文档:風之谷 BD/作品解說

出自宫崎骏与久石让中文百科
跳至導覽 跳至搜尋
「ナウシカ」は、まだ終わっていない
「娜烏西卡」尚未結束
(翻譯來源:ghiblirider.blogspot.com 譯者:RIDER)
スタジオジブリ・プロデューサー 鈴木敏夫
吉卜力工作室·製作人 鈴木敏夫
 「ナウシカ」をスクリーンで見た。26年ぶりの再会だ。そばには、宮さん(宮崎駿)がいた。試写室が暗くなると、緊張した。手に力が入り、汗ばんだ。そして、「ナウシカ」が始まった。いつも、映画を作り終わると、ぼくらは二度と見ないし、また、見たくない。でないと、次に行けない。しかし、今回は特別の事情があった。
 我在大螢幕上觀賞了「娜烏西卡」。而這是睽違了26年的再次相會。身旁還有宮兄(宮崎駿)。試映室變暗以後,我十分緊張。緊握的手心都出汗了。接著,「娜烏西卡」開始了。以往,做完電影以後,我們不會去看第二次,更可以說,是不想看。不然就無法繼續做下去。然而,這次卻發生了一件特別的事。
 ディズニーから次のBDタイトルを決めて欲しいという要望が出たのは、「ポニョ」のBDの打ち上げの日で、去年の暮のことだった。「ポニョ」の次にどの作品をBDにするのか。それまで何も考えていなかったが、ぼくの答えは即答だった。「ナウシカ」にしませんか。その場に同席したジブリとディズニーの関係者の表情が凍った。みんなの考えていた案は「ラピュタ」で、「ナウシカ」は、BD化の“最後の作品”になると勝手に考えていたようだ。そして、そう答えると同時に、ぼくにはもうひとつの考えが浮かんでいた。
 迪士尼方面希望我們決定下一部要做成藍光的影片,是「波妞」藍光版完成的日子,去年年底的事。「波妞」接下來,哪部作品要做成藍光呢。在此之前我什麼都沒想過,卻是當場回答:「娜烏西卡」如何? 這句話讓當場同席的吉卜力和迪士尼相關人員表情都僵住了。所有人在自己內心預想的計畫,似乎都是先做「拉普達」,而「娜烏西卡」則是「藍光化」的最後一部作品。然後,在做出這個回答的同時,我又浮現了另一個想法。
 「ナウシカ」の公開は1984年3月。当時の日本映画は実写も含めて、そのほとんどがネガから直接、プリントを焼いた。現在は、別のネガを作って焼くことが多いが、当時は、それが当たり前だった。その数、およそ100本。それだけ焼くと、公開時のモノとは別物の、特に色彩がまるで違うプリントが出来上がる。それを、いつの日か、公開時の綺麗なネガに復元してみたい。それは「ナウシカ」に関わったぼくとしては、長年の宿題だった。
 「娜烏西卡」的公開是1984年3月。當時的日本電影包括寫實(真人)電影,幾乎都是直接從負片沖印出膠捲。現在則多會做出另一捲負片再行沖印,不過在當時,那樣做是理所當然的事。(當年「娜烏西卡」)沖印的數量將近有100捲。沖印這些膠捲後,傷害到負片,令損傷加劇。再加上經年劣化。如今要是拿現存的負片去沖印,洗出來的東西不僅和公開時成品大相逕庭,色彩更簡直像洗了別捲膠捲出來一樣。因此,「終有一天,希望能把它復原到像公開當時一般漂亮」,對曾參與「娜烏西卡」製作的我來說,便是個長年的課題。
 その日を境に、撮影部の奥井(敦)さんを中心に、どういう方針で「ナウシカ」の原板を作るのか。議論が始まった。しかし、奥井さんは、「ナウシカ」の制作には直接、関わっていない。何を基準に原板を作るのか。推測は出来るが肝心なところが分からない。なにしろ、デジタル技術は、何でもやってのける。中古のものを新品に変えるのだって朝飯前だ。そこで、出た結論は、監督である宮さんに決めてもらう、それしか無い。宮さんが会議に参加した。宮さんの意見は、単純明快だった。
 那天的情況,以攝影部的奧井(敦)先生為中心,我們開始進行「該採取何種方針來製作「娜烏西卡」的負片」的議論。但是,奧井先生並沒有直接參與過「娜烏西卡」的製作。該以什麼為基準來做負片呢。雖然能推測,卻不知道哪裡才是該著重之處。畢竟,數位技術什麼都辦得到。就連讓中古貨變成新商品都是小事一件。於是乎,做出的結論是,讓身為導演的宮兄來決定,就只能這麼辦了。結果宮兄參加了會議。宮兄的意見,單純明快。
 仕事が終わって帰宅すると、宮さんは、ディズニー・チャンネルをよく見る。そこで、放映されているのは、デジタル処理で“お色直し”した昔の作品群だった。冒涜ですよ。あれは。今回の話が持ち上がる前から、宮さんは、デジタル処理に関して、否定的な意見を吐いていた。過去の名作が、デジタル処理を施すことで、色にぎらつきのある、品のない作品になってしまっている。ああだったはずがない。あれは、作った人に対する冒涜ですよ。年数が経てば、作品が古ぼけて見えるのは当たり前。ぼくにしても、そうやって過去の名作を見てきた。それをいくら技術の進歩があったからといって、新品にしてしまう権利がだれにあるのか。それが宮さんの意見だった。
 工作做完回家以後,宮兄經常會看迪士尼頻道。而在上面播出的,是經過數位處理「修正過顏色」的以前的作品。那可是冒瀆阿。在這之前,宮兄對數位處理就一直是持否定意見的。過去的名作施以數位處理後,色彩耀眼,都變成沒有格調的作品。不該是如此的。那是對製作者的冒瀆啊。經年累月,作品看起來老舊是理所當然的。換做是我,也是這樣去看待過去的名作的。就算技術有多麼進步,誰有權利去把它弄成新的呢。這就是宮兄的意見。
 それを整理すると、こうだった。基本は、公開時のものを尊重して欲しい。それ以上には綺麗にしない。プリントを焼く過程でついた傷は取る。色パカ(色の間違い)は、そのままにする等々。
 將他的意見整理後,就是如此。基本上,希望能尊重公開當時的成品。不去把它變得更漂亮。去掉沖印過程中受到的損傷。色差則維持原樣等等。
 奥井さんは、宮さんの意見を尊重し、二カ月掛けて、忠実にデータ化に勤しんだ。フィルムの一コマ一コマをスキャニングして一コマごとにデータ化するという気が遠くなる作業だ。
 奧井先生尊重宮兄的意見,花了兩個月,埋首於忠實的數位化。一格一格掃描膠捲,逐格進行數位化,進行這讓人幾乎昏厥的作業。
 こうして、3月1日(月)、試写の日がやって来た。
 就這樣,3月1日(一),試映的日子總算來了。
 当時を知るスタッフは、ジブリにもうほとんどいない。見るのをいやがった宮さんをぼくが説得した。見るのは、本当に限られたスタッフだった。10分前に、試写室へ行くと、すでに宮さんが待ち構えていた。じつは、2~3日前から、宮さんが、そわそわして落ち着きが無いことをぼくは知っていた。「ナウシカ」との再会を待つ宮さんは、明らかに興奮していた。
 知道當年情況的工作人員,幾乎都不在吉卜力裡了。原本不願去看的宮兄被我說服了。去看的真的只有少數工作人員。10分鐘前,我到試映室去一看,宮兄已經準備好等在那裡了。其實我知道早從2~3天前開始,宮兄就坐立難安到無法冷靜了。等著和「娜烏西卡」再會的宮兄,顯然很興奮。
 上映が終わった。会議室にスタッフが集まり、宮さんの感想を待った。宮さんは、やっと重い口を開いた。古ぼけて見えたと、まず、感想を述べた。そして、こう話したのが印象的だった。鈴木さん、技術的に、ぼくらは、随分と遠くまで来てしまったんだね。
 上映結束後。工作人員聚在會議室裡,等著宮兄的感想。宮兄總算打開他沉重緊閉的嘴。他首先陳述感想說看起來很老舊。然後他這麼說,令我印象深刻:「鈴木兄,就技術上來說,我們來到了相當遠的地方了呢」。
 話し合いの結果、この映像を基本としながら、少しだけ手直しすることになった。宮さんの注文は一つだった。必要な箇所に緑を少し増やして欲しい。
 討論過的結果是,以這個影像為基礎,只稍微做一點修正。宮兄的要求只有一個。他希望在必要的地方稍微加一點綠色。
 一日経って、奥井さんが、僕の部屋にやって来た。宮崎さん、泣いていましたよね。あれは……。ぼくは、こう答えた。「ナウシカ」は、まだ終わっていない。ぼくも宮さんも、カットごとに、そのときに起きた出来事をすべて覚えている。そりゃあ、後悔もあるし、これでよかったということも含めて。
 經過一天以後,奧井先生到我房間裡。他說:「宮崎先生哭了呢,那時...」我如此回答:「娜烏西卡」尚未結束。我和宮兄,在看到每個鏡頭時,都想起了當時發生的每一件事。而那其中有後悔,也包含有"有這樣做真是太好了"的想法。