文档:Symphonic Suite Castle in the Sky/專輯解說

出自宫崎骏与久石让中文百科
跳至導覽 跳至搜尋
 主頁面 天空之城交響組曲 專輯解說 文檔 
アルバムに寄せて
關於專輯
 このアルバムは2017年8月2日から16日まで国内5都市と韓国ソウル(2回公演)を巡ったコンサートツアー「久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ 2017」で初演されたSymphonic Suite “Castle in the Sky”(交響組曲「天空の城ラピュタ」)とASIAN SYMPHONYを収めている。ファン待望の内容といえよう。
ところで、不思議なことがあるものだ。このところ書庫の雑物を始末しているのだが、その中に、久石譲グループが出演している西武美術館コンサート’78『現代音楽の変容』のチラシと六本木の俳優座劇場でのムクワジュ・アンサンブル・ファースト・コンサートのそれこそチラシを三つ折りしたような簡素なプログラムが混ざっていた。荒瀬順子の奏するマリンバ”ミトラ”の独特なうなり音を思い出しながら、何とはなしに横に除けておいた。そうしたら3日も経たないうちにこのCDの原稿依頼の電話を頂戴したのだった。
 ファンの方はご存じだろうが、久石譲は70年代後半ミニマル・ミュージックの作曲と演奏に取り組んでいた。今は存在しない西武美術館コンサート・シリーズへの出演はその当時の記録である。そうした彼のレコード・デビューは1981年に作曲とプロデュースを手掛けたアルバム『MKWAJU』のLPであった。同年6月24日の旧俳優座劇場コンサートは、LPの発売記念を兼ねて演奏の中心メンバーであった荒瀬順子・定成庸司・高田みどりのパーカッション・トリオが「ムクワジュ・アンサンブル」の名前で催したものである。
 もう40年近くも経っている。なんとも懐かしいとしか言いようがなかった。
 俳優座劇場のプログラムに掲載されている久石譲の挨拶文には、「…まだ名前もついていないこのグループと僕は、新しいアンサンブルを作る事を話し合っていた。『20世紀に於ける音楽の大きな特徴はアフリカを中心としたリズムである。しかるにクラシックでは、19世紀の古びた感覚のままリズムをないがしろに…』などと話しつつ、僕はこのアンサンブルの必要性を説いた。」とあって、アフリカないしアフロ・リズムへの当時抱いていた強い関心のほどを示している。確かに、美術館コンサートの演目には『アジア・ダンス』というガーナ音楽が含まれているし、LPのタイトルピースである”MKWAJU”(ムクワジュ)とは、アフリカ原産の常緑樹タマリンドのスワヒリ語というから、アフリカへのこだわりが良く出ている。
 もうひとつ興味ぶかいのは、この挨拶文の最後の方で、LPとコンサートの音の様相との違いに触れている個所である。「レコードでは僕が今最も望んでいる音の状態として、よりポップな世界に仕上げているが、コンサートでのMKWAJU、Pluse In My Mindは、昨年最初に作曲した段階でのオリジナルコンセプトをそのまま例示する形で演奏される事になる。どうか聞き比べてみてください。」とある。たしかにLPでは、上記のトリオ以外にペッカーのラテン・パーカッションや久石自身のキーボード、さらには当時YMOのコンピュータ・プログラマーを務めていた松武秀樹も参加しており、ポップな感覚での処理が際立っている。このポップな世界への急接近がこのアルバムであったことは間違いない。
 この美術館コンサートのチラシとムクワジュ・アンサンブル・ファースト・コンサートのプログラムを手にしながら、今回のアルバムを聴いて、いろいろと感ずるところがあった。なかでも、確かなことは、”MKWAJU”以降の転身先であるポップス界に於いて大きく青々と枝葉を広げた久石譲の存在感の大きさである。それと同時に、彼が自分の音楽的出自にしっかりと根を張って、いわばミニマル・ミュージックを自分にとっての飛行石のような大事な宝ものとして抱きかかえている姿であった。
 重ねていえば、樹高20メートルに達するという常緑高樹ムクワジュは、ラピュタの大樹を思わせるが、同時に音楽家としての久石譲そのものにも思われた次第である。
  這張專輯是收錄2017年8月2日到16日的日本與韓國巡迴公演「久石讓&新日本愛樂·世界夢幻交響樂團2017」初演的Symphonic Suit 「Castle in the Sky」(天空之城交響組曲)與ASIAN SYMPHONY曲目,相信是樂迷期待的內容。
  很不可思議的是,最近我在整理書庫的雜物時,竟然出現久石讓樂里所演出的西武美術館演奏會'78『現代音樂的變換』的DM與六本木俳優座劇場舉行的Mkwaju Ensemble First Concert的簡版節目單,讓我一邊回想起荒瀨順子演奏的Marimba「Mitra」的木琴琴音,沒想到不到三天就接到邀請我撰寫這張CD解說的電話。
樂迷們應該都知曉,久石讓在70年代後半專注於極簡音樂的作曲與演奏,現在已經不存在的西武美術館演奏會系列的演出是當時的記錄,而他首度出的唱片是在1981年由他負責作曲與製作的專輯「MKWAJU」的LP。同年6月24日在舊俳優座劇場演奏會同時是LP發行紀念,由主要演奏樂手荒瀨順子·定成庸司·高田Midori的打擊樂三重奏「Mkwaju Ensemble」掛名舉行。
  已經經過了近40年,只能說令人非常的懷念。
  久石讓在俳優座劇場的節目單所刊載的文章中寫著、「還是默默無名的樂團與我,討論要一起從事全新的合奏計畫。『在20世紀音樂的最大特徵是以非洲為中心的節奏。然而在古典樂卻忽視了19世紀的古昔感覺的節奏…』,所以我強調了這個合奏的必要性。」表現了他當時對非洲所未有的Afro Rhythm的強烈關心。的確在美術館演奏會的曲目上包括了『Ajda Dance』迦納音樂,再加上LP的「MKWAJU」其實是非洲原產的長青樹羅旺子樹的斯瓦希里語,就知道這演奏與非洲有強烈的關係。
  另一件有趣的是在這文章中最後,提及LP與演奏會的不同,「其實運用唱片是我現在最想要發聲狀態,為了要呈現更流行樂的世界,演奏會上的MKWAJU、Pulse In My Mind這首曲子就以去年最初作曲階段的原創概念完整型態來演奏,所以請大家聽了兩者之後比較看看」。的確在LP中,除了以上的三重奏以外,還有Pecker的拉丁打擊樂團及久石讓本身的Keyboard再加上專門負責YMO的Computer Programmer松武秀樹也參與,所以很明顯地更接近流行樂感覺的處理,這張專輯無庸置疑是向流行樂世界靠攏的。
  拿著這張美術館演奏會的DM與Mkwaju Ensemble First Concert的節目單聆聽這次的專輯,百感交集。其中可以確定的是「Mkwaju」之後的轉折,久石讓對於流行樂界的開枝散葉存在是非常的巨大,同時他自己的音樂也紮實的深根茁壯,可謂極簡音樂對他自己來說,也有如懷抱珍貴的飛行石般。
  不由得要再次說明,高達20公尺的常綠樹Mkwaju會讓人聯想到天空之城的大樹,但也同時讓人聯想到身為音樂家的久石讓先生。
Symphonic Suite “Castle in the Sky”
(交響組曲「天空の城ラピュタ」)
Symphonic Suite 「Castle in the Sky」
 (交響組曲「天空之城」)
 1960年代から70年代初めのアメリカでは、人種問題の複雑化、ベトナム戦争の泥沼化、公害問題の深刻化など、行き詰まりを見せる社会の支配文化に敵対し、反逆するカウンター・カルチャーの波が起こった。相似た状況は日本にもあったわけだが、全般的には支配体制への反逆、抵抗、異議申し立て、社会的逸脱から生み出された思想、価値観、ライフスタイルは、未来への展望を生み出すことはなかった。
 しかし「科学がまだ人を不幸にするとは決まっていないころ、そこではまだ世界の主人公は人間だった」という人間に対する、あるいは人間を含む生命ある世界そのものの価値や意義を前提とする宮崎駿の冒険物語は、時代批判と過去への反省を込めながら、次世代のあるべき姿や心に描くべき夢を語っている。
 1986年に公開されたスタジオジブリ作品、監督宮崎駿、音楽久石譲の映画『天空の城ラピュタ』は、まさしく方便でない正義、遊びでない愛、通貨に換算されぬ宝、そして発見の驚きや新しい出会いを、あるいは希望を熱く語り、自己犠牲や献身をとおして絆を深めてゆく冒険物語であり、久石譲の音楽も、古典的な骨格を備えてとてもシンフォニックなものである。てらいなく朗々と、あるいは心に染むように情緒深く、さらには軽やかに伸びやかに、そして堂々と要所要所で、映像とコラボレートする見事なものである。
 映画のサントラ盤は同年8月に挿入歌「君をのせて」を含めたLPが、9月にCDが発売された。この好評を受けて、全8曲をシンフォニー化した「天空の城ラピュタ シンフォニー編 ~大樹~」のLPが同年12月に、翌年1月にはCDが発売された。さらに映画『天空の城ラピュタ』の評価は国際的なものとなり、2002年10月には北米での英語吹替版に合わせたニュー・サントラアルバム「Castle in the Sky ~天空の城ラピュタ・USAヴァージョン・サウンドトラック~」が発売された。
 このSymphonic Suite “Castle in the Sky”(交響組曲「天空の城ラピュタ」)は、Symphonic Poem NAUSICAÄ 2015(交響詩「風の谷のナウシカ」)、Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE(交響組曲「もののけ姫」)に続くスタジオジブリ交響作品化プロジェクトの第3弾に当たるもので、前述の3つのスコアを参照したうえで、構成されており、以下のような展開となっている。
  從1960年代到70年代初期,美國的種族問題複雜化、陷入泥沼的越戰、公害問題的嚴重等,激起世間對陷入僵局的社會支配文化產生敵對、反文化的出現,日本也有相似的狀況出現,整體上對於支配體制的反逆、抵抗,還有異議提出、反社會的思想、價值觀、生活型態讓人對於未來沒有希望。
  可是對於以「科學還不確定是會為人類帶來不幸、世界的主角還是人類」的人類,或是包括人類等生命的世界之價值及意義為前提的宮崎駿冒險故事中,一直都是蘊含著對時代的批判及對過去的反思,訴說對次世代應有的姿態及心情的夢想。
  1986年公開的吉卜力作品,由宮崎駿執導,久石讓擔任配樂的電影「天空之城」是講述無私的正義、非遊戲的愛情、無法衡量的寶物,以及發人省思的驚異及全新的邂逅,熱情地訴說希望,藉由自我犧牲與奉獻讓彼此的關係更加深切的冒險故事。久石讓的音樂風格加上以古典架構呈現的交響樂曲序,毫不做作的清新與深入人心地投入情緒,樂音輕輕的延展,並在各處發揚光大,達到音樂與影像完美結合。
  同年8月包括插曲「伴隨著你」的LP在9月以CD形式發行電影配樂專輯,佳評如潮,所以在同年12月發行全8曲的交響樂伴奏的「天空之城交響樂篇~大樹~」,並在翌年1月發行CD。而電影「天空之城」在國際上也深獲好評,2002年10月在北美配合英文版電影上映同時'新版電影原聲帶「Castle in the Sky~天空之城·USA Version Soundtrack~」也同步發行。
  這Symphonic Suite 「CastleintheSky」(交響組曲「天空之城」)是繼Symphonic Peom NAUSICAA 2015(交響詩「風之谷」)、Symphonic Suite PRINCESS MONONOKE(交響組曲「魔法公主」)之後,吉卜力交響作品化企畫的第3彈,參照前述3張配樂之下所構成以下的展開。
01. Doves and the Boy ~ The Girl Who Fell from the Sky / ハトと少年~空から降ってきた少女
シンフォニー編のプロローグ。パズーの毎朝の日課はトランペットで「朝の曲」を奏でてからハトにパンくずをあげること。このトランペットから組曲は始まる。物語の中では、シータがパズーに助けられた翌朝、トランペットの音で彼女が穏やかに目覚めるシーンで奏でられる。「空から降ってきた少女」はいうまでもなくメインテーマである。
02. A Street Brawl ~ The Chase ~ Floating with the Crystal / 愉快なケンカ~追跡~飛行石
パズーが暮らすスラッグ渓谷の住民とドーラ一家のケンカとトロッコ列車を舞台にしたドーラ一家とシータたちの追いかけっこ。シンフォニー編の「大活劇」。アメリカ版のA Street BrawlとThe Chase。そして飛行石に救われるパズーとシータ。
03. Memories of Gondoa / ゴンドアの思い出
シンフォニー編では「母に抱かれて」のサブ・タイトルがある。物語の最後の方、シータがムスカに追い詰められて玉座の間で言ったセリフと「ゴンドアの谷の歌」が科学力を極めたラピュタが滅亡した理由を物語っている。
04. The Crisis ~ Disheartened Pazu / 危機~失意のパズー
サントラ盤の「ゴンドアの思い出」、ラスト部分。迫り来る危機。ムスカに囚われたパズーはラピュタの探索を諦めるようシータに言われて失意の中、要塞を去っていく。アメリカ版のDisheartened Pazu。
05. Robot Soldier ~ Resurrection – Rescue ~ / ロボット兵(復活~救出)
アメリカ版のRobot Soldier ~Resurrection – Rescue~。ラピュタ人が作った「兵器」だが、あくまで「自分を持たない忠実で無垢な存在」。
06. Gran’ma Dola
シンフォニー編。欲望を隠すことなく、またなりふり構わず突き進む魅力的な悪人である空中海賊ドーラ一家のバアさま。物語の後半ではパズーとドーラは一族の母艦であるタイガーモス号の乗員となる。
07. The Castle of Time / 時間(とき)の城
サントラ盤の「天空の城ラピュタ」の後半部。
08. Innocent
「空から降ってきた少女」のピアノ独奏版である「Innocent」をほぼ使用している。作曲家自身のとてもしっとりとした演奏が味わえる。
09. The Eternal Tree of Life / 大樹
アメリカ版のThe Eternal Tree of Lifeのオーケストレーションを採用している。いうまでもなくラピュタの庭園の大樹。ラピュタを浮上させていた飛行石の巨大な結晶体はこの大樹の根に囲まれており、シータとパズーの唱えた滅びの言葉「バルス」によって城は崩壊するが、大樹とその大樹に支えられて残った城の上層部はさらに高度へと上昇しながら飛び去って行く。
01. Doves and the Boy ~The Girl Who Fell from the Sky / 鴿子與少年〜從天而降的少女
交響樂篇的序章。巴魯每天早晨的例行公事就是以小喇叭演奏「晨之曲」餵鴿子麵包屑。從小喇叭開始的組曲,在故事中,在巴魯的幫助之下,希達在隔天早晨,被流瀉的小喇叭樂音喚醒她的一幕。「從天而降的少女」是主旋律。
02. A Street Brawl~The Chase~Floating with the Crystal / 痛快的打鬥〜追蹤〜飛行石
巴魯所居住的鐵道車溪谷的居民和朵拉一家的爭執,以火車為舞台的朵拉一家和希達一行人的你追我跑。交響樂篇的「超大作」。美國版的A Street Brawl與The Chase,還有被飛行石拯救的巴魯與希達。
03. Memories of Gondoa / 肯德亞家鄉的回憶
在交響樂篇中此曲有「母親的擁抱」的副標。在故事最後,希達被穆斯卡追到無路可逃,在王座上說出的話與「肯德亞的山谷之歌」訴說著擁有強大科學力量的拉普達竟會毀滅的理由。
04. The Crisis~Disheartened Pazu / 危機〜失落的巴魯
在電影配樂專輯的「肯德亞家鄉的回憶」是尾聲的部分。逼近的危機。因為巴魯被穆斯卡囚禁而放棄搜尋拉普達而感到失落離開要塞。美國版的Disheartened Pazu。
05. Robot Soldier ~Resurrection - Rescue~ / 機器士兵(復活~救出)
美國版的Robot Soldier ~Resurrection - Rescue~。拉普達人所製造的「兵器」,可是卻是「毫無自我的忠實且無邪的存在」。
06. Gran'ma Dola
交響樂篇。毫不隱藏慾望而且不顧一切往前衝的魅力的壞蛋是空中海盜朵拉家奶奶,在故事後半巴魯和希達都成為空中飛船母艦虎蛾號的一員。
07. The Castle of Time / 時間之城
電影配樂專輯的「天空之城」後半部。
08. Innocent
使用了「從天而降的少女」的鋼琴獨奏版「Innocent」,可以品味到作曲家自身非常沉穩的演奏。
09. The Eternal Tree of Life / 大樹
採用美國版的The Eternal Tree of Life的管弦樂編製法,也就是拉普達庭園中的大樹。讓拉普達漂浮的飛行石的巨大結晶體是被這棵大樹的根所纏繞包圍,希達和巴魯唸出毀滅天空之城咒語「巴魯斯」時,城堡隨之崩毀,但大樹以及被大樹所支撐的城堡上層部分上升飛到更高的地方去。
ASIAN SYMPHONY
ASIAN SYMPHONY
 ミニマル・ミュージックの誕生は、いずれも1930年代後半生まれのラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスなどのアメリカの作曲家たちに帰せられる。伝統を背負ったヨーロッパでなくアメリカの民俗音楽研究やサブ・カルチャーに出自をもつ音楽家たちであったことが重要である。
 日本におけるミニマル・ミュージックの受容は、1968年の第2回「オーケストラル・スペース」でライヒの『ピアノ・フェイズ』、1970年の大阪万博鉄鋼館でのライリーの『イン・C』の演奏紹介に始まるが、1977年にはライリーが初来日し、狭山湖のユネスコ村で真夜中の2時ころから明け方まで、電子オルガンで長大なドローンに載せた即興演奏を繰り広げた。注)久石も当時その会場で聴いていた。
 少なくともそれまでの現代音楽に聴くことのできなかった単調な音型やリズム・パルスの反復と心地よいハーモニーの同居。それはそれは新鮮に聴こえたものであった。創作の上でのミニマル・ミュージックの日本的受容も70年代には顕著なものとなっていた。
 もちろん『ピアノ・フェイズ』を最初に紹介した一柳慧(1933~)の『ピアノ・メディア』(1972)のような、年長組の例もあるが主体は、本場の創始者たちのちょうど一回り下の、戦後生まれの1940年代後半から50年代前半の世代にあった。ロック世代でもあるし、アフリカ開放をうたうミンガスやローチの思想的ジャズの流行に心躍らせたりした世代でもあるし、ちょうど日本における民族音楽のフィールドワーク研究成果が盛んに紹介されるようになった時期に出合った世代でもある。
 それぞれ背景も作風も目指した方向も異なったが『リタニア』(1973)の佐藤聰明(1947~)、『線の音楽』(1973)の近藤譲(1947~)、『ムクワジュ』(1981)の久石譲(1950~)、『ケチャ』(1979)の西村朗(1953~)等々、いずれも国際的な評価を受ける日本の代表的作曲家となったことは、嬉しいことである。
 この久石譲の新作ASIAN SYMPHONYのベースとなっているのはソロ・アルバムの「Asian X.T.C.」(2006年発売)の収録曲である。このアルバムはメロディアスな前半6曲を陽side(Pop side)とし、ミニマル色を強く打ち出した後半4曲を陰side(Minimal side)に分けている。この後半に収録されていたアンサンブル編成の4曲は、その後フルオーケストラ編成に拡大されて2006年から2007年のアジアツアーにおいて「Asia組曲」として披露された。このASIAN SYMPHONYは新たに1曲(映画『花戦さ』の赦しのモティーフ)を加え、配列も新たに整えて全5楽章構成の交響曲として完結させたものである。なかでも1・4・5楽章は、リズム操作とオーケストレーションとで聴きごたえある作品となっている。
  極簡音樂的誕生要歸功於在1930年代後半出生的La Monte Young、Terry Riley、Steve Reich、Philip Glass等美國的作曲家。不是擁有傳統的歐洲而是出自美國的民俗音樂研究及次文化音樂家們。
  在日本接受極簡音樂是在1968年第二屆「Orchestra Space」中Steve Reich的「Piano Phase」、1970年大阪萬國博覽會鋼鐵館的Terry Riley 「InC」的演奏介紹開始,1977年Terry Riley首次造訪日本,在狹山湖的U.N.E.S.C.O.村,深夜2點時分到清晨,用電子琴不斷重複即興演奏長版低音。注)當時久石讓也在會場上聆聽。
  那是過去現代音樂所聽不到的單調音型跟節奏脈衝的不斷反複,會讓人聽了很舒服的合音同存,聽來很新鮮。在創作上的極簡音樂,日本的接受度也是在1970年代最為明顯。
  當然也有像最初在「PianoMedia」(1972)介紹「Piano Phase」的一柳慧(1933~)的年長組,不過主要的創始者們都是在晩一輪的1940年代後半到50年代前半的世代,那也是搖滾世代,同時也是歌頌非洲開放的Mingus及因為Roach思想的爵士樂流行而敞開心門的世代,恰好那世代也是在日本的民族音樂學的田野報告研究成果介紹百花齊放的時期。
  雖然在背景以及樂風還有音樂目標方向都不同,但佐藤聰明(1947~)「Litania」(1973)、佐藤讓(1947~)「線的音樂」(1973~)、久石讓(1950~)「Mkwaju」(1981)、西村朗(1953~)「Kecak」(1979)等等都是當時在國際間受到好評的日本代表作曲家,令人欣喜。
  這久石讓的新作ASIAN SYMPHONY的基本是來自他個人專輯「Asian X.T.C」(2006年發行)的收錄曲。這張專輯的旋律分成前半6曲為陽Side(Pop Side)、強烈展現極簡色彩的後半4曲陰Side(Minimal Side),這後半收錄的合奏編成4曲在之後的大樂隊編制後,擴大成2006年到2007年亞洲巡迴演奏的「Asia組曲」披露曲目。這次ASIAN SYMPHONY增加了一首新曲〈電影「花戰」的告解片段〉經過全新編列整理構成完成全5樂章的交響曲,其中第1·4·5樂章,節奏操編與管弦樂編制都是值得一聽的作品。
I. Dawn of Asia
II. Hurly-Burly
III. Monkey Forest
IV. Absolution
V. Asian Crisis
石田一志(音楽評論家)
2018年6月16日
石田一志(音樂評論家)
2018年6月16日