文档:吉卜力日誌/1999年5月

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 4月 1999年5月 6月
我的鄰君山田君 製作日誌 目錄 
 4月 1999年5月 6月
1999年5月
1999年5月
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99.5.1(土)
 明日のアフレコ終了後に、効果の伊藤さんに渡す最新ビデオをアビッドから落とす作業を行うため、古城氏がまた朝方までの作業となる。連日の猛烈な作業に「勘弁して下さいよ~」と愚痴をいう古城氏に、回りのみんなは「若いんだから大丈夫だよ」とまだ23歳の古城氏をいじめている。
 ラッシュチェックが行われる。その際、チェックの仕方について、その場できちんとリテークを1CUTづつ明確にしていこう、との申し合わせが行われる。
99年5月1日(星期六)
 明天配音結束後,為了從Avid系統中導出最新視頻並交給音效的伊藤先生,古城先生又要工作到清晨。面對連日來的高強度工作,古城先生抱怨道:「饒了我吧~」,周圍的人卻調侃他說:「你還年輕,沒問題的」,繼續欺負這位年僅23歲的古城先生。
 進行了樣片檢查。在檢查過程中,大家一致決定要當場明確每一鏡頭的重拍要求,確保檢查方式規範。
99.5.2(日)
 田町のMITスタジオに大阪から何人もの役者さんに来てもらい、アフレコが行われる。終了後、効果の伊藤さんに来てもらい、そのまま今後のSE作業のスケジュール調整が行われる。定尺が出ないと作業が進められないとする伊藤さんの意見を受け、明日編集の瀬山さんにジブリに来てもらって、出来るものから定尺を出していくことに。
 今日はほとんどのスタッフが出勤しているにも関わらず、仕出し弁当屋がお休みのため、夕食に会社からピザとすしの差し入れがある。
99年5月2日(星期日)
 今天,從大阪來了許多演員到田町的MIT工作室進行配音錄製。結束後,邀請了音效的伊藤先生過來,直接進行了未來音效製作的時間安排調整。根據伊藤先生提出的意見,如果不定下最終剪輯長度,工作就無法推進,因此決定明天請編輯的瀬山先生來吉卜力,從已完成的部分開始確定剪輯長度。
 儘管今天大部分員工都來上班了,但由於外賣便當店休息,公司提供了披薩和壽司作為晚餐。
99.5.3(月)
 鈴木プロデューサーが今まであった机をどかし、コンピュータと共に金魚鉢に引きこもるため、石井君が吉祥寺でパソコンラックを購入し組み立てるも、組み立てると金魚鉢の入り口に入らないことが発覚、慌ててばらしていた。因に、今までのプレジデント席にはPD室長野中氏が鎮座し「貫録があってまるで普通の会社のようだ」と周囲の評判は上々。ってことは今までいた鈴木プロデューサーは…。
 夕方瀬山さんが来社し、アビッドにてチェックを行う。シーン7-7までほぼ定尺がでる。
 今日も弁当屋さんが休みのため、会社からサブウェイのサンドイッチとケンタッキーフライドチキンが支給される。
99年5月3日(星期一)
 鈴木製作人將之前使用的桌子移開,準備與電腦一起躲進金魚缸里,因此石井君在吉祥寺購買了電腦架並組裝。然而,組裝後發現無法進入金魚缸的入口,於是急忙拆解。順便一提,之前的社長座位現在由PD室長野中先生坐鎮,周圍評價說「很有威嚴,簡直像一家普通的公司」。那麼,之前坐在那裏的鈴木製作人現在……
 傍晚,瀬山先生來到公司,使用Avid進行檢查。直到場景7-7,基本上都符合標準。
 今天便當店也休息,公司提供了賽百味的三明治和肯德基的炸雞。
99.5.4(火)
 田町のMITスタジオにて子供たちが主のアフレコが行われる。オーディションテープを聞いたときから「天才少年現る」と劇中に登場する迷子の役を演じる小松崎雄太君がお気に入りだった高畑監督。実際に会ってみても天才ぶりを発揮する小松崎君に絶賛の嵐。ぐずって何も言わないかと思えば、絵が画面に出た途端完ぺきな演技を見せたりと、高畑監督や鈴木プロデューサーもハラハラドキドキ。
99年5月4日(星期二)
 在田町的MIT工作室,孩子們為主角進行配音。自從聽了試鏡帶後,高畑導演就對飾演劇中迷路孩子角色的小松崎雄太君情有獨鍾,稱他為「天才少年」。實際見面後,小松崎君也展現出了他的天才之處,受到了高度讚揚。他有時會鬧情緒不說話,但一旦畫面出現,他就能展現出完美的表演,讓高畑導演和鈴木製片人都感到緊張和興奮。
99.5.5(水)
 今日から音響監督若林さんがジブリに出社し、アビッドを使って、取り込んであったセリフをチェック。
99年5月5日(星期三)
 從今天開始,音響監督若林先生開始在吉卜力上班,使用Avid系統對已經錄入的台詞進行檢查。
99.5.6(木)
 夕方から新入社員が徳間社長と会食。たらふく食べてきたらしい。
 5月後半に怒濤のごとく動画を消化すべく、石井が各外注動画さんにお願いの電話をかける。返答は上々。ありがたやありがたや。
 今日から再び全国行脚。昨夜1時ころ家に帰ったと思ったら、朝6時半には新幹線に乗るべく東京駅へ出発。今日は松竹関西支社の池方さんと大阪の映画館、道頓堀東映パラス、千日前国際劇場、池田中央(実はここ、池方さんの実家)、梅田松竹会館をまわる。大阪のなんとも明るくヒットさせようと頑張っている姿にこちらもやる気になってくる。大阪泊。
99年5月6日(星期四)
 傍晚開始,新員工與德間社長共進晚餐。聽說他們吃得非常滿足。
 為了在5月下旬迅速處理大量視頻,石井給各個外包視頻公司打了電話請求協助。回應非常積極。真是感激不盡。
 今天開始再次全國巡迴。昨晚1點左右才回到家,早上6點半就出發去東京站乘坐新幹線。今天與松竹關西支社的池方先生一起走訪了大阪的電影院,包括道頓堀東映帕拉斯、千日前國際劇場、池田中央(其實這裏是池方先生的老家)、梅田松竹會館。看到大阪如此積極努力地推動電影事業,我們也感到幹勁十足。今晚住在大阪。
99.5.7(金)
 演助見習いの奥村、宮地がダビング用台本の校正作業にはいる。
 深夜遅くまで、高橋部長と神村デスクが今後の方針について熟考を重ねている。その後、二人で演出田辺さんの席へ。一体なにが伝えられたのか。
 今日は関西支社の藤田さんと、東大阪市のラインシネマ、橿原市の橿原シネアークの建築現場(7月末オープン予定)、近鉄百貨店の百人劇場、奈良のシネマデプト友楽、奈良地下劇場を訪問。奈良は社員旅行以来だが、劇場は両館とも、泊ったホテル猿沢のすぐ近く。ああ懐かしい。と感傷にふける間もなく東京へ。
99年5月7日(星期五)
 見習演助奧村和宮地開始進行配音用劇本的校對工作。
 深夜,高橋部長和神村主編反覆思考未來的方針。之後,兩人前往演出田邊的座位。究竟傳達了什麼呢?
 今天訪問了關西分社的藤田先生,以及東大阪市的Line Cinema、橿原市的橿原Cine Arc建築工地(預計7月底開業)、近鐵百貨店的百人劇場、奈良的Cinema Dept友樂、奈良地下劇場。自從員工旅行以來再次來到奈良,兩個劇場都位於我們住宿的猿澤酒店附近。啊,真是懷念。還沒來得及沉浸在感傷中,就返回了東京。
99.5.8(土)
 瀬山さん来社。高畑さん、鈴木プロデューサーらと、アビッドから出した映像をバーのプロジェクターで映写。全体的なチェックを行う。
 外注回り途中の石井くんと斉藤君が、なぜか道を間違えて関越自動車道を所沢までドライブ。本人達がまず心配したのは、高速料金だとか。貧乏…。斉藤君の名誉のために書くが運転していたのは石井君。
99年5月8日(星期六)
 瀬山先生來到公司。與高畑先生、鈴木製作人等一起,在酒吧的投影儀上播放了從Avid導出的影像。進行了整體檢查。
 在外出拜訪外包公司的途中,石井君和齊藤君不知為何走錯了路,沿着關越自動車道一直開到了所澤。他們首先擔心的是高速公路的過路費。真是窮啊……為了齊藤君的名譽,特此註明,開車的是石井君。
99.5.9(日)
 いつも米の一粒も残さないデスク神村氏の弁当が、一口手をつけただけで放置されている。身も心も削りながら仕事をする神村氏。ポツンと置かれた弁当箱を見ていると、こみ上げてくるものがある。
 明日の飛行機で北海道に旅立とうと準備をしていると、なんと劇場を写すためのカメラを会社に忘れたことが発覚。車で取りに、と思ったら、早く寝るため先程ビールを一気飲みした後。仕方がないので、石井、斉藤両氏に自宅へ届けてもらう。感謝。
99年5月9日(星期日)
 平時連一粒米都不會剩下的神村先生的便當,今天只吃了一口就被放在了一邊。神村先生身心俱疲地工作着。看着孤零零地放在那裏的便當盒,心中不禁湧起一股複雜的情緒。
 明天要乘飛機去北海道旅行,正在準備時,竟然發現把拍攝劇場的相機忘在了公司。本想開車去取,但為了早點睡覺,剛才一口氣喝了一罐啤酒。沒辦法,只好請石井和齊藤兩位先生幫忙送到我家。非常感謝。
99.5.10(月)
 稲城さんが矢野さんの録音に立ち会うために行っていたニューヨークから帰国。時差ボケであたまが全然まわらない、とやつれた顔でたまった仕事を片づけている。
 居村氏の下に付いている新人奥村氏が、自動車免許取得のため、欠勤。本当は先週行くはずだったのだが、前夜の結果が芳しくなかったらしく、今日に延期になったという訳。なぜ頼みたい仕事がある日に限って…と居村氏が嘆いている。
 またまた朝のラッシュをくぐり抜け、松竹関東支社長の久我さん、テレマン神山氏と朝の羽田空港から北海道旭川空港へ(実は私は旭川生まれ)。旭川国民劇場を訪ね、その日本最北端にある劇場名寄電気館へ。なんと大正五年から続いている劇場と聞いてびっくり。約二時間半電車に乗って札幌へ。札幌SY遊楽に立ち寄り今日は実家で宿泊。
99年5月10日(星期一)
 稲城先生為了見證矢野先生的錄音,從紐約回國。由於時差,他感到頭腦完全無法運轉,疲憊地處理着積壓的工作。
 在居村先生手下工作的新人奧村先生,為了考取汽車駕照而請假。原本他應該上周去的,但據說前一天的結果不太理想,所以推遲到了今天。居村先生嘆息道:「為什麼偏偏在有重要工作的時候……」
 再次穿過早高峰,與松竹關東支社的久我先生、Teleman的神山先生一起,從早上的羽田機場飛往北海道旭川機場(其實我是旭川出生的)。我們拜訪了旭川國民劇場,並前往位於日本最北端的劇場——名寄電氣館。聽說這個劇場從大正五年(1916年)一直延續至今,真是令人驚訝。大約乘坐了兩個半小時的火車後,我們抵達了札幌。順便去了札幌SY遊樂場,今晚住在老家。
99.5.11(火)
 日本テレビ氏家氏が来社、それと共に、追い込み激励パーティーがジブリバーと二馬力に分かれて行われる。昼過ぎから社内はタキシードに身を包んだウェイターから寿司職人がかけずり回り騒然とする。
 取材が数件入ると共に、各部署の主要メンバーが新会議室でカメラのフラッシュに包まれていた。
 制作石井君の嫉妬する顔(彼は何十カ国も回ったことのある旅行好き)を思い浮かべながら、特急オホーツクに乗り、4時間半かけて北見へ。北見東急デパート内にある109劇場に寄ろうと思ったが休みだったので、営業宣伝を行っている北見中劇の方へ。今日はこれで終わり。
99年5月11日(星期二)
 日本電視台的氏家先生來訪,與此同時,激勵派對分別在吉卜力酒吧和二馬力舉行。從中午開始,公司內部就變得熱鬧非凡,穿着燕尾服的侍者和壽司師傅四處奔走。
 幾項採訪同時進行,各部門的主要成員在新會議室里被攝像機的閃光燈包圍。
 想像着製作部的石井君嫉妒的表情(他是個喜歡旅行的人,已經去過幾十個國家),我乘坐特急鄂霍次克號,花了四個半小時到達北見。原本打算去北見東急百貨公司內的109劇場,但那天休息,於是去了正在營業宣傳的北見中劇場。今天就這樣結束了。
99.5.12(水)
 高畑監督に取材が入る。知らずにラッシュの予定を立てていたデスク神村氏があわてて変更報告に駆け回っていた。
 デスク神村氏の命により、石井氏が特大の残り原画カウントダウンバナーを作成する。ちなみに、最初はA4一杯に印刷していたのだが、神村氏の「小さい小さい!!」の言葉に、急遽用紙を継ぎ足し、嫌みな程大きなものが壁にでかでかと張り出されることになる。
 朝から三時間かけて釧路へ。釧路テアトルスガイに寄り、今度は約二時間がかりで帯広へ(私は30年ほど前帯広幼稚園に通っていた)。やはり北海道は広い。ここでは帯広グランドシネマ・テアトルポニーに寄る。帯広空港から東京へ。
99年5月12日(星期三)
 今天有對高畑導演的採訪。神村先生事先不知道,已經安排了拉什(Rush)的計劃,結果匆忙地四處奔走進行變更報告。
 根據神村先生的指示,石井先生製作了一個特大的剩餘原畫倒計時橫幅。最初只是在A4紙上打印,但神村先生一直說「太小了太小了!!」,於是緊急拼接紙張,最終製作了一個大得誇張的橫幅,貼在牆上。
 早上花了三個小時到達釧路。在釧路的Teatoru Sugai停留,然後又花了大約兩個小時到達帶廣(我大約30年前曾在帶廣幼兒園上學)。北海道果然很廣闊。在這裏,我們去了帶廣的Grand Cinema Teatoru Pony。最後從帶廣機場返回東京。
99.5.13(木)
 今年のアメリカアカデミー賞短編アニメーション部門のオスカーを獲得したCGアニメ「BUNNY」を作ったスタッフが35mmフィルムを持って来社。社内を見学後、スタッフが集まり、出来たばかりの試写室で上映会が行われる。その後二馬力で予定時間を1時間以上もオーバーし、宮崎監督と様々な議論を行う。
 7時から高畑監督が、サウンドINにて「ケセラセラ」の生楽器部分の録音に立ち会う。
99年5月13日(星期四)
 今年獲得美國奧斯卡獎短片動畫部門奧斯卡獎的CG動畫《BUNNY》的製作團隊帶着35毫米膠片來到公司。在公司參觀後,工作人員聚集在一起,在剛建成的試映室舉行了放映會。之後,討論時間比原定計劃超出了一個多小時,宮崎導演與大家進行了各種討論。
 從7點開始,高畑導演在錄音室參與了《隨風而逝》的現場樂器部分的錄音。
99.5.14(金)
 深夜、動画担当1人につき一体何枚あげれば良いのか計算し、この状況を作画部全体に把握してもらうため、制作部で残りの必要動画枚数を計算。
 朝のスーパーあずさにて甲府に向けて出発。平日なので自由席でいいや、と気楽に考えていたら、ビジネスマンで満員。座れずに立って甲府まで行く羽目に。甲府で武蔵野シネマファイブ、テアトル甲府を訪問し、岡谷市の岡谷スカラ座、松本市のエンギザ、長野市の長野ロキシーに立ち寄り長野泊。
99年5月14日(星期五)
 深夜,為了計算每位動畫負責人應該分配多少張畫稿,並讓作畫部全體了解這一情況,製作部計算了剩餘的所需動畫張數。
 早上在超級Azusa超市出發前往甲府。因為是工作日,想着坐自由席應該沒問題,結果車廂里擠滿了商務人士,最終只能站着到甲府。在甲府參觀了武藏野Cinema Five和Theatre甲府,之後又去了岡谷市的岡谷Scala座、松本市的Engiza和長野市的長野Roxy,當晚在長野過夜。
99.5.15(土)
 午後、動検舘野さんと制作部で動画部全員へ最後のラストスパートへのお願いをする。
 今日は上田市の上田でんき館、佐久市の佐久Amシネマ、飯田市のセンゲキシアターへ伺う。夜11時頃帰京。
99年5月15日(星期六)
 下午,與動檢館野先生在製作部向動畫部全體成員發出最後的衝刺請求。
 今天訪問了上田市的上田電氣館、佐久市的佐久Am電影院以及飯田市的戰旗劇院。晚上11點左右返回東京。
99.5.16(日)
 演助助手の奥村、宮地の二人も最近は日曜日無し。出社してきた高橋さんが「休日なのにすごい人口密度だ」と一言。
 石井氏が金魚鉢に設置するプリンターを新宿へ買いにいく。
 朝早く出社してたまった仕事を整理。
99年5月16日(星期日)
 最近,助理奧村和宮地兩人也沒有了星期日的休息。來公司的高橋先生說了一句:「明明是休息日,人口密度卻這麼高。」
 石井先生去新宿買了要放在魚缸旁的打印機。
 一大早來公司,整理積壓的工作。
99.5.17(月)
 制作部全員の体力が限界を迎えつつあるため、帰宅のローテーションを組むことになる。
 最近T2スタジオへの回収が宮地くんの担当になっているため、外の空気を吸うことが唯一の活力源だった石井氏が、隙を見て外出しようとしては居村氏に見つかり「オレだって外に出たいんだから」と待ったをかけられている。
 今日は飛行機で大館能代から秋田、岩手を回る予定になっているが、朝9時頃会社に寄ったら、居村君や斉藤君が必死で働いている。朝早くから、と思ったらヒゲがやけに濃い…。お疲れさま。という訳で大館市の大館中央劇場、大曲市の大曲月岡シネマ、秋田シネマ旭を訪問し、秋田泊。
99年5月17日(星期一)
 由於製作部全體成員的體力已接近極限,決定安排輪流回家休息。
 最近,T2工作室的回收工作由宮地君負責,因此,石井先生唯一能呼吸到外面空氣的機會也被剝奪了。他試圖找機會外出,但每次都被居村先生發現,並被告知「我也想出去啊」,於是只好作罷。
 今天原本計劃乘飛機從大館能代出發,前往秋田和岩手。早上9點左右到公司時,發現居村君和齊藤君正在拼命工作。心想他們這麼早就開始工作了,結果發現他們的鬍子異常濃密……真是辛苦了。於是,我們訪問了大館市的大館中央劇場、大曲市的大曲月岡電影院和秋田電影院旭,並在秋田過夜。
99.5.18(火) 
 あまりのリテークの多さに、居村氏が頭をかかえ、うずくまっている。よほど腹に据えかねたらしく、その夜の食事外出はいつになく長かった。
 今日は秋田から盛岡でバスを乗り換え、二時間かけて宮古市へ。宮古マリーンシネマで挨拶し、再び盛岡へ。盛岡ピカデリー、ルミエールを訪問し、盛岡泊。
99年5月18日(星期二)
 由於重拍的次數太多,居村先生抱着頭,蹲在地上。他似乎非常難以忍受,那晚外出吃飯的時間比平時長了很多。
 今天從秋田到盛岡換乘巴士,花了兩個小時到達宮古市。在宮古海洋電影院打了招呼後,再次返回盛岡。訪問了盛岡皮卡迪利和盧米埃爾,晚上住在盛岡。
99.5.19(水)
 午後より、バーにてラッシュチェックが行われる。
 今後予想される動画人員不足を考え、スタジオたくらんけに動画数カットお願いする。
 今日は盛岡から雨の中水沢市の水沢ロマンス、一関市の一関の一関シネプラザ、古川市の古川文化劇場を訪問する。夜帰京。因に、外回りでいない間の会社の様子はスパイのスパイ、制作石井氏に情報をお願いしている。
99年5月19日(星期三)
 下午開始在酒吧進行拉什檢查。
 考慮到未來可能出現的視頻人員不足問題,請求工作室削減視頻數量。
 今天從盛岡出發,冒雨訪問了水澤市的水澤浪漫、一關市的一關Cine Plaza以及古川市的古川文化劇院。晚上返回東京。順便提一下,外出期間公司的情況由間諜石井先生負責收集信息。
99.5.20(木)
 5時からフィルムのラッシュチェック、8時からプロジェクターでのチェックが行われる。一寸会社にいない間に次々とCUTが完成している。ちょっとした浦島太郎状態。
 松竹岩崎氏と共に松竹のインターネット担当、土井、荻谷両氏が来社。今後のインターネット補完計画を話し合う。
99年5月20日(星期四)
 從5點開始進行膠片樣片的檢查,8點開始在投影儀上進行檢查。我不在公司的一小段時間裏,一個個鏡頭接連完成。有點像是浦島太郎的感覺。
 松竹的岩崎先生與松竹的互聯網負責人土井先生和荻谷先生一同來訪。我們討論了未來的互聯網補充計劃。
99.5.21(金)
 早稲田アバコスタジオにて、矢野顕子による音楽録音が行われる。高畑監督は終始ごきげんの様子。勿論仕上がった曲もすばらしい出来。
 今日は松竹佐藤さんと、千葉を目指して東京駅を出発。まず茂原シネマサンシャインへ。駅からタクシーで行ったは良いが、帰りはタクシーを捕まえることが出来ず、駅まで30分歩く羽目に。次にシネマコレクション東金、成東シネフェスタを訪問し、銚子で一泊。
99年5月21日(星期五)
 在早稻田阿巴科錄音室,進行了由矢野顯子負責的音樂錄音。高畑導演全程心情愉快。當然,完成的曲子也非常出色。
 今天與松竹的佐藤先生一起,從東京站出發前往千葉。首先去了茂原Cinema Sunshine。雖然從車站打車去很方便,但回來時卻打不到車,不得不步行30分鐘回到車站。接着訪問了Cinema Collection東金和成東Cinema Festa,最後在銚子住了一晚。
99.5.22(土)
 浜町のテレビセンターにて、のぼる役五十畑迅人君の追加分アフレコが行われる。
 最近、制作斎藤氏が演助新人の奥村君に運転を教えるため、しげく外回りに出ているが、制作デスク神村氏は、ひたすら何事も起こらないことを祈り続けている。
 演助新人の三人に、新試写室において映写機の操作方法の講習が行われる。
 今日は朝一で銚子セントラルを訪問、その後WMCユーカリが丘を訪ね、夕方ジブリに帰還。
99年5月22日(星期六)
 在浜町的電視中心,進行了飾演登場的五十畑迅君追加部分的配音錄製。
 最近,製作人齋藤先生為了教新人助理導演奧村君開車,頻繁外出。製作台長神村先生則一直祈禱着不要發生任何意外。
 在新試映室,對三位新人助理導演進行了放映機操作方法的培訓。
 今天一早訪問了銚子中央,隨後拜訪了WMC尤加利丘,傍晚返回了吉卜力工作室。
99.5.23(日)
 試写室のスピーカーコーンを慣らす為、向こう一ヶ月間24時間連続で音を流しつづけることになる。
 休日返上のスタッフへアイスクリームを差し入れるため、石井、斎藤の二人で何故か国分寺へ。
 原画が残り1CUTとなる。
99年5月23日(星期日)
 為了調試試映室的揚聲器錐體,接下來一個月將連續24小時播放聲音。
 為了給加班的工作人員送雪糕,石井和齋藤兩人不知為何去了國分寺。
 原畫還剩下1個鏡頭。
99.5.24(月)
 タンゴの動きの参考に、柔道の足払いのビデオが欲しいとの声がかかり、斎藤、居村両氏がジブリ周辺のビデオ店を虱潰しに探し回るもみつからず。
 奥村、宮地、高橋の三人に、映写機の扱い方についての講習が行われる。
 サウンドインにて、音楽録音が行われる。
 体調不良のなか、朝の新幹線で雨の京都へ。松竹関西の藤田さんと美松映劇、京都松竹座を訪問し、約四時間で京都から名古屋へ。せっかく京都に来たのに…。名古屋泊。
99年5月24日(星期一)
 有人提出想要柔道足技的視頻作為探戈動作的參考,齋藤和居村兩位先生在吉卜力周邊的錄像店四處搜尋,但未能找到。
 奧村、宮地、高橋三人接受了關於放映機操作方法的培訓。
 在錄音室進行了音樂錄音。
 儘管身體不適,還是乘坐早班新幹線前往雨中的京都。與松竹關西的藤田先生一起訪問了美松映劇和京都松竹座,大約四小時後從京都前往名古屋。好不容易來到京都卻……。夜宿名古屋。
99.5.25(火)
 GAZOの取材、フジテレビアナウンサーの見学等、様々な人たちが入れ替わり立ち替わり出入りしている。
 仕上にカットをおろす際は、原則として着彩ボードを添えることになっているのだが、紆余曲折の末、現在はシーンごとにボードをおろしている為、制作がカットごとに確認できず、ボードがみつからないという事件が多発している。早速、対応策として現在仕上げにおりていない全てのカットのボードの所在を明らかにすることに。
 昨日の資料用の柔道のビデオを買い求めに、宮地君が水道橋の講道館まででかけ、世界選手権とオリンピックの試合ビデオをみつけてくる。
 松竹名古屋の坂本さんと朝9時前の急行列車で名古屋を出発、まずは伊賀上野へ。ジストシネマ上野、伊勢市の伊勢世界館、津市の津東映シネマ、白子のWMC鈴鹿を駆け足で回り再び名古屋泊。
99年5月25日(星期二)
 今天,GAZO的採訪、富士電視台播音員的參觀等,各種各樣的人來來往往,絡繹不絕。
 在提交最終剪輯時,原則上需要附上着色板。然而,經過一番波折,現在每個場景都單獨提交着色板,導致製作人員無法逐個確認剪輯,經常發生找不到着色板的情況。為此,我們立即採取對策,明確所有尚未提交的剪輯的着色板位置。
 昨天,為了購買資料用的柔道視頻,宮地君前往水道橋的講道館,找到了世界錦標賽和奧運會的比賽視頻。
 早上9點前,我與松竹名古屋的坂本先生一起乘坐快車從名古屋出發,首先前往伊賀上野。我們匆匆參觀了上野的Gist Cinema、伊勢市的伊勢世界館、津市的津東映Cinema以及白子的WMC鈴鹿,最後再次回到名古屋過夜。
99.5.26(水)
 5時からラッシュチェックあり。
 実線動画が残り一CUTとなる。
 坂本さん、同じく松竹名古屋宣伝部の山田さんと、名古屋駅前にあるピカデリー1,グランド6に。その後山田さんの運転する車で、中川区の中川シネマワールド、桑名市のWMC桑名、安城市の安城シネマワールド、岡崎市の岡崎劇場、豊橋市の豊橋ピカデリーを怒濤のごとく回り、夜の新幹線で東京へ。
99年5月26日(星期三)
 從5點開始進行高峰時段的檢查。
 實線視頻只剩下最後一CUT。
 坂本先生與松竹名古屋宣傳部的山田先生一起前往名古屋站前的Piccadilly 1和Grand 6。之後乘坐山田先生駕駛的汽車,依次前往中川區的中川Cinema World、桑名市的WMC桑名、安城市的安城Cinema World、岡崎市的岡崎劇場、豐橋市的豐橋Piccadilly,行程緊湊如怒濤般,最後乘坐夜班新幹線返回東京。
99.5.27(木)
 夕方動画の篠原さん宅へ電車で回収に行った斉藤君と奥村君。帰ろうと思ったら、強風により架線にビニルが引っ掛かったとかで中央線がストップ。仕方がないので電車が動くまで、と小金井方向へ歩き始めるも、阿佐谷まで来ても電車は動く気配なし。二人は力尽きてジブリにSOSのTEL。車で回収となる。
 8時からフィルムとプロジェクターによるラッシュチェックが行われる。
99年5月27日(星期四)
 傍晚,斉藤君和奧村君乘坐電車前往篠原先生家取回動畫資料。當他們準備返回時,由於強風導致電線被塑料布纏住,中央線電車停運。無奈之下,他們決定步行前往小金井方向,等待電車恢復運行。然而,即使走到阿佐谷站,電車依然沒有恢復的跡象。兩人筋疲力盡,只好向吉卜力工作室發出求救電話,最終被車接回。
 晚上8點,使用膠片和投影儀進行了樣片檢查。
99.5.28(金)
 ようやく定尺が決まったと思ったら、高畑監督の要望でタンゴシーンが一秒長くなることに。早速、テレセンに詰めている若林さんに連絡を取り、これが最後の条件で納得して頂く。
 群馬県太田市にある太田コロナシネマワールドを訪問。夕方ジブリに出社。演助新人高橋氏と共にHP劇場紹介作業のラストスパート。
99年5月28日(星期五)
 終於以為定尺已經確定,卻因為高畑導演的要求,探戈場景要延長一秒。立刻聯繫了正在電視台忙碌的若林先生,希望他能理解這是最後的條件。
 訪問了位於群馬縣太田市的太田科羅納電影世界。傍晚回到吉卜力公司。與助理導演新人高橋先生一起,完成了HP劇場介紹工作的最後衝刺。
99.5.29(土)
 お茶の水で、来年度新卒者の共同進学説明会に参加する。
 テレセンにて、高畑監督が立ち会い、効果音のチェックが行われる。その際、総尺は合っているのに、どうしても絵と台詞が合わないカットがあることが判明。終日原因はわからず。
 夜10時より、プロジェクターのラッシュチェックが行われる。
 最近夜鳴きそばが毎日のようにジブリに現れているが、近ごろは予め電話連絡があってから来るようになっている。
99年5月29日(星期六)
 在御茶水參加了來年度新畢業生的共同升學說明會。
 在Telecom,高畑導演在場,進行了音效的檢查。當時發現,雖然總長度是合適的,但有些鏡頭無論如何都無法與台詞匹配。整天都沒有找到原因。
 晚上10點開始,進行了投影機的樣片檢查。
 最近,夜鳴蕎麥麵店的人幾乎每天都出現在吉卜力,但最近他們會提前打電話聯繫後再來。
99.5.30(日)
 昨日のコマズレの問題で、古城氏が各カットのコマ数をテレセンに送り、照合を依頼したところ、ある一カットの最後を切り忘れ、次のカットで帳尻を合わせていた事が原因と判明。早速修正する。
99年5月30日(星期日)
 關於昨天出現的畫面卡頓問題,古城先生將每個鏡頭的幀數發送給電視台進行核對後發現,原因是某個鏡頭的結尾部分被遺漏剪切,導致在下一個鏡頭中進行了調整。現已立即進行修正。
99.5.31(月)
 赤坂三分坂スタジオにて中村玉緒さんのアフレコが行われる。中村さんと高畑監督の30分にわたる濃厚なリハーサルの甲斐あって大満足の内に終了。
 今日は茨城県方面へ。まずは、竜ケ崎市の竜ケ崎シネマパラダイスを訪問。次に土浦市の土浦ピカデリー、石岡市の石岡パレットシネマ、水戸市の水戸パンテオン、水戸リードシネマ、日立市の日立シネフェスタと回り、夜東京へ。
99年5月31日(星期一)
 在赤坂三分坂工作室進行了中村玉緒女士的配音錄製。得益於中村女士和高畑導演長達30分鐘的深入排練,錄製工作圓滿結束。
 今天前往茨城縣方向。首先訪問了龍崎市的龍崎電影天堂,接着去了土浦市的土浦皮卡迪利、石岡市的石岡調色板影院、水戶市的水戶萬神殿、水戶里德影院,以及日立市的日立電影節,晚上返回東京。