文档:Joe hisaishi meets kitano films/專輯解說
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「久石讓與北野武電影」 |
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このアルバムを聴いていると、 それぞれの作品に取り組んでいた時の自分自身の気持ちの流れみたいなものが蘇ってくる。 それぞれ違う曲なんだけど、何か一貫した匂いを発しているし、 今までの作品の映像を再編集して、 ここにある曲を全部使って一本の映画を作ってしまうってえのはどうだい?・・(笑)。 そのくらいトータルな世界がここには存在している。 それにしても、いずれ劣らぬ名曲揃いだね。お見事!です。 北野 武 |
聽着這張專輯, 仿佛又回到了創作每首作品時的心境。 雖然每首曲子都不同,但它們散發出某種一致的氣息, 如果把以往作品的影像重新剪輯, 用這裏的全部曲子製作一部電影,你覺得怎麼樣?……(笑)。 這裏存在着一個如此完整的世界。 而且,每一首都是毫不遜色的名曲。真是精彩! 北野 武 |
北野映画のプロデューサー森昌行氏(オフィス北野社長)が語る、久石音楽と北野作品の接点と相関関係 |
北野電影製片人森昌行(Office Kitano社長)談久石音樂與北野作品的交集與相互關係 |
北野監督という人は、もともと映画を撮りたくて撮り始めたわけではないといういきさつを含めて、基本的に映画の文法にのっとってものを考えるところがなかったんですね。だから映画音楽に関しても、正直言ってあまり深く考えていなかったと思うし、どちらかといえば既にあるものの中から使っていこうという意識が強かったと思う。 「その男、凶暴につき」はエリック・サティですしね。「3-4×10月」の時も、ジャン・リュック・ポンティだったりエリック・ドルフィだったり。著作権の問題で使えなかったという事情もあり、それなら逆に音楽を全部やめてしまおうという経緯もあって、あの作品では映画音楽というものをまったく使っていないんですよ。 映画音楽のいろはを知らないわけではないんですけど、自分の作品のイメージを意識にて曲を作ってもらうという発想がなかったんですね。ですから、映画音楽というものと正面から向き合ったのは「あの夏、いちばん静かな海。」での久石さんが初めてでした。 武さん自身、いろんなコンポーザーの方々を知っているわけではなかったし、スタッフの間でふと久石さんの名前が挙がったのが発端で…。久石さんといえば、宮崎(駿)作品とのコラボレーションの印象のせいか、どうしてもアニメーション映像のキャラクターに命を吹き込むような、素朴でセンシティヴな音楽のイメージが強いので、一見、武さんとは接点がなさそうに思えますよね。ですが、映画制作において常套手段を持たず、文法を外して考える武さんのやり方には、久石さんが持っているテイストのほうが合うかも知れないと思えたんですね。 久石さんには、世界観についてあれこれディスカッションして音楽をつけてもらうというよりも、映画そのものが持つキャラクターのようなものを客観的に見ていただけるんじゃないか、なおかつ的確な音楽をつけていただけるんじゃないかという思惑もそれなりにありましたし。武さんが描いている世界には、久石さんの素朴ふうなエッセンスのほうが与しやすいんじゃないか、それがミスマッチであればあるほど、ひょっとしたらハマるんじゃないか、と。だから、動機としてはきわめて不純でしたね(笑)。 初めてご一緒させていただいた作品の「あの夏~」の主人公には台詞がないという特殊なケースでしたけど、台詞の代わりにあのキャラクターに世界観を持たせたり肉づけしていくのは音楽なのかなあという気もしてましたし、そこでこそ久石さんの手腕が生きるかなという期待もあって、お願いしたわけなんですけどね。 われわれの中では、北野武 VS 久石譲という組み合わせは、かなりセンセーショナルでスリリングなコラボレーションだったわけですよ。 ただ、久石さん自身は相当難儀をされたと思います。なぜなら、武さんは本来音楽がつかないような場面に音楽をつけようと言いだしたり、ありきたりな発想を排除した観点でリクエストしますから。しかも打合せの段階で、どのシーンにどんな音楽をつけてほしいというリクエストをしておきながらも、武さんはダビングの段階でそれを根底から覆したりもしますし(笑)。そもそも、何度も何度もディスカッションを重ねて、映像にマッチする音楽を決めていくやり方は、武さん的ではないわけです。ある程度任せられながら、久石さんが北野ワールドの当たらずとも遠からずのヒントを見つけていくという方法が主流なんですが、いざ任せられる立場の久石さんの心中を察すると、かなりの苦労を抱え込んでいるんじゃないんでしょうか。任せられたとはいえ、まったく違った世界を示すわけにもいきませんからね。 つまり、共通言語を持ちえない者同士がなんとか共通言語を模索するような難しさが潜んでいるわけです。でも久石さんは、武さんのそういうわがままに近いこだわりを許すだけじゃなくきちんと認めてくれて、なおかつ理解と納得もしていただいてる。 それに久石さんは、北野映画の”削ぎ落とし”の手法をよく理解して下さってますね。あれこれフルにスタンバイさせながらいろんなカットを撮っても、どんどん削ぎ落としてシンプルにしていく。音楽でも同じようなことをしているんです。贅沢なスコアを書き上げてもらうんですが、武さんはそれをどんどん削ろうとする。でも久石さんはそれを客観的に見つめながら、最終的にもうこれしかないというところまでもっていく作業を楽しんでいただいているみたいです。おそらく、二人とも同じようなテーマを抱えているからこそ理解し合えるんだと思うんですが…。 つまり武さんは、台詞がないシーンや一見演出が何もないようなシーンに何を感じさせるかということを大切にして、そのために必要な絵を撮る。久石さんも同様に、必要な場面に必要な音楽をつけるという映画音楽の基本をふまえつつも、音楽のないシーンにいかに音楽を感じさせるかということのために音楽をつけるという考え方を持っている。そのスタイルやスタンスの近さが、二人をより強固に結びつけていつ部分でもあるような気がします。 既に久石さんも北野組の一員といいますか、北野作品には欠かせない存在になっていることは確かですが、二人の関係は求め合って寄り添い合う粘着型の関係性ではなく、適度な距離感を持った関係といえるんじゃないでしょうか。お互いの才能をリスペクトし合いつつも、一方ではライバル意識に近い気持ちを持って接している。そこでの摩擦熱のようなものが、北野作品のクォリティを高めているんだと思いますね。 その摩擦熱が一気にヒートアップしたのが最新作の「BROTHER」でした。武さんはここまでの映画人としての総括だと言い、われわれは北野監督によるエンタテインメント作品のスタート地点と位置づけ、久石さんはその狭間でなんとかよりよい着地点を見つけ出そうと苦悶していたように思います。その結果として、まずメインテーマを奏でるリード楽器を決めあぐねることになり、しかも旋律を疑問視する意見も出てきたことも事実です。 特に英国側のプロデューサーでもあるジェレミー・トーマス氏からは、音楽が作品を難しくしていないかという意見が投げかけられ、それに対してこちら側の生理としては、これまでの流れの中に位置づけられることだけは拒否しなければいけないという気持ちもあって、猛反発したんです。仮に心地好いピアノの旋律が流れてそこに武さんが登場してくるなら、これまでの作品と何ら代わりばえしないと思うんです。 そうじゃなく、「BROTHER」は新しい環境の中で新しく作られたエンタテインメント作品なんだという部分を主張するためにも、音楽はこれじゃないとダメなんだ、とジェレミーにも納得していただきました。そういったやりとりを経てこの作品を公開できたことで、武さんと久石さんの関係は更に密になったような気がします。武さんが久石さんに要求するレベルは高くなり、同様に、久石さんの北野映画を掘り下げる眼力もより高くなったでしょうから。 ただ、総じて言えるのは、要は久石さんが醸すメロディラインが、シンプルな中に非常に美しい旋律と音色を秘めているということ、そしてそういう久石さんのセンスと才能をきちんと理解したうえで、しかもそれが大好きだから北野映画の音楽監督をお願いしているという点は、過去も現在も揺るぎがないところです。表現は陳腐ですが”シンプル・イズ・ベスト”とでも言いますか…。 そういう久石さんの音楽作品がセレクトされた作品集を聞かせてもらうと、そこには一つの確かな流れが存在していて、間違いなく久石さんの世界ではあるんですが、同時に北野武の世界でもあることを感じるんです。つまりは、久石さんが武さんの映像からインスパイアされて築きあげる世界には、その独特の匂いを知らず知らずのうちに共有していて、しかも同じ匂いを久石さん自ら発しているということだと思うんですよ。そういう意味では、久石譲、北野武の両者の世界観を堪能できる、他にはちょっと見当たらない価値あるサウンドトラック集なんじゃないでしょうか。 |
北野武導演最初並不是因為想拍電影而開始拍電影的,因此他基本上沒有按照電影的傳統語法來思考問題。關於電影音樂,他也沒有深入考慮過,更多的是傾向於從已有的音樂中選擇使用。 例如,《那個凶暴的男人》使用了埃里克·薩蒂的音樂,《3-4×10月》則使用了讓-呂克·龐蒂和埃里克·多爾菲的音樂。由於版權問題,有些音樂無法使用,於是北野武乾脆決定完全不使用電影音樂,因此在那部作品中完全沒有電影音樂。 北野武並不是不了解電影音樂的基本知識,但他沒有想過讓作曲家根據自己作品的形象來創作音樂。因此,他第一次真正面對電影音樂是在《那年夏天,寧靜的海》中與久石讓的合作。 北野武本人並不認識很多作曲家,久石讓的名字是在工作人員中偶然被提到的。提到久石讓,人們通常會聯想到他與宮崎駿作品的合作,那種為動畫角色注入生命的樸素而敏感的音樂風格,似乎與北野武的作品沒有太多交集。然而,北野武在電影製作中不拘泥於常規,跳出傳統語法的思維方式,或許與久石讓的音樂風格更為契合。 北野武並沒有與久石讓進行過多的世界觀討論,而是希望久石讓能夠客觀地看待電影本身的角色,並為其配上恰當的音樂。北野武認為,久石讓那種樸素的音樂風格可能更適合他所描繪的世界,甚至可能因為風格的不匹配而產生意想不到的效果。因此,合作的動機可以說是相當不純粹的(笑)。 在《那年夏天,寧靜的海》中,主人公沒有台詞,這種特殊情況下,音樂成為了賦予角色世界觀和深度的關鍵。北野武期待久石讓的音樂能夠在這一方面發揮作用,因此邀請他參與創作。 在我們看來,北野武與久石讓的合作是一次相當轟動且刺激的組合。 不過,久石讓本人可能感到相當困難。因為北野武常常在原本不需要音樂的場景中要求加入音樂,並且排除常規的想法。即使在討論階段已經確定了哪些場景需要什麼樣的音樂,北野武在後期製作階段也可能會完全推翻之前的決定(笑)。北野武並不喜歡通過多次討論來決定與影像匹配的音樂,而是更傾向於讓久石讓在北野的世界中找到合適的音樂靈感。然而,對於久石讓來說,這種被賦予自由創作空間的方式可能帶來了相當大的壓力,因為他不能完全偏離北野的世界。 換句話說,這種合作中潛藏着兩個沒有共同語言的人試圖尋找共同語言的困難。但久石讓不僅接受了北野武這種近乎任性的執着,還給予了充分的理解和認可。 此外,久石讓也很好地理解了北野電影中「削減」的手法。北野武在拍攝時會拍攝大量鏡頭,但最終會不斷削減,使影片變得簡潔。在音樂上,北野武也採取了類似的做法。儘管久石讓創作了豐富的樂譜,但北野武會不斷削減,最終只保留最必要的部分。久石讓似乎很享受這種客觀審視並最終精簡音樂的過程。或許正是因為兩人都抱有相似的主題,他們才能相互理解。 北野武非常注重在沒有台詞或看似沒有戲劇性的場景中讓觀眾感受到某種情感,並為此拍攝必要的畫面。久石讓同樣遵循電影音樂的基本原則,在必要的場景中加入必要的音樂,但他也思考如何在看似不需要音樂的場景中讓觀眾感受到音樂的存在。這種風格和態度的相似性,或許是兩人能夠緊密合作的原因之一。 久石讓已經成為北野團隊中不可或缺的一員,但兩人的關係並不是那種相互依賴的緊密關係,而是保持着適度的距離。他們互相尊重對方的才華,同時也帶有一種近乎競爭的意識。這種摩擦產生的熱量,或許正是提升北野作品質量的關鍵。 在最新作品《BROTHER》中,這種摩擦達到了頂峰。北野武將這部電影視為他作為電影人的總結,而我們則將其視為北野武導演娛樂作品的起點。久石讓則在這兩者之間努力尋找更好的平衡點。結果,他們在決定主旋律的樂器時遇到了困難,甚至有人對旋律本身提出了質疑。 特別是英國製片人傑瑞米·托馬斯提出了音樂是否讓作品變得過於複雜的疑問,我們對此強烈反對,認為必須拒絕將這部電影簡單地歸類為以往作品的延續。如果只是播放一段悅耳的鋼琴旋律,然後北野武登場,那與以往的作品就沒有任何區別了。 我向傑里米解釋說,為了強調《BROTHER》是在新環境中全新創作的娛樂作品,音樂必須如此,他也表示理解。通過這樣的交流,我們得以公開這部作品,我覺得武先生和久石先生的關係也因此變得更加緊密。武先生對久石先生的要求更高了,同樣,久石先生對北野電影的理解也更深了。 總的來說,久石先生創作的旋律在簡單中蘊含着非常美麗的旋律和音色,而北野先生正是因為理解並深愛久石先生的這種才華和感覺,才一直請他擔任自己電影的音樂監督,這一點過去和現在都沒有改變。雖然表達有些老套,但可以說是「簡單就是最好的」。 當我聽到久石先生精選的音樂作品集時,我能感受到其中有一種明確的風格,這無疑是久石先生的世界,但同時也是北野武的世界。也就是說,久石先生從武先生的影像中獲得靈感,構建的世界中,不知不覺地共享了那種獨特的氣息,而且久石先生自己也散發出同樣的氣息。從這個意義上說,這是一張能夠充分享受久石讓和北野武兩人世界觀的、獨一無二的、有價值的原聲集。 |
あの夏、いちばん静かな海。 A Scene at the Sea 1991.10.12 公開 出演:真木蔵人、大島弘子 〈episode 1〉 この作品に関しては、監督自身も認めているように、もともと主人公の2人(生まれながらの聴覚障害者)に台詞がないところへもってきて、後半は台詞も何もなく、この作品そのものをふり返るように、主人公たちの思い出が日記帳のごとく滔々と連ねられているわけですが、あそこはどう考えても音楽がないと成立しない部分といいますか、音楽にあれこれ語ってもらったカットなんですね。 つまり最初から音楽を入れ込むことを想定して意識的に撮ったシーンなんです。武さんが自らの映像にあれほど音楽を求めたことは珍しいんじゃないですかね。久石さんとのコラボレーションはこの作品が最初だったわけですけど、登場人物の台詞が極端に少ないぶん、音楽がもたらす効用への期待感は、ほかのどの作品よりも高かったと思いますし、それだけに久石さんは苦労されたんじゃないでしょうか。結果的に、言葉(台詞)以上に主人公の感情や作品自体の情感を雄弁に物語るかのような音楽をつけていただいて、作品のクォリティや価値を随分高めていただいたような気がします。 |
那個夏天,最寧靜的海。 A Scene at the Sea 1991年10月12日 上映 主演:真木藏人、大島弘子 〈第一集〉 關於這部作品,正如導演自己所承認的那樣,原本兩位主人公(天生聽力障礙者)就沒有台詞,到了後半部分更是沒有任何台詞,仿佛在回顧這部作品本身,主人公們的回憶像日記一樣滔滔不絕地展開。但無論如何,那部分如果沒有音樂是無法成立的,或者說,是讓音樂來講述一切的鏡頭。 也就是說,從一開始就設定了要加入音樂,並有意拍攝了這些場景。武先生在自己的影像中如此強烈地要求音樂,這種情況並不常見吧。雖然與久石先生的合作是從這部作品開始的,但由於登場人物的台詞極少,對音樂所帶來的效果的期待感,我認為比任何其他作品都要高。正因為如此,久石先生一定也費了不少心思。結果,音樂比台詞更雄辯地表達了主人公的感情和作品本身的情感,我覺得這大大提升了作品的質量和價值。 |
ソナチネ Sonatine 1993.6.5 公開 出演:ビートたけし、国舞亜矢、渡辺哲、勝村政信、寺島進、大杉漣、逗子とんぼ、矢島健一、南方英二 〈episode 2〉 これは久石さんと武さんの間で”ミニマル”というテーマ性で見事なコンセンサスがとれた作品じゃないでしょうか。「あの夏~」ってミニマル的要素はありながらも、決してミニマルな作品じゃありませんでしたけど、この「ソナチネ」は徹底的に”ミニマル”ですよね。 そういう意味では久石さんにとって本領発揮の場だったと思いますし、2人が真剣に勝負をし合った作品という印象が強いですね。武さんは音楽の専門家ではありませんから”ミニマル”という言葉をどこまで把握していたかはわかりませんが、基本的にシンプルなものの繰り返しという手法は、彼自身すごく好きですからね。例えば「あの夏~」の、主人公たちが歩いた同じ道を、次は違う登場人物が同じように歩いていくシーンとか。繰り返しながら、ちょっとずつ変化させる手法。そこに関しては、久石さんの得意とするミニマル・ミュージックがピッタリ合ったという印象でした。お互いが、本質的に好きな世界なんだと思います。 ただ、武さん自身も言っているように、この作品は、平均点でいえばたいした点ではないというか、国立大学は無理だねというような(笑)点だけど、勝負に出ている場面がある。本人曰く、目茶苦茶凄いシーンと、ありゃりゃ?というシーンが混在している。ゴルフに例えるなら、OBもあるんだけど、バーディどころかイーグルも幾つかある感じ。ホールによっては大勝負をかけたりもしている、ある意味とても実験的な試みをしている作品ですから、それに対して久石さんも自身の本領をミニマルでしっかりぶつけてきましたし、その結果としてあの独特の世界観が醸し出されたんだと思います。サンプリングも駆使されてますし、北野作品の中ではいちばん実験的な音楽といってもいいでしょうね。映画の中身以外の部分ではかなりの火花を散らしている作品といいますか…。そこが、多くの人に名作と言わしめたゆえんでしょうし、イギリスのBBC放送による「映画・世界の100本」に選出された要因なんじゃないでしょうか。ただ、世界中(公開された国の中)で日本人がいちばん見ていない作品で、興行的にはやや不幸な作品ではありましたが…(笑)。 |
奏鳴曲 Sonatine 1993年6月5日上映 主演:北野武、國舞亞矢、渡邊哲、勝村政信、寺島進、大杉漣、逗子蜻蜓、矢島健一、南方英二 〈第2集〉 這部作品可以說是久石讓和北野武之間以「極簡主義」為主題達成完美共識的作品吧。雖然《那個夏天~》有極簡主義的元素,但絕不是極簡主義的作品,而這部《奏鳴曲》則是徹底的「極簡主義」。 從這個意義上來說,我認為這是久石讓大展身手的舞台,也是一部兩人認真較量的作品。北野武雖然不是音樂專家,不知道他對「極簡主義」這個詞理解到什麼程度,但他本身非常喜歡簡單重複的手法。比如《那個夏天~》中,主人公走過的同一條路,接下來由不同的角色以同樣的方式走過。在重複中逐漸變化的手法。在這方面,久石讓擅長的極簡音樂與之完美契合。我想,這是兩人本質上都喜歡的領域。 不過,正如北野武自己所說,這部作品如果按平均分來說並不算高,就像考不上國立大學(笑),但其中有一些敢於挑戰的場面。用他自己的話說,既有非常精彩的場景,也有讓人感到「啊?」的場景。如果用高爾夫來比喻,既有出界,也有幾個小鳥球甚至老鷹球的感覺。在某些洞,他敢於大膽嘗試,可以說這是一部非常實驗性的作品。因此,久石讓也以極簡主義的方式充分展現了自己的才華,最終釀成了那種獨特的世界觀。採樣技巧也得到了充分運用,可以說是北野武作品中最具實驗性的音樂。可以說,這部電影在內容之外的部分也迸發出了不少火花……這大概就是為什麼許多人稱其為名作,也是它被英國BBC選為「電影·世界100部」之一的原因吧。不過,在全世界(上映的國家中)日本人看得最少的作品,從票房上來說,算是一部有點不幸的作品(笑)。 |
キッズ・リターン Kids Return 1996.7.27 公開 出演:金子賢、安藤政信 〈episode 3〉 特にこの作品のエンディングは、かなり印象的なシーンに仕上がりましたね。主人公の2人が「もう俺たち終ったのかな」「まだ始まってもいねぇよ」と言った瞬間にドーンとテーマ音楽とエンド・ロールが入ってくる。普通ロール・チャンスというと、映画の本編が終わり、ポツポツと立ち上がるお客さんに向けた”どうぞお帰り下さい”の合図みたいになりがちですが、でも「まだ始まってもいねぇよ」の台詞のあとにきわめて激しく飛び込んでくるこの作品の音楽は、ロール・チャンスをも作品の一部として取り込んでしまうほどの迫力があるし、それがあるから直前のシーンもより生きてくるという相乗効果をもたらしていると思うんです。メインテーマのキャッチーさでいえば、「菊次郎~」とともに、メロディメイカーとしての久石さんの力量を再認識させられます。 |
《Kids Return》 1996年7月27日上映 主演:金子賢、安藤政信 〈第三集〉 特別是這部電影的結尾部分,製作得非常令人印象深刻。當兩位主人公說出「我們是不是已經完了?」「還沒開始呢」的瞬間,主題音樂和片尾字幕突然響起。通常來說,片尾字幕的出現意味着電影正片結束,觀眾們陸續起身離場,像是「請慢走」的信號。但在這部作品中,「還沒開始呢」這句台詞之後,音樂極其激烈地切入,甚至將片尾字幕也融入到了作品的一部分,這種力量感使得之前的場景更加生動,產生了相輔相成的效果。就主題曲的吸引力而言,與《菊次郎的夏天》一樣,再次讓我們認識到久石讓作為旋律創作者的實力。 |
HANA-BI 1998.1.24 公開 出演:ビートたけし、岸本加世子、大杉漣、寺島進 〈episode 4〉 この作品の、例えばタクシーをパトカーに作り変えていくシーンには、組曲のようなものすごく長い音楽がついていますが、久石さんがかなり悩まれた証のようにも思えますね。そのシーン以外にも、武さん自身が描いた絵を、映像の中に巧みにインサートしている場面があって…。「キッズ・リターン」でも自分で描いた絵をポスターに使ってましたけど、ここではかなりの数の絵をカットの一つとして使っている。あの世界と対決するのは大変だったと思いますよ。当然あそこには音をつけてくれというカットですからね。無音でしかも動きのない絵を、いろんなカメラワークを駆使して撮っていますから、それときっちり向き合える音楽をつけるとなると、結構思案しますよね。われわれ自身も両者のイメージをすり合わせるために、かなり大変な思いをした記憶があります。ただどんなに陰惨な場面でも、そこに流れる久石メロディの美しさがインパクトにつながっている気がします。 |
花火 1998年1月24日 上映 主演:北野武、岸本加世子、大杉漣、寺島進 〈第四集〉 在這部作品中,比如將出租車改裝成警車的場景,配有一段像組曲一樣非常長的音樂,這似乎也是久石讓相當苦惱的證明。除了這個場景之外,還有巧妙地將武先生自己畫的畫插入影像中的場面……在《Kids Return》中,他也將自己畫的畫用在了海報上,但在這裏,他使用了相當數量的畫作為鏡頭的一部分。我想,與那個世界對決是非常困難的。當然,那裏是需要配上音樂的鏡頭。因為使用了各種攝影技巧來拍攝無聲且沒有動作的畫,所以如果要配上與之完美契合的音樂,確實需要深思熟慮。我們自己也為了將兩者的形象融合在一起,記得經歷了不少困難。不過,無論多麼陰慘的場景,久石讓旋律的美感似乎都為衝擊力增添了力量。 |
菊次郎の夏 Kikujiro 1999.6.5 公開 出演:ビートたけし、関口雄介、岸本加世子、吉行和子 〈episode 5〉 ピアノの音色とわかりやすいシンプルな旋律の繰り返しという、音楽の核の部分のイメージは、武さんも久石さんも一致していました。音楽を発注する際に、武さんがいちばん具体的に発言した作品ですね。ウィンダムヒルのジョージ・ウィンストンが手がけた「オータム」に代表される季節を扱った曲を例に出して、今回はこういう世界観が欲しいんだと意思表示していたことを思い出します。その点においては珍しい例ですね。どちらかといえば、いつもは”お任せ”で、イメージを具体的に伝えるということは少ないんですけど、撮影を始めた当初からそのイメージは口にしていましたから、よほどのこだわりがあったんでしょう。結果、シンプルでなおかつ流れてきた瞬間夏を連想させるとてもキャッチーなメロディを含む、有無をいわせないくらい見事なサウンド・メイクをしていただきましたから、本人の満足度もかなり高かったと思います。 |
《菊次郎的夏天》 《Kikujiro》 1999年6月5日上映 主演:北野武、關口雄介、岸本加世子、吉行和子 〈第五集〉 關於音樂核心部分的形象,即鋼琴音色和簡單易懂的旋律重複,武先生和久石先生的想法是一致的。在委託音樂製作時,這是武先生表達得最為具體的一部作品。我記得他舉了Windham Hill的喬治·溫斯頓創作的《秋天》作為例子,表示這次想要這樣的世界觀。在這一點上,這是一個比較罕見的例子。通常來說,他更多的是「交給對方」,很少會具體傳達自己的想像,但這次從拍攝一開始他就提到了這個形象,可見他對此非常執着。結果,我們得到了一個既簡單又能在瞬間讓人聯想到夏天的非常抓耳的旋律,以及無可挑剔的出色音效製作,我想他本人對此的滿意度也是相當高的。 |
BROTHER 2001.1.27 公開 出演:ビートたけし、オマー・エプス、真木蔵人 〈episode 6〉 この作品では、メインテーマのリード楽器を何にするか、かなり苦労しました。武さんはリード楽器にことのほか強い拘りを持っていて、しかも自分自身がピアノをやっていることもあって、ピアノという楽器が好きなんですね。だけど久石さんのセンスとして、こっちの楽器を使ったほうがこんな広がりが出ますよという主張を返してくる。そこはある意味闘いでした。結果的に、リード楽器としてフリューゲルホルンを選択したわけですが、これは非常に大きなチャレンジだったと思います。監督自身、フリューゲルホルンという楽器は全然予想もしてなかったでしょうし。 予定調和的にピアノで奏でておけば、これといった苦労もせずに済んだとは思いますけど、この作品自体が持つ意味合いといいますか、日英合作という国際的なプロジェクトによる映画であること、ハリウッドの撮影システムを導入したことなど、新しい映画作りの結果として新しい映画が生まれるという流れに見合う試みが、音楽にも必要だったわけですね。ご覧いただいてわかるとおり、主役ビートたけしのビジュアルといいますかファッション・センスは、この「BROTHER」も「HANA-BI」も「ソナチネ」も一様なんです。別に何部作といわれるような関連した作品ではないんですけど、開襟のシャツにダークカラーのスーツ、そしてサングラスというスタイルは共通している。しかし、だから音楽もピアノで、という考えはそぐわない。内容に対する音づけという意味ではなく、新しいやり方で新しい作品が生まれるという意味合いを音楽でどう表現するかという点は、われわれにとってもそうでしたけど、久石さんにとっても大きなテーマだったと思うんです。その部分では、久石さん自身、相当悩まれたんじゃないかと思います。現に、ロスの撮影現場までお見えになって、時間が許す限り監督と話し合って、もっとも相応しい接点を探していましたから。メロディとか旋律の問題ではなく、新しさをどういった世界観で示すかということにおいて。といいつつメロディに関しても、絵面との整合性においてはかなり難しかったと思いますよ。ジャジーな要素や、半音が結構使われていることが、そのことを雄弁に語っているような気がします。 デニー役のオマー・エプスのモノローグによるこの作品のエンディングは、音楽を入れ込んだ「あの夏~」のエンディングの対極にあるといってもいいくらいのシーンで、音楽をまったくはずしてしまっている。本来は武さんのリクエストで久石さんに饒舌で分厚い情感豊かな音楽をつけていただいたんですけど、最終段階で音楽をとってしまった。もちろん音楽が気に入らなかったわけではなく、音楽は音楽として成立したんでしょうけど、作品のテーマを示す流れのうえでは、饒舌すぎたのかもしれないですね。ただそのあとエンドロールで再びメインテーマが呼び込んでいることを考えると、あの音楽のないエンディングこそ、音楽を削ぎ落としたシーンでいかに音楽を感じさせるかの典型と言えるんじゃないでしょうか。 |
兄弟 2001年1月27日上映 主演:北野武、奧瑪·伊普斯、真木藏人 〈第6集〉 在這部作品中,我們為選擇主旋律的領奏樂器費了不少心思。北野先生對領奏樂器有着特別的執着,而且他自己也彈鋼琴,所以非常喜歡鋼琴這種樂器。但久石先生卻認為,使用另一種樂器可以帶來更廣闊的表現空間。這在某種意義上是一場較量。最終,我們選擇了弗呂格爾號作為領奏樂器,我認為這是一個非常大的挑戰。導演自己可能也完全沒有預料到會使用弗呂格爾號。 如果按照常規用鋼琴演奏,可能就不會有這麼多困難,但考慮到這部作品的意義,作為一部日英合作的國際項目,引入了荷里活的拍攝系統,作為新電影製作的結果,音樂也需要與之相匹配的嘗試。正如大家所看到的,主角北野武的視覺形象或者說時尚感,無論是《兄弟》、《花火》還是《奏鳴曲》,都是一致的。雖然這些作品並不是系列作品,但開領襯衫、深色西裝和太陽鏡的風格是共通的。然而,因此認為音樂也應該用鋼琴的想法並不合適。這並不是說音樂要與內容相匹配,而是如何在音樂中表達出新作品通過新方式誕生的意義,這對我們來說是一個大課題,對久石先生來說也是如此。我想,久石先生在這方面也相當苦惱。事實上,他親自來到洛杉磯的拍攝現場,儘可能與導演討論,尋找最合適的切入點。這不僅僅是旋律的問題,而是如何通過世界觀來展示新意。儘管如此,我認為在旋律與畫面的協調性上,也相當困難。爵士元素和半音的頻繁使用,似乎很好地說明了這一點。 由奧瑪·伊普斯飾演的丹尼的獨白作為這部作品的結尾,可以說是與加入音樂的《那個夏天~》的結尾完全相反的場景,完全沒有音樂。原本是北野先生的要求,久石先生為其創作了豐富而情感充沛的音樂,但在最後階段去掉了音樂。當然,並不是因為不喜歡音樂,音樂本身是成立的,但在展示作品主題的流程上,可能過於冗長了。不過,考慮到在片尾字幕中再次引入主旋律,那個沒有音樂的結尾,恰恰是音樂被剝離的場景中如何讓人感受到音樂的典型例子。 |
〈サウンドトラック制作進行ノート〉 |
《原聲帶製作進度筆記》 |
あの夏、いちばん静かな海。 発売日:1991年10月9日 1991年7月 ワンダーステーション六本木にてレコーディング。 ソナチネ 発売日:1993年6月9日 1992年6月1日 北野監督の次回作の音楽の依頼がある。出演者等詳細は未定。11月辺りの音楽制作の予定。 1992年7月31日 北野監督とロケ前に顔合わせ。音楽の方向性の打ち合わせをする。今回は石垣島がテーマになる模様。 1992年9月17-19日 久石氏石垣島のロケに同行。 1992年10月26日 当初11月頭から音楽制作に入る予定であったが、編集作業の進行の影響で中旬に変更となる。 1992年11月13日 ワンダーステーションにて音楽作業開始。 1992年11月19日 18時半に北野監督来訪、テーマ曲を決定。 1992年11月20-24日 ワンダーステーションにてダビング作業。 1992年11月25日 Dolby 4chのT/D。この日北野監督が再編集に入り、M14のシーンが全カットになり、M15に変更が入ったとの知らせあり。21時に監督がワンダーシティに確認のため来訪。 1992年11月26日 映画音楽作業終了。 1993年3月21-22日 ロンドンにあるTHE TOWN HOUSEにてCD用のMIXを行う。 1993年3月23日 Abbey Road Studiosにてマスタリング。 Kids Return 発売日:1996年6月26日 1995年10月27日 調布にっかつ撮影所にて前半部のラッシュを見る。その後打ち合わせ。 1996年2月16日 にっかつ撮影所にてオールラッシュ。監督を交え最終打ち合わせ。 1996年2月29日 代々木にあるワンダーステーション2st.にて音楽制作開始。 1996年3月13日 音楽制作日程終了。 HANA-BI 発売日:1998年1月1日 1997年6月9日 ワンダーステーション代々木スタジオにてレコーディング開始。 1997年6月11日 調布にっかつ撮影所にて監督と打ち合わせ。 1997年6月12-19日 ワンダーステーション代々木スタジオにてレコーディング。 1997年6月22日 ポリグラムスタジオAst.にて弦のレコーディング。 1997年6月23-24日 ワンダーステーション代々木スタジオにて映画用のT/D。 1997年7月10-11日 ワンダーステーション六本木スタジオにてCD用のT/D。 菊次郎の夏 発売日:1999年5月26日 1998年10月6日 ワンダーステーション代々木スタジオにてレコーディング開始。 1998年10月7-10,12,21-23日 レコーディング作業。 1998年10月21日 ポリグラムスタジオにてオーケストラ・レコーディング。 1999年2月2-4日 ワンダーステーション六本木スタジオにてT/D。 BROTHER 発売日2001年1月17日 2000年3月29日 にっかつスタジオにてオールラッシュ。 2000年4月3-14日 音楽制作プリプロ~レコーディング。 2000年4月8日 監督とテーマ曲について打ち合わせ。 2000年4月14日 監督とサントラについて打ち合わせ。 2000年4月22日 墨田区トリフォニーホールにて新日本フィルの演奏で録音。 2000年4月23-25日 映画用のT/D。 2000年5月15-17日 CD用のT/D。 2000年9月27-28日 マスタリング。 |
那個夏天,最寧靜的海。 發售日期:1991年10月9日 1991年7月 在六本木的Wonder Station進行錄音。 奏鳴曲 發售日期:1993年6月9日 1992年6月1日 接到北野導演下一部作品的音樂委託。演員等細節未定。預計11月左右開始音樂製作。 1992年7月31日 與北野導演在拍攝前會面,討論音樂方向。這次的主題似乎是石垣島。 1992年9月17-19日 久石先生隨行石垣島的拍攝。 1992年10月26日 原計劃11月初開始音樂製作,但由於剪輯進度的影響,改為中旬開始。 1992年11月13日 在Wonder Station開始音樂製作。 1992年11月19日 18:30北野導演來訪,確定主題曲。 1992年11月20-24日 在Wonder Station進行混音工作。 1992年11月25日 Dolby 4ch的T/D。當天北野導演開始重新剪輯,M14的場景被全部刪除,M15有所改動。21:00導演來到Wonder City確認。 1992年11月26日 電影音樂製作結束。 1993年3月21-22日 在倫敦的THE TOWN HOUSE進行CD混音。 1993年3月23日 在Abbey Road Studios進行母帶處理。 Kids Return 發售日期:1996年6月26日 1995年10月27日 在調布日活攝影所觀看前半部分的樣片,隨後進行討論。 1996年2月16日 在日活攝影所觀看全部樣片,與導演進行最終討論。 1996年2月29日 在代代木的Wonder Station 2st.開始音樂製作。 1996年3月13日 音樂製作日程結束。 HANA-BI 發售日期:1998年1月1日 1997年6月9日 在代代木的Wonder Station開始錄音。 1997年6月11日 在調布日活攝影所與導演討論。 1997年6月12-19日 在代代木的Wonder Station進行錄音。 1997年6月22日 在Polystar Studio Ast.進行弦樂錄音。 1997年6月23-24日 在代代木的Wonder Station進行電影混音。 1997年7月10-11日 在六本木的Wonder Station進行CD混音。 菊次郎的夏天 發售日期:1999年5月26日 1998年10月6日 在代代木的Wonder Station開始錄音。 1998年10月7-10,12,21-23日 進行錄音工作。 1998年10月21日 在Polystar Studio進行管弦樂錄音。 1999年2月2-4日 在六本木的Wonder Station進行混音。 BROTHER 發售日期:2001年1月17日 2000年3月29日 在日活攝影所觀看全部樣片。 2000年4月3-14日 音樂製作前期準備~錄音。 2000年4月8日 與導演討論主題曲。 2000年4月14日 與導演討論原聲帶。 2000年4月22日 在墨田區Trifony Hall與新日本愛樂樂團進行錄音。 2000年4月23-25日 進行電影混音。 2000年5月15-17日 進行CD混音。 2000年9月27-28日 進行母帶處理。 |