やっと君に手紙を書く気になったよ。
できたんだ。いや正確に言うともうすぐできそうなんだアルバムが。
覚えているかな? エクスワイアの連載
~それは漠然とした思いであったし、形のない意志でもあった。
「なにかを変えなければ…」。
不満があったわけでもないし(もちろんないわけでもないが)、
作曲家・アーティストとして大きな問題を抱えていたわけでもない。
でももう一人の自分が赤色の信号を点滅させる。
「昨日と同じ自分であってはならない。」と。
そして僕はロンドンに渡った。 (Esquire Paradise Lost 連載より)~
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终于有心情给你写信了。
完成了。不,准确地说,是快要完成了——那张专辑。
还记得吗?Esquire的连载
~那是一种模糊的念头,也是一种无形的意志。
“必须改变些什么……”。
并不是有什么不满(当然也不是完全没有),
作为作曲家、艺术家,也没有遇到什么大问题。
但另一个自己却亮起了红色的信号灯。
“不能和昨天的自己一样。”。
于是,我去了伦敦。 (摘自Esquire Paradise Lost 连载)~
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1992年夏の終わり、秋風が吹き始めた頃同時にソロアルバムもスタートした。楽勝だと思った、ほんとに。アルバムのコンセプトは前作の制作中にできていたしね。君が好きだった「マイ・ロスト・シティ」-根なし草の都市生活者、文明社会になじまないで生きる人間の孤独と魂を歌った-より一歩踏み出して、ニヒリズムに走らない前向きなアルバムを作りたかったんだ。「地上の楽園」というタイトルだってできていたんだから。でも、何かを変えようと思ったロンドン生活は返って自分の矛盾を拡大し、分裂しちゃって創作活動ができなくなった。もちろんその間、僕だって黙って何もしなかったわけじゃない。数本の映画を担当し、ロンドン・シンフォニー・オーケストラ(85名)やビッグ・セールスの歌手のプロデュースもやった。内容には満足しているし仕事の量も人の3倍はやったと思う。でもソロ・アルバムだけはできなかった。時として人は自意識が強くなり過ぎて本来しなければならない、あるいは力を発揮しなければならないときに空回りするもんだね。東京とロンドンの異常な往復がそれに拍車をかけたと思う。10数回は往復しているんだから、疲れたよまったく。
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1992年夏末,秋风开始吹拂的时候,我的个人专辑也同时启动了。当时我觉得这会是轻而易举的事情,真的。专辑的概念在前一张专辑的制作过程中就已经形成了。你喜欢的《我的迷失之城》——描绘了无根的都市生活者、无法融入文明社会的人的孤独与灵魂——我想在此基础上更进一步,制作一张不走向虚无主义的积极向上的专辑。甚至连《地上的乐园》这个标题都已经定好了。然而,试图改变一些事情的伦敦生活反而扩大了我的矛盾,让我陷入了分裂,无法进行创作。当然,在这期间,我也没有完全无所事事。我负责了几部电影的制作,还担任了伦敦交响乐团(85人)和一些畅销歌手的制作人。我对这些作品的内容感到满意,工作量也相当于别人的三倍。但唯独个人专辑没能完成。有时候,人的自我意识会过于强烈,导致在本来应该全力以赴的时候却徒劳无功。我想,频繁往返于东京和伦敦的异常生活也加剧了这种情况。来回往返了十几次,真的让我筋疲力尽。
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早いよね、あれから2年が過ぎ、今僕はロンドン・タウン・ハウス・スタジオにいる。今日は「The Dawn」のミックス・ダウンだ。遅れていたヴォーカルを録り、今リアル・ドラムとマシン関係のリズムの調整中だ。信じられるかい? あのビル・ブラッフォードだぜ!そう君が好きだったキング・クリムゾンのドラマーさ。夜の12時を少し回ったところ、これからミックスだ。そう、もう何日も寝てないんだ。今年に入ってからずっとさ。中毒のことをこちらではホリックっていうんだけど僕なんか正しくスタジオ・ホリックって呼ばれているよ。毎朝11時から明け方4時か5時まで、異常だよまったく、珍しく早く東京に帰りたいよ。でも、ふと考える、曲も書けずにロンドンの街を彷徨った日々を思うとどんなに幸せかと。もちろん今だってトラブル続きで頭に来る毎日だが、それだってあの寒々しい所を誰にも頼れず送った日々に比べたらまるで天国だ。でもやっとわかった。曲が書けなかったんではなくて頭の中で書きたかったテーマに対して僕がついていけなかったんだっていうことに。だから時間がかかった。バリ島にも行ったしアフリカのサバンナにも行った。そして僕は理解したよ。このアルバムは僕自身の楽園を目指すための試練なんだと、ちょっと大袈裟かな。もちろんこれは反意語だ。心の中の楽園を希求するアルバムであって楽園賛歌ではない。フォーク・ソングという言葉がすでに故郷を離れた人からしか言えないように楽園にいる人は楽園を歌うことはない。このアルバムには様々のスタイルの曲が収められて、それは3年かかった僕の心の軌跡であり変化でもある。でも94年の春、覚悟のレコーディングに入って数曲のBasic Recordingを終えたとき僕は悟った。すべては-DEAD 死-人間にとっての死をテーマにしていたと。それは決して恐れるものでも暗いものでもないし、むしろそれを身近に感じることによって死と隣り合わせの生を感じる、生を生きることなのだと。その意味でこれはコンセプト・アルバムだよ。といってもそんなに難しいものじゃない。むしろすごくポップだよ。例えば「HOPE」あのビル・ネイソンが詞を書いて歌ってもいるよ。すごくいい仕上がりだ。きっと君も気に入るはずだ。もともと「HOPE」は19世紀のイギリスの画家ワッツが描いたものなんだけど、地球に座った目の不自由な天女がすべての弦が切れている堅琴に耳を寄せている。でもよく見ると細く薄い弦が一本だけ残っていて、その天女はその一本の弦で音楽を奏でるために、そしてその音を聞くために耳を近づけている。ほとんど弦に顔をくっつけているそのひたむきな天女は、実は天女ではなく”HOPE”そのものの姿なんだって。いいだろう、だからほんとはその絵をこのアルバムのジャケットにしたかったんだよ。何故か無理だったけどね。他のも一見関係なさそうに見える曲がそのテーマのまわりをまるで走馬灯のように、音楽的に言えばロンドのようにぐるぐるまわっているんだ。ミルトンの「失楽園」や坂口安吾の「桜の森の満開の下」などから歌詞のコンセプトを得たのもその為だ。すべてはこの世紀末の価値観が崩れる時代だからこそ必要な表現だった。興奮するよ、僕が作ったんじゃなくて誰かに作らされたような気がする。でもそんなことは僕の問題でしかないのかも知れない。おそらく56分前後の長いアルバムになるはずだ。でもこれは僕と君とのロング・ディスタンスの後としてはあまりに短い。僕はもっと君に語りたい。取りあえずこのアルバムを聞くことから始めてくれないか? そしたら少しは僕たちの間は公園のベンチの隣どうし位は近い存在になれるかも知れない。君の返事を待ってるよ。又、会おうよ、いつかきっと・・・何処かで。
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时间过得真快,转眼间两年过去了,现在我正在伦敦的Town House Studio。今天是为《The Dawn》进行混音的日子。之前延迟的录音部分已经完成,现在正在调整真实的鼓声和机器节奏的关系。你能相信吗?是那个比尔·布拉福德!对,就是你喜欢的King Crimson的鼓手。现在已经过了午夜12点,接下来就是混音了。是的,我已经好几天没睡了,从今年开始就一直这样。在这里,人们把这种沉迷称为“holic”,而我,正被称作“studio holic”。每天从早上11点工作到凌晨4点或5点,真是疯狂,我甚至有点想早点回东京了。但转念一想,回想起那些在伦敦街头徘徊、无法创作的日子,现在的生活是多么幸福。当然,现在每天也充满了麻烦,让人头疼,但比起那些在寒冷中无人依靠的日子,现在简直是天堂。我终于明白了,不是我不能写歌,而是我无法跟上自己脑海中想要表达的主题。所以花了这么长时间。我去了巴厘岛,也去了非洲的草原。我明白了,这张专辑是我自己寻找乐园的试炼,或许有点夸张。当然,这是反语。这是一张寻求内心乐园的专辑,而不是乐园的赞歌。就像“民谣”这个词只能由离开故乡的人说出,身处乐园的人不会歌唱乐园。这张专辑收录了各种风格的歌曲,它们是我三年心路历程和变化的记录。但在1994年春天,当我开始录音并完成了几首基础录音后,我意识到,所有的主题都是关于“死亡”——人类的死亡。这并不是令人恐惧或阴暗的,而是通过感受死亡,来感受与死亡相邻的生命,真正地活着。从这个意义上说,这是一张概念专辑。但并不是那么复杂,反而非常流行。比如《HOPE》,比尔·奈森写了歌词并演唱,效果非常好。你一定会喜欢的。原本《HOPE》是19世纪英国画家瓦茨的作品,画中一位盲目的天女坐在地球上,耳朵贴在一把所有弦都断了的竖琴上。但仔细看,还有一根细薄的弦,天女为了用这根弦演奏音乐,把耳朵贴近它。几乎把脸贴在弦上的天女,其实并不是天女,而是“希望”本身的形象。很棒吧,所以我其实想把那幅画作为这张专辑的封面,但不知为何没能实现。其他看似无关的歌曲也像走马灯一样,或者说像轮舞一样,围绕着这个主题旋转。我从弥尔顿的《失乐园》和坂口安吾的《樱之森满开之下》等作品中获得歌词的灵感,也是因为这个原因。在这个世纪末价值观崩溃的时代,这些都是必要的表达。我感到兴奋,感觉不是我创作了这些,而是被某种力量驱使着创作。但这可能只是我个人的问题。这张专辑大概会有56分钟左右,但对于我们之间的长距离关系来说,这太短了。我想对你说更多。不如先听听这张专辑吧?这样,我们之间的距离或许能像公园长椅上的邻座那样近一些。我等着你的回信。再见,总有一天……在某个地方。
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