文档:Ghibli Best Stories/乐曲解说

来自宫崎骏与久石让中文百科
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ピアノ、ミニマル、オーケストレーション
宮崎駿監督作における久石譲の音楽について
钢琴、极简、管弦乐编曲
关于宫崎骏导演作品中的久石让音乐
 今から30年前の1984年3月11日に公開された宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』で、久石譲は映画音楽作曲家としての第一歩を踏み出した。それ以前の彼は、テリー・ライリーやスティーヴ・ライヒといったアメリカン・ミニマリズムの作曲家やドイツのクラフトワークに刺激を受けた、彼独自のミニマル・ミュージックの可能性を模索する作曲活動を地道に続けていた。ミニマル・ミュージックとは--『MKWAJU ムクワジュ』(1981)や『INFORMATION』(1982)といった彼の初期のアルバムに聴かれるように--シンプルなリズムパターンを繰り返し、時には拍をずらすことによってパルス(=拍動、脈動)の存在を聴き手に強く意識させる音楽である。アフリカやインドの伝統音楽に見られるような、音楽を最小限(=ミニマル)の構成要素から組み立てていく手法をとるので、フレーズやメロディを中心に発展してきた西洋音楽史全体に挑戦状を叩きつけることに繋がりかねない。そんな過激な姿勢を貫く日本人作曲家は、1980年代初頭の時点で久石以下ごく少数しか存在しなかったし、ましてや、それを劇映画の音楽に応用しようなどと無謀なことを考える作曲家は、世界中見渡してもほとんど存在しなかった。
 距今30年前的1984年3月11日公开的宫崎骏导演作品『风之谷』,让久石让迈开身为电影音乐作曲家的第一步。在那之前他受泰瑞莱利及史提夫来许等美国极简主义作曲家和德国电子音乐团体KRAFTWERK的刺激,他开始进行摸索属于自己的极简音乐的可能性的作曲活动。所谓极简音乐——正如同在久石让初期的专辑『MKWAJU』(1981)和『INFORMATION』(1982)中听见的般——重复简单的节奏循环,时而安排的脱拍导致乐曲中产生脉动,格外引发听者注目的一种音乐形态。如同能在非洲和德国的传统音乐中看见的,采取由音乐的最小限度(=minimal)的构成要素所组成的手法,可以说是向以小节和旋律为中心发展的西洋音乐使全体提出挑战。贯彻这种激进姿态的日本人作曲家,从1980年代初期起,在久石让之后就罕有人在,甚至于将这种音乐应用于电影音配乐上,懐有这种大胆发想的作曲家,即便在全世界都堪称稀有。
 そんな彼の『INFORMATION』が高畑勲監督と鈴木敏夫プロデューサーの目に留まったことで、久石は『風の谷のナウシカ』のイメージアルバムを録音することになり、結果として『風の谷のナウシカ』の本編そのものの音楽も手がけることになった。
 正因他的专辑『INFORMATION』在导演高畑勋和制作人铃木敏夫的心中留下深刻印象,久石让得以录制『风之谷』的形象专辑,最后甚至参与『风之谷』电影本身的音乐制作。
 では、実際に久石は『風の谷のナウシカ』をどのように作り上げたのか?
 那么,实际上久石让是如何制作出『风之谷』配乐的呢?
 まず彼は、ピアノという楽器でメインテーマ--《風の伝説》の曲名で知られている--のメロディを導入する。当時の一般的な観客が予想し、期待したであろうヴォーカルを一切用いることなく、である。しかも、そのメロディの冒頭部分は、当時のポップスのトレンドに真っ向から対抗するように、コード進行をほとんど変えず、ストイックに提示される。そして本編の物語が進むにつれ、久石はシタールのようなインドの民族楽器から後期ロマン派風のオーケストラにいたるまで、死力を尽くしてありったけの音色を投入するのだ。実験的なミニマル・ミュージックと商業用の映画音楽という、ある意味で対極的な二項対立の狭間に立たされた久石は、自己のアイデンティティを殺すことなく、ギリギリのところで壮大な音楽ドラマを書き上げてみせた。そうした彼のストイックな音楽的姿勢が、ナウシカというヒロインの壮絶な生きざまに重なって聴こえたのは、著者ひとりだけではないだろう。そして、その後30年にわたって彼が書き続けることになる宮崎作品の音楽の原型が、『風の谷のナウシカ』の中にすべて含まれていると言っても過言ではないのだ。
 他首先以钢琴来导入主题——以《风的传说》为曲名广为人知的旋律。完全不采用任何当时一般的观众预想和属意的主唱,而那段旋律的开头部分,仿佛正面对抗当时的音乐风潮般,以几乎不改变和声的方式低调的切入。然后随着电影的展开,久石让采用了从西塔琴等的印度民族乐器到后浪漫派风的交响乐,拼了命的将所有的音色全数投入。充满实验性的极简音乐和商业性的电影配乐,就某种意义而言就站在极致对立的两者间的久石让,不但毫不抹煞自己的个人特色,反而极尽挥洒写出了壮大的音乐故事呈现在我们眼前。他的音乐展现出这般克己的态度,与娜乌西卡这个角色壮阔决绝的生活态度不谋而合,会这样么想的应该不只笔者一人吧!而他在之后的30年陆续谱出宫崎骏作品的音乐,说原型都存在于『风之谷』中应该也不为过吧!
 メロディの導入にあたり、演奏家としての久石の力量が遺憾なく発揮されるピアノ(1)。音楽の構成要素を最小限まで切り詰めていくミニマル的な手法(2)。そして、多種多様な楽器やアンサンブルを駆使していくオーケストレーションの多様性(3)。『風の谷のナウシカ』の音楽を特徴づけるこれら3つの要素は、時には単独の形で、時には三位一体の形で、宮崎作品の重要なエッセンスを表現していくことになる。そのエッセンスが何かと問われれば、おそらく次のように要約することが出来るだろう。
 以导入旋律而言,能让演奏家久石让发挥到淋漓尽致的钢琴(1)。将音乐的构成要素以最小的限度装填的极简手法(2)。以及加入各式各样的乐器和合唱的管弦乐编曲的多样性(3)。『风之谷』的音乐能归纳出以下3个要点,有时是单独存在,有时是三者兼备,表现出宫崎骏作品中的精随。若要问所谓的精髓为何,应当可以归纳出下面几点。
 久石自身の演奏楽器である(1)のピアノは、メロディを生み出す母体となることで、物語における叙情的な要素--とりわけ宮崎作品のヒロインたち--を強調する役割を果たす。これに対し(2)のミニマル的な手法は、リズムパターンを剥き出しにする場合に、根源的な生命(力)の存在--『となりのトトロ』の雨中のバス停の場面が有名--を示すことが多い。そして(3)のオーケストレーションの多様性は--フランス印象派を思わせるダイナミックな三管編成を駆使した『崖の上のポニョ』が端的に示しているように--宮崎監督の世界観の確立に貢献する役割を果たす。仮に(1)のピアノを”女性的”な要素、(3)のオーケストレーションを”男性的”な要素、(2)のミニマルを久石自身の”生命”、と読み替えてみるならば、少し飛躍があるかもしれないが、このように結論づけることも出来るだろう。すなわち宮崎作品における久石の音楽は、(1)ピアノという”ヒロイン”の”君をのせて”、(3)オーケストレーション(オーケストラ)という”ヒーロー”が奏でていく、(2)ミニマルという”生命”から生まれたドラマなのだ。
 久石让本身的演奏乐器(1)的钢琴,可以说是孕育旋律之母,故事中抒情的要素——特别是宫崎骏作品中的角色们——格外具有强调的效果。而相对的(2)的极简分别发放,节奏的循环一层层展开时,能让观众感受到生命力的存在——『龙猫』里雨中的公车站场景相当知名——诸如此类的表达相当常见。还有(3)管弦乐编曲的多样性——如同利用譲人联想到法国印象派充满生命力的三管编成的『悬崖上的金鱼公主』清楚展现般——对确立宫崎骏导演的世界观多有贡献。如果说(1)的钢琴是“女性的”要素,(3)的管弦乐编曲当成“男性的”要素,(2)的极简试着代换成久石让本身的“生命”,这样或许有些跳跃性思考,但应该能够做出这样的结论。换言之,宫崎骏作品中的久石让音乐,(1)钢琴这个“演员”“乘着你”,(3)名叫管弦乐编曲(管弦乐)的“英雄”所演奏,(2)由名为极简的“生命”中孕育出的戏剧。
 そのドラマにおいて、特にヒロインが恋に落ちる時、彼女たちがピアノのメロディと共に登場するのは決して偶然ではない。謎の少年・ハクに惹かれる『千と千尋の神隠し』の千尋。魔法使いハウルを愛し続ける『ハウルの動く城』のソフィー。身を削って夫・二郎への愛を貫く『風立ちぬ』の菜穂子。彼女たちの存在感が大きくなるにつれ、メロドラマ的な要素が物語に占める割合も大きくなっていく。ここで想起しておきたいのは、そもそもメロドラマという言葉が古代ギリシャ語の「メロス(歌)」と「ドラマ(劇)」を語源としているという点である。そうした根源的な意味において、久石のピアノのメロディは”ヒロイン”という女性的な要素と結びついていると見るべきだ。つまり、宮崎作品におけるメロドラマとは、文字通り「歌(メロディ)による劇(ドラマ)」なのである。
 在这些戏剧中,特别是演员坠入爱河时,她们都和钢琴声一起登场绝非偶然。受谜样的少年·白龙所吸引『神隠少女』中的千寻、一直深爱着魔法师霍尔『哈尔的移动城堡』中的苏菲、吃尽苦头贯彻对丈夫·二郎的爱『起风了』中的菜穗子。随着她们的存在越来越鲜明,爱情戏的要素在故事中占的比重也会增加。在此希望能先唤醒大家记忆的是,其实爱情戏这个词汇就是源自于古代希腊文「melos(歌)」和「drama(戏剧)」这点。就根本的缘甶来说,应该要将久石让的钢琴旋律和“演员”这个女性要素有所连结。因此,宫崎作品中的爱情戏,就如字面上的「歌(melody)而产生的戏剧(drama)」。
 本盤『ジブリ・ベスト ストーリーズ』には、久石が宮崎作品のために書いた楽曲をソロアルバム用にアレンジし直した演奏が収録されているが、サントラのアレンジに比較的近いものもあれば、アルバムのコンセプトに沿って大胆にアレンジし直されたものもある。ここで是非とも確認しておきたいのは、そもそも久石の映画音楽は--映画公開以前に録音されたイメージアルバムの中で表現されているように--先に触れたようなエッセンスを直接的に表現するところから作曲がスタートしているという点だ。個々の場面に後付けする伴奏とは、発想の出発点が根本的に違う。別の言い方をすれば、映像と音楽は協調関係(対位法的な対立関係を含む)を結ぶことはあっても、主従関係に陥ることはない。つまり、音楽が特定の映像に縛られないので、映画が完成した後も、さらに音楽が発展する余地が残されている。と同時に、それらの楽曲が映画とは異なる文脈でアレンジされることで、サントラを聴くだけでは判らなかった潜在的な意味が浮かび上がってくる。だからこそ、彼が宮崎作品の音楽をリアレンジし、演奏する必然性が生まれてくるのだ。
 『吉卜力经典故事音乐辑』这张専辑中,收录久石让将为了宫崎骏的作品而谱下的乐曲、为专辑重新编曲混音后演奏,有部分编曲较接近原声带,也有些延续专辑的概念大胆重新编曲制录制。在此要特别请大家注意的是,久石让的电影配乐——如同电影上映前就录制的形象专辑中呈现的般——就像将先前也曾提到的从将精髓直接表现出来进而开始作曲的这一点。与事后才为每个场景加上伴奏,在发想上的出发酤有根本的不同。换个说法,即便电影和音乐缔结了协调的关系(包含对位法的对立关系),也不会产生所谓的主从关系。也就是说,因为音乐并不会受限于特定的影像,待电影完成后,音乐依然保有发展的余地。而同时。由于这些乐曲以和电影不同的脉络统整加工,所以能浮现出光听原轚带无法了解的潜在意义。正因为如此,他将宫崎骏作品的音乐重新编曲并演奏的必要性便于焉产生。
 以下の楽曲解説は、そうしたリアレンジの文脈も知っていただきたく、敢えてCDをの収録順とは異なり、出典元となったソロアルバムの録音年代順でお読みいただくことにした。そのほうが、本編とは異なる世界観を表現したオーケストレーションの醍醐味と、アーティストとしての久石が辿った30年の変遷が、明瞭に浮かび上がってくるからである。
 以下的乐曲解说,因为渴望让大家了解重新编曲混音的来龙去脉,刻意不同于CD收录的顺序,而是以原始出处也就是个人专辑的录音年代为顺序排列供大家阅让。此外,展现不同于电影世界观的管弦编曲的醍醐味、以及演奏家身份的久石让这30年来的变化,也能一目了然的呈现在大家眼前。
『Piano Stories』(1988)より
4.The Wind Forest
6.Fantasia (for NAUSICAÄ)
出自『Piano Stories』(1988)
4.The Wind Forest
6.Fantasia (for NAUSICAÄ)
 ミニマル作曲家・久石が、旋律作曲家としての自己を強く意識し始めた時期のアルバム。ミニマル風の前奏の後、日本音階のメロディが続く《The Wind Forest》(風のとおり道)は、その意味で極めて象徴的な楽曲と言えるだろう。一方の《Fantasia (for NAUSICAÄ)》は、先に触れた《風の伝説》を幻想曲としてリアレンジしたもの。久石が著者に語ったところによれば、この時期の彼のピアノのタッチは、高校時代から敬愛するジャズ・ピアニスト、マル・ウォルドロンの影響を強く受けていたという。
 极简音乐作曲家·久石让,开始强烈意识身为旋律作曲家的自己时期的専辑。极简风的前奏后,日本音阶的旋律不停持续的《The Wind Forest》(风之甬道),就这点而言是极富象征性的乐曲。另一方面《Fantasia (for NAUSICAÄ)》如同前面提过的将《风的传说》当作幻想曲重新编曲混音而成。据久石让对笔者吐露的,这个时期他的弹琴风格,受到高中时就很敬敬佩的爵士钢琴家马尔瓦卓的强烈影响。
『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』(1998)より
7.il porco rosso
出自『NOSTALGIA~PIANO STORIES III~』(1998)
7.il porco rosso
 イタリア・モデナで録音された『NOSTALGIA ~PIANO STORIES III~』は、『紅の豚』で描かれたアドリア海の陽光と青空を久石に懐古させる、注目すべき成果をもたらした。イメージアルバムの段階で《マルコとジーナ》というタイトルが付けられていた《il porco rosso》(帰らざる日々)は、後半部分にストリングスを加えることで、原曲以上にノスタルジックなジャズへと生まれ変わり、ホテル・アドリアーノに漂う”大人のロマン”を優雅に演出している。
 在意大利·摩德纳录音的『NOSTALGIA~PIANO stories III~』,『红猪』中描写的亚德里亚海的阳光和蓝天让久石让也不禁怀古起来,展现出引人注目的成果。形象专辑的阶段曾被加上《马可与吉娜》这个名称的《il porco rosso》(逝去的往日),由于在后半部加入了弦乐器,摇身一变化为比原曲更加满溢乡愁的爵士歌曲,优雅演绎出飘荡于吉娜经营的小酒馆中的“大人的浪漫”。
『WORKS II』(1999)より
11.もののけ姫
出自『WORKS II』(1999)
11.幽灵公主
 宮崎作品のサントラ録音で初めて常設の交響楽団(東京シティ・フィル)を起用した『もののけ姫』以後、久石は大編成を用いた演奏に意欲を燃やし始める(その論理的な帰結が、2000年から始める彼の指揮活動だ)。有名なヴォーカル盤では、ケーナや篳篥といった民族楽器を隠し味として使っていたが、この東京シティ・フィルのライヴではそれらを排除し、伝統的なオーケストラサウンドの枠内で『もののけ姫』の世界観を再現している。
 为了录制宫崎骏作品『幽灵公主』的原声带首次起用常设的交响乐团(东京市立爱乐交响乐团)后,久石让便燃起使用大编制演奏的欲望(要佐以实证的话,2000年起他开始以指挥身份进行活动)。著名的演唱版中虽然使用了南美直萧、筚篥等民族乐器来提味,但东京市立交响乐团在演奏上排除了这些,仍以传统的管弦乐编制重现了『幽灵公主』的世界观。
『ENCORE』(2002)より
12.アシタカとサン
出自『ENCORE』(2002)
12.阿西达卡与小桑
 久石初の全曲ピアノソロアルバム『ENCORE』は、マイクの設置場所にミリ単位までこだわった入魂作。”破壊された世界の再生”を描く、『もののけ姫』の重要なラストにおいて、久石はそれまで鳴り続けていたオーケストラを止め、シンプルなピアノだけで希望のメロディを奏でてみせた。その意味では《風の伝説》と対をなす楽曲と言えるかもしれない。
 久石让全曲皆为钢琴独奏的专辑『ENCORE』,是连麦克风的架立位置都以毫米为单位讲究而成的入魂之作。描绘“被破坏的世界之再生”,『幽灵公主』中重要的结尾,久石让歇止了持续鸣唱的管弦乐,只以简单的钢琴声演奏充满希望的旋律。就这点而言可以说是和《风的传说》相反的乐曲。
『Castle in the Sky』(2002)より
3.Confessions in the Moonlight
出自『Castle in the Sky』(2002)
3.Confessions in the Moonlight
 『天空の城ラピュタ』の北米版のために、久石が本編全体のスコアをリアレンジ・追加作曲し、シアトルの教会で録音した演奏から。オリジナル版の電子楽器を排除し、豊かなオーケストラサウンドにこだわって宮崎作品の世界観を再構築していくという点では、先に触れた《もののけ姫》の方法論の発展と見ることも可能だ。冒険活劇といえば長調の明るいメインテーマ、というハリウッド的な常識に真っ向から反旗を翻すように、『天空の城ラピュタ』のメインテーマ《君をのせて》は変ホ短調で書かれている。その表現の奥深さを示した例のひとつが、飛行船の上でシータがパズーに不安を打ち明ける場面の《Confessions in the Moonlight》(月光の雲海)だ。空間の響きを活かした久石のピアノソロが、オリジナル版以上に《君をのせて》の旋律をしっとりと浮かび上がらせている。
 为了『天空之城』北美版,久石让将全体的和弦都重新处理并追加作曲,并于西雅图的教会演奏录音。原始版排除了电子的乐器,用丰富的管弦乐声来建构出宫崎骏作品的世界观,就这点而言,能看到刚才曾提到的《幽灵公主》的方法论的延展。虽说是冒险故事,但与可以说是好莱坞常识的明快大调大相径庭,『天空之城』的主题曲《乘着你》是以降E小调谱写而成。举一个例子来说明这种表现的深奥,就是在飞行船上希达对巴鲁诉说心中的不安的场面中的《Confessions in the Moonlight》(月光下的忏悔)。久石让的钢琴独奏活用了空间的响声,《乘着你》的旋律清楚呈现更胜于原始版。
『空想美術館』(2003)より
5.谷への道
出自『幻想美术馆』(2003)
5.通往山谷之路
 フルオーケストラとチェロ九重奏の演奏を交互に並べた野心作『空想美術館』収録の《谷への道》は、もともと『風の谷のナウシカ』イメージアルバムのために作曲された楽曲。のちにチェロ独奏を前提とした《ナウシカ組曲》の第5楽章に組み込まれた。独奏部分だけでなく、伴奏部分まですべてチェロの音色に統一するという発想は、作曲家ヴィラ=ロボスの《ブラジル風バッハ第5番》チェロ八重奏の先例を彷彿とさせるだけでなく、ミニマル作曲家ライヒのカウンターポイントシリーズ(チェロ9声部で書かれた《チェロ・カウンターポイント》など)にも通じるところがある。なおかつ、ここでのチェロ九重奏の大らかな響きは、『風の谷のナウシカ』の豊かな世界観と何ら矛盾をきたしていないのだ。
 由完整的的管弦乐团和大提琴九重奏演奏交织而成的野心之作『幻想美术馆』中收录的《通往山谷的路》,原本是为了『风之谷』的形象专辑而写下的乐曲。后来加入了以大提琴独奏为前提的《娜乌西卡组曲》第5乐章中。不光是独奏的部分,伴奏部分也全部以大提琴来统一的发想,不仅仅是向作进家卫拉罗伯斯的《巴西风的巴哈第5号》中的大提琴八重奏借镜,有些部分也与极简音乐作曲家莱利的对位旋律系列作品(以大提琴九声部形式写下的《大提琴·对位旋律》等)相通,更重要的是,此处的大提琴九重奏发出的壮大声响与『风之谷』丰富的世界观毫无任何相砥之处。
『Piano Stories Best ’88-’08』(2008)より
10.人生のメリーゴーランド -Piano Solo Ver.-
出自『Piano Stories Best '88-'08(钢琴精选)』(2008)
10.人生的旋转木马-Piano Solo Ver.-
 『ハウルの動く城』は、スコアのほぼすべてをワルツ主題とその変奏だけで押し通す久石の音楽設計が、そのまま宮崎監督の演出意図を表現したユニークな作品。ここに聴かれる演奏では、前半がワルツのテーマ、後半にその変奏を聴くことが出来るが、ヒロインのソフィーも同様に--ハウルへの変わらぬ恋心を抱きながら、18歳から90歳まで年齢が変化し続けるという点で--”主題と変奏”というべきキャラクターなのだ。
 『哈尔的移动城堡』中几乎所有的和弦都以华尔滋主题和其变奏贯穿,久石让这样的音乐设计,原原本本的将宫崎骏导演拍摄的意图展现出来,是相当独特的作品。在这里能听见的演奏,虽然能听出前半是以华尔滋为主、后半是变奏,但演员苏菲也一样——怀抱着对霍尔不曾改变的爱意,从18岁到90岁年龄持续变化这点——同样也带有“主题与变奏”的色彩。
『Another Piano Stories ~The End of the World~』(2009)より
8.Ponyo on the Cliff by the Sea
出自『Another Piano Stories~The End of the World~(深琴款款)』(2009)
8.Ponyo on the Cliff by the Sea
 『崖の上のポニョ』公開後にピアノ、チェロ12本、コントラバス、マリンバ、打楽器、ハープ2本という編成によるツアーと連動して録音されたアルバムから。伝統的な管弦楽法からは絶対に思いつかない発想だが、チェロのピツィカートとマリンバの倍音が生み出すユーモラスな響きは、不思議とポニョのイメージに合う。宮崎作品のエッセンスを的確な音色で表現していく、久石のオーケストレーションの凄さが現れた演奏のひとつ。
 是『悬崖上的金鱼公主』完成后以钢琴、12支大提琴、低音提琴、马林巴木琴、打击乐器、2座竖琴的编制与巡回同时运作录音的专辑。从传统的管弦乐法出发绝对无法衍生出的发想,以拨奏的方式演奏大提琴并制造马林巴琴的泛音,产生出幽默的乐音,绝妙的与波妞的形象契合。将宫崎骏作品的精髓确实以音色展现,演奏展现出久石让在管弦乐编曲上的功力。
9.海のおかあさん(CD初収録)
9.大海的母亲(初CD化)
 『崖の上のポニョ』本編では1コーラスしか聴くことの出来なかったオープニング主題歌を、今回初めて2コーラスのフルヴァージョンで収録したもの。”母なる大地”ならぬ”母なる大海”と読むことができるグラン・マンマーレは”母性”そのものというべき存在である。それを表現するため、久石はクラシックのソプラノ歌手(林正子)を起用した。彼女が歌うベルカントの豊かな声量は、”母性”の象徴であると同時に、広大な海の象徴でもある。
 『悬崖上的金鱼公主』电影中只能听见一个段落的开场主题曲,这次首次收录2个段落的完整版。不光是“大地的母亲”同时也能读作“大海的母亲”的珂蓝曼玛莲,是能够直接称呼为“母性”的存在。为了将之彻底展现,久石让起用了古典女高音歌手(林正子)。她以美声唱法唱出的丰沛音量,除了象征“母性”,也能表现出广阔的大海。
『Melodyphony』(2010)より
1.One Summer’s Day
2.Kiki’s Delivery Service
13.My Neighbour TOTORO
出自『Melodyphony(久石让的世纪音乐响宴)』(2010)
1.One Summer's Day
2.Kiki's Delivery Service
13.My Neighbour TOTORO
 2009年のアルバム『Minima_Rhythm』に続き、久石がロンドン交響楽団を指揮したアルバムから。《One Summer’s Day》(あの夏へ)と《Kiki’s Delivery Service》(海の見える街)は、それまでの日常と異なる世界--『千と千尋の神隠し』の場合は湯屋の町、『魔女の宅急便』の場合は大都会コリコ--に足を踏み入れようとするヒロインが、そこはかとなく感じる期待と不安を表現しているという点で、対をなす2曲と言えるかもしれない。しかも、《Kiki’s Delivery Service》のリアレンジでは久石のピアノソロがメロディをくっきりと演奏しており、《One Summer’s Day》のニュアンスに富んだピアノソロと見事な対照を生み出している。
 继2009年的专辑『Minima_Rhythm(久石让的极简旋律)』后,久石让再度指挥伦敦交响乐团而制成的专辑。《One Summer’s Day》(那年夏天)和《Kik's Delivery Service》(望海小镇)是将踏入与日常截然不同的异世界——『千与千寻』中的汤屋小镇、『魔女宅急便』中的大都会克里克——的演员们所感受到的期待和不安,可以说是形成对立的2首作品。而且《Kik's Delivery Service》的改编版中,久石让的独奏钃琴旋律清楚流泻,与《One Summer's Day》中饶富音色丰富的钢琴独奏形成绝佳的对照。
 そして《My Neighbour TOTORO》(となりのトトロ)は、組曲《オーケストラストーリーズ 「となりのトトロ」》の終曲を演奏したもの。近年はクラシックの古典曲を積極的に指揮している久石にとって、ロンドン響での録音は大きな意味があった。ロンドン響はクラシックの超一流オケである以上に、ライヒやジョン・アダムズといったミニマル作曲家の演奏で比類なき能力を発揮するオケなのだ(つまり、世界で一番ミニマルを理解しているオケ)。《My Neighbour TOTORO》のコーダ部分に聴かれる圧倒的な歓喜の音楽は、ミニマル・ミュージックの作曲家、宮崎作品の作曲家、そしてクラシックの指揮者という久石の3つの側面が統合された、ひとつの到達点なのである。(文中敬称略)
 而《My Neighbour TOTORO》(龙猫)中,是组曲《Orchestra Stories『龙猫』》的终曲时所演奏的版本。对近年来积极指挥古典乐古典曲目的久石让而言,与伦教交响乐团合作的录制具有相当大的意义。伦教交响乐团除了是超高水准的管弦乐团外,更是将莱利与约翰亚当斯等作曲家的作品演绎到出神入化境界的乐圈(也就是世界上最理解极简音乐的管弦乐团)。《My Neighbour TOTORO》的最终章中能听见的无比欢喜的音乐,是统整了极简音乐的作曲家、宫崎骏作品的作曲家、以及古典乐的指挥家这3个久石让的不同风貌后,一个崭新的里程碑。(文中省略敬称)
前島 秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)
前岛秀国(音乐&影像作家)