宮崎駿は、電車に乗るのが好きだ。
有名人なので、周りが心配すると、こう言ってのける。
「怖い顔をしていれば、だれも気づかない」
実際は違う。乗客たちが知らんぷりを決め込んでくれるのだ。ありがたい。しかし、本人はそう思っていない。あるとき、ぼくとふたりで電車に乗った。すると、乗客のひとりがサインをねだってきた。ぼくが小さな声で、やんわり断ると、その人も諦めてくれた。電車を降りて、目的地に近づいたとき、宮さんが怒りだした。
「鈴木さんがそばにいたから、ばれたんだ」
ぼくにしても、そういう時は知らんぷりを決め込み、宮さんのことを無視する。このエピソード、じつは単なる笑い話ではない。宮崎駿の本質の一部があるとぼくは思っている。
「紅の豚」の絵コンテを描き始めたとき、ぼくは驚いた。
主人公が豚の顔をして、平然と街を歩くシーンがあるのだが、だれも驚かない。むろん、そんな顔をしているのは彼ひとりだ。感想を求められ、ふと口走ってしまった。ポルコは、なぜ、豚になってしまったのか?
「くだらないよ、そういうのは」
そういう因果関係をグダグダ説明するから、日本映画はつまらないと言うのだ。しかし、宮さんは、ぼくの要望に応えるべく、ジーナのシーンを付け加えてくれた。
「どう、これで分かるよね」
映画を作るとき、宮さんという人は、俯瞰でモノを見ない。
というか、見ちゃいけない。そう思っている人だ。
だから、時として、その言動は奇異に映る。
ぼくにとっては、宮崎駿が作家であることを実感したエピソードのひとつである。
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宫崎骏喜欢坐电车。
因为他是名人,周围的人会担心,但他会这样说:
“只要摆出一副可怕的表情,谁都不会注意到。”
实际上并非如此。是乘客们装作没看见。真是感激不尽。但他本人并不这么认为。有一次,我和他一起坐电车。结果,一个乘客过来要签名。我小声地委婉拒绝,那个人也放弃了。下了电车,快到目的地时,宫先生突然生气了。
“因为铃木先生在旁边,所以被发现了。”
对我来说,这种时候我也会装作没看见,无视宫先生。这个故事,其实不仅仅是个笑话。我认为它反映了宫崎骏本质的一部分。
开始画《红猪》的分镜时,我吃了一惊。
有一个场景是主人公长着猪的脸,若无其事地在街上走,但谁都不觉得奇怪。当然,只有他一个人长着那样的脸。被问到感想时,我脱口而出:波鲁克为什么变成了猪?
“那种东西无聊透了。”
他说,就是因为这样啰里啰嗦地解释因果关系,日本电影才变得无趣。但是,宫先生为了回应我的要求,加上了吉娜的场景。
“怎么样,这下明白了吧?”
拍电影的时候,宫先生这个人不会从俯瞰的角度看事物。
或者说,他认为不能那样看。
所以,有时候他的言行会显得怪异。
对我来说,这是让我真切感受到宫崎骏是一位作家的故事之一。
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