文档:久石讓官網日誌/2001年11月

出自宫崎骏与久石让中文百科
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 10月 2001年11月 12月
2001/11:NOV
2001年11月
2001/11/30/Fri.
広島の公演から午前中に東京に戻ってくる。そのままその足でスタジオに行き某CM曲のスケッチを3パターン書く。その後マッサージを受けた後、CM曲の作業の仕上げをする。明日は早いので夕刻帰宅する。久石氏、もう11月も終わりかと原宿当たりを通過中思わずつぶやく。
2001年11月30日,星期五
上午從廣島的演出回到東京。直接前往錄音室,為某廣告曲寫了三個版本的草稿。之後接受了按摩,然後完成了廣告曲的收尾工作。因為明天要早起,傍晚就回家了。在路過原宿時,久石先生不禁喃喃自語:「已經11月底了啊。」
2001/11/29/Thu.
コンサート終了時に2階席までスタンディングオベーションで迎えてくれた事が物語るようにコンサートはかなり良いパフォーマンスであったようです。久石氏も前半部終わった所で演奏が良くて指揮者の金さんと思わず握手したよと熱っぽく言ってましたし、後半もかなり良かったんだよ!とも言ってました。
2001年11月29日,星期四。
音樂會結束時,二樓觀眾席的觀眾也起立鼓掌,這表明音樂會的表演非常出色。久石先生在演出前半部分結束後,激動地表示演奏非常棒,甚至情不自禁地與指揮金先生握手。他還說,後半部分的演出也非常精彩!
2001/11/28/Wed.
広島に移動してオーケストラとのリハーサルに臨む。若干風邪が残っているようである。オーケストラとのリハーサル後、少しピアノの練習をし、夕食。ホテルには早めに戻り休む。
2001年11月28日,星期三
前往廣島,與管弦樂團進行排練。似乎還有些感冒。與管弦樂團排練後,稍作鋼琴練習,然後吃晚餐。早早回到酒店休息。
2001/11/27/Tue.
本日は自宅にて1日中、コンサートのためのピアノ練習と某CMのための作曲をなさっていた。
2001年11月27日,星期二。
今天一整天都在家裏,進行了為音樂會準備的鋼琴練習和為某個廣告作曲的工作。
2001/11/26/Mon.
午後から某CM音楽の作曲のため、プリプロルームにこもる。風邪気味で体調が思わしくないのであるが、跳ね返すように作業をなさっていた。その後夕刻から自宅に戻りコンサートのためのピアノ練習をする。
2001年11月26日,星期一
下午開始,為了某廣告音樂的作曲,我把自己關在預錄室里。雖然有點感冒,身體狀態不太好,但我還是努力地完成了工作。之後,傍晚回到家,開始為音樂會練習鋼琴。
2001/11/25/Sun.
本日は来年春に発売予定のピアノアルバム「ENCORE」のジャケットおよびアーティスト写真の撮影を六本木のスタジオで行う。その後事務所にて佐賀での公演で指揮をして頂く曽我大介氏と念入りな打ち合せを行う。
2001年11月25日,星期日
今天在六本木的攝影棚進行了預定於明年春天發售的鋼琴專輯《ENCORE》的封面和藝術家照片的拍攝。之後在事務所與將在佐賀公演中擔任指揮的曾我大介先生進行了詳細的討論。
2001/11/23/Fri.
明け方まで盛り上がった打ち上げで極度の睡眠不足の久石さんであったが、八尾公演の成功で笑顔が絶えない。大阪名物の「豚まん」を片手に帰京。ツアーの疲れを癒す。
2001年11月23日,星期五
儘管在慶祝活動上一直狂歡到天亮,久石先生極度睡眠不足,但由於八尾演出的成功,他的笑容從未間斷。他一手拿着大阪名產「豬肉包子」返回東京,以緩解巡演的疲憊。
2001/11/22/Thu.
大阪は八尾での公演。先日の屋外収録で体を冷やしたせいか、鼻をぐずつかせている久石さん。昨晩は一睡も出来なかったとのことで、新幹線での移動中に仮眠をとる。前回共演した関西フィルとのゲネプロは指揮者が代わったこともあってか、細かいニュアンスの食い違いなどが出て時間が足りないほど。最後は1曲通すのが精一杯という状況になってしまうが、サウンドの仕上がり具合は今までで最高。「ゲネプロ2時間で本番でしょ?結構厳しいかなって思っていたけど、ボクと指揮者、オケの息はバッチリだよ!」と笑顔の久石さんであったが・・・本番途中から小指に激痛が走り、痛みをこらえての演奏となった。終演後、鳴り止まない拍手に応えてステージに出るものの、スペシャルアンコールは行えず。「こんなにお客さんが喜んでいるから・・・でも今日は厳しいよ」と久石さんも残念そうであった。
2001年11月22日,星期四。
在大阪八尾的演出。或許是因為前幾天在戶外錄製時身體受涼,久石先生一直流着鼻涕。昨晚他一夜未眠,在新幹線上的移動途中小憩了一會兒。由於指揮換了人,與上次合作過的關西愛樂樂團進行綵排時,出現了細微的差異,時間顯得不夠用。最後只能勉強完整演奏一首曲子,但音效的完成度卻是迄今為止最高的。久石先生笑着說:「綵排兩小時就要正式演出了吧?我覺得挺緊張的,但我和指揮、樂團的配合非常默契!」然而……在演出中途,他的小指突然劇痛,只能忍着疼痛繼續演奏。演出結束後,他回應着觀眾不停的掌聲走上舞台,但無法進行特別加演。久石先生遺憾地說:「觀眾們這麼高興……但今天真的沒辦法了。」
2001/11/21/Wed.
日中ピアノの練習に励んだ後、夕方よりTV番組の収録のため横浜へ。クリスマスイルミネーションが輝く中での屋外撮影ということで厚着をしていったのだが、ジ~ッと座っていると足元から底冷えしてくる。明日は大阪の追加公演なので風邪をひいては一大事と、映画監督業で習得した防寒対応を施したのだが・・・やはり寒かった!撮影の都合でストーブなどもたけず夜風にさらされた1時間であったが、共演した内田裕也氏とのトークもはずみ、内容のほうはバッチリである。
2001年11月21日,星期三。
白天努力練習鋼琴後,傍晚前往橫濱參加電視節目的錄製。由於是在聖誕燈飾閃耀的戶外拍攝,我穿得很厚實,但長時間坐着,腳底還是感到寒冷。明天是大阪的追加演出,如果感冒就麻煩了,於是我用在電影導演工作中學到的防寒措施來應對……但還是很冷!由於拍攝的需要,無法使用取暖設備,我們在夜風中度過了一個小時。不過,與共演的內田裕也先生的對話非常愉快,內容也非常精彩。
2001/11/20/Tue.
本日久石氏は自宅にてコンサートのためのピアノのレッスンを1日中しておりました。
2001年11月20日,星期二。
今天,久石先生一整天都在家中為音樂會進行鋼琴練習。
2001/11/19/Mon.
本番明けの今日はオフィスワークに徹する久石さん。「ツアーやっている間はオフィスにほとんど顔を出せないからね、今日のうちにいろいろ片付けておかないと」と、昨日録音した音源を聴いて今後の対策を練ったり、スタッフと細々とした打ち合せをしたりと慌しい1日を過ごす。
2001年11月19日,星期一。
演出結束後的今天,久石先生專心投入到辦公室工作中。「在巡演期間幾乎沒時間到辦公室來,所以今天必須把各種事情處理完。」他一邊聽着昨天錄製的音源,一邊制定未來的對策,還與工作人員進行了細緻的討論,度過了忙碌的一天。
2001/11/18/Sun.
先日のリハーサルに比べるとやや落ち着いた感じの演奏で始まった相模大野での本番。久石さんも指揮者もオケのメンバーもどうもしっくりきていない様子だったのだが・・・前半終了後の休憩時間に情報を集めると、どうやらステージの上ではお互いの音が聴きとれない状態らしい。ゲネプロではそれほど気にしなかったものの、本日は満員のお客さんが入ったことにより音がかなり吸収されてしまっているようだ。「あれだけリハーサルでは素晴らしい演奏をしていたから、いつも通りにやれば大丈夫!」と久石さんの一声で、後半はいつも通りの力強い演奏となる。終わりになればなるほどキツくなるピアノ、久石さんの指も限界まできていたが・・・イクところまでイッちゃいました。「前半はチョッと固かったけど、後半はド~ンっといけたんじゃないかな?」と沢山の花束に囲まれながら笑顔のコメント。今日はマッサージをしてイッちゃった体をほぐすとのこと。
2001年11月18日,星期日。
與之前的排練相比,相模大野的正式演出開始時顯得稍微平靜一些。久石先生、指揮家和樂團的成員們似乎都沒有完全進入狀態……然而,在前半場結束後的休息時間裏,我們收集了一些信息,發現舞台上似乎彼此聽不到對方的聲音。雖然在綵排時並沒有太在意,但今天因為觀眾滿座,聲音似乎被大量吸收了。「在排練時我們演奏得那麼出色,只要像平常一樣做就沒問題!」久石先生的一句話讓後半場的演出恢復了往常的力量。隨着演出的進行,鋼琴的演奏變得越來越激烈,久石先生的手指也幾乎達到了極限……但最終還是堅持到了最後。「前半場有點僵硬,但後半場應該算是大成功了吧?」在被眾多花束包圍的同時,他笑着評論道。據說今天他會去按摩,放鬆一下疲憊的身體。
2001/11/17/Sat.
リハーサル2日目。昨日よりもオーケストラ自体が鳴り始め、その音に負けじと力強いタッチでピアノを弾く久石さん。すでに3回の公演を終えているにもかかわらず、パート譜に音の間違いが発見されるといったハプニングがありスタッフ一同背筋がヒャッとする一幕もあったが、プログラム全体の仕上がりはかなりのレベルまで達している。「すごくイイ感じにまとまってきているよね。明日のゲネプロで微調整すれば・・・」と笑顔の久石さんであった。
2001年11月17日,星期六。
排練的第二天。與昨天相比,樂團本身已經開始奏響,久石先生不甘示弱,以強有力的觸鍵彈奏鋼琴。儘管已經完成了三場公演,但仍有部分樂譜被發現存在音的錯誤,這一幕讓全體工作人員都緊張不已。然而,整個節目的完成度已經達到了相當高的水平。「感覺非常不錯,明天的總排練再做些微調就可以了……」久石先生笑着說道。
2001/11/16/Fri.
週末の公演のため新日本フィルとリハーサルを行う。ここ最近レコーディングで何度もセッションを重ねているため、オケと久石さんとの相性はバッチリ。1回目のリハーサルは譜読みがメインになるのだが、アレンジこそ変わっているものの過去に演奏した曲なのでオーケストラも雰囲気を掴んでおり、予想以上の出来映え。明日のリハーサルではより細かいニュアンスを創り上げていくこととなる。
2001年11月16日,星期五。
為了周末的公演,與新日本愛樂樂團進行了排練。最近因為錄音多次合作,樂團與久石先生的配合非常默契。第一次排練主要以讀譜為主,雖然編曲有所變化,但由於是過去演奏過的曲子,樂團已經掌握了氛圍,表現超出了預期。明天的排練將更加注重細節的打磨。
2001/11/15/Thu.
弦のレコーディングと特別番組の収録が行われる。ワンダーのスタジオには5台のキャメラが入りレールなども引かれて、まるでTV局のスタジオのような慌ただしさ。ピアノ演奏を収録した後は女子アナのインタビューに答え、ようやくTV収録の仕事が終了。TDも順調に進み、ツアーの合間に一仕事を見事に終わらせる。その後、オフィス近くの居酒屋にスタッフ全員でなだれ込む。ちなみに今回の特別番組、国民的な記念すべき日にOA予定とのこと。
2001年11月15日,星期四。
今天進行了弦樂錄音和特別節目的錄製。Wonder工作室里進來了五台攝像機,還鋪設了軌道,簡直像電視台的攝影棚一樣忙碌。錄製完鋼琴演奏後,又接受了女主持人的採訪,終於完成了電視錄製的工作。TD也進展順利,在巡演間隙出色地完成了一項任務。之後,全體員工一起湧進了辦公室附近的居酒屋。順便一提,這次的特別節目預計將在國民性的紀念日播出。
2001/11/14/Wed.
明け方まで仕事をしていたにもかかわらず「家に帰ったらDVD見ちゃったよ」と、やや寝不足気味の久石さん。出前の昼食を慌しく済ませると、そのままスタジオに入ってピアノを弾きはじめる。穏やかな雰囲気の曲だけに、細かいニュアンスやテンポの動きには最細心の注意を払ってのレコーディング。時間にすれば4分ほどの曲だが、レコーディングには5時間以上の時間が費やされる。夕食後は「明日は弦のレコーディングだろ?明後日からのリハーサルまで、考えたらろくすっぽ練習出来ないんだよな」と、スタジオのピアノを使ってツアー練習に励む。
2001年11月14日,星期三
儘管工作到凌晨,久石先生還是說「回家後看了DVD」,顯得有些睡眠不足。匆匆吃完外賣的午餐後,他直接進入錄音室開始彈鋼琴。由於這是一首氛圍平和的曲子,他在細微的節奏變化和情感表達上格外用心。雖然這首曲子只有大約4分鐘,但錄音卻花了5個多小時。晚餐後,他說:「明天是弦樂的錄音吧?從後天開始的排練之前,想想看,根本沒時間好好練習。」於是,他利用錄音室的鋼琴,為即將到來的巡演進行練習。
2001/11/13/Tue.
特別番組のプリプロ。昨日の段階でほぼ完成していたピアノメロディをさらに創り込み、弦のサウンドを加える。15人編成という少ない弦合奏のため、しっとりした雰囲気を出すための音の配置に苦労する。「これでいいかな」と時計を見るとすでに夜中の2時近く。苦行のような1日がまた過ぎていった。
2001年11月13日,星期二。
特別節目的前期製作。昨天已經基本完成的鋼琴旋律今天進一步打磨,並加入了弦樂的聲音。由於只有15人的小型弦樂合奏,為了營造出深沉的氣氛,在音色的安排上費了不少功夫。看着時鐘,心想「這樣應該可以了吧」,發現已經快到凌晨兩點了。又一天像苦行般過去了。
2001/11/12/Mon.
ツアー合間の1週間だが、スケジュールはビッシリ。今日は近々予定されている特別番組の音楽制作。久しぶりのスタジオ作業だったが、合間に打ち合わせなどが入りなかなか集中出来ず。「こんなのでどうかな?」と大枠のメロディを完成させるが、本人もいまいち納得がいかない様子。夜は「情熱大陸」のスタッフが御挨拶に来て下さり、そのまま楽しい宴に突入した。
2001年11月12日(星期一)
雖然這是巡演間隙的一周,但日程依然排得滿滿當當。今天是為即將播出的特別節目製作音樂。久違地回到錄音室工作,但由於中間穿插了各種會議,很難集中精力。「這樣行不行呢?」雖然完成了大致的旋律,但本人似乎並不太滿意。晚上,《情熱大陸》的工作人員前來拜訪,隨後便直接進入了一場愉快的宴會。
2001/11/09/Fri.
帰国。大阪リハから数えると1週間にも及ぶ移動と本番で、さすがの久石さんも疲労が激しい。「今回の公演、本場のうま~いキムチがあったから乗りきれたようなものだよ」と冗談を言いながらも、顔のやつれは隠せない。こういう時に限って飛行機は遅れ、空港から都内までの道は大渋滞。「最後の最後までハードやな~」と、もう笑うしかない。自宅到着後は荷をほどくよりも先に公演を録音したテープを聴いて、演奏内容をチェックする。
2001年11月9日,星期五
回國。從大阪的排練開始算起,已經持續了一周的移動和演出,即使是久石先生也感到非常疲憊。「這次的演出,多虧了當地美味的泡菜才能撐過來。」雖然開着玩笑,但臉上的憔悴卻無法掩飾。偏偏在這種時候,飛機又延誤了,從機場到市區的道路也嚴重擁堵。「真是到最後都這麼艱難啊~」只能苦笑了。到家後,還沒來得及整理行李,就先聽了演出的錄音帶,檢查演奏的內容。
2001/11/08/Thu.
韓国公演当日。数多くの問題に悩まされながらもゲネプロに臨んだ久石さん、「俺のピアノで引っ張っていくつもりでやってみるよ」とオケに対して積極的なアプローチを行う。前日よりもサウンドがまとまり始め「これなら本番もいけるよ。いや、いくしかないでしょ」と全プログラムの演奏が決定。落ち着く暇もなく着替えをして本番に臨む。「久石譲って韓国ではどのくらい知られているのかな」という不安を抱えていたものの、ステージに立てばほぼ満員のお客さん。1曲終わるごとの拍手と歓声には久石さんも驚きを隠せず、思わず照れ笑いがこぼれる。本番に滅法強いと言われているコリアンシンフォニーも分厚いサウンドを聴かせてくれ、最後にはなんとスタンティングオーベイション!この日のために久石さんがアレンジした「アリラン」が終わるころには、会場が揺れ動くほどの喝采が送られ、現地のプロモーターも「今までにこんな演奏会はありませんでしたよ!!」とコメント。初の韓国公演が大成功で幕を閉じる。
2001年11月8日,星期四。  
韓國公演當天。儘管面臨諸多問題,久石讓依然堅持參加了綵排,並對樂團表示:「我會用我的鋼琴來引領大家,試試看吧。」他採取了積極的應對方式。與前一日相比,聲音逐漸融合,久石讓信心滿滿地說道:「這樣的話,正式演出也沒問題。不,必須成功!」最終,所有曲目的演奏方案確定。幾乎沒有時間休息,他迅速換裝,正式登台演出。儘管他心中有些不安,想着「久石讓在韓國的知名度到底如何?」,但當他站上舞台時,觀眾席幾乎座無虛席。每曲結束後,觀眾的熱烈掌聲和歡呼聲讓久石讓難掩驚訝,甚至不自覺地露出了靦腆的笑容。以在正式演出中表現出色而聞名的韓國交響樂團也展現了渾厚的音色,演出結束時,觀眾甚至起立鼓掌!當久石讓為此次演出特別改編的《阿里郎》結束時,會場響起了震耳欲聾的喝彩聲,當地的演出策劃人也激動地表示:「從未見過如此精彩的音樂會!!」首次韓國公演以巨大的成功圓滿落幕。
2001/11/07/Wed.
韓国公演リハ2日目。万全の準備を整えていたはずだったが、コリアンシンフォニーとなかなか息が合わない。音楽に国境はないというが、やはり言葉・文化の壁だけでなくお国事情というものを意識してしまう。時間に制限があり全プログラムをこなすのが精一杯で、細かい音楽的なニュアンスを伝えるまでに至らず。肉体的にも精神的にも疲労困憊の久石さん、指揮者とスタッフとで翌日のプログラムを再検討せざるを得ない状況になる。
2001年11月7日,星期三。韓國公演排練的第二天。本以為已經做好了萬全的準備,但與韓國交響樂團的配合卻始終不夠默契。雖然音樂無國界,但語言和文化的差異,以及各國的實際情況,還是讓人不得不有所意識。由於時間有限,勉強完成了所有曲目,卻無法傳達出音樂中細微的韻味。久石讓在身體和精神上都感到極度疲憊,不得不與指揮和工作人員重新商討第二天的演出安排。
2001/11/06/Tue.
本日は午前中に韓国・ソウルに移動後、リハーサルに入る。指揮は金洪才氏。どんなコンサートになるのであろうか。
2001年11月6日,星期二
今天上午前往韓國首爾後,開始進行排練。指揮是金洪才先生。不知道會是一場怎樣的音樂會呢。
2001/11/05/Mon.
大阪シンフォニーホールにて本番。明日からは韓国・ソウルに移動の予定。
2001年11月5日,星期一
在大阪交響音樂廳進行演出。計劃明天前往韓國首爾。
2001/11/04/Sun.
5日の本番の為のリハーサルを午後から行う。
2001年11月4日,星期日。
為了5日的正式演出,下午開始進行綵排。
2001/11/03/Sat.
朝の新幹線で大阪に入る。11月5日のコンサートのためのリハーサルを行うためである。夜はピアノの個人練習の予定が入っている。
2001年11月3日,星期六。
早上乘坐新幹線進入大阪。這是為了11月5日的音樂會進行排練。晚上安排了鋼琴的個人練習。
2001/11/02
本日は午後から打合せ等の日程が詰まっていた。夕刻からコンサートのためのピアノの練習を行う。その後また打合せに西麻布方面に出る。
2001年11月2日
今天下午的日程安排得很滿,主要是會議等事務。傍晚開始為音樂會進行鋼琴練習。之後又前往西麻布地區參加會議。