文档:吉卜力日誌/1997年1月

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 12月 1997年1月 2月
幽靈公主 製作日誌 目錄 
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1997年1月
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吉卜力日志 roku.gif
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97.1.06(月)
 仕事始め。
 一昨日、夜11時30分ついに「もののけ姫」の絵コンテが完成。と思ったら、一晩考えて昨日一部修正し本当の完成。因みに昨日1月5日は監督56歳の誕生日。「55歳のうちに完成させたかった」は宮崎監督のコメント。
 朝から絵コンテのコピーを始めるが、コピーの調子が悪く思うように進まない。昼前、ついにコピーがクラッシュ、修理屋さんを呼ぶ。もののけのタタリか。
 完成した絵コンテをもとに各CUT最新の秒数をまとめ、総尺数を出してみたところ、なんと130分を越えてしまった。エンディングを入れずにである。ひえー、鈴木プロデューサーになんと報告しよう…。
97年1月6日(星期一)
 新年開工。
 前天晚上11點30分,《幽靈公主》的分鏡終於完成了。本以為如此,但經過一夜的思考,昨天又做了一些修改,才真正完成。順便說一下,昨天1月5日是導演56歲的生日。「想在55歲之前完成」是宮崎導演的評論。
 從早上開始複印分鏡,但複印機狀態不佳,進展不順利。中午前,複印機終於崩潰了,叫來了維修人員。這是幽靈的詛咒嗎?
 根據完成的分鏡,匯總了每個鏡頭的最新秒數,計算了總時長,結果竟然超過了130分鐘。這還不包括片尾。哎呀,該怎麼向鈴木製片人報告呢…。
97.1.07(火) 
 総尺数を鈴木プロデューサーに報告。頭を抱えている。こちらは制作チーフ川端氏と共にとりあえず、制作のスケジュールの最終決定と、音響スケジュールの検討を始める。
97年1月7日(星期二)
 向鈴木製作人報告了總尺數。他感到非常頭疼。我和製作負責人川端先生一起,首先確定了製作的最終日程,並開始討論音響的日程安排。
97.1.8(水)
 鈴木プロデューサーが宮崎監督に「絵コンテあれでいいんですか」といきなり切り出した。「やはりエボシはやはり…云々、アシタカが…云々」とたたみかけるような攻撃が続く。宮崎監督は、しばし考えた後「もうちょっとうまく物語を終わらせる方法が見つかった」とコンテ改変を宣言。さてどうなるやら。
ある日のラクガキ
97年1月8日(星期三)
 鈴木製片人突然向宮崎導演提出:「分鏡那樣可以嗎?」接着又連續發問:「果然還是應該讓艾伯西……云云,阿西達卡……云云。」宮崎導演沉思片刻後,宣佈:「我找到了一個更好的方式來結束故事。」於是決定修改分鏡。接下來會怎樣呢?
某天的塗鴉
97.1.09(木) 
 今週は異常に動画が上がっていない。仕上げに入れる動画があまりに少ない為、チェック上がりを保田さんにすぐ色指定をしてもらい仕上げスタジオに廻している自転車操業状態。トホホ…
 各部署の残り平均枚数が一目で分かる表をコンピューターで作成する。
97年1月9日(星期四)
 本周異常地沒有上傳多少視頻。由於能夠進入後期製作的視頻數量太少,我們不得不立即讓保田先生進行色彩指定,然後迅速將視頻送到後期製作工作室,處於一種手忙腳亂的狀態。唉……
 用電腦製作了一張表格,可以一目了然地看到各部門剩餘的平均視頻數量。
97.1.10(金) 
 宮崎監督のコンテ改変が進行中だが、どうも尺とCUT数が増えているらしい。「プロデューサーがOKしたからいいのだ」と言っているが、これ以上増えるとスケジュールが…。
 宮崎監督から「増えた分のレイアウトを描くから、15CUT位できるアニメーターを探してくれ」と指示がある。早速以前からジブリ作品を手伝ってもらっているI氏に連絡をとる。
 I氏と自宅近くのファミリーレストランで会う。「いやー時間が無くて…」とか「とても他の作品を描きながらできる仕事ではない」等、なかなかガードは硬い。とにかく担当部分の絵コンテを見てから決めるということなので、宮崎監督に催促。
 監督のコンテラフ完成。I氏攻略のため、明日ラフコンテを見せる際、宮崎監督も同行することに。もちろんI氏には内緒。
97年1月10日(星期五)
 宮崎導演的分鏡修改正在進行中,但似乎時長和鏡頭數量都在增加。雖然他說「製片人已經同意了,所以沒問題」,但如果繼續增加的話,日程可能會受到影響……
 宮崎導演指示道:「我會畫出增加部分的佈局,所以請找一位能完成大約15個鏡頭的動畫師。」我立刻聯繫了之前曾參與吉卜力作品的I先生。
 我和I先生在家附近的家庭餐廳見面。他表示「時間不夠……」以及「這可不是能在處理其他作品的同時完成的工作」等,態度相當謹慎。總之,他決定先看看負責部分的分鏡再做決定,於是我催促宮崎導演儘快完成。
 導演的粗略分鏡完成了。為了說服I先生,明天給他看粗略分鏡時,宮崎導演也會一同前往。當然,這件事對I先生保密。
97.1.11(土)
 宮崎監督から、どうしても社内では振り分けられそうもない原画について、I氏以外にも、「一人5CUTずつでもいいから声をかけろ」と指示が出る。
 宮崎監督とI氏に会いに行く。突然会いに来た監督にメチャクチャ困った顔をしていたが、なんとか12CUT描いてくれることに。I氏に「一生恨む」と何度も言われる。
 今日の夜に金田伊功氏に会いに行く約束を取りつけたところ、気の短い宮崎監督は直接TEL、原画を描いてもらうことに。
 T氏に連絡。「内容を見てから」と言ってはいるが、なんとかやってくれそう。月曜日に待ち合わせてコンテとキャラ表を渡すことに。
制作川端、西桐が、スタジオノンマルトを訪問、金田氏に絵コンテ、キャラ表を手渡す。来週中に作打ちに来社。
97年1月11日(星期六)
 宮崎導演指示,關於那些在社內無論如何也無法分配的原畫,除了I先生之外,還要「即使每人5個鏡頭也好,去聯繫一下」。
 去見宮崎導演和I先生。對於突然來訪的導演,I先生顯得非常為難,但最終還是答應畫12個鏡頭。I先生多次對我說「我會恨你一輩子」。
 今晚約好了去見金田伊功先生,性急的宮崎導演直接打電話,讓他畫原畫。
 聯繫了T先生。雖然他說「要看內容再說」,但似乎還是願意幫忙。約好周一見面,把分鏡和角色表交給他。
製作部的川端和西桐訪問了Studio Nonmalt,將分鏡和角色表親手交給金田先生。他將在下周來公司進行製作會議。
97.1.13(月) 
 朝っぱらからひょんなことで宮崎監督の怒りが爆発、あるベテランスタッフが怒鳴られる。恐かったけど社内の緊張感は確実にアップ。
 T氏にTEL。作打ちを15日(祝)の15時からに決定。
97年1月13日(星期一)
 一大早因為一件意外的事情,宮崎導演的怒火爆發了,一位資深員工被大聲訓斥。雖然很可怕,但公司內的緊張感確實增加了。
 給T先生打了電話。決定在15日(假日)下午3點開始討論劇本。
97.1.14(火) 
 スタジオロビン、OZからマシンの出が今一歩との連絡が会ったため、マシンメンテナンスのプロ村尾さんに2社のマシンを改造修理してもらう。
 宮崎監督が、「自分の担当が終わりそうもない原画は自主的に何とかせよ 後から上がりませんといってもゆるされない」とのポスターを張り出す。休日出勤もやむを得ないか。
97年1月14日(星期二)
 由於接到來自Studio Robin和OZ的通知,機器的狀態還不夠理想,因此請機器維護專家村尾先生對兩家公司的機器進行改造和修理。
 宮崎導演貼出了一張告示,內容是:「如果自己負責的原畫無法按時完成,必須主動想辦法解決。事後再說『無法完成』是不可接受的。」看來周末加班也在所難免了。
97.1.15(水) 
 3時からT氏の打ち合わせ。CUT1,579~1,589まで12CUT。約束よりかなり多いCUT数になってしまい、またしても恨まれる。
 4時から急遽決まった助っ人A氏の打ち合わせ。1,611~1,619まで9CUTの予定。
 7時半よりまたまたピザや高坂氏の作ったパスタの夕食あり。35人がこの食事にありつく。
97年1月15日(星期三)
 下午3點開始與T先生的會議。討論了CUT1,579到1,589,共12個CUT。比約定的數量多了不少,估計又要被埋怨了。
 4點開始,臨時決定的助手A先生的會議。計劃討論CUT1,611到1,619,共9個CUT。
 7點半又有披薩和高坂先生做的意大利麵晚餐。共有35人享用了這頓飯。
97.1.16(木) 
 宮崎監督が突如、Cパートの冒頭50CUTをABパートのカッティングに加えたいと提案。ここはセルは上がっているが、黒田氏の背景がまだ20CUTほど残っている。急遽美術で会議を持ち、黒田、吉田、山本、田中夫妻、平原の6人で手分けして作業することに。
 K君が3カ月ぶりの原画を上げる。いくら新人とはいえ遅すぎる。宮崎監督もさすがに我慢の限界まできていたのかK君に説教。
 明日の若林さん来社に向けて、川端氏と仮の音響スケジュールを立てる。
 稲村氏の打ち合わせ。CUT1,651~1,660まで10CUT。
97年1月16日(星期四)
 宮崎導演突然提議將C部分開頭的50個鏡頭加入AB部分的剪輯中。雖然這部分的分鏡已經完成,但黑田先生的背景還有大約20個鏡頭未完成。緊急召開美術會議,決定由黑田、吉田、山本、田中夫婦和平原六人分工合作。
 K君時隔三個月終於提交了原畫。儘管是新人,但進度實在太慢。宮崎導演似乎也到了忍耐的極限,對K君進行了訓話。
 為了迎接明天若林先生的來訪,與川端先生一起制定了臨時的音響日程。
 與稻村先生的會議。討論了第1,651到1,660共10個鏡頭。
97.1.17(金) 
 朝からスタッフの健康診断。宮崎監督も鈴木プロデューサーも「どうせ不健康だから」と診断を拒否。
 金田さんからTEL。打ち合わせは明日16時から。
 若林さん、伊藤さん、井上さんらが来社。キャスティングと音響スケジュールの打ち合わせ。
97年1月17日(星期五)
 早上開始進行員工的健康檢查。宮崎導演和鈴木製片人都以「反正不健康」為由拒絕了檢查。
 接到金田先生的電話。會議定於明天16點開始。
 若林先生、伊藤先生、井上先生等人來到公司。討論了選角和音響的日程安排。
97.1.18(土) 
 Cパート冒頭の背景は、来週木曜日にはある程度目処が立つ予定。
 クロマカラーから絵の具が到着。
 金田氏来社、打ち合わせを行う。CUT1,590~1,601まで12CUT。5CUT位とお願いしていたので、またしても嘘をついてしまった。しかし金田氏がいるだけで社内が妙に元気になるのは気のせいか。今回は外で仕事をするが、追い込み時に社内にいてくれると本当はありがたい。
97年1月18日(星期六)
 C部分開頭的背景,預計下周四會有一定的進展。
 從克羅瑪彩色公司收到了顏料。
 金田先生來公司,進行了會議。CUT1,590到1,601共12CUT。原本只請求了5CUT左右,結果又說了謊。不過,金田先生在場時公司內部異常活躍,這是錯覺嗎?這次雖然在外面工作,但如果能在最後階段在公司內幫忙的話,那真是太好了。
97.1.20(月) 
 デュプロに雨セル用の白カーボンを400枚ほど注文。ジブリにストックしてあった白カーボンが、時間が立ちすぎて写りが悪くなった為。
 CUT45をイマジカに持ち込み。今日夜8時上がりで回収した後、デジタル合成の作業に入る。
 ぎりぎりにならならいと上がらないと言っていた、福留君が特効作業をしているCUT82が突然上がってきた。このCUTはデジタル合成のCUTで、合成用に撮ったセル部分のみのフィルムでカッティングを凌ごうと思っていたが、奥井さんと相談し、間に合えば本撮でカッティングに入れ込むことに。ラッキー。
 効果の伊藤さん来社。作ってきたヤックル、コダマ、タタラ、石火矢、刀などの音を宮崎監督に聞いてもらう。
97年1月20日(星期一)
 向杜邦公司訂購了約400張用於雨天場景的白色碳紙。因為吉卜力庫存的白色碳紙存放時間過長,導致拍攝效果不佳。
 將CUT45帶到Imagica。今晚8點取回後,開始進行數字合成工作。
 福留君正在處理特效的CUT82突然完成了。之前他說如果不趕時間的話可能無法完成。這個CUT是用於數字合成的,原本打算用僅拍攝了賽璐珞部分的膠片來應付剪輯,但和奧井商量後,如果來得及的話,還是用正式拍攝的素材進行剪輯。真是幸運。
 音效的伊藤先生來公司。讓宮崎導演聽了帶來的雅庫爾、小玉、踏鞴、石火矢、刀等音效。
97.1.21(火) 
 カッティングに間に合わせるために急がせていた特殊効果だが、思いの外早く進行している。問題だったCUT4も明日明るいうちに上がる予定。
 宮崎監督が酒粕を買ってきたので、原画の森友さんが甘酒を作り社内に配る。
97年1月21日(星期二)
 為了趕上剪輯進度,我們加快了特效製作的速度,沒想到進展比預期要快。原本有問題的CUT4也預計在明天白天完成。
 宮崎導演買了酒粕,原畫師森友先生用它做了甜酒,並在公司內分發。
97.1.22(水) 
 I氏のレイアウトが5CUT分完成し、自宅に届けに行く。内容について「えらく面倒くさくなってしまった」と宮崎監督。ひえ~また恨まれる。そのかわり1CUT欠番に。
 インターネット用に、撮影部古城君が使わなくなっていたデジタルカメラを借りる。
97年1月22日(星期三)
 I氏的5個分鏡的佈局完成了,我去了他家送交。關於內容,宮崎導演說「變得非常麻煩了」。哎呀~又要被怨恨了。不過,因此少了一個分鏡。
 為了上網,我借用了攝影部的古城君不再使用的數碼相機。
97.1.23(木) 
 CUT1の進行状況について男鹿さんにTEL。なんとか月曜日朝11時までに上げたいとの返事。カッティングまでぎりぎり間に合うか。
 午後6時のニュースでバンダイ、セガ合併のニュースが流されると、社内はその話題で持ちきりに。野崎さんが早速バンダイへ電話し情報収集。しかし新社名が「セガバンダイ」とはあまりに………。
 今週も動画上がりが少ない。
97年1月23日(星期四)
 關於CUT1的進展情況,給男鹿先生打了電話。他表示儘量在周一早上11點之前完成。看來剪輯工作可能會勉強趕上。
 下午6點的新聞播報了萬代和世嘉合併的消息,公司內部都在談論這個話題。野崎先生立刻給萬代打了電話,收集信息。不過新公司的名字叫「世嘉萬代」實在是有點……
 這周的動畫進展也不多。
97.1.24(金) 
 宮崎監督が朝から鍼へ行く。
 外部の動画スタジオから、原画の桑名君が3カ月もかけて描いた原画の1枚が入っていないとTELあり。探すが結局見つからず、残っているラフを元に桑名君が描きなおすことに。さて何時間かかるか。
97年1月24日(星期五)
 宮崎導演一大早就去針灸了。
 外部動畫工作室打來電話,說桑名君花了三個月時間繪製的一張原畫不見了。我們找遍了也沒找到,最後決定讓桑名君根據剩下的草稿重新繪製。不知道這次要花多少時間。
97.1.25(土) 
 ラッシュが行われる。ABパートのカッティング前なので約10分と今まで最長のラッシュとなる。 
 テレビマンユニオン浦谷さん来社。取材。
 テレコム竹内さんが、ワーナーのアニメーションスタジオの人12名をつれて来社。野中さんが社内を案内して回る。
 T氏の初原画アップ。
 原画の残りCUTが300CUTを割り、先が見え始める。
97年1月25日(星期六)
 進行了拉片。由於是AB部分的剪輯前,大約10分鐘,成為迄今為止最長的拉片。
 電視人聯合的浦谷先生來訪。進行採訪。
 電信的竹內先生帶領華納動畫工作室的12人來訪。野中先生帶領他們參觀公司。
 T先生的初原畫完成。
 剩餘的原畫CUT數降至300CUT以下,開始看到完成的曙光。
97.1.26(日) 
 宮崎監督が午後一に出社するも、1時すぎまで作画で出社したのはゼロ。夕方になって原画がぱらぱら出社してきたものの、一番の危機動画部門はゼロ。男鹿さんのCUT1の背景直しが予定より12時間ほど早く上がる。大塚君が回収。
97年1月26日(星期日)
 宮崎導演下午一上班,但直到1點多,作畫部門沒有一個人來上班。到了傍晚,原畫師們陸續來了,但最關鍵的動畫部門卻一個人也沒有。男鹿先生的CUT1的背景修改比預計提前了12小時完成。大塚君負責回收。
97.1.27(日) 
 大谷さん打ち合わせ。CUT1,628~1,638の11CUT。
97年1月27日(星期日)
 與大谷先生進行了會議。討論了CUT1,628到1,638的11個CUT。
97.1.28(火) 
 CG部が朝までかかって仕上げたABパートのデジタルカットを朝一でイマジカに入れる(居村君が8時出社)。
 イマジカに入れたデジタルカットの上がりが、明日の4時頃になってしまう為、瀬山さんに相談し、カッティングの時間を5時すぎにずらしてもらう。宮崎監督にもそう報告。明日は、イマジカで4時にカウンター回収し、5時すぎにラッシュチェック、終わり次第瀬山さんにつなぎ込んでもらい、編集作業に入る予定。
 明日夕方までに上げてもらう予定のフィルムをイマジカが10時になっても回収に来ないので、TELしてみたら、回収を忘れていたとの返事。急遽居村君にイマジカへ行ってもらう。
97年1月28日(星期二)
 CG部門通宵完成了AB部分的數字剪輯,早上第一時間送到IMAGICA(居村君8點上班)。
 由於送到IMAGICA的數字剪輯要到明天4點左右才能完成,與瀬山先生商量後,決定將剪輯時間推遲到5點以後。也向宮崎導演報告了此事。明天計劃在IMAGICA4點取回膠片,5點後進行樣片檢查,完成後立即交給瀬山先生,開始編輯工作。
 原定明天傍晚前完成的膠片,IMAGICA到10點還沒來取,打電話詢問後得知他們忘記了取片。緊急安排居村君前往IMAGICA。
97.1.29(水) 
 完全に線撮りだと思っていたCUT76の特効が上がってくる。デジタル合成なので、完全なフィルムにはならないが、とりあえずキャラには色がつくので、ラボを7時に押さえ、持ち込むことに。と思ったら特効抜けが3枚あり、福留君に修正してもらっていたら、演助の伊藤君が急ぎと言い忘れて、福留君が昼食に出てしまった。よって特効上がりは3時の予定になる。撮影が果たして間に合うか。
 上記のCUT76は結局線撮りでカッティングに臨むことに。宮崎監督曰く「線撮りが無いと編集の雰囲気が出ないから」
 夕方瀬山さん来社。繋ぎ込みの後、AB+Cの頭のラッシュを見る。終わった後、納得できる出来だったのか宮崎監督の機嫌がやけに良くなっている。
 夜、宮崎監督が突然シューベルトに目覚める。「天才だ!」を連発しながら野崎氏に借りた弦楽四重奏「死と乙女」をメインスタッフルームで聞き続けている。
97年1月29日(星期三)
 本以為CUT76的特效已經完全完成,結果發現是數字合成,所以無法成為完整的膠片,但至少角色部分已經上色,於是決定在7點前送到實驗室。結果發現有三張特效缺失,福留君正在修正,但演助的伊藤君忘了提醒他加快進度,福留君出去吃午飯了。因此,特效預計要到3點才能完成。不知道拍攝是否還能趕上。
 最終,CUT76還是決定用線稿進行剪輯。宮崎導演說:「沒有線稿的話,剪輯的氛圍就出不來。」
 傍晚,瀬山先生來到公司。在連接設備後,大家一起看了AB+C的開頭部分。結束後,宮崎導演似乎對結果非常滿意,心情特別好。
 晚上,宮崎導演突然對舒伯特產生了濃厚的興趣。他一邊不停地說「真是天才!」,一邊在主會議室里聽着從野崎先生那裏借來的弦樂四重奏《死與少女》。
97.1.30(木) 
 朝から瀬山さんが来社し、カッティング作業。明日まで時間をくれと言っていたが、夜には終了。Aパート28分40秒11コマ、BC1パート29分9秒、タイトル23秒の計58分12秒11コマ。
 会議用資料作成の為、米沢さん、石光さんを巻き込み必死に原稿書き。マックでクォークを使うときれいにでき上がるが、時間はやけにかかる。
 音響スケジュールに関して鈴木プロデューサーを含めて話し合いが持たれる。前回の音響作業から2年も立っているため忘れていることが多いことに気づく。たとえば、音響打ち合わせに音楽との関係。音楽の打ち合わせに音響は参加したか? 音楽の打ち合わせに音響は参加したか? 等基本的な事が思い出せない。
 リテークCUTが整理されずに撮出し机に放置してあったの発覚、宮崎監督が朝から伊藤君に雷。
97年1月30日(星期四)
 早上瀬山先生來到公司,進行剪輯工作。他原本要求時間到明天,但晚上就完成了。A部分28分40秒11幀,BC1部分29分9秒,標題23秒,總計58分12秒11幀。
 為了準備會議資料,米沢先生和石光先生也被拉進來,拼命寫稿子。用Mac上的Quark軟件可以做得很好看,但時間卻花得特別多。
 關於音響日程的安排,包括鈴木製作人在內進行了討論。由於距離上次音響工作已經過去兩年,發現很多事情都忘記了。比如,音響討論與音樂的關係。音響是否參加了音樂的討論?音響是否參加了音樂的討論?等等,這些基本的事情都想不起來了。
 發現重拍鏡頭沒有整理,直接放在拍攝台上,宮崎導演從早上就開始對伊藤君發火。
97.1.31(金) 
 11時半から1階バーにてABパート及びCパートの頭までのオール(パート?)ラッシュを行う。線撮りがたった2CUT!。上映後に宮崎監督から「これから絵コンテが上がらなかった事を棚に上げて、催促しまくるのでそのつもりで」と日曜返上の追い込み宣言あり。
 ラッシュ後に宮崎監督から1CUT欠番の指示あり。CUT  
 定尺が出たラッシュをテレシネしてラッシュをオムニバスにまわす。
 夜中に日本テレビの奥田さん等の差し入れあり。残っていたスタッフがお土産のチキンラーメンを作るため鍋の奪い合い。
97年1月31日(星期五)
 從11點半開始在一樓酒吧進行AB部分及C部分開頭的全體(部分?)衝刺。線稿只有2CUT!。上映後,宮崎導演宣佈:「從現在開始,不再提分鏡圖沒完成的事,會不斷催促,大家要做好準備。」並表示周日也要加班。
 衝刺後,宮崎導演指示有1CUT缺號。CUT
 將定尺完成的衝刺進行膠片轉磁帶,並將衝刺片段整合到合集中。
 深夜,日本電視台的奧田等人送來慰問品。剩下的工作人員為了做作為禮物的雞肉拉麵而爭搶鍋子。