre喝了茶。宫崎导演和铃木制片人给“孙君”上了一堂关于“为什么‘孙君’会输”的热烈讲座。之后,大家决定“再去一次”,于是进行了第二次柏青哥。
 宫崎导演和伴田先生玩了“羽根机”,结果稍微输了。“孙君”尽管听了讲座,还是输了。“铃木先生的结果我忘记了。”
 为了采访,大家去了山形广播电台。接受了山形新闻的采访。
 在山形电视台的“叽叽喳喳蛋炸弹”节目中进行了现场直播。这是一个高收视率的受欢迎节目。迪达拉波奇也登场了。普通观众也参与了节目,向宫崎导演提出了各种问题。
“角色是在什么时候想出来的呢?”
“在非常苦恼的时候,自然而然就出现了。”等等。
 伴田先生站在演播室的角落里,从那个位置很难听清普通观众和导演的对话,所以后面的内容他不太清楚。“我并没有偷懒。”节目结束后,宫崎导演被要求签名的观众排成了长队。导演为每个人都签了名。
 为了前往今天的住宿地赤汤温泉,大家从山形乘坐新干线。大约需要20分钟。在山形观光后,按摩师也在车站与大家汇合。“孙君”原本计划今天回去,但铃木制片人亲自给“孙君”的上司打电话,解释说“孙君”对宣传活动有多么重要,并得到了上司的同意。“孙君”决定留在赤汤温泉过夜。
 到达旅馆后,大家没有泡温泉(只有宫崎导演说“让我泡5分钟”),直接去吃饭。
 吃完饭后,大家决定“再去一次”。被介绍去了附近最受欢迎的“波派”柏青哥店,乘出租车前往。成员包括宫崎导演、铃木制片人、伴田先生、“孙君”和南川先生。按摩师则“在旅馆泡温泉,放松休息”。
 在柏青哥店里,大家花了不少钱。当伴田先生花了大约1万日元时,发现宫崎导演不见了。似乎是因为累了,所以先回去了。南川先生也一直在玩,但后来也说累了,先回去了。“孙君”还没有进入状态。“我不敢问他花了多少钱。”伴田先生说。这时,大家决定回去,但最后又每人买了3000日元的卡再玩一次。首先,铃木先生和伴田先生进入了状态。“孙君”几乎要哭了。最后他终于进入了状态,三人终于都进入了状态。结果,大家一直玩到11点,直到“萤火虫之光”响起才离开柏青哥店。
 回到旅馆后,宫崎导演和按摩师在等我们。
“‘孙君’赢了吗?”
“赢了。”
“太好了,太好了。不过,你们玩了几个小时啊。要是能把这种精力用在宣传上就好了。”
 无言以对……
 山形的宣传活动也顺利结束了。明天将前往新潟。
97.7.17(木)新潟
 昨日、上司のお許しを得て赤湯温泉に泊まった「孫くん」こと豊田さんだが、やはり今日はもう早朝の便で帰らなくてはいけなくなった。昨晩、伴田さん、南川さん、整体の先生と4人で温泉に入った後、酒盛り。夜中3時過ぎまで、うだうだと飲んでいた。ちなみにここの温泉は大きな岩をくり貫いた石風呂や、他にも桧風呂や露天風呂もあって「もう最高です。」とのことです。
 「孫くん」は朝7時30分頃ホテルを出なければならなかったのだが、昨晩の酒盛りのため、みんなダウンしており見送りできず。だた一人宮崎監督だけが「お客さんが来ない。」と、ずっとホテルの前に止まっているタクシーを見て、「これは「孫くん」に違いない」とロビーで待っていると、案の定、「孫くん」がふらふらとやって来た。宮崎監督が目の前にいるにもかかわらず、気づかず通りすぎようとしたところ、監督に「孫くん」と声をかけられてようやく気づく。宮崎監督に見送ってもらい、一路大阪に旅立って行った。ちなみに「孫くん」は宮崎監督と鈴木プロデューサー宛に手紙を書いて置いていったので紹介します。
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「孫くん」からの手紙
 整体の先生も今日東京へ戻るため、ここでお別れ。  宮崎監督一行は、山形から新潟へ。しかし、山形から新潟へ向かう電車はローカル線が一日二本だけ。しかも、かなり時間がかかってしまう。地図上では隣合わせなのに中々不便なのだ。そこで、伴田さんが考えたのは、一度大宮まで戻り、新潟へ入るコース。これだと距離はあるが、新幹線を使うことで時間がかなり短縮される。ただ、監督は「大宮に行くなら帰りたい。生理的に嫌ですね。」「大宮駅に着いても、周りを見ないようにしました。」と言っていたとのこと。  昼食は車中。  13時過ぎ、新潟着。ホテルに行きチェックインだけ済ませる。  まず、新潟日報取材。  移動して、月刊「にいがた」と月刊「こまち」の合同取材。  15時30分から休憩。川沿いを散歩し、県庁をふらっと見てパチンコに行く。結果は、宮崎監督と鈴木プロデューサーがフィーバー。伴田さんはフィーバーかからず。「結果報告も淡泊になってきましたね。やっぱりピークは赤湯温泉でした。何しろ11時までやってましたから。」と伴田さん。そろそろ、戻らなくてはならない時間になったが、鈴木さんは「もう一回くるんだ」と言って、�集合時間になったにもかかわらず動こうとしない。「先に行ってて」ということで、またもや宮崎監督と伴田さん、2人だけでテレビ局に行くことになった。  17時30分より「夕方ワイド新潟一番」に生出演。  ディダラボッチも、新潟日報、合同取材、テレビと全てに登場。テレビ以外は、宮崎監督の横に座って、一緒にやって参りました、という形をとることになったとか。  夕食、「刺身は飽きた」ということで、劇場を見に行ったついでに、その辺にあるラーメン屋に入った。メンバーは、南川さんに代わり、甲府で一緒だった東宝営業部の上田さんが加わった。ちなみに劇場は満員で、支配人も大喜び、ということです。  その後、「もう病気になってきましたね。もう一回行きましょう。」と言いつつ、パチンコ屋へ。途中、監督が「飽きちゃった」と帰ろうとした時、伴田さんフィーバー。「今頃かかったの?」と言いつつ、伴田さんを置いて宮崎監督と鈴木プロデューサーは帰ってしまった。上田さんは「俺は絶対、ギャンブルはやらねえ。」と横で伴田さんがパチンコをしているのをじっと見ていたとか。  その後、伴田さんと上田さんは夜のミーティングへ。新潟でのキャンペーンも無事終了。
97.7.17(木)新潟
 昨天,得到上司的允许,绰号“孙君”的丰田先生在赤汤温泉住了一晚,但今天一早他不得不乘坐早班飞机返回。昨晚,伴田先生、南川先生、整骨师和他四人一起泡了温泉后,又举行了酒会。大家一直喝到凌晨三点多。顺便一提,这里的温泉有凿开大岩石制成的石浴池,还有桧木浴池和露天浴池,丰田先生表示“真是太棒了”。
 “孙君”必须在早上7点30分左右离开酒店,但由于昨晚的酒会,大家都醉倒了,没能送他。只有宫崎导演一个人注意到“客人还没来”,一直看着停在酒店前的出租车,心想“这一定是‘孙君’”,于是在大厅等待。果然,“孙君”摇摇晃晃地走了过来。尽管宫崎导演就在他面前,他却没注意到,正要走过去时,导演叫住了他,他才反应过来。宫崎导演送他离开,他一路前往大阪。顺便一提,“孙君”给宫崎导演和铃木制片人留下了一封信,以下是信的内容。
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“孙君”的信  整骨师今天也要回东京,所以在这里告别。  宫崎导演一行人从山形前往新潟。然而,从山形到新潟的火车一天只有两班,而且耗时很长。虽然在地图上两地相邻,但实际上非常不便。于是,伴田先生提议先返回大宫,再从大宫前往新潟。虽然距离较远,但乘坐新干线可以大大缩短时间。不过,导演表示“去大宫的话,我就想回家了。生理上很讨厌。”“到了大宫站,我尽量不看周围。”他这样说道。  午餐在车上解决。  下午1点多,抵达新潟。前往酒店办理入住手续。  首先,接受新潟日报的采访。  接着,接受月刊《新潟》和月刊《小町》的联合采访。  下午3点30分开始休息。大家沿着河边散步,顺便看了看县政府,然后去了弹珠店。结果是宫崎导演和铃木制片人大获全胜,伴田先生则没有收获。伴田先生说:“结果报告也变得平淡了。果然高峰还是在赤汤温泉。毕竟我们一直玩到11点。”快到该回去的时间了,但铃木先生说“再来一次”,尽管集合时间到了,他还是不想动。“你们先走吧”,于是宫崎导演和伴田先生两人再次单独前往电视台。  下午5点30分,他们参加了《傍晚新潟一番》的直播节目。  迪达拉博奇也出现在新潟日报、联合采访和电视节目中。除了电视节目外,他都是坐在宫崎导演旁边,一起参与的形式。  晚餐时,大家表示“生鱼片已经吃腻了”,于是在去看剧场的路上,顺便去了附近的拉面店。成员中,南川先生被东宝营业部的上田先生取代,上田先生之前在甲府和他们一起工作。顺便一提,剧场座无虚席,经理也非常高兴。  之后,大家说“已经有点生病了,再去一次吧”,于是又去了弹珠店。途中,导演表示“已经腻了”,想回去时,伴田先生却大获全胜。“现在才中奖?”宫崎导演和铃木制片人丢下伴田先生回去了。上田先生则在一旁看着伴田先生玩弹珠,并表示“我绝对不赌博。”  之后,伴田先生和上田先生参加了晚上的会议。新潟的宣传活动也顺利结束。
97.7.18(金)長野
 新潟からまず群馬県の高崎まで出て、長野に入るという、またまた変則的な移動の仕方で「「生理的に受け付けないルートですね。日本海を南下して長野に行きたい」と監督に言われたような気がするのですが、あまりよく聞こえなかったので、そのまま変更なしです。」と伴田さん。
 昼食は車中にて、上田さんお勧めの高崎名物「だるま弁当」をみんなで食べる。食べ終わるとその箱が貯金箱になるらしい。
 TV信州にて「ヤングネット信州」と「信州プラス1」の収録。
 休憩。監督が「善光寺に行ったことがない」とのことなので、みんなで善光寺に行く。「天気も良く、本当に良かったです。」と伴田さん。「一大テーマパークだね。」と鈴木プロデューサー。
 その後、富士屋ホテルという、大正ロマンを感じさせる、木造3階建てのホテルを見学する。
 宮崎監督と鈴木さんはみそソフトクリームを食べるが、伴田さんは「普通のソフトクリームがいい。」と言って食べなかったそうです。
 信濃毎日新聞取材。ホテルの庭での取材。宮崎監督がレモンスカッシュを頼んだのだが、出てきたのはジンフィズ、アルコールだった…… 風そよぐ、木漏れ日が降り注ぐホテルの庭で宮崎監督、ちょっと酔い気味。しかし、「いい取材だった。」とご満悦。
 最後の取材も16時30分過ぎに終了。17時11分、長野発の電車で帰るために、タクシーに乗るが、「ここまで来たら、一発15分勝負」ということで、3人でパチンコ屋に向かう。15分という短い時間の中、初めにフィーバーがかからないとこの勝負は終わりだったが、最後の最後に宮崎監督がフィーバー。監督、大喜び。しかし、打ち続ける時間がない。そこで、隣に座っていたおばちゃんに「やっていいよ。」と席を譲るが、おばちゃんの台もフィーバーがかかる!! 結局そのおばちゃんは、右手で自分の台を、左手で監督の台を操るというスゴイ技を見せるが、時間も押し迫っており、見ていることもできず、「最後に良い事をした。」と言って駅に向かう。
 松本の駅で渋く立ち食いそばで夕食を終えるが、念のため駅弁を買って電車に乗り込む。松本18時31分発で、八王子には20時36分に着。3人とも駅弁をしっかり食べて、長かったこのキャンペーンも無事終わり。本当にお疲れ様でした。
*****伴田さんより一言*****
 1カ月近く、移動の連続で本社に戻って仕事できないのではないかという感じです。でも、本当にお疲れ様でした。映画が大ヒットというのが僕の救いです。

 長かったキャンペーンも無事終了。本当にお疲れさまでした。
 超過密スケジュールの合間をぬって、報告の電話を入れてくれた伴田さんに感謝します。おかげ様でキャンペーンの模様をホームページを見ている皆さんに伝えることができました。本当にありがとうございました。
97.7.18(周五)长野
 从新潟出发,先到群马县的高崎,然后再进入长野,这种非常规的移动方式让伴田先生感到有些不适应。他说:“感觉导演说过‘从日本海南下到长野的路线让人生理上无法接受’,但没听太清楚,所以路线没有改变。”
 午餐在车上解决,大家吃了上田先生推荐的高崎名产“达摩便当”。吃完后,便当盒似乎可以当作存钱罐使用。
 在TV信州录制了《Young Net信州》和《信州Plus 1》节目。
 休息时,导演提到“没去过善光寺”,于是大家一起去善光寺参观。伴田先生说:“天气很好,真的很棒。”铃木制作人则感叹:“简直是个大型主题公园。”
 之后,大家参观了一家名为“富士屋酒店”的木造三层酒店,充满了大正时代的浪漫气息。
 宫崎导演和铃木先生尝试了味噌软冰淇淋,但伴田先生表示“还是普通的软冰淇淋好”,所以没有吃。
 接受了信浓每日新闻的采访,采访在酒店的庭院进行。宫崎导演点了柠檬苏打,结果上来的却是金菲士,一种含酒精的饮料……在微风轻拂、阳光透过树叶洒下的酒店庭院里,宫崎导演有些微醺。不过,他对采访非常满意,表示“采访很顺利。”
 最后的采访在下午4点半左右结束。为了赶上17点11分从长野出发的火车,大家打车前往车站。但伴田先生提议:“既然来了,不如玩15分钟弹珠机。”于是三人去了弹珠机店。在短短的15分钟里,如果一开始没有进入“狂热模式”,游戏就结束了。然而,就在最后一刻,宫崎导演进入了“狂热模式”,他非常高兴,但已经没有时间继续玩了。于是,他把座位让给了旁边的一位阿姨,说:“你来玩吧。”结果,阿姨的机器也进入了“狂热模式”!阿姨用右手操控自己的机器,左手操控导演的机器,展现了惊人的技巧。但由于时间紧迫,大家无法继续观看,伴田先生说:“最后做了件好事。”然后大家赶往车站。
 在松本站,大家简单吃了站台荞麦面作为晚餐,但为了以防万一,还是买了车站便当带上火车。火车于18点31分从松本出发,20点36分到达八王子。三人都吃完了车站便当,这次漫长的宣传活动也顺利结束。大家辛苦了。
*****伴田先生的一句话*****
 连续近一个月的移动,感觉都没法回公司工作了。不过,大家真的辛苦了。电影大卖是我的救赎。

 漫长的宣传活动终于顺利结束,大家真的辛苦了。
 感谢伴田先生在超密集的行程中抽出时间打电话汇报情况。多亏了他,我们才能将宣传活动的详情传达给浏览网页的各位。真的非常感谢。