文档:龙猫 萤火虫之墓 宣传手册/20
跳到导航
跳到搜索
龙猫 萤火虫之墓 宣传手册 | 目录 | |
◄ 第18-19页 | 第20页 | 第21页 ► |
主页面 | 吉卜力的教科书 萤火虫之墓 | 目录 |
◄ 高畑勋×野坂昭如 清太和节子所见的“八月十五日”的天空与海洋无比美丽 | Part1 电影《萤火虫之墓》的诞生 |
・观点・与那霸润 为了不让谜团被遗忘──战后电影史中的《萤火虫之墓》 ► |
特別収録3 アニメ恐るべし |
特别收录3 动画的惊人之处 |
---|---|
「ちょつと冒険するような感じで」監督におまかせすることにしたという 映画化への思い。公開の前年、『小説新潮』に寄稿された特別エッセイ。 |
“稍微有点冒险的感觉”,我决定将电影化的想法交给导演。这是在电影上映前一年,发表在《小说新潮》上的特别随笔。 |
野坂昭如 |
野坂昭如(Nosaka Akiyuki)是一位日本著名的小说家、散文家和作词家。他于1930年10月10日出生在日本神奈川县横滨市,于2015年12月9日去世。野坂昭如以其深刻的社会洞察力和独特的写作风格而闻名,他的作品常常探讨战争、贫困和人性的主题。 他最著名的作品之一是《萤火虫之墓》(火垂るの墓),这部小说后来被改编成动画电影,由吉卜力工作室制作,广受好评。《萤火虫之墓》讲述了二战期间一对兄妹在战火中艰难求生的故事,深刻揭示了战争的残酷和对普通人的影响。 野坂昭如的作品不仅在文学界获得了高度评价,也在日本社会中引起了广泛共鸣。他的写作风格简洁而富有感染力,能够深刻触动读者的心灵。 |
ぼくの小説の中で、これはどうやら男性より、女性の方が読んで下さっているらしい「火垂るの墓」(新潮文庫)が、アニメーション映画となる。 これまで、この小説映画化の話は何度かあって、いちばん具体的だったのが、去年(昭和六十一年)亡ったKKベストセラーズ社長岩瀬順三の企画。「火垂るの墓」の時代は、昭和二十年初夏から、夏の終わり、即ち敗戦直後まで。舞台は焼跡と、蛍の乱舞する池や川や野っ原、人物といえば、痩せこけた少年と幼女、及び殺気立ち、かつ飢え、さらに家財産すべて失ったか、失う予感に怯える大人。なによりかより、本土決戦つまり民族滅亡を目前にして、ヤケクソとばかりもいえない、奇妙な明るさに充ちていた、あの年の夏を、どうやって映像にするのか。 小説の映画化に当たって、ぼくはこれまでいっさい注文をつけたことがない、両者は別物であり、いかに換骨奪胎されようが知ったこっちゃないと考えているが、「火垂るの墓」だけには、原作者としてのこだわりがあった。 この小説は、ぼく自身の体験と、かなり重なっている。以前にも書いたが、ぼくは、作中の少年ほど、妹にやさしくはなかったし、いかに小説とはいえ、周辺の大人たちを、ずい分悪く書いているのだ。いわば、お涙頂戴式のおもむきがあって、申し訳ないというだけではすまない、といって罪の意識と大袈裟なものでもない。もし、かわいそうな戦争の犠牲者の物語に仕立て上げられたら、なおぼく自身、いたたまれないし、また、映画化といっても、焼跡をどう再現するのか、飢えた人間の表情は、メーキャップによっては、作り得ぬ。さらに小説では触れていないが、さだめとして、一億玉砕を、覚悟したのでも、受け入れたのでもない、明日をも知れぬ日々を、漂い流れつつ、妙にあっけらかんとしていた、あの時代をまるごと、描いてもらいたい気持も強い。つまり、映画化は不可能ということだ。 アメリカはテキサス州、ハリンジェンに、フライングミュゼアムというシロモノがあり、主に第二次大戦において活躍した各国の軍用機を集め、そのすべて、今も飛行可能。日本機は零戦のレプリカだけだが、ここにただ一機B29が生き残っている。原爆投下ショウなどを演じ、問題になったりするヤツだ。 岩瀬は、これを実際に飛ばせ、アリゾナの砂漠に、焼けるまでの神戸の町を、大規模に再現、実際に焼夷弾の雨を降らせよう、出演者には断食させてと、途方もないことを考え、ぼくは、他誌の取材も兼ね、テキサスまで出かけ、B29に搭乗もした。 夢物語のまま、岩瀬は死んでしまった。 そしてアニメーションの話がとびこんできた。ぼくは応じた。監督の高畑勲氏と何度かしゃべり、小説に描かれている場所を、スタッフと一緒に歩き、その、ラフスケッチとでもいうのか、イメージを確かめ、ぼく自身、ちょっと冒険をするような感じで、おまかせすることにした。 四十二年前と現在と、当然、風景は大違いだし、いわゆるアニメの手法で、飢えた子供の表情を、描き得るものかと、危惧していたのだが、これはまったくぼくの無知のしるし、スケッチをみて、本当におどろいた。葉末の一つ一つに、蛍の群がっていた、せせらぎをおおいつくす草むらの姿が、奇蹟の如く、えがかれている、ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった。 スタッフを案内したのは、ぼくが、二ヶ月余り過した場所、小説の舞台と重なり合う家並み、道筋から、少し離れたところ。どうせ以前とはまるで変わっているのだからと自分に弁解しつつ、実をいうと、今でもそこへ近づくのが怖い、ぼくにとって、犯罪現場といっていい。ところが、シャーロック・ホームズの如く、スタッフは、見たはずのない「火垂るの墓」、いや、ぼくの過した時間と空間を、正確につかんでしまったらしい。 おかげで、吹っ切れたような気持もする。 「火垂るの墓」を書いた自分にこだわって、いわば、自らを写し出す鏡から、眼をそむけつづけてきたのだ。ラフスケッチの一枚からひき出されてきたぼくの過去と、今は、少し正直に向き合っている。 しみじみアニメ恐るべし。 |
在我的小说中,似乎女性读者比男性读者更多的《萤火虫之墓》(新潮文库)将被改编成动画电影。 此前,这部小说曾多次被提议拍成电影,最具体的一次是由去年(昭和六十一年)去世的KK畅销书社长岩濑顺三策划的。《萤火虫之墓》的时代背景是从昭和二十年初夏到夏末,即战败后不久。舞台是废墟和萤火虫飞舞的池塘、河流和原野,人物则是瘦弱的少年和幼女,以及充满杀气、饥饿、失去或预感将失去所有家产的大人们。最重要的是,面对本土决战即民族灭亡的危机,那个夏天充满了奇妙的明亮,如何将这一切影像化呢? 在小说改编成电影时,我从未提出过任何要求,因为我认为两者是不同的,无论怎样改编都与我无关,但对于《萤火虫之墓》,作为原作者,我有些执着。 这部小说与我自身的经历有很大重叠。以前我也写过,我并没有像小说中的少年那样对妹妹温柔,而且即使是小说,我也将周围的大人们写得相当恶劣。可以说,这部小说带有一种催人泪下的氛围,仅仅说抱歉是不够的,但也不至于有罪恶感。如果被拍成可怜的战争牺牲者的故事,我自己也会感到不安,而且即使拍成电影,如何再现废墟,饥饿的人的表情,通过化妆是无法完全表现的。此外,小说中没有提及的是,那个时代的人们并没有准备好或接受一亿玉碎,而是在漂流的、不知明天的日子里,奇妙地坦然面对,我希望能够完整地描绘出那个时代。也就是说,电影化是不可能的。 美国德克萨斯州的哈林根有一个名为飞行博物馆的地方,主要收集了在第二次世界大战中活跃的各国军用飞机,所有这些飞机至今仍能飞行。日本飞机只有零式战斗机的复制品,但这里唯一幸存的一架B29。它曾因表演投下原子弹的节目而引起争议。 岩濑曾计划让这架飞机实际飞行,在亚利桑那的沙漠中大规模再现神户的街道,直到被烧毁,并实际投下燃烧弹,让演员们断食,这些想法都极为疯狂。我为了其他杂志的采访,也去了德克萨斯,并登上了B29。 岩濑的梦想最终随着他的去世而破灭。 然后,动画化的提议突然出现。我答应了。我与导演高畑勋先生多次交谈,与工作人员一起走过小说中描写的地方,确认了所谓的草图或形象,我自己也感觉像是在冒险,决定将一切交给他们。 四十二年前与现在,风景当然大不相同,我担心通过所谓的动画手法,能否描绘出饥饿的孩子的表情,但这完全是我的无知,看到草图后,我真的很惊讶。每一片叶子的末端,萤火虫群聚的溪流,覆盖着草丛的景象,奇迹般地描绘出来,我的笨拙解释被画手和导演的想象力正确补充,我只能目瞪口呆。 我带领工作人员去的地方,是我度过两个多月的地方,与小说舞台重叠的街道和道路,稍微偏离了一点。我对自己解释说,反正以前已经完全改变了,说实话,现在去那里仍然让我害怕,对我来说,那就像犯罪现场。然而,像夏洛克·福尔摩斯一样,工作人员似乎准确地捕捉到了他们从未见过的《萤火虫之墓》,或者说,我度过的时间和空间。 多亏了这些,我感觉自己终于释怀了。 我一直执着于写《萤火虫之墓》的自己,仿佛一直在回避映照自己的镜子。从一张草图中引出的我的过去,现在终于能够稍微诚实地面对了。 我深深地感到,动画真是令人敬畏。 |