文档:DREAM SONGS: THE ESSENTIAL JOE HISAISHI/專輯解說

出自宫崎骏与久石让中文百科
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An Introduction to the Music of Joe Hisaishi
久石讓的音樂導讀
 日本映画とその音楽を支えてきた作曲家、と聞いて、日本以外に暮らす映画ファンや音楽ファンのみなさんは誰を連想するだろうか? 黒澤明監督の名作のスコアを作曲した早坂文雄、『ゴジラ』をはじめとるす東宝怪獣映画の音楽を手がけた伊福部昭、あるいは勅使河原宏や大島渚などの監督たちとコラボレーションした武満徹くらいはご存知かもしれない。大変興味深いことに、これらの作曲家たちは映画音楽作曲家として活動しながら、クラシックの現代音楽作曲家としても多くの作品を書き残した。そして久石譲も、基本的には彼らと同じ伝統に属する作曲家、つまり映画音楽と現代音楽のふたつのフィールドで活躍する作曲家である。
 作為一名日本以外的電影和音樂愛好者,當你想到「誰是最能代表日本電影和音樂的作曲家」,你會想到誰?你可能會想到早坂文雄(Fumio Hayasaka),他曾為黑澤明(Akira Kurosawa)的經典作品創作過許多電影配樂,伊福部昭(Akira Ifukube),他曾為東寶(Toho)怪獸電影創作許多配樂,例如《哥吉拉》(Godzilla);或者是武滿徹(Toru Takemitsu),他跟許多名導如敕使河原宏(Hiroshi Teshigahara)、今村昌平(Shohei Imamura)和大島渚(Nagisa Oshima)合作過,有趣的是,在同一時期,這些作曲家除了擔任電影配樂家之外,也創作了許多經典音樂。而久石讓(Joe Hisaishi)在本質上也是隸屬於此一傳統的作曲家,也就是說,一名投注兩個領域的作曲家:電影配樂和現代音樂。
 映画音楽(テレビ、CMなどの商業音楽を含む)作曲家としての久石は、宮崎駿監督や高畑勲監督のスタジオジブリ作品のための音楽、それから北野武監督のための音楽などを通じて、世界的な名声を確立してきた。一方、現代音楽作曲家としての久石は、日本で最初にミニマル・ミュージックを書き始めたパイオニアのひとりであり、現在は欧米のミニマリズム/ポスト・ミニマリズムの作曲家たちとコラボレーションを展開している。幅広い聴衆を前提にしたエンターテインメントのための作曲と、実験的な要素の強いミニマル・ミュージックの作曲は、一見すると互いに相反する活動のようにも思えるが、実のところ、このふたつは彼自身の中で分かちがたく結びついている。そこが久石という作曲家の最大の特徴であり、また美点だと言えるだろう。
 身為一名電影作曲家,包括為電視和廣告創作音樂,藉由「吉卜力工作室」(Studio Ghibli)宮崎駿(Hayao Miyazaki)和高畑勳(Isao Takahata)執導的諸多動畫配樂,以及北野武(Takeshi Kitano)執導的多部真人電影,久石讓已經在全球建立極高的知名度。至於作為一名現代作曲家,久石讓是首批在日本本土創作極簡音樂的先鋒之一,且曾與歐洲和美國的極簡或極簡樂派的音樂家們合作過。為普羅大眾譜寫娛樂性音樂,跟以極簡主義者創作實驗性音樂,兩者看似矛盾,但在久石讓身上卻兼容並蓄,毫不衝突,這反倒是久石讓最大優勢和迷人之處。
 日本列島の中腹部、長野県の中野市に生まれた久石は、4歳からヴァイオリンを学び始める一方、父親の仕事の関係から、多い時で年間300本近い映画を観るという環境に恵まれて育った。そうした幼少期の体験が、現在の彼の活動の土台になっているのは言うまでもないが、久石は当初から映画音楽の作曲家を志していたわけではない。国立音楽大学在学時、彼が関心を寄せ、あるいは強く影響を受けたのは、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの新ウィーン楽派の作曲家たちであり、シュトックハウゼン、クセナキス、ペンデレツキといった前衛作曲家たちであり、あるいは彼がジャズ喫茶で初めて知ったジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、マル・ウォルドロン、そして友人宅で初めて聞いたテリー・ライリー、ラ・モンテ・ヤング、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスのアメリカン・ミニマル・ミュージックの作曲家たちであった。大学卒業後、スタジオ・ミュージシャンとして活動しながら、現代作曲家としてミニマル・ミュージックの新作を書き続けていた久石は、1982年にテクノ・ポップ色の強いアルバム『INFORMATION』をリリースし、ソロ・アーティスト・デビューを飾る。このアルバムをいち早く聴いたのが、当時、宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』の製作に携わっていた高畑勲と鈴木敏夫だった。
 久石讓出生於日本群島中部的長野縣中野市,四歲開始學小提琴,他在一個令人欣羨的環境下長大,因為父親工作的關係,他每年最多可看到三百部電影。當然,童年經歷變成他的日後養分,不過,他起初並沒想當個電影配樂家。當他進入國立音樂大學(Kunitachi College of Music)就讀時,他對「第二維也納樂派」(Second Viennese School, Neue Wiener Schule)的作曲家極具興趣且深受影響,譬如:阿諾德·勛伯格(Arnold Schoenberg)阿爾班·貝爾格(Alban Berg)和安東·韋伯恩(Anton Webern),以及戦後前衛作曲家例如卡爾海因茲·史托克豪森(Karlheinz Stockhausen)、伊阿尼斯·澤納基斯(Iannis Xenakis)和克里斯多福·潘德列茨基(Krzysztof Penderecki)。另一方面,在一家名為「Jazz Kissa」的爵士咖啡店,久石讓首次認識了約翰·柯川士(John Coltrane)、連爾士·戴維斯(Miles Davis)和馬爾·沃爾德魯(Mal Waldron)等人的音樂,他們也對他帶來巨大的影響。 其他對久石讓有影響的還包括「美國極簡樂派」(American Minimal Music)的作曲家,譬如泰利(Terry Riley)、拉蒙特·楊(La Monte Young)、史提夫·雷奇(Steve Reich)以及菲利普·葛拉斯(Phihp Glass,久石讓是在朋友家第一次聽到他的音樂)。國立音樂大學畢業之後,久石讓繼續以當代作曲家的身分創作了多首極簡樂派的新作品,其間充當臨時樂師來維持生計。在1982年,他發行首張具有濃重電子流行節奏樂風的專輯《Information》,成為一名獨奏家。高畑勳(Isao Takahata)和鈴木敏夫(Toshio Suzuki)是最早聽到這張專輯的部分人士,他們當時正在製作宮崎駿的第二部動畫長片《風之谷》。
 映画のプロモーションを盛り上げるため、音楽による予告編というべきアルバム『風の谷のナウシカ イメージアルバム』のリリースを計画していた高畑と鈴木は、『INFORMATION』のユニークな音楽性に注目し、久石をイメージアルバムの作曲担当に起用した。宮崎監督の説明を受けながら『風の谷のナウシカ』の絵コンテ(ストーリーボード)を見た久石は、(まだ完成していなかった)映画本編の映像に対して作曲するのではなく、宮崎監督が映画で描こうとしている”世界観”に対して直接作曲することになった(そこから生まれた曲のひとつが、本盤に収録されている《Fantasia》の原曲《風の伝説》である)。イメージアルバムの仕上がりに満足した宮崎監督、高畑、鈴木の3人は、久石に『風の谷のナウシカ』映画本編の作曲を正式に依頼。かくして、久石は『風の谷のナウシカ』で本格的な長編映画音楽作曲家デビューを果たすことになった。
 當時高畑勳和鈴木敏夫正計畫一張名為《風之谷:IMAGE ALBUM》的新專輯,打算當作宣傳這部動畫的音樂預告作品。他們注意到久石讓的《Information》,決定邀請他為這張專輯操刀。當久石讓看到動畫腳本,加上宮崎駿的親自解說之後,他決定不等到動畫完成,直接先採用宮崎駿準備在動畫中體現的世界觀來創作。(其中一首名為《The Legend of Wind》的作品是《風之谷》的原初版本,也被收錄在專輯中)。久石讓為這張新專輯創作的曲目遠超乎宮崎駿、高畑勳和鈴木敏夫的預期,他們正式邀請他為整部動畫的配樂操刀,而《風之谷》也成為久石讓的首部動畫長片配樂作品。
 この『風の谷のナウシカ』の経験を通じて、久石は「監督の作りたい世界を根底に置いて、そこからイメージを組み立てていく」という映画音楽作曲の方法論、すなわち監督の”世界観”に対して音楽を付けていくという方法論を初めて確立した。つまり、単に映画の物語の内容を強調したり補完したりする伴奏音楽を書くのではなく、あるコンセプトに基づいた音楽──例えば絵画や文学を題材にした音楽──を作曲するのと基本的には同じ姿勢で、映画音楽を作曲するのである(もちろん映画音楽だから、映像のシーンの長さに合わせた細かい作曲や微調整は必要であるけれど)。そうした彼の方法論、言い換えれば音楽による”世界観”の表現が最もわかりやすい形で現れたものが、日本では”久石メロディ”と呼ばれ親しまれている、数々の有名テーマのメロディにほかならない。久石がメロディメーカーとして天賦の才に恵まれているのは事実だが、それだけでなく、映画やテレビやCMなどの作品の核となる”世界観”をどのように音楽で伝えるべきか、彼がギリギリのところまで悩み苦しんだ末に生まれてきたものが、いわゆる”久石メロディ”なのだということにも留意しておく必要があるだろう。
 透過創作《風之谷》的經驗,久石讓首次以「基於導演試圖創造的世界之影像」來建立創作配樂方法,那是一種將音樂注入導演的世界觀,換句話說,它並非只是單純強化的音樂伴奏,或者是一部電影(不論是動畫或真人電影)腳本的輔助元素,在本質上,當他以某種概念創作音樂時,譬如,受畫作或文學作品啟發,他還是以同樣方法創作配樂。(因為它是電影配樂,它仍然必須為電影最終版本進行妥善修飾)。在諸多著名主題音樂流派中,他的方法論或世界觀的音樂展現,已成為最獲共鳴的一種樂風,如今在日本以「久石讓旋律」(Hisaishi Melody)廣受歡迎。久石讓擁有創造樂風的非凡天賦,這是難以否認的。不過我們必須知道,所謂的「久石讓旋律」是在他透過世界觀,也就是電影、電視和廣告的要素,努力試圖找到一種方法來傳達音樂之後,方得以崛起。
 『風の谷のナウシカ』以降、久石は現在までに80本以上の長編映画音楽のスコアをはじめ、テレビやCMなど膨大な数の商業音楽を作曲しているが、その中でも、彼自身が得意とするミニマル・ミュージックの音楽言語を商業音楽の作曲に応用し、大きな成功を収めた例として有名なのが、『あの夏、いちばん静かな海。』に始まる一連の北野武監督作品の音楽である。セリフを極力排除し、いわゆる”キタノブルー”で映像の色調を統一した北野監督のミニマリスティックな演出と、シンセサイザーとシーケンサー、あるいはピアノと弦だけといった限られた楽器編成でシンプルなフレーズを繰り返していく久石のミニマル・ミュージックは、それまでの映画表現には見られなかった映像と音楽の奇跡的なマリアージュを実現させた。
 從《風之谷》之後,久石讓創作了大量的商業性音樂作品,包括電視節目、廣告以及超過八十部影片。他成功採用極簡音樂元素將之轉化成商業音樂的最知名範例,就屬為導演北野武創作的多部電影配樂,包括這張專輯收錄的《那年夏天,寧靜的海》(A Scene at the Sea)。北野武極簡主義化的執導風格,盡可能消除演員對話,且以所謂的「北野海」(Kitano Blue)統一影片色調,久石讓的極簡樂風,慣常採用合成器、音序器、鋼琴或弦樂器等有限樂器組合,不斷地重複簡單音樂片段,呈現出未曾在電影中看過,視覺影像與音樂的神奇契合效果。
 ”久石メロディ”が映画の”世界観”を凝縮して表現する場合でも、あるいは彼自身のミニマル・ミュージックの語法が映画音楽の作曲に応用される場合でも、久石は一貫して「映像と音楽は対等であるべき」というスタンスで作曲に臨んでいる。そうした彼の作曲姿勢、言い換えれば彼の映画音楽作曲の美学は、彼が敬愛するスタンリー・キューブリック監督の全作品──とりわけキューブリックが自ら既製曲を選曲してサウンドトラックに使用した『2001年宇宙の旅』以降の作品──から学んだものが大きく影響していると、久石は筆者に語っている。映像と音楽が同じものを表現しても意味がない、映像と音楽が対等に渡り合い、時には互いに補いながら、ひとつの物語なり”世界観”なりを表現したものがキューブリックの映画であり、ひいては久石にとっての映画音楽の理想なのである。同時に、「映像と音楽は対等であるべき」とは、作曲家が映画監督とは異なる視点で物語を知覚し、それを表現していくということでもある。そうした作曲上の美学を、久石はミニマル・ミュージックの作曲、特にオランダの抽象画家マウリッツ・エッシャーをモチーフにした作品の作曲を通じて自然と体得していったのではないか、というのが筆者の考えである。若い頃からエッシャーのだまし絵(錯視画)に強い関心を寄せてきた久石は、エッシャーのだまし絵が生み出す視覚的な錯覚と、ミニマル・ミュージックのズレが生み出す聴覚上の錯覚との類似性に注目し、それを実際のミニマル・ミュージックの作曲に生かしていった(例えば1985年作曲の《DA・MA・SHI・絵》や2014年作曲の弦楽四重奏曲第1番など)。そうした音楽を書き続けてきた久石が、映画音楽の作曲において、映像作家が視覚だけでは認識しきれない物語の”世界観”を、作曲家という別の視点で認識し、それ(=世界観)を表現するようになったとしても、べつだん不思議なことではない。つまり久石の映画音楽は──エッシャーのだまし絵がそうであるように──物語から音楽というイリュージョン(錯覚)を作り出し、それによって物語の”世界観”を豊かにしているのである。そこに、長年ミニマル・ミュージックの作曲を手がけてきた久石が、映画音楽の作曲において発揮する最大の強みが存在すると、筆者は考える。だからこそ彼の映画音楽は──本盤の収録曲に聴かれるように──映画から切り離された形で演奏されても、きわめて雄弁に語りかけてくるのだ。
 不論是「久石讓旋律」以簡練形式展現一部影片的世界觀,或當他自身的極簡音樂風格被應用於電影音樂的成分結構,久石讓在創作電影配樂時採取「視覺影像與音樂應當平等」的態度,據說,他創作音樂的態度,也就是他的電影配樂美學,深受他熱愛的導演史丹利·庫柏力克(Stanley Kubrick)的所有影片影響。尤其是《2001:太空漫遊》(2001: A Space Odyssey)之後的電影,在這部電影,庫柏力克挑選一些經典音樂當作電影配樂。視覺影像和音樂如果表達同樣的意象,那是毫無意義的,譬如《米老鼠音樂》(Mickey Mousing)的視覺影像和音樂應該作為相等刺激,然後有時相互輔助表達一個故事或世界觀。這正是庫伯力克的電影和久石讓的電影音樂理念。同時,他的「視覺影像和音樂應該平等」哲學意味,作曲家比導演更能從不同觀點或角度來感知和表現故事。我相信,久石讓以極簡主義者從事實驗性音樂創作,可自然獲取電影配樂美學養分,尤其是受荷蘭抽象派畫家莫里茨·艾雪(Maurits Escher)所啟發的作品。久石讓從年輕時就對愛雪的視錯覺(optical illusion)畫風深感興趣,也將之真實應用於他的極簡音樂創作元素。譬如《DA-MA-SHI-E》創作於1985年,而《String Quartet No.1》創作於2014年。久石讓從事音樂工作已經有很長一段時間,作為一名作曲家,如果他終於明白,想要傳達一個故事的世界觀,導演不可能光靠視覺感官就表現出來,這將不會令人驚訝。從另個角度來說,久石讓的電影音樂,如同艾雪的錯覺,就是從故事裡創造出音樂錯覺,豐富了電影的世界觀。這正是創作極簡音樂多年的久石讓,在創作電影配樂時的最大優勢,而這也是為何他的電影音樂,包括收錄在這張專輯的作品是如此的動人,就算這些作品是從電影中獨立出來的。
 本盤『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』には、映画やテレビのために書かれた音楽を独立した作品として書き直したり再構成し直したりしたバージョンが数多く収められている。最初に触れたように、久石は映画やテレビの単なる伴奏音楽を書くのではなく、その”世界観”に対して音楽を付けるというスタンスで作曲に臨んでいる作曲家である。その”世界観”の表現は、必ずしもオリジナル・サウンドトラックの録音とリリースで完結するわけではなく、まだまだ発展の余地が残されていることが多い。その発展を彼のソロ・アルバムの中で実現したものが、すなわち本盤に収録された有名テーマの演奏に他ならない。その演奏において、久石自身のピアノ・ソロが大きな比重を占めているのは言うまでもないが、ここでひとつだけ指摘しておきたいのは、彼がピアノのテーマを作曲する時は日本人の掌の大きさを考慮し、4度の音程を意識的に多用しながら作曲しているという点だ。もし、海外のリスナーが久石の音楽を日本的、アジア的、東洋的だと感じるならば、それは彼が音楽を付けた日本映画や日本文化の中で描かれている、日本特有の”世界観”そ表現しているだけでなく、日本人(を含むアジア人)にとって肉体的に無理のない形で音楽が自然に流れているからだ、というこをここで是非とも強調しておきたい。
 這張專輯《夢幻精粹久石讓》包括非常多首經過重寫及重製的音樂,很多來自電影配樂以及為了電視節目而寫出的獨立作品,也就是音樂會樂曲。如我一開始所說,久石讓是一位作曲家,他創作音樂的態度總是將音樂加入一個世界觀,而不是單純為電影或電視節目寫的配樂。所以呈現出世界觀的這些音樂未必會因錄音跟發行原聲帶而完整,事實上它往往還有許多空間可以進一步發展。這些發展我們可以從他很多的個人專輯裡發現,而這次也有從中挑出許多知名樂曲收錄於本次專輯中。無庸置疑的,久石讓自己的鋼琴獨奏在他表演中佔了主要角色,但我想要指出一點:當他在創作鋼琴主題曲的音樂時,他會考慮日本人的手掌大小,他們的手掌相較之下會比西方人來的小,所以常常會故意使用四度音程。若是日本之外的聽眾覺得久石讓的音樂很日本、亞洲、東方風格,那我想在這邊強調一下,久石讓雖然用他的音樂搭配在日本電影或文化中,但其所描繪的世界觀並不單純只限於日本。而他的音樂本身以一種完全合情合理的方式自然流竄於亞洲人之中,包括日本人在內。
 そして、急いで付け加えておきたいのは、CD2枚組という収録時間の関係上、本盤『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』に収まりきらなかった久石の重要作、人気作がまだまだ山のように存在しているという事実である。特に、近年彼が手がけた映画音楽──今年2019年に日本公開された『海獣の子供』や『二ノ国』など──は、ミニマル・ミュージックの作曲家・久石の特徴と、映画音楽作曲家・久石の実力が何ら矛盾なく共存する形で作曲されており、これまでにない彼の新たな魅力が生まれ始めている。さらに、ミニマリストとしての久石の活動も、フィリップ・グラスやデヴィッド・ラングといった作曲家との共演やコラボレーション、あるいはマックス・リヒター、ブライス・デスナー、ニコ・ミューリー、ガブリエル・プロコフィエフといった作曲家の作品を彼が日本で演奏・紹介する活動を通じて、新たな側面を見せ始めている。本盤『Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi』は、そうした音楽家・久石譲の全貌からなる壮大な物語”ヒサイシ・ストーリーズ”のほんの序曲に過ぎない。これまで久石がリリースしてきたアルバムに倣い、仮に本盤のアルバム・タイトルを「HISAISHI STORIES 1」と呼び直してみるならば、いち早く「HISAISHI STORIES 2」を聴いてみたいと思うのは、筆者だけではないはずである。
 最後我想快速補充一下,由於兩張實體光碟能播放的時間有限,其實還是有多首重要且有名的歌曲無法被收錄於《夢幻精粹久石讓》中。尤其他近期的電影作品,包括2019年於日本發行的《海獸之子》和《第二國度》,在創作這些配樂時久石讓展現出了他極簡樂派的特徵和身為電影作曲家的能力,兩者雖然共存卻完全沒有任何矛盾,而且他也慢慢浮現出了新的魅力之處。另外,久石讓從事極簡音樂的活動已開啟了新的篇章,包括透過與作曲家Philip Glass跟David Richter、Bryce Dessner、Nico Muhly及Gabriel Prokofiev等人的作品。《夢幻精粹久石讓》單純只是一個序曲,抑或是包含了音樂家久石讓所有細節的經典故事—「久石故事」的一個開端,如果我可以將本專輯重新命名為《久石讓故事1》,根據他到目前為止所發行的專輯,我想我絕對不是唯一一位已等不及想聽《久石讓故事2》的人 。
撰文者/前島秀國(Hidekuni MAEJIMA)