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97.9.1(月)
今日から新学期、じゃなかった夏休み明けである。みんな浮かれていて仕事になっていない。といっても、原動画とも入るはずの仕事が入らず手空き状態なのだ。
次作品メインスタッフコーナーを若干手直し&制作部&業務部&出版部の席変え。
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97年9月1日(星期一)
今天開始新學期,不,應該說是暑假結束了。大家都興奮得無法專心工作。不過,原本應該開始的原畫工作也沒有安排下來,所以手頭空空的。
對下一部作品的主要工作人員區域進行了一些調整,同時製作部、業務部和出版部的座位也進行了變動。
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97.9.2(火)
帝国ホテルにて、「もののけ姫」日本映画新記録樹立報告会が行われる。
「もののけ姫」日本映画新記録樹立報告会(米沢さんレポートより)
午後5時より、帝国ホテルにて、「もののけ姫」日本映画新記録樹立報告会が行われた。会見場には150名余りのマスコミ関係者が詰めかけ、東宝 石田社長、徳間書店 徳間社長、宮崎監督が会見に応じた。まず、石田社長より興行成績についての報告が行われた。石田社長「8月末までの興行成績は、入場者数877万人、興行収入約120億円。既に邦画のあらゆる記録を破った。9月中旬には確実に1000万人を突破する。入場者数が1200万人となれば配収は約100億円となり、これまでNo.1だった「E.T.」の配収96億円を越えることが、現実味を帯びた話となった。
成功の要因の1つに、客層の広がりが挙げられる。公開当初は男性が多かったが、今は女性が65%を占める。年輩の女性が目立つのも特徴。」
次いで徳間社長の発言。その軽妙さに、会見場は爆笑の渦となった。徳間社長「28才で読売新聞を辞めてから、8回の倒産、不渡りを経験してきた(笑)が、日本一になったのは初めて。これも宮崎監督と鈴木プロデューサーをはじめ、制作に関わった皆さんの努力のおかげ。ここまで来たら、何がなんでも「E.T.」を抜く。「E.T.」を抜かなければ、東宝とは二度と手を組まない(爆笑)。「E.T.」は1150万人、「もののけ姫」の目標は1200万人。何だ、ほんのちょっとしか差がないじゃないか(笑)。しかしわずかな差でも1位は1位。オリンピックだって、ほんのゼロ・コンマ何秒の差で金メダルになるんだから。でもどうせなら、今後どんな作品がきても、21世紀になっても抜かれないような成績を残したい。まあ、22世紀はわからないけれど(笑)。UIPの、ええと、なんという映画だったかな、え、ああ、「ロスト・ワールド」(大爆笑)、そうそう、「ロスト・ワールド」を作ったマイケル・ウィリアムス・ジョーンズ会長からも祝電をいただいた。宮崎駿、あんたはえらい!(大爆笑)。」
最後に、この会見のために山小屋からわざわざ出てきていただいた宮崎監督から一言。
「最後のキャンペーン地の長野で、最後にパチンコをしていたらフィーバーしたんですが、そのときに鈴木プロデューサーが、「もう時間です」と(笑)。そのまま隣のおばさんに譲って来たんですが、最高の終わり方でした(爆笑)。ジブリはいつも作品が失敗したら終わり、そういう方針で全てをかけて作品を作ってきたんですが、こういう底抜けのフィーバーになることもあるんですね。そうとしか言えないです。何でこうなったかというのは、よくわからないです。実は今まで山小屋に籠もっていたものですから、世間がどうなっているのか、よく知らないんです。鈴木プロデューサーからは、ペイラインに達したときに「ペイしました」とだけ連絡を受けて、「そうですか」と。「E.T.」を抜くとか、そういう事にはあまり感慨はないんですが、エンターテイメントというのは、出資者に責任を持たなければならない。そうしないと、次の若者たちのチャンスを奪うことになる。そういう意味では、ペイラインに達したことがうれしかったです。」
以上、会見は5時50分に終了しました。
続いて、制作関係者、マスコミ関係者に、映画の上映館の興行担当者を招いての祝宴が開かれ、300名余りが参加。これまでのご協力に感謝するとともに、これに満足することなく、「E.T.」の記録を突破すべく、気勢を挙げる会となりました。
尚、9月2日の朝日新聞夕刊1面トップ記事に「もののけ姫」邦画新記録達成の記事が掲載されています。
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97年9月2日(星期二)
在帝國酒店舉行了《幽靈公主》日本電影新紀錄達成報告會。
《幽靈公主》日本電影新紀錄達成報告會(根據米沢先生的報道)
從左至右:東寶的石田社長、宮崎導演、德間社長
下午5點,在帝國酒店舉行了《幽靈公主》日本電影新紀錄達成報告會。會場聚集了150多名媒體記者,東寶的石田社長、德間書店的德間社長以及宮崎導演出席了發布會。首先,石田社長對票房成績進行了報告。石田社長表示:「截至8月底的票房成績為觀眾人數877萬人次,票房收入約120億日元。已經打破了日本電影的所有紀錄。9月中旬觀眾人數將突破1000萬人次。如果觀眾人數達到1200萬人次,票房收入將達到約100億日元,超越目前排名第一的《E.T.》的96億日元票房收入,這已經成為一個現實的可能性。」
成功的其中一個原因是觀眾群體的擴大。上映初期男性觀眾較多,但現在女性觀眾占65%。年長女性觀眾的顯著增加也是一個特點。
接着是德間社長的發言。他的幽默讓會場充滿了笑聲。德間社長說:「28歲從讀賣新聞辭職後,經歷了8次破產和拒付(笑),但成為日本第一還是第一次。這都歸功於宮崎導演和鈴木製片人以及所有參與製作的人的努力。既然已經走到這一步,無論如何都要超越《E.T.》。如果不超越《E.T.》,就再也不和東寶合作了(爆笑)。《E.T.》的觀眾人數是1150萬人次,《幽靈公主》的目標是1200萬人次。哎呀,這不就差一點點嗎(笑)。但即使是微小的差距,第一名就是第一名。奧運會不也是以零點幾秒的差距贏得金牌的嗎?不過,既然已經走到這一步,希望留下一個無論未來出現什麼作品,甚至在21世紀也無法被超越的成績。當然,22世紀就不好說了(笑)。UIP的,嗯,那部電影叫什麼來着,哦對了,《失落的世界》(大笑),對對,製作《失落的世界》的邁克爾·威廉姆斯·瓊斯會長也發來了賀電。宮崎駿,你真了不起!(大笑)。」
最後,為了這次發布會特意從山中小屋趕來的宮崎導演也發表了簡短講話。
「在最後一個宣傳地長野,最後玩彈珠機時突然中了獎,那時鈴木製片人說『時間到了』(笑)。我就把機器讓給了旁邊的阿姨,這真是最好的結束方式(大笑)。吉卜力一直以來都是如果作品失敗就結束,我們以這種態度全力以赴地製作作品,但沒想到也會有這樣瘋狂的狂熱。我只能這麼說。為什麼會這樣,我也不太清楚。其實我一直待在山中小屋裡,不太了解外面的情況。鈴木製片人只在達到盈虧平衡點時通知我『已經回本了』,我說『是嗎』。對於超越《E.T.》這種事,我並沒有太多感慨,但娛樂產業必須對投資者負責。如果不這樣做,就會剝奪下一代年輕人的機會。從這個意義上來說,達到盈虧平衡點讓我感到高興。」
以上,發布會於5點50分結束。
隨後,製作團隊、媒體記者以及電影放映院的票房負責人參加了慶祝宴會,共有300多人參加。大家不僅對過去的合作表示感謝,還表示不會滿足於此,將繼續努力突破《E.T.》的紀錄,氣氛十分熱烈。
此外,9月2日的《朝日新聞》晚報頭版頭條刊登了《幽靈公主》創下日本電影新紀錄的報道。
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97.9.3(水)
講談社より鮭が送られてきた。近くの料理屋でさばいてもらい、スタジオ内で舘野さん、山本さん、長沢さんが料理(ムニエル、バター焼き)し、みんなで食べた。とてもおいしかった。
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97年9月3日(星期三)
講談社送來了鮭魚。我們請附近的餐館幫忙處理,然後在工作室里,館野先生、山本先生和長澤先生一起烹飪(做了香煎和黃油烤),大家一起享用了。非常美味。
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97.9.4(木)
来年の研修生の募集について各部署の担当者と打ち合わせ。今回はCG部も募集するのだ。後日ホームページにも募集告知する予定。
田辺氏がお休み。
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97年9月4日(星期四)
與各部門負責人討論了明年研修生的招聘事宜。這次CG部門也將參與招聘。計劃稍後在官網上發布招聘公告。
田辺先生今天休息。
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97.9.5(金)
ジブリでも何度か、社内パーティ等でスパゲティを注文していた東小金井南口のイタリア惣菜屋グラツィエが7月末で店を閉めてしまったのだが(評判はとてもよかった)、その後そこにできた○湾料理屋がかなりきているらしい。
制作業務部・望月氏と高畑監督の三人で、エヴァンゲリオンを題材に怪しげな議論がなされる。因みに、高畑監督も、先日の一挙再放送でほとんどの話数を見ている。
私が引っ越した後の遺跡から、インターネット担当・石光さんの入社試験の作文が発掘される。読もうと思ったら血相を変えた石光さんに強奪されてしまった。彼女の隣に座っている柳沢さんから白い眼で見られる(眼の奥では「セクハラ野郎」と言っていた気がする…)
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97年9月5日(星期五)
之前在吉卜力公司內部派對等場合多次點過東小金井南口的意大利熟食店「格拉齊埃」的意大利麵,但這家店在7月底關門了(口碑非常好)。之後,那裡開了一家台灣料理店,聽說相當不錯。
製作業務部的望月先生和高畑導演三人以《新世紀福音戰士》為主題進行了一場奇怪的討論。順便一提,高畑導演也在前幾天的連續重播中看了大部分集數。
在我搬家後的遺蹟中,發掘出了負責互聯網的石光女士的入職考試作文。我正想讀的時候,被石光女士臉色大變地搶走了。坐在她旁邊的柳沢先生用白眼看着我(感覺他眼神里在說「性騷擾的傢伙」…)
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97.9.6(土)
以前ジブリで働いていた○○○氏を再びジブリに呼び戻そうと、鈴木プロデューサー、高畑監督、保田さんが、食事に行こうと称し、取り囲み説得。結果は不明。
キャラクターの参考にならないかと、田辺さんが林明子の絵本を大量に持ってくる。その絵本を見ながら高畑監督が田辺さんに「この本の話しはぬんぬん…」と質問したら、彼は「あ、話しは読んでないです」と一言。高畑監督は思わず田辺さんを蹴っていた。
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97年9月6日(星期六)
以前在吉卜力工作過的○○○先生被鈴木製片人、高畑導演和保田先生以吃飯為名,圍住並試圖說服他重返吉卜力。結果尚不明確。
田邊先生為了尋找角色參考,帶來了大量林明子的繪本。高畑導演一邊看這些繪本,一邊問田邊先生:「這本書的故事是……」,結果田邊先生回答:「啊,我還沒讀過故事呢。」高畑導演忍不住踢了田邊先生一腳。
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97.9.8(月)
キャラクターの○○に、小西くんが××で色を付けたものを、スキャナーで取り込み動かしてみる。しかしまさかこの手法で全編作るって言わないだろうな。
小西、田辺、伊藤、石曽根、武重、田中直哉、高畑監督と、監督の自宅近くにある東大泉中央公園にロケハン(!?)。その後監督宅で、全員が夕食をご馳走になる。監督のクラシック講座も聞ける。
宮崎監督が出社。古林さんや建築会社の人たちと、ジブリ社屋改造計画の打ち合わせ。
ツール・ド・信州でお世話になったペンション「赤い鳥」から、手紙と集合写真等が送られてくる。ジブリ側では集合写真を撮ってなかったので参加者は大喜び。しかし、このペンションのメチャクチャおいしかった食事が忘れられない…。
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97年9月8日(星期一)
小西君為角色○○用××上色,然後用掃描儀掃描並嘗試讓其動起來。不過,應該不會用這種方法製作整部作品吧。
小西、田邊、伊藤、石曾根、武重、田中直哉和高畑導演一起去了導演家附近的東大泉中央公園進行外景考察(!?)。之後在導演家,大家一起享用了晚餐。還聽了導演的古典音樂講座。
宮崎導演來公司了。和古林先生以及建築公司的人一起討論了吉卜力工作室的改造計劃。
在「信州環遊」活動中受到照顧的「紅鳥」旅館寄來了信件和集體照片等。因為吉卜力這邊沒有拍集體照,所以大家都很高興。不過,那家旅館的美味飯菜真是讓人難以忘懷……。
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97.9.9(火)
ジブリの一階を改造すべく、まず膨大な絵の具を倉庫に預けるための整理、箱詰めを始める。ところが、おおまかに数えてみたところ、段ボールが200個以上必要なことが発覚。段ボールを揃えないと収納がうまく行かない可能性があるため、スタックで使っている絵の具入れ用段ボール箱をわけてもらうことに。
日本新聞協会のCMをジブリが制作し、近日オンエアが開始される予定であるが、その歌とナレーションをホームページにもよく登場する○○さんが担当している。
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97年9月9日(星期二)
為了改造吉卜力的一樓,首先開始整理並裝箱大量的顏料,以便存放在倉庫中。然而,粗略估算後發現需要200多個紙箱。如果不準備好足夠的紙箱,收納工作可能無法順利進行,因此決定從現有的顏料存放紙箱中分出一部分使用。
吉卜力為日本新聞協會製作的廣告即將在近日播出,廣告中的歌曲和旁白由經常在吉卜力官網上出現的○○先生負責。
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97.9.10(水)
高畑監督が、次作の参考に「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」との迷信(?)や電車にタンツボが置いてあった記憶があるか、等の質問をスタッフに聞いて回っている。
警視庁から十数人が来社し、自転車置き場の非常用トイレの見学。古林総務部長自ら組み立ての実演。
ようやく鈴木プロデューサーと来年度の新人募集について打ち合わせを行う。ついでに社員旅行の話しも。
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97年9月10日(星期三)
高畑導演為了下一部作品的參考,向工作人員詢問了一些問題,比如「吃茗荷會導致記憶力嚴重下降」的迷信(?),以及是否記得電車上曾放置過痰盂等。
警視廳的十幾位人員來到公司,參觀了自行車停放處的應急廁所。總務部長古林親自演示了組裝過程。
終於與鈴木製作人討論了明年度的新人招聘事宜。順便還聊了聊公司旅行的事情。
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97.9.11(木)
宮崎監督またも来社。社員にトマトを配る。
7時よりジブリ1階バーに於て、米良美一さんのコンサートが開かれる。コンサートに備え、当日朝から机や植木を全て運び出し、グランドピアノをセット。7時前には、製作各社やメイジャー等の人たちも加わり、バーは100人以上の人たちで埋め尽くされた。通常のコンサートホールとは違い、客席が異常に接近しているため、米良さんもかなり緊張気味の様子。コンサート前半は米良さんの持ち唄を中心に、日本の唄から黒人霊歌、モーツァルトまでを熱唱。15分の休憩をはさんだ後半は、予めジブリ内外のスタッフから集めたリクエストを元に、徳間社長推薦の五木ひろしからスタート。ラピュタの「君をのせて」からJ.Sバッハの「マタイ受難曲 憐れみたまえ」まで実にレパートリーは幅広い。結局アンコール3曲を含めて実に2時間にも及ぶコンサートとなる。終了後は当然のごとくジブリスタッフからのサイン攻め。因みにその夜のスタジオからは怪しい裏声で唄を歌うスタッフ達の声がそこここから聞こえていた。
ちなみに米沢さんは、米良さんと飲みに行く約束をとりつけ、驚喜乱舞。
コンサートホールに早変わりしたバーには約130人が集まり、米良さんのすばらしい唄を鑑賞。
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97年9月11日(星期四)
宮崎導演再次來到公司,給員工們分發番茄。
晚上7點,在吉卜力一樓的酒吧舉行了米良美一的音樂會。為了準備音樂會,當天早上開始就將桌子和盆栽全部搬出,並設置了三角鋼琴。7點前,來自各製作公司和主要公司的人們也加入了進來,酒吧里擠滿了100多人。與普通的音樂廳不同,觀眾席異常接近,米良先生也顯得相當緊張。音樂會的前半部分以米良先生的拿手曲目為主,從日本歌曲到黑人靈歌,再到莫扎特,熱情演唱。15分鐘的休息後,後半部分以吉卜力內外員工事先收集的請求為基礎,從德間社長推薦的五木宏開始。從《天空之城》的《君をのせて》到J.S.巴赫的《馬太受難曲 憐憫我吧》,曲目範圍非常廣泛。最終包括3首安可曲在內,音樂會持續了整整2個小時。結束後,吉卜力員工們當然紛紛要求籤名。順便一提,那天晚上工作室里到處都能聽到員工們用奇怪的假聲唱歌的聲音。
順便說一下,米澤先生成功約到了米良先生一起去喝酒,驚喜萬分。
臨時變成音樂廳的酒吧里聚集了約130人,欣賞了米良先生的精彩演唱。
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97.9.12(金)
正面玄関のガラスが割れる。と言っても別に襲撃があったわけではなく、昨日のコンサートの為に外に出しておいた植木を元に戻そうとして誤って割れてしまったもの。
今日も宮崎監督が出社。
一階にあった絵の具棚を解体する。
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97年9月12日(星期五)
正門玄關的玻璃碎了。不過並不是因為遭到了襲擊,而是因為昨天為了音樂會而搬出去的盆栽在搬回來的時候不小心弄碎的。
今天宮崎導演也來上班了。
拆掉了一樓的顏料架。
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97.9.13(土)
5時より会議室に於て、次作から導入されるデジタルペイント等による本格的な作品のコンピュータ化に向けて、実作業面で変更しなければならない。
夜、9時頃から百瀬さん、奥井さんとメインスタッフによるコンピュータ対策会議(?)が行われる。高畑監督が心配している点は、実際デジタルペイントになってしまうと、たとえば今まで演助がやってきた撮出しの作業がまったく違ったものになってしまう点や、どの部分で高畑監督のチェックが入るのか、編集はノンリニア編集にするのか等々、様々な変化が要求される点である。はたして的確で効率の良いチェックができるのか。当然問題山積みのまま散会。これからの課題は多い。
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97年9月13日(星期六)
從5點開始在會議室,為了迎接從下一部作品開始正式引入的數字繪畫等全面的計算機化,必須在實際操作層面進行改變。
晚上9點左右,百瀨先生、奧井先生與主要工作人員舉行了關於計算機應對措施的會議(?)。高畑導演擔心的是,一旦真正採用數字繪畫,比如以往由演出助理負責的拍攝工作將變得完全不同,以及高畑導演的檢查將在哪個環節進行,編輯是否採用非線性編輯等等,這些變化都將帶來諸多挑戰。是否能夠進行準確且高效的檢查?當然,問題堆積如山,會議最終散會。未來的課題還有很多。
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97.9.16(火)
花札の「こいこい」の遊び方を高畑監督が知りたがっていたため、インターネットにてルールを調べる。
次作の制作デスクとして元ジブリ、現京都アニメの神村氏が出向で参加することに。来月頭から出社予定。
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97年9月16日(星期二)
高畑導演想知道花札遊戲「こいこい」的玩法,於是我在網上查找了規則。
作為下一部作品的製作負責人,原吉卜力、現京都動畫的神村先生將借調參與。預計從下月初開始上班。
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97.9.17(水)
高畑監督が「闇鍋」を知っているか、スタッフに聞いてまわる。20歳代のスタッフは主に大学の先輩や学園祭で、30歳以上のスタッフは「巨人の星」のエピソードで知った人が多いらしい。
絵コンテ用紙はやはり「平成狸合戦ぽんぽこ」の時に使ったA3、5コマの角が直角なバージョンにほぼ決定するが(宮崎監督と高畑監督では絵コンテ用紙の好みが違うのだ)、その時に使った原版が何故か見つからない。また作らなきゃ。
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97年9月17日(周三)
高畑導演詢問工作人員是否知道「闇鍋」(一種日本火鍋遊戲)。20多歲的工作人員主要是在大學前輩或學園祭上知道的,而30歲以上的工作人員大多是通過《巨人の星》的某一集了解到的。
分鏡用紙基本上決定使用《平成狸合戦ぽんぽこ》時使用的A3、5格、直角版本(宮崎導演和高畑導演對分鏡用紙的喜好不同),但當時使用的原版不知為何找不到了。看來得重新製作。
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97.9.18(木)
バーにて宮崎監督が糸井重里氏と対談。
昨日まで休暇を取って屋久島に行っている作画の田村君が台風の影響で帰ることができないらしい。よって今日もお休み。
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97年9月18日(星期四)
在酒吧,宮崎導演與糸井重里先生進行了對談。
昨天為止休假去屋久島的作畫田村君因為颱風的影響似乎無法回來。因此今天也休息。
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97.9.19(金)
鈴木プロデューサーと奥田さんが「電車でGO!」にはまっている。という訳で夜の10時から東小金井駅前のゲームセンターで高畑監督(実はけっこう鉄道マニアである)も交えて腕を競い合う。
資料用に借りてきた「月光仮面」のテレビ版及び映画版の鑑賞会が行われる。あまり参考にならず。
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97年9月19日(星期五)
鈴木製作人和奧田先生迷上了《電車GO!》。於是,晚上10點,他們和高畑導演(其實是個鐵路迷)一起在東小金井站前的遊戲中心比拼技藝。
還舉行了借來的《月光假面》電視版和電影版的觀賞會,作為參考資料。不過,似乎沒太大幫助。
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97.9.20(土)
次作の脚本が高畑監督によって、またそれと平行して絵コンテが田辺氏よって徐々に形になりつつある。
高畑監督が東映の実写助監督をやったときに、いろんなシーンにエキストラとして出演した某映画のビデオを演助石曽根氏が借りてくる。冒頭の空港シーンに若き日の監督を確認できたものの、そのほかはほとんど分からず。
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97年9月20日(星期六)
下一部作品的劇本由高畑導演負責,與此同時,田邊先生也在逐步完成分鏡腳本。
高畑導演在東映擔任實拍助理導演時,曾在許多場景中以群眾演員的身份出演過某部電影。助理導演石曽根先生借來了這部電影的錄像帶。雖然在開頭的機場場景中確認了年輕時的導演,但其他部分幾乎無法辨認。
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97.9.22(月)
小西氏がラフ絵コンテ作業に参加。
徐々に進行している高畑監督の脚本作業であるが、メインスタッフには配られていたシノプシスが鈴木プロデューサーに渡っていなかったことが発覚。恨まれる。
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97年9月22日(星期一)
小西氏參與了分鏡草圖的製作。
高畑導演的劇本工作正在逐步推進,但發現主要工作人員已經拿到了故事大綱,而鈴木製片人卻沒有收到。這引起了不滿。
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97.9.24(水)
上條恒彦氏の奥さんと子供達が来社。再び山を下りてきた宮崎監督の案内で社内をまわる。
宮崎監督と社員旅行の相談。行き先は某所に決定。
仕上げで余った段ボールを倉庫に運ぶが、そろそろものを置くスペースが無くなってきた。整理せねば。
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97年9月24日(星期三)
上條恆彥先生的夫人和孩子們來到公司。再次從山上回來的宮崎導演帶領他們參觀了公司。
與宮崎導演商討了公司員工旅行的計劃。目的地已確定為某地。
將製作完成後剩餘的紙箱運到倉庫,但倉庫的存放空間已經快不夠了。必須進行整理。
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97.9.25(木)
「メインスタッフに入るのはプレッシャーが…」と言って、なかなかメインスタッフコーナーに来なかった百瀬さんがようやく荷物を小西君のとなりに移動。
次作の絵を一度実験的にフィルムにする予定であるが、現在のところデジタルカメラがまだ 1.全て手動で動かさなければならない。2.色の管理ができていない、等の問題があるため、通常のフィルム撮影+デジタル合成で来週中には何とかしたい。
だいぶ前のことになるが、「進め!電波少年」のスタッフが「宮崎監督はこの作品を最後に本当に引退するのか」を確かめに来社したが、その時の映像は放送されないまま。その理由は、あまりにも簡単に監督にインタビューができたかららしい。アポなしの突撃取材でジブリにも2回やって来ていることだし、闇に葬られた映像はかなりの数になりそう。
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97年9月25日(星期四)
百瀨先生之前一直說「進入主創團隊壓力很大……」,所以遲遲沒有來到主創團隊的角落,今天終於把行李搬到了小西君的旁邊。
我們計劃將下一部作品的畫面先進行實驗性的膠片處理,但目前數碼相機還存在一些問題:1. 所有操作都必須手動完成;2. 色彩管理尚未完善。因此,我們打算採用常規的膠片拍攝加數碼合成的方式,爭取在下周內完成。
很久以前,《前進!電波少年》的團隊曾來公司確認「宮崎導演是否真的會在完成這部作品後退休」,但當時的影像並未播出。據說原因是因為他們太輕易地採訪到了導演。他們曾兩次未經預約就突擊採訪來到吉卜力,因此被埋沒的影像數量似乎相當可觀。
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97.9.26(金)
高畑監督が今日は学校の為、夜出社。のはずが授業が長引きお休み。
午後突然「以前研修でお世話になった石曽根と申しますが、宮崎監督をお願いします」と謎の電話がかかってくる。勿論当の石曽根氏は現在ジブリの社員である。電話はこちらがもめている間に切れてしまったが、宮崎監督あての怪しい電話もとうとうここまで来たかという感じだ。
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1997年9月26日(星期五)
今天高畑導演因為學校的事情,原本計劃晚上來公司。但因為課程延長,所以請假了。
下午突然接到一個神秘電話,對方說:「我是以前在研修時受您照顧的石曽根,請找一下宮崎導演。」當然,真正的石曽根先生現在是吉卜力的員工。電話在我們還在困惑的時候掛斷了,感覺宮崎導演也終於接到了這種可疑的電話。
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97.9.27(土)
イタリア在住のベテラン日本人アニメーターが、イラストレーターの娘さんと、弟子のイタリア人アニメーターと共に来社。社内見学。
メインスタッフコーナーに美術の田中直哉氏と武重洋二氏の机を置くことになる。またスペースを拡げなきゃ。
職場委員会が行われる。
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97年9月27日(周六)
一位居住在意大利的資深日本動畫師,與作為插畫師的女兒以及他的意大利弟子一同來訪公司。進行了公司內部參觀。
在主要員工區域,我們決定放置美術部門的田中直哉和武重洋二的辦公桌。看來還需要進一步擴展空間。
職場委員會會議如期舉行。
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97年9月29日(星期一)
每月一次的星期一休息日。
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97.9.30(火)
美術の田中直哉、武重両氏の机をメインスタッフルームに設置。設置に際して、鈴木プロデューサーから、スミの机に山積みにしてあった演助伊藤氏の荷物を「早急に片付けろ!」と指示がある。伊藤氏はさっそく荷物を片付け、机の設置は30分程で無事終了する。ただし、その荷物が、今は山小屋へ行っていない宮崎監督の部屋のスミに、ただ置かれているだけだということに気づいている者は少ない…。
田中直哉、武重両氏が今まで描き溜めたイメージボードを高畑監督に見てもらう。
「スパイのよねちゃん」こと米沢さんに、「のなかくん」人形に続く「よねちゃん」人形は作らないのか、という手紙(ファンレター?)が届く。米沢さんは「どうしましょうかねえ」と嬉しそうに鈴木プロデューサーに報告していた。
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97年9月30日(星期二)
美術部門的田中直哉和武重兩位先生的桌子被安置在主工作室。在安置過程中,鈴木製作人指示將堆積在角落桌子上的助理導演伊藤先生的物品「儘快清理掉!」。伊藤先生立即清理了物品,桌子的安置在約30分鐘內順利完成。然而,很少有人注意到這些物品現在只是被放在了宮崎導演的房間裡,而宮崎導演目前並不在山中小屋……
田中直哉和武重兩位先生將他們至今為止積累的視覺板展示給高畑導演看。
「間諜的よねちゃん」米沢先生收到了一封信(粉絲信?),詢問是否會製作繼「のなかくん」人偶之後的「よねちゃん」人偶。米沢先生高興地向鈴木製作人報告說:「我們該怎麼辦呢?」
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