文档:龍貓 螢火蟲之墓 宣傳手冊/20
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龍貓 螢火蟲之墓 宣傳手冊 | 目錄 | |
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・觀點・與那霸潤 為了不讓謎團被遺忘──戰後電影史中的《螢火蟲之墓》 ► |
特別収録3 アニメ恐るべし |
特別收錄3 動畫的驚人之處 |
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「ちょつと冒険するような感じで」監督におまかせすることにしたという 映画化への思い。公開の前年、『小説新潮』に寄稿された特別エッセイ。 |
「稍微有點冒險的感覺」,我決定將電影化的想法交給導演。這是在電影上映前一年,發表在《小說新潮》上的特別隨筆。 |
野坂昭如 |
野坂昭如(Nosaka Akiyuki)是一位日本著名的小說家、散文家和作詞家。他於1930年10月10日出生在日本神奈川縣橫濱市,於2015年12月9日去世。野坂昭如以其深刻的社會洞察力和獨特的寫作風格而聞名,他的作品常常探討戰爭、貧困和人性的主題。 他最著名的作品之一是《螢火蟲之墓》(火垂るの墓),這部小說後來被改編成動畫電影,由吉卜力工作室製作,廣受好評。《螢火蟲之墓》講述了二戰期間一對兄妹在戰火中艱難求生的故事,深刻揭示了戰爭的殘酷和對普通人的影響。 野坂昭如的作品不僅在文學界獲得了高度評價,也在日本社會中引起了廣泛共鳴。他的寫作風格簡潔而富有感染力,能夠深刻觸動讀者的心靈。 |
ぼくの小説の中で、これはどうやら男性より、女性の方が読んで下さっているらしい「火垂るの墓」(新潮文庫)が、アニメーション映画となる。 これまで、この小説映画化の話は何度かあって、いちばん具体的だったのが、去年(昭和六十一年)亡ったKKベストセラーズ社長岩瀬順三の企画。「火垂るの墓」の時代は、昭和二十年初夏から、夏の終わり、即ち敗戦直後まで。舞台は焼跡と、蛍の乱舞する池や川や野っ原、人物といえば、痩せこけた少年と幼女、及び殺気立ち、かつ飢え、さらに家財産すべて失ったか、失う予感に怯える大人。なによりかより、本土決戦つまり民族滅亡を目前にして、ヤケクソとばかりもいえない、奇妙な明るさに充ちていた、あの年の夏を、どうやって映像にするのか。 小説の映画化に当たって、ぼくはこれまでいっさい注文をつけたことがない、両者は別物であり、いかに換骨奪胎されようが知ったこっちゃないと考えているが、「火垂るの墓」だけには、原作者としてのこだわりがあった。 この小説は、ぼく自身の体験と、かなり重なっている。以前にも書いたが、ぼくは、作中の少年ほど、妹にやさしくはなかったし、いかに小説とはいえ、周辺の大人たちを、ずい分悪く書いているのだ。いわば、お涙頂戴式のおもむきがあって、申し訳ないというだけではすまない、といって罪の意識と大袈裟なものでもない。もし、かわいそうな戦争の犠牲者の物語に仕立て上げられたら、なおぼく自身、いたたまれないし、また、映画化といっても、焼跡をどう再現するのか、飢えた人間の表情は、メーキャップによっては、作り得ぬ。さらに小説では触れていないが、さだめとして、一億玉砕を、覚悟したのでも、受け入れたのでもない、明日をも知れぬ日々を、漂い流れつつ、妙にあっけらかんとしていた、あの時代をまるごと、描いてもらいたい気持も強い。つまり、映画化は不可能ということだ。 アメリカはテキサス州、ハリンジェンに、フライングミュゼアムというシロモノがあり、主に第二次大戦において活躍した各国の軍用機を集め、そのすべて、今も飛行可能。日本機は零戦のレプリカだけだが、ここにただ一機B29が生き残っている。原爆投下ショウなどを演じ、問題になったりするヤツだ。 岩瀬は、これを実際に飛ばせ、アリゾナの砂漠に、焼けるまでの神戸の町を、大規模に再現、実際に焼夷弾の雨を降らせよう、出演者には断食させてと、途方もないことを考え、ぼくは、他誌の取材も兼ね、テキサスまで出かけ、B29に搭乗もした。 夢物語のまま、岩瀬は死んでしまった。 そしてアニメーションの話がとびこんできた。ぼくは応じた。監督の高畑勲氏と何度かしゃべり、小説に描かれている場所を、スタッフと一緒に歩き、その、ラフスケッチとでもいうのか、イメージを確かめ、ぼく自身、ちょっと冒険をするような感じで、おまかせすることにした。 四十二年前と現在と、当然、風景は大違いだし、いわゆるアニメの手法で、飢えた子供の表情を、描き得るものかと、危惧していたのだが、これはまったくぼくの無知のしるし、スケッチをみて、本当におどろいた。葉末の一つ一つに、蛍の群がっていた、せせらぎをおおいつくす草むらの姿が、奇蹟の如く、えがかれている、ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった。 スタッフを案内したのは、ぼくが、二ヶ月余り過した場所、小説の舞台と重なり合う家並み、道筋から、少し離れたところ。どうせ以前とはまるで変わっているのだからと自分に弁解しつつ、実をいうと、今でもそこへ近づくのが怖い、ぼくにとって、犯罪現場といっていい。ところが、シャーロック・ホームズの如く、スタッフは、見たはずのない「火垂るの墓」、いや、ぼくの過した時間と空間を、正確につかんでしまったらしい。 おかげで、吹っ切れたような気持もする。 「火垂るの墓」を書いた自分にこだわって、いわば、自らを写し出す鏡から、眼をそむけつづけてきたのだ。ラフスケッチの一枚からひき出されてきたぼくの過去と、今は、少し正直に向き合っている。 しみじみアニメ恐るべし。 |
在我的小說中,似乎女性讀者比男性讀者更多的《螢火蟲之墓》(新潮文庫)將被改編成動畫電影。 此前,這部小說曾多次被提議拍成電影,最具體的一次是由去年(昭和六十一年)去世的KK暢銷書社長岩瀨順三策劃的。《螢火蟲之墓》的時代背景是從昭和二十年初夏到夏末,即戰敗後不久。舞台是廢墟和螢火蟲飛舞的池塘、河流和原野,人物則是瘦弱的少年和幼女,以及充滿殺氣、飢餓、失去或預感將失去所有家產的大人們。最重要的是,面對本土決戰即民族滅亡的危機,那個夏天充滿了奇妙的明亮,如何將這一切影像化呢? 在小說改編成電影時,我從未提出過任何要求,因為我認為兩者是不同的,無論怎樣改編都與我無關,但對於《螢火蟲之墓》,作為原作者,我有些執著。 這部小說與我自身的經歷有很大重疊。以前我也寫過,我並沒有像小說中的少年那樣對妹妹溫柔,而且即使是小說,我也將周圍的大人們寫得相當惡劣。可以說,這部小說帶有一種催人淚下的氛圍,僅僅說抱歉是不夠的,但也不至於有罪惡感。如果被拍成可憐的戰爭犧牲者的故事,我自己也會感到不安,而且即使拍成電影,如何再現廢墟,飢餓的人的表情,通過化妝是無法完全表現的。此外,小說中沒有提及的是,那個時代的人們並沒有準備好或接受一億玉碎,而是在漂流的、不知明天的日子裡,奇妙地坦然面對,我希望能夠完整地描繪出那個時代。也就是說,電影化是不可能的。 美國德克薩斯州的哈林根有一個名為飛行博物館的地方,主要收集了在第二次世界大戰中活躍的各國軍用飛機,所有這些飛機至今仍能飛行。日本飛機只有零式戰鬥機的複製品,但這裡唯一倖存的一架B29。它曾因表演投下原子彈的節目而引起爭議。 岩瀨曾計劃讓這架飛機實際飛行,在亞利桑那的沙漠中大規模再現神戶的街道,直到被燒毀,並實際投下燃燒彈,讓演員們斷食,這些想法都極為瘋狂。我為了其他雜誌的採訪,也去了德克薩斯,並登上了B29。 岩瀨的夢想最終隨著他的去世而破滅。 然後,動畫化的提議突然出現。我答應了。我與導演高畑勳先生多次交談,與工作人員一起走過小說中描寫的地方,確認了所謂的草圖或形象,我自己也感覺像是在冒險,決定將一切交給他們。 四十二年前與現在,風景當然大不相同,我擔心通過所謂的動畫手法,能否描繪出飢餓的孩子的表情,但這完全是我的無知,看到草圖後,我真的很驚訝。每一片葉子的末端,螢火蟲群聚的溪流,覆蓋著草叢的景象,奇蹟般地描繪出來,我的笨拙解釋被畫手和導演的想像力正確補充,我只能目瞪口呆。 我帶領工作人員去的地方,是我度過兩個多月的地方,與小說舞台重疊的街道和道路,稍微偏離了一點。我對自己解釋說,反正以前已經完全改變了,說實話,現在去那裡仍然讓我害怕,對我來說,那就像犯罪現場。然而,像夏洛克·福爾摩斯一樣,工作人員似乎準確地捕捉到了他們從未見過的《螢火蟲之墓》,或者說,我度過的時間和空間。 多虧了這些,我感覺自己終於釋懷了。 我一直執著於寫《螢火蟲之墓》的自己,仿佛一直在迴避映照自己的鏡子。從一張草圖中引出的我的過去,現在終於能夠稍微誠實地面對了。 我深深地感到,動畫真是令人敬畏。 |