文档:吉卜力日誌/1996年11月

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 10月 1996年11月 12月
魔法公主 製作日誌 目錄 
 10月 1996年11月 12月
1996年11月
1996年11月
吉卜力日志 ashi6.gif
吉卜力日誌 ashi6.gif
96.11.01(金)
 新人の応募がどっと来る。例年並みの人数までいきそう。ただ美術部門だけなぜか例年の2倍近くの人数に達している。
96年11月1日(星期五)
 新人的申請突然大量湧來。人數似乎達到了往年的水平。不過,美術部門的申請人數不知為何達到了往年的近兩倍。
96.11.02(土) 
 宮崎、近藤、篠原の3氏と来年の研修責任者について話し合う。今回は研修生出身者から起用したい、で意見が一致し、何人かの候補の中から最終的に研修1期生の小西賢一氏に決定する。
96年11月2日(星期六)
 與宮崎、近藤、筱原三位先生討論了明年的研修負責人事宜。此次大家一致認為希望從研修生出身者中選拔,最終從幾位候選人中確定了第一期研修生的小西賢一先生。
96.11.05(火)
 動画部門の書類審査を実施。15名が一次審査合格。
 1昨日鍼に行ってきたにもかかわらず、宮崎監督は絶不調。
96年11月5日(星期二)
 動畫部門的文件審查已實施。15人通過初選。
 儘管前天去做了針灸,宮崎導演的狀態仍然非常不好。
96.11.07(木) 
 篠原さんが手持ちを終わらせる。明日の午後打ち合わせを行うことに。すぐに、作打ちを取材したいと言っていた浦谷さんに連絡するも、既に帰宅したとのこと。
96年11月7日(星期四)
 篠原先生完成了手頭的工作。決定明天下午進行討論。我立刻聯繫了浦谷先生,他之前表示想採訪製作過程,但得知他已經回家了。
96.11.08(金) 
 浦谷さんに連絡が付き、1時頃にカメラマンが到着。作打ちをカメラに納める。篠原さん打ち合わせCUT1,352~1,361、1,364まで11CUT。
 宮崎監督から突然、今や日本を代表するカウンターテナー米○○一氏に「もののけ姫」の歌を歌ってもらいたいと提案がある。早速出たばかりのCD「母の○ 日○歌○集」を購入。(すみません、今はまだ内緒です)
 大のチャンバラファンである鈴木プロデューサーが日本刀(模造刀)を購入。早速社内で振り回していた。
96年11月8日(星期五)
 聯繫上了浦谷先生,攝影師大約在1點到達。將製作過程拍攝下來。與篠原先生討論了CUT1,352到1,361,以及1,364,共11個CUT。
 宮崎導演突然提議,希望讓現在代表日本的假聲男高音米○○一先生演唱《魔法公主》的歌曲。立刻購買了剛發行的CD《母親的○ 日○歌○集》。(抱歉,現在還是秘密)
 作為大劍術迷的鈴木製作人購買了日本刀(仿製品)。立刻在辦公室里揮舞起來。
96.11.09(土)
 ラッシュチェックあり。
 浦谷さん来社。日本刀を腰に下げ、社内を歩き回る鈴木プロデューサー等を撮影。
96年11月9日(星期六)
 有緊急檢查。
 浦谷先生來公司。拍攝了鈴木製作人等人腰間掛著日本刀在公司內走來走去的情景。
96.11.11(月) 
 来年の夏に、社内スタッフを中心として、宮崎監督の別荘まで、165キロを一気に走り切る自転車レース「ツール・ド・信濃境」が行われる予定であるが、宮崎監督が名称を「ツール・ド・信州」に改め、大々的にポスターを作り、壁に張り出す。参加公募用のものと、既に参加を表明している14人のプロフィールを写真入りで紹介し、宮崎監督のコメントも加えたエントリーポスターの2点。それを見た、日本テレビの奥田プロデューサーが100キロ近くの巨体を揺すりながら「俺も昔は自転車に乗っていたのだ。エントリーしたい」と参加を表明、大会審査委員長・宮崎監督の許可も下り、参加者は総勢15人となった。もちろんエントリーポスターにも写真入りで登場。しかし、それを見た鈴木プロデューサーは、内心「奥田さんに死なれては困る」とでも思ったのか渋い顔。
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吉卜力日志 165k.gif
ツール・ド・信州 告知ポスターの一部
96年11月11日(星期一)
 明年夏天,計劃以公司內部員工為主,舉辦一場從宮崎導演的別墅出發,一口氣騎行165公里的自行車比賽「ツール・ド・信濃境」。宮崎導演將比賽名稱改為「ツール・ド・信州」,並製作了大幅海報貼在牆上。海報分為兩種:一種是用於公開招募參賽者的,另一種是已經宣布參加的14人的簡介,附有照片,並加上了宮崎導演的評論。日本電視台的奧田製作人看到後,搖晃著他近100公斤的龐大身軀,表示「我以前也騎過自行車,想報名參加」。經過大會審查委員長宮崎導演的批准,參賽者總數達到了15人。當然,奧田製作人的照片也出現在了參賽者海報上。然而,鈴木製作人看到後,內心可能想著「奧田先生要是出事就麻煩了」,露出了苦澀的表情。
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ツール・ド・信州 宣傳海報的一部分
96.11.13(水) 
 来たるべき関東大震災に備えて、ジブリ総出の防災訓練が行われる。今回のポイントは大きく分けて1.炊き出し(今回は芋煮)2.非常用トイレの設置 3.発電機の操作の3つ。2、3はなんの問題もなく終了したが、炊き出しは、かなりの強風だった為、炊き出しの釜から出る、火の粉が周りに飛び散り、かなり危険な状態であった。しかし芋煮はうまかった。
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簡易トイレの説明をする宮崎監督
 遠藤さん打ち合わせ。1,404~1,418まで15CUT。  浦谷さんが来社し、防災訓練、打ち合わせを取材。  「ツール・ド・信州」のサポート班紹介ポスターが張り出される。因みにますますこの現実逃避に盛り上がる宮崎監督、取材に来ていた浦谷さんに「レースの模様をビデオカメラに収めるといくら位かかりますか」と質問していた。本気?  ついに制作部とCG部がネットワークでつながる。早速デジタル処理CUTの一覧表を双方の共用スペースに入れ、いつでもCUTの所在と進行状況を確認できるようにする。
96年11月13日(星期三)
 為了應對即將到來的關東大地震,吉卜力全體員工進行了防災訓練。這次的重點主要分為三點:1. 炊事(這次是煮芋頭)2. 緊急廁所的設置 3. 發電機的操作。第二和第三項都順利完成,但炊事部分由於強風,鍋里的火星四處飛散,情況相當危險。不過,煮芋頭味道很好。
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宮崎導演在講解簡易廁所的使用方法。  與遠藤先生開會。從1,404到1,418共15個鏡頭。  浦谷先生來訪,採訪了防災訓練和會議。  「ツール・ド・信州」支持小組的介紹海報被張貼出來。順便一提,越來越沉迷於這種逃避現實的宮崎導演,向採訪的浦谷先生問道:「用攝像機記錄比賽情況大概需要多少錢?」他是認真的嗎?  製作部和CG部終於通過網絡連接起來。立即將數字處理鏡頭的列表放入雙方的共享空間,以便隨時確認鏡頭的所在位置和進展情況。
96.11.14(木) 
 宮崎監督が買った、トリケラトプス頭部のレプリカ化石がジブリに届く。多くの社員が見守る中、屋上の芝生の上に設置。
96年11月14日(星期四)
 宮崎駿導演購買的三角龍頭部複製化石送達吉卜力工作室。在眾多員工的注視下,化石被安置在屋頂的草坪上。
96.11.16(土) 
 宮崎監督がカタツムリをデザインした「ツール・ド・信州」のユニフォームを考案。本気で作る気らしい。
96年11月16日(星期六)
 宮崎駿導演為「環信州自行車賽」設計了以蝸牛為主題的隊服。看起來他是認真的。
96.11.19(火) 
 デジタル含みのCUTが全部で100CUT近くになってしまっている。そこで奥井さんと、簡単なデジタル合成のCUTは「耳をすませば」の時にお世話になったイマジカのフラミンゴルームに出す方向で検討を始める。
 宮崎監督が、小西、芳尾、山森、桑名の4名を前にしてタタリ神の描き方の講習を行う。
 鈴木プロデューサーから「総CUT数が1,600CUTになりそうだ」と話がある。ついでに「なんとかして」とも。
96年11月19日(星期二)
 包含數位化的鏡頭總數接近100個。因此,我們開始討論將一些簡單的數位化合成鏡頭交給曾在《心之谷》時期合作過的Imagica的Flamingo Room處理,奧井先生也參與其中。
 宮崎導演在小西、芳尾、山森、桑名四人面前進行了關於如何描繪「塔塔利神」的講解。
 鈴木製片人提到「總鏡頭數可能會達到1600個」,並順便說了句「請想辦法解決」。
96.11.20(水) 
 昨日高坂さんが、帰宅途中車と接触、顔面打撲他、身体中に擦り傷を負う。自転車もタイヤやフロントフォークがおしゃかになったそうだ。過失は全面的に車にあるらしい。面白いのは、相手の保険会社から「あの自転車はいつ、いくらで買ったものですか?」と質問のTELがあった際、「今年4月に40万円で買いました」と答えたところ、あまりの値段の高さにしばらく絶句していたとか。
96年11月20日(星期三)
 昨天高坂在回家途中與一輛車發生碰撞,導致面部挫傷以及全身多處擦傷。據說他的自行車輪胎和前叉也嚴重損壞了。事故的責任似乎完全在對方車輛。有趣的是,當對方的保險公司打電話詢問「那輛自行車是什麼時候、多少錢買的?」時,高坂回答「今年4月花了40萬日元買的」,對方聽到這個價格後,一時語塞,沉默了好一會兒。
96.11.22(金) 
 「魔女の宅急便」「海がきこえる」の近藤勝也氏、原画で「もののけ姫」参加決定。12月頭から出社予定。
96年11月22日(星期五)
 曾參與《魔女宅急便》和《海潮之聲》的近藤勝也先生,決定以原畫師的身份加入《魔法公主》的製作團隊。預計將於12月初開始工作。
96.11.23(土) 
 休日にもかかわらず、大塚、篠原、吉田、稲村、粟田、山森、山田、桑名、遠藤、賀川、大谷、笹木ら原画メンバーの多くが出社。
96年11月23日(星期六)
 儘管是休息日,大塚、篠原、吉田、稲村、粟田、山森、山田、桑名、遠藤、賀川、大谷、笹木等原畫團隊的許多成員仍然來到公司上班。
96.11.25(月) 
 月に一度の月末休みでジブリはお休み。この休みを利用して、高坂、伊藤、斎藤氏と宮崎監督の別荘まで車でツール・ド・信州の下見を行う。冗談じゃなくきついコースだ。ついでに、毎年恒例となっている伊藤君の忘年会用ビデオの撮影も行う。
96年11月25日(星期一)
 今天是每月一次的月末休息日,吉卜力工作室放假。利用這個假期,我和高坂、伊藤、齋藤先生一起開車前往宮崎導演的別墅,進行「環信州」路線的實地考察。這可不是開玩笑,路線相當艱難。順便,我們還拍攝了每年慣例的伊藤君忘年會用的視頻。
96.11.26(火) 
 昨年7月にジブリの入社テストを受けたデイビッド・エンチナス氏の在留許可証明書がようやく発行される。長かった~。ビザの関係上2月から出社予定。
 背景上がりを持って、男鹿さん来社。
96年11月26日(星期二)
 去年7月參加吉卜力入職考試的戴維·恩奇納斯先生的居留許可證明書終於發放了。真是漫長的等待啊。由於簽證的關係,預計從2月開始上班。
 背景畫完成後,男鹿先生來到公司。
96.11.27(水)
 コミックボックス三好氏が、半年がかりで作り上げたユーリ・ノルシュテイン特集号を持って来社。社内にちょっと声をかけたら、持ってきた20冊があっと言う間に完売。世間の人は忘れても、ジブリではノルシュテイン人気は健在だ。
96年11月27日(星期三)
 《Comic Box》的三好先生帶著他花了半年時間製作的尤里·諾爾施泰因特輯號來到公司。在公司內部稍微宣傳了一下,帶來的20本瞬間售罄。即使世人已經遺忘,但在吉卜力,諾爾施泰因的人氣依然不減。
96.11.28(木) 
 大塚康生さんの同人誌「大塚康生のおもちゃ箱」が送られてくる。昔の東映動画時代の宮崎、高畑両監督の写真や、中傷絵画展と題された、いたずら描きがべらぼうに面白く、社内で大受け。宮崎監督も自分の机で、若き日を思い出したのか、一人読みフケっていた。社員の約半数が購入。
 クロマカラーから前回リテークとなった絵の具が到着。今回は大丈夫なようだ。
96年11月28日(星期四)
 大塚康生先生的同人誌《大塚康生的玩具箱》寄到了。裡面有許多東映動畫時代宮崎駿和高畑勳兩位導演的舊照片,以及名為「中傷繪畫展」的惡搞畫作,非常有趣,在公司內大受歡迎。宮崎導演也在自己的座位上,或許是回憶起了年輕時的日子,獨自一人讀得入神。公司里大約有一半的員工都購買了這本同人誌。
 從克羅瑪彩色公司訂購的上次需要重新調製的顏料也到了。這次似乎沒有問題。
96.11.30(土) 
 東小金井駅で人身事故。CG部菅野氏が、出社途中に、事故直後の血だらけの現場を目撃。テレビ局魂が沸き上がったのか、現場の様子から、警官の事情聴取まで取材、会社に来てから、「肉片が…」と現場を克明に再現していた。
 同人誌「おもちゃ箱」のサイン会に来る予定だった大塚康生氏だったが、雨のため延期。現在、公道を走れる車が原付きのホンダモトラしかないからだそうだ。
 ラッシュチェックが行われる。宮崎監督が整体に行ったため、午後からとなる。
96年11月30日(星期六)
 在東小金井站發生了人身事故。CG部的菅野先生在上班途中目睹了事故剛發生後的血腥現場。或許是電視台的魂在燃燒,他從現場的情況到警察的詢問都進行了採訪,來到公司後,還詳細地再現了現場,說「肉片都……」。
 原本預定來參加同人誌《玩具箱》簽名會的大塚康生先生,因為下雨而延期。據說現在他唯一能在公路上行駛的車是本田的輕便摩托車。
 進行了衝刺檢查。由於宮崎導演去做了整體治療,檢查從下午開始。