文档:吉卜力日誌/1998年1月

出自宫崎骏与久石让中文百科
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魔法公主 製作日誌 目錄 
 12月 1998年1月 2月
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1998年1月
1998年1月
吉卜力日志 981.gif
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98.1.5(月)
 仕事始め。
 若林さん来社。配役の打ち合わせ。若林さんが持ってきてくれた映像資料を見ながら、議論を始めるが、高畑監督、鈴木プロデューサー等から「もうちょっと声を聞きたい」との要望があったため、急遽会議を中断し、TSUTAYAで候補者が出演しているビデオを12本借りてくる。が、出演シーンを探すのに時間がかかるため(ちょっと考えれば気づきそうなもんだけど…)、後日観ることに。
 日本テレビの門屋大輔氏が、出向として今日からジブリに出勤。ところで相変わらず奥田さんのジブリ出勤が深夜な為、多分毎日帰れるのは日付が変わってからか。
98年1月5日(星期一)
 新年工作開始。
 若林先生來到公司。我們進行了角色分配的討論。在觀看若林先生帶來的影像資料時,高畑導演和鈴木製片人等提出「想再聽聽聲音」的要求,因此會議突然中斷,我們急忙去TSUTAYA借了12本候選者出演的錄像帶。然而,尋找出演場景花費了太多時間(其實稍微想想就能意識到…),決定改天再看。
 日本電視台的門屋大輔先生從今天開始作為借調人員在吉卜力上班。另外,由於奧田先生依舊深夜才來吉卜力上班,可能每天都要等到日期變更後才能回家。
98.1.6(火)
 演助石曽根氏、制作居村氏が、共に風邪でお休み。社内でも風邪が大流行中。
 高畑、田辺、小西の三氏と鈴木プロデューサーとの話し合いが行われる。
 CG部が、Lセルまで書き込み可能な、デジタルペイントに対応したシートの見本(3種類)を作る。早速高畑監督に見せたところ、とりあえずは「もうちょっと今までのシートで作業を進め、問題が生じてきたところで、あらためてどういうシートにすれば良いか考えましょう」とのこと。
98年1月6日(星期二)
 演助石曽根先生和製作居村先生都因感冒請假。公司內部感冒大流行。
 高畑、田辺、小西三位先生與鈴木製作人進行了討論。
 CG部門製作了三種可以在L層上直接繪製的、支持數字繪製的樣片。立即拿給高畑導演看後,他表示「暫時還是用現有的樣片繼續工作,等出現問題後再考慮應該使用什麼樣的樣片。」
98.1.7(水)
  CUT B-17の作監が終了した為、高畑監督と小西君から「線の感じを掴みたいので、コンピュータに取り込んで見てみたい」と提案があり、保田さんにスキャニングその他をお願いする。
 二階の元CG部だった部屋が第二会議室として先日オープンしたが、部屋があまりに殺風景なため利用者がまったくいない状況である。そこでかどうかは定かではないが、鈴木プロデューサーがこの部屋に置くべきAV機器を購入せよ、と制作に指示を出す。早速みんな「DVDを買おう」「テレビはソニーのヴェガだ」、しまいにゃ「どうせならディレクTVも入れよう」と好き勝手なことを言っている。
98年1月7日(星期三)
 由於CUT B-17的作畫監督工作已經完成,高畑導演和小西君提出了「為了把握線條的感覺,想將其輸入電腦看看」的建議,於是拜託保田先生進行掃描等相關工作。
 二樓原本是CG部的房間前幾天作為第二會議室開放了,但由於房間過於單調,目前完全沒有使用者。不知是否與此有關,鈴木製作人指示製作部門購買應該放在這個房間的AV設備。大家立刻開始隨意討論,「買DVD吧」,「電視要索尼的Vega」,最後甚至有人說「乾脆也裝上DirecTV吧」。
98.1.8(木)
 高畑監督から、「作業の中にデジタルに変換した部分が多々あり、どの様な作業が行われているのかよく分からないものもあるので、メインスタッフのデジタル見学会を実施したい」と提案がある。奥井さんを案内役に来週行う予定。
 昼前から雪が降り始める。夕方にはもう大雪状態だ。北海道人の私は勿論のこと、みんな妙にうきうき。
 ますます降り積もる雪に中央線が一時ストップ。帰ろうと東小金井駅に向かったスタッフ達が続々と戻ってくる。数時間後に動きだしたもののもう何時止まるやも知れず、社内に「早く帰りましょう」と声をかける。
98年1月8日(星期四)
 高畑導演提議:「在製作過程中,有許多部分已經轉換為數字形式,有些工作內容不太清楚,所以想組織主要工作人員進行一次數位技術參觀學習。」計劃下周由奧井先生帶領大家進行參觀。
 上午開始下雪,到了傍晚已經是大雪紛飛。作為北海道人的我自然不用說,大家都異常興奮。
 由於積雪越來越厚,中央線暫時停運。原本打算回家前往東小金井站的工作人員陸續返回。雖然幾個小時後列車重新運行,但不知道什麼時候又會停運,公司內部有人提醒大家「早點回家吧」。
98.1.9(金)
 今日から再び学校の為、高畑監督は夕方出勤。
 原画陣の一部が手伝いで「ベル○ルク」の原画を手伝うことになり、5時からその打ち合わせ。  朝から、昨日の大雪によりいろいろな場所で足留めをくらったスタッフがそれぞれの体験談を語り合う。夜10時過ぎには、となりの武蔵境駅で電車が止まってしまった為、雪の中を阿佐ヶ谷まで2時間かけて歩いて帰った人、立川まで行ったものの青梅線が動かず、シネマシティで映画(「タイタニック」)を見ていた人、はなから帰宅を諦め、会社近くに住むスタッフの家に転がり込んだ人など様々。
 大雪のため電車を使えず鈴木プロデューサーはタクシーで自宅に。着いたのは何と夜中の3時。渋滞で車がまったく動かない状態だったらしい。実は野中さんの新居に泊めてくれと言ったところ、野中さんに「うちは別に構わないんですが、湿った布団だと鈴木さんに悪い…… なんたらかんたら」と断られてしまったらしい。「野中くんの冷たい心でひもじい夜を過ごした。」と朝会社に来た鈴木さんはぶつぶつと文句を言っていた。ちなみに望月さんには「イヤです」と即座に断られたということである。
98年1月9日(星期五)
從今天開始,學校再次開學,高畑導演因此改為傍晚上班。部分原畫師被安排協助《貝爾○爾克》的原畫工作,從下午5點開始進行相關會議。從早上起,由於昨天的大雪,許多工作人員被困在不同的地方,大家紛紛分享各自的經歷。晚上10點過後,隔壁的武藏境站電車停運,有人花了兩個小時在雪中步行回到阿佐ヶ谷,有人雖然到了立川但青梅線停運,於是在電影院(《鐵達尼號》)看電影,還有人乾脆放棄回家,直接住進了住在公司附近的同事家裡。
由於大雪無法乘坐電車,鈴木製片人只好打車回家,結果竟然凌晨3點才到家。據說因為交通堵塞,車子完全無法移動。實際上,鈴木曾請求住在野中的新家,但野中回答說:「我家倒是沒問題,但濕漉漉的被子對鈴木先生不太好……等等等等。」結果被拒絕了。早上到公司後,鈴木抱怨道:「因為野中的冷酷,我度過了一個飢餓的夜晚。」順便一提,望月也立刻拒絕了鈴木的請求,直接說「不行」。
98.1.10(土)
 奥井さん、演助二人、神村氏とデジタル処理について勉強会。
 今年の鏡開きが明日日曜日と重なったため、午後からスタッフにお汁粉が配られる。その時一部でお汁粉か善哉か、の議論アリ。
 8日の大雪の日、野中さん、望月さん宅に泊めてもらえなかった鈴木プロデューサーは、「野中くんのひどい仕打ちから2日たちました」とか「望月くんは、全身黒尽くめで忍者か、まるでストーカーみたい」とまだぶつぶつ。
98年1月10日(星期六)
 與奧井先生、兩位助理、神村先生一起進行了關於數字處理的研討會。
 由於今年的鏡開儀式與明天星期日重合,下午開始工作人員將分發紅豆湯。當時有一部分人討論了是紅豆湯還是善哉。
 8日大雪那天,未能留宿在野中先生和望月先生家的鈴木製作人還在抱怨:「已經過去兩天了,野中君的做法真是太過分了」,「望月君全身黑色,像個忍者,簡直像個跟蹤狂」。
98.1.12(月)
 今日から斎藤氏が動画チェックとしてメインスタッフに参加。早速最初の動画に取りかかる。
 若林さん来社。引き続き声の打ち合わせ。
 朝から雪が降り続いているため、今日は電車通勤をしている人のみ、6時に強制的に退社させることとなる。しかし8時すぎには雪はしっかりと止み、電車にもたいした影響も出ず。
 宮崎監督が取材等の仕事をこなすため来社。寂しいためという意見もある。
98年1月12日(星期一)
 從今天開始,齋藤先生作為視頻檢查的主要成員加入團隊。他立即開始處理第一個視頻。
 若林先生來到公司。繼續進行聲音的討論。
 由於從早上開始持續下雪,今天只有乘坐電車通勤的員工被強制在6點下班。然而,到了8點多,雪已經完全停了,電車也沒有受到太大影響。
 宮崎導演為了完成採訪等工作來到公司。也有意見認為他是為了排解寂寞。
98.1.13(火)
 高畑監督、田辺、小西、斎藤の各氏と野川公園へ。言い出しっぺは勿論高畑監督。一応「一寸ロケハンに」という理由である。
 絵コンテ16CUT分 81.5秒アップ。計280CUT 1408.5秒となる。ところで今回アップした分に野球のピッチャーがセットポジションをとるCUTがあるのだが、高畑監督から「どういうポーズでキャッチャーのサインを見るのか」を質問された際、「セットポジションに入ってからでしょう」といいかげんに答えてしまった。ところがあとからセット前であることが発覚、ジブリ野球部の権威は地に落ちる(大体ジブリ野球部の試合ではキャッチャーがサインを出したことは一度もない)。
98年1月13日(星期二)
 與高畑導演、田邊、小西、齋藤各位一同前往野川公園。提議者當然是高畑導演。理由大致是「稍微去勘察一下外景」。
 今天完成了16個分鏡,共計81.5秒。總計280個分鏡,1408.5秒。不過,在剛剛完成的部分中,有一個棒球投手採取準備姿勢的分鏡,當高畑導演問到「投手是以什麼姿勢看捕手的暗號」時,我隨便回答了一句「應該是進入準備姿勢之後吧」。結果後來發現其實是在準備姿勢之前,吉卜力棒球部的權威就此掃地(其實吉卜力棒球部的比賽中,捕手從未給出過暗號)。
98.1.14(水)
 今日で宮崎監督がジブリを退社。社内中で挨拶にまわっていたが、6月にシニアジブリがジブリから50mしか離れていない場所に建てられることから、いまいち気分が盛り上がらない。ある人は「2週間後には再びジブリに現れる」と予言している。
 今日予定していたデジタル見学会は諸々の都合により土曜日に延期。
98年1月14日(星期三)
 今天宮崎駿導演正式從吉卜力工作室離職。他在公司內部四處告別,但由於6月份Senior吉卜力將在距離吉卜力僅50米的地方建成,氣氛並沒有特別高漲。有人預言說:「兩周後他還會再次出現在吉卜力。」
 原定於今天的數字參觀會因各種原因推遲到周六舉行。
98.1.16(金)
 田辺さんが実家の不幸で岡山へ。今日と明日の2日間お休み。
 昨日の大雪のため、朝から建物の廻りを大勢で雪かき。握力がパーになるなど、筋肉痛の予感。はたして明日の朝は起き上がれるのか。因みに積み上がった雪で仕上げの女性陣がかまくらを作る。
 高畑監督は学校の為夕方出勤。
98年1月16日(星期五)
 田辺因為家中不幸,前往岡山。今天和明天休息兩天。
 由於昨天的大雪,從早上開始大家就在建築物周圍鏟雪。握力幾乎耗盡,預感會有肌肉酸痛。不知道明天早上還能不能起床。順便一提,堆積的雪讓女同事們做了一個雪屋。
 高畑導演因為學校的事情,傍晚才來上班。
98.1.17(土)
 昨日の雪かきで、雪を置く場所が無かったため、宮崎監督の駐車スペースに雪をてんこ盛りにしていたら、鈴木プロデューサーから「どかせ」と怒られる。仕方がないのでこの雪を仕上のドアの前に積み上げておいたら、今度は仕上げから「いくらなんでもそこは…」といやな顔をされる。仕上と制作陣が協力して、建物前の道路脇に雪を移動。筋肉痛の上に筋肉痛…。
 今日行う予定だったデジタル見学会はまたしても延期。
 昨日宮崎監督が会社の前まで来たという噂が…。
98年1月17日(星期六)
 昨天因為掃雪,沒有地方放雪,就把雪堆在了宮崎導演的停車位上,結果被鈴木製片人怒斥「趕緊弄走」。沒辦法,只好把這堆雪堆在了後期製作室的門前,結果又被後期製作的人嫌棄地說「再怎麼也不能堆在那兒吧……」。最後,後期製作和製作組一起合作,把雪移到了建築物前的路邊。肌肉痛上加肌肉痛……
 原定今天舉行的數字觀摩會再次延期。
 有傳言說昨天宮崎導演來到了公司門口……
98.1.19(月)
 先週末の雪かきで、近所から借りたスコップが折れてしまった為、総務洞口と制作鈴木が車で買いに走るが、売り切れで何処にも売っていない。吉祥寺方面を含め何時間も探したあげく、さりげなく覗いた近所の小さな雑貨屋に探していたスコップが。近所の雑貨屋侮り難し。
 テレコムのホームページが開設されているのを発見。ついつい読み耽ってしまう。早く見たいぞ大塚さんの「電脳おもちゃ箱」。
98年1月19日(星期一)
 由於上周末鏟雪時從鄰居家借來的鏟子折斷了,總務部的洞口和製作部的鈴木開車去買,但到處都賣光了,哪裡都找不到。包括吉祥寺方向在內,找了幾個小時,最後不經意間在附近的一家小雜貨店裡發現了我們一直在找的鏟子。附近的雜貨店真是不可小覷。
 發現了電信公司的網頁已經開通。不知不覺就沉迷其中。真想早點看到大塚先生的「電腦玩具箱」。
98.1.20(火)
 午後、近藤喜文さんが入院している病院から、病状が悪化したとのTELがあり、急遽高畑さん、保田さん等が病院へ向かう。詳細は不明。
 夜10時頃、一旦全員が病院から帰って来る。取り合えず病状に変化が無いので、明日の朝出直すことに。なんとか持ち直して欲しい。
98年1月20日(星期二)
 下午,接到近藤喜文先生住院的醫院電話,告知其病情惡化,高畑先生、保田先生等人緊急趕往醫院。具體情況尚不明確。
 晚上10點左右,所有人暫時從醫院返回。目前病情暫時沒有變化,決定明天早上再去醫院。希望他能挺過這一關。
98.1.21(水)
 朝4時半、立川の病院にて近藤喜文氏死去。朝出勤してきたらこの悲報。あまりの急な知らせに、社内は静まりかえっている。
 朝11時よりバーにて、鈴木プロデューサーから詳しい話しあり。
 午後遅くになって葬儀日程が決まる。通夜、告別式にジブリからも20人以上がお手伝いに行く予定。
98.1.21(星期三)
 凌晨4點半,近藤喜文先生在立川醫院去世。早上到公司後得知這一噩耗。由於消息來得太突然,整個公司都陷入了沉寂。
 上午11點,在酒吧里,鈴木製片人詳細講述了情況。
 下午晚些時候,葬禮的日程確定下來。吉卜力預計將有20多人前往參加守夜和告別儀式。
98.1.22(木)
 朝から健康診断。中央線が人身事故でストップしているため、昨日決めた順番を無視して来た順に検診を受けてもらう。
 近藤喜文さんの通夜のため、お手伝い班は3時半にジブリを出発し、全龍寺に向かう。寒い中、18時の通夜開始前から続々と人が集まり、そこここにグループを作り、近藤さんの思い出話に花をさかせている。結局この日は五百人ほどの人が弔問に訪れる。
98年1月22日(星期四)
 早上開始進行健康檢查。由於中央線因人身事故停運,我們決定無視昨天安排的順序,按照大家到達的順序進行體檢。
 為了參加近藤喜文先生的守夜,幫忙的團隊在3點半從吉卜力出發,前往全龍寺。在寒冷中,從18點守夜開始前,人們陸續聚集,形成一個個小組,談論著關於近藤先生的回憶。最終,這一天大約有五百人前來弔唁。
98.1.23(金)
 1時より近藤喜文さんの告別式が行われる。今日も昨日と変わらないたくさんの人々が近藤さんとのお別れに訪れる。かつて、様々な作品で近藤さんと苦楽をともにしたアニメーター達も多数参列。順調に式が進行し、宮崎、高畑監督等の弔辞のあと、いよいよ出棺。見送りの音楽は「耳をすませば」の主題歌「カントリーロード」。(近藤喜文さん訃報のページへ)
98年1月23日(星期五)
 從1點開始,舉行了近藤喜文先生的告別儀式。今天和昨天一樣,許多人前來與近藤先生告別。曾經在各種作品中與近藤先生共甘苦的動畫師們也紛紛出席。儀式順利進行,宮崎駿、高畑勳導演等致悼詞後,終於到了出棺的時刻。送別的音樂是《心之谷》的主題曲《Country Road》。(前往近藤喜文先生訃告頁面)
98.1.24(土)
 メインスタッフを中心とするデジタル見学会が行われるが、やはり工程がけっこう複雑なため、説明に時間がかかり、仕上げと美術部門で今日は時間切れとなる。続きはまた後日。
98年1月24日(星期六)
 以主要工作人員為中心的數字參觀會舉行,但由於工程相當複雜,說明花費了較長時間,今天在完成和美術部門的時間已經用完。剩餘部分將改日繼續。
98.1.27(火)
 田辺さんから「作画の参考に壁にボールを投げてくれないか」との要望があり、同じ野球部の神村、鈴木両制作陣と、向かいの変電所の壁に向かってボールを投げつける。野球のボールを持つのは昨年のサンライズとの野球の試合以来。ムラムラと試合をしたい欲望が沸き上がる。
 デジタルペイント等に対応したCUT袋やシートを新たに作ろうと川端氏に相談したところ、今までのものが2作品分ほど残っているという返事。もったいないので今までのものを使うことに。
98年1月27日(星期二)
 田邊先生提出「為了作畫參考,能否在牆上投球」的要求,於是我和同屬棒球部的神村、鈴木兩位製作人員一起,朝對面的變電站牆壁投擲棒球。自從去年與Sunrise的棒球比賽以來,這是我第一次拿起棒球。內心湧起了想要打比賽的強烈欲望。
 我向川端先生提議製作適用於數字繪畫等的CUT袋和紙張,但得到的回覆是目前還有大約兩部作品所需的庫存。為了避免浪費,決定繼續使用現有的材料。
98.1.28(水)
 保田さんがデジタルペイントで使える色鉛筆を研究、結果をメインスタッフコーナーで説明する。今回の作品は鉛筆線で強弱を付けるため、その弱い線まで出そうと、かなりシビアにスキャンしなければならない。そのため「もののけ姫」では問題の無かった色鉛筆まで、スキャンで拾ってしまう事態にになっているという。今回は塗り分けが少なそうなのでなんとかなると思うが、今後もデジタルペイントを実行していく事を考えるならば、色鉛筆の問題を解決していかねばならないだろう。
 神村氏から絵コンテの秒数が違うとの指摘がある。問題は「○○○と○○○○」にあるらしい。ところが二人で何度計算しても秒数が合わない。居村、鈴木君らを巻き込んで計算し直し、ようやく秒数が661秒と確定する。
 アニドウが制作したアニメーション「この星の上に」をジブリ有志5人程で見に行く。高畑監督は別に柳沢さんと俳優座に。
98年1月28日(星期三)
 保田先生研究了可用於數字繪畫的彩色鉛筆,並在主要工作人員區域解釋了研究結果。由於本次作品需要通過鉛筆線條的強弱來表現,因此必須非常嚴格地進行掃描,以捕捉到那些較弱的線條。因此,即使是《魔法公主》中沒有問題的彩色鉛筆,在掃描時也會被捕捉到。這次由於塗色部分較少,可能還能應付,但如果今後繼續使用數字繪畫,就必須解決彩色鉛筆的問題。
 神村先生指出分鏡的秒數有誤。問題似乎出在「○○○和○○○○」部分。然而,兩人多次計算後秒數仍然不符。於是,居村、鈴木君等人也參與進來重新計算,最終確定秒數為661秒。
 吉卜力的五名志願者去觀看了由Anido製作的動畫《在這個星球上》。高畑導演則與柳沢先生一起去了演員座。
98.1.29(木)
 先日最後までできなかったデジタル見学会の続きが行われる。デジタルカメラ、CGとデジタル合成を見学。
 本格的作画INを控え、メインスタッフで原画の割り振りを考える。  田辺さんのイメージボードを壁に貼るため、巨大なモデルボードを購入するが、本人は貼られるのを嫌がっている。
98年1月29日(星期四)
 前幾天未能完成的數字參觀會繼續進行。參觀了數位相機、CG和數字合成。
 正式作畫即將開始,主要工作人員討論原畫的分配。為了將田邊先生的形象板貼在牆上,購買了一塊巨大的模型板,但他本人並不願意被貼上。
98.1.30(金)
 絵コンテシーン1217、8CUT分完成。56.5秒 計25分29秒となる。
 モデルボードにイメージボードを貼り付け、新会議室の壁に「つっぱりくん」を設置し、ボードを立てかける。
 作打ちに向け、小西氏がキャラ表を作成、高畑監督のチェックを受ける。
98年1月30日(星期五)
 完成了分鏡場景1217、8CUT的部分,共計56.5秒,總計25分29秒。
 將概念板貼在模型板上,並在新會議室的牆上安裝了「支撐君」,將板子立起來。
 為了準備製作會議,小西先生製作了角色表,並接受了高畑導演的檢查。
98.1.31(土)
 いよいよ来週から本格作画INを迎えるが、それに先立ち、月曜の午後一に高畑監督から次回作の説明会が開催される。
 絵コンテ、シーン3-122 47秒分アップ。
 制作陣が倉庫に保管してあった震災用グッズ(何故か一升瓶の日本酒も多数混ざっていた)を整理。賞味期限が切れる食品を新しいものに買い換える予定。
98年1月31日(星期六)
 終於下周要正式開始作畫了,在此之前,周一下午一點高畑導演將召開關於下一部作品的說明會。
 分鏡腳本,場景3-122,47秒部分完成。
 製作團隊整理了存放在倉庫的防災用品(不知為何還混入了許多一升瓶的日本酒)。計劃將過期的食品換成新的。