文档:吉卜力日誌/1996年5月

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 4月 1996年5月 6月
幽靈公主 製作日誌 目錄 
 4月 1996年5月 6月
1996年5月
1996年5月
吉卜力日志 kodama.gif
吉卜力日誌 kodama.gif
96.5.01(水)
 今日からテレコムの田中敦子さんが出向で「もののけ姫」に参加。絵コンテ、キャラ表を見てもらった後、午後から作打ちを行う。CUT877~934まで58カット分。しかし出向期間が半年しかないのに58カットの原画ができるのだろうか?1カ月に10カットづつ上げて行かねばならないのだ。
96年5月1日(星期三)
 今天,來自電信公司的田中敦子小姐借調到《幽靈公主》項目組。我們讓她看了分鏡稿和角色表,下午開始進行製作會議。從CUT877到CUT934,共58個鏡頭。然而,借調期只有半年,真的能完成這58個鏡頭的原畫嗎?每個月必須完成10個鏡頭才行。
96.5.02(木) 
 今日は第三回「人間は何を食べてきたか」 馬鈴薯(じゃがいも)の上映会を行う予定であったが、野崎さんが不用意にも、ジブリのバミューダトライアングルと呼ばれている会議室にビデオを置き忘れてしまったため、見事に紛失、急遽「エチオピアの岩窟教会」を観る会に変更。お詫びに野崎さんのおごりでピザが配られる。
96年5月2日(星期四)
 今天原本計劃舉行第三回「人類吃什麼」系列的馬鈴薯(土豆)放映會,但由於野崎先生不慎將錄像帶遺忘在被稱為吉卜力百慕達三角的會議室里,導致錄像帶徹底丟失,於是緊急改為觀看「埃塞俄比亞的岩窟教堂」的放映會。作為道歉,野崎先生請大家吃披薩。
96.5.04(土)
 メインスタッフの他、篠原、大塚、遠藤、倉田、笹木、山森、武重、片塰、百瀬の各氏が出社。
96年5月4日(星期六)
 除了主要工作人員外,篠原、大塚、遠藤、倉田、笹木、山森、武重、片塰、百瀨等人也到公司上班。
96.5.06(月) 
 夕食に篠原さんがスパゲッティを作って休日にもかかわらず今日出勤している全員にご馳走してくれる。全員で机を囲んでイタリア式の夕食をとる。
 鈴木プロデューサーがアメリカから帰国、早速ジブリに出社してくる。「もののけ姫」のディズニー配給による全世界公開が決定したもよう。「金が儲かるんならいいんじゃない」とクールな反応の宮崎監督がさっそく極秘事項だというのに社員にふれまわっていた。
96年5月6日(星期一)
 晚餐時,篠原先生做了意大利麵,儘管是休息日,他還是招待了今天所有出勤的同事。大家圍坐在桌旁,享受了一頓意大利式的晚餐。
 鈴木製作人從美國回國,立刻來到吉卜力公司上班。據悉,《幽靈公主》將由迪士尼在全球範圍內發行。宮崎導演對此反應冷淡,說「能賺錢就好」,儘管這是高度機密,他卻立刻在公司里四處傳播。
96.5.07(火) 
 宮崎監督の勧めで、北条民雄の短篇集「命の初夜」を読む。死に対峙した若者の、一種開き直りにも似たガラスのような透明感が印象に残る作品集である。 宮崎監督、野崎さんは、最後の「望郷歌」が気にいったようだが、私は表題作がベストだと思う。しかしこれを書いたのが20代前半か …。
96年5月7日(星期二)
 在宮崎導演的推薦下,我讀了北條民雄的短篇小說集《生命的初夜》。這是一部讓人印象深刻的作品集,描寫了面對死亡的年輕人,那種近乎豁達的、如玻璃般透明的感覺。宮崎導演和野崎先生似乎最喜歡最後一篇《望鄉歌》,但我認為標題作《生命的初夜》才是最好的。然而,想到這是他在20歲出頭時寫的……真是令人驚嘆。
96.5.13(月) 
  大塚伸治さんの打ち合わせが行われる。CUT589~607まで19CUT。
96年5月13日(星期一)
 與大塚伸治先生進行了會議。討論了CUT589至607,共19個CUT。
96.5.14(火)
 野崎さんが企検用オリジナルの原稿第一縞を書き上げる。やけに早いがけっこう面白いので、分量的にもうちょっと増やして企検にかけることにする。
 久石譲氏が来社。持参したイメージアルバムの曲を聞きながら、宮崎監督を交えて話し合いを行う。
96年5月14日(星期二)
 野崎先生完成了企劃審查用的原創初稿。雖然完成得異常迅速,但內容相當有趣,因此決定在分量上再增加一些,然後提交給企劃審查。
 久石讓先生來到公司。大家一邊聽他帶來的印象專輯中的曲子,一邊與宮崎導演進行討論。
96.5.16(木) 
 鈴木さん経由で、徳間社長にトトロマークを徳間の名刺に使わせてくれ、と頼まれた宮崎監督、「徳間にはこのマークが最適」と手には羽、足には団扇をつけたひげちょびんの男がぱたぱたと空を飛んでいるマークを新たに考案。早速鈴木さんが徳間社長に見せたところ、なんと見事に採用となる。
吉卜力日志 tokuma.gif
新マーク
96年5月16日(星期四)
 通過鈴木先生,宮崎導演被請求讓德間社長在德間的名片上使用龍貓標誌。宮崎導演認為「這個標誌最適合德間」,於是設計了一個新標誌:一個留着鬍鬚的小個子男人,手上長着翅膀,腳上踩着團扇,在空中啪嗒啪嗒地飛翔。鈴木先生立即將這個標誌展示給德間社長,結果竟然被順利採用了。
吉卜力日誌 tokuma.gif
新標誌
96.5.18(土) 
 宮崎監督が一時間程遅刻。ラッシュが12時頃からに変更。
 宮崎監督からスパゲッティパーティ開催のため、マイスタームラカミのソーセージを入手せよ、との指令が飛ぶ。夕方のラッシュ時の踏切を車で往復する暴挙。3千円分のソーセージを入手。 
 ジブリ作品のLDボックス全集「ジブリがいっぱい」の解説書用に頼んだ原稿を、庵野さんがなかなか書いてくれないので、野中さんがノイローゼになりそうだ。あっ、もうなってるか。
96年5月18日(星期六)
 宮崎導演遲到了大約一小時。原定於12點左右的樣片放映時間因此更改。
 宮崎導演突然下達指令,要求為即將舉行的意大利麵派對獲取My Staff Murakami的香腸。於是,在傍晚交通高峰時段,我們駕車往返於鐵路道口,最終成功購得價值3000日元的香腸。
 由於庵野先生遲遲未完成為吉卜力作品LD套裝《吉卜力滿滿》解說書所委託的稿件,野中先生幾乎要神經衰弱了。哦,或許已經神經衰弱了。
96.5.20(月) 
 本日で石曽根君の制作の研修が終了。明日からは演助の研修が 始まる。
 昨日見て感動した映画「ウェールズの山」の話を制作部の人間にしていたら、偶然にも出版部野崎さんもその映画を見に行きいたく感激したらしい。さらに宮崎監督も、昨日会った上條恒彦さんに「ウェールズの山」はいいですよー、とさんざん聞かされたそうである。
96年5月20日(星期一)
 今天石曾根君的製片研修結束了。從明天開始,將進入演助的研修。
 昨天看了一部讓我感動的電影《威爾斯的山》,和製作部的人聊起時,偶然得知出版部的野崎也去看了這部電影,並且非常感動。此外,宮崎導演昨天遇到上條恆彥時,也被他極力推薦說《威爾斯的山》非常好看。
96.5.21(火) 
 飯田馬之助さんがクラナドのCDをもってくるが、宮崎監督が気に入り「もののけ姫」に使いたいなーと言い出す。早速飯田さんに「売れ」と無理やりCDを買い取る。飯田さんのも含めて鈴木プロデューサーから4枚買ってこいとの指示が出る。
96年5月21日(星期二)
 飯田馬之助先生帶來了《Clannad》的CD,宮崎導演聽後非常喜歡,表示想要在《幽靈公主》中使用。於是立刻要求飯田先生「賣給我」,強行買下了這張CD。宮崎導演還指示鈴木製作人去買四張CD,其中包括飯田先生的那張。
96.5.22(水) 
 片塰、百瀬、奥井、野崎、石井君とプロダクション・アイジーへコンピューターの見学に行く。一通り見学したあと、押井守氏と懇談。「デジタルペイントのシステムについては、ジブリは率先してやらなければいけない立場にいる。この業界でそれらの金銭的リスクに耐えられるスタジオは他にはないのだ。またジブリがあるシステムを採用すれば、他のスタジオはそれについてくる」と力説していた。また「やるなら精神的な援助は惜しまないよ」とパトレイバーの後藤隊長みたいなことも言っていた。押井さんの話を聞いていると、ジブリはそうしなければいけない、という気分になってくるところが恐ろしい。まったく押井さんの話し方には天才的な説得力がある。
96年5月22日(星期三)
 與片塰、百瀬、奧井、野崎、石井君一同前往Production I.G參觀電腦設備。參觀結束後,與押井守先生進行了懇談。他強烈主張:「關於數字繪畫系統,吉卜力應該率先行動。在這個行業中,沒有其他工作室能夠承受這些經濟風險。而且,如果吉卜力採用某個系統,其他工作室也會跟隨。」他還說:「如果你們要做,我會不遺餘力地提供精神支持。」聽押井先生講話時,不禁感到吉卜力必須這樣做,這種說服力真是令人敬畏。押井先生的言辭確實具有天才般的說服力。
96.5.23(木) 
(絵コンテ・cut976のわきに描かれた落書き)
吉卜力日志 cut.gif
  絵コンテCUT935~976まで42CUTUP。総秒数82分53秒19.92コマ。   野崎さん原作の企画検討会が行われる。 野崎さんの心配をよそに、新人を含めて15人位の人が集まり大盛況。原作がまとまり切っていなかったことと、宮崎監督がちょこちょこしか顔を出さなかったため、企検始まって以来の激しい議論となる。野崎さんが煮詰めて再び企検に出すことに。
96年5月23日(星期四)
(分鏡·cut976旁邊畫的塗鴉)
吉卜力日誌 cut.gif
 分鏡CUT935~976共42CUT完成。總時長82分53秒19.92幀。  野崎先生原作的企劃討論會舉行。 儘管野崎先生有些擔心,但包括新人在內大約15人聚集,場面非常熱鬧。由於原作尚未完全整理好,以及宮崎導演只是偶爾露面,討論會自開始以來就展開了激烈的討論。野崎先生決定再深入思考後再次提交企劃。
96.5.24(金) 
 次回の企検は宮崎監督レポーターの「ごん太を殺せ!」に決定。果たして活発な意見交換が成されるのか。
96年5月24日(星期五)
 下次企劃會議決定由宮崎監督擔任記者的「殺死小太!」為主題。究竟能否展開活躍的意見交流呢?
96.5.25(土) 
 「Cパートは終わり」と言っていた絵コンテの追加が上がる。CUT977~998まで22CUT。合計で1,004CUT、85分35秒7.92コマ。
 近藤喜文さんが社員にアイスクリームをおごる。
 箕輪さん打ち合わせ。CUT951~970まで20CUT分。
 清水さん打ち合わせ。CUT977~998まで22CUT分。
96年5月25日(星期六)
 之前說「C部分結束」的分鏡稿又有了追加。從CUT977到CUT998,共22個CUT。總計1,004個CUT,85分35秒7.92幀。
 近藤喜文請員工們吃雪糕。
 與箕輪先生開會。討論了CUT951到CUT970,共20個CUT。
 與清水先生開會。討論了CUT977到CUT998,共22個CUT。
96.5.27(月) 
 休日。夕食に休日には、恒例となりつつあるスパゲッティが出る。料理長はもちろん作監の高坂氏。
96年5月27日(星期一)
 休息日。晚餐時,休息日的慣例是吃意大利麵。當然,主廚是作監高坂先生。
96.5.28(火) 
 宮崎監督が考え付いた新雑誌「がじ」(意味は"がんこじじい")の企画を出版部に出す。これは徳間が出している「Jマーカー」の対極をなすような雑誌で、宮崎監督によれば「下流のヘドロを相手にせず、ヘドロを浄化する一本の葦たらん。好み、遊び、教養、全てに亘り孤立をおそれず、 哄笑と透明なニヒリズムと 知性の総合誌」とのこと。これだけでは何の雑誌か皆目見当もつかないが、ようするに現代の軽薄な流行に乗らずに「これがよいのだ」というある意味での哲学を紹介する雑誌なのである。
96年5月28日(星期二)
 宮崎導演構思的新雜誌《がじ》(意為「頑固老頭」)的企劃提交給了出版部。這本雜誌與德間書店出版的《Jマーカー》形成鮮明對比,宮崎導演表示:「不迎合低俗的潮流,而是成為淨化污濁的一根蘆葦。在喜好、娛樂、教養等各個方面無所畏懼地保持獨立,是一本充滿鬨笑、透明的虛無主義與知性的綜合雜誌。」僅憑這些描述,大家完全無法想像這是一本什麼樣的雜誌,但簡單來說,它是一本不追隨現代輕浮流行趨勢,而是介紹「這才是好的」某種哲學理念的雜誌。
96.5.29(水) 
 宮崎監督がおでんを作り、午後6時ころスタッフに配る。
96年5月29日(星期三)
 宮崎導演做了關東煮,下午6點左右分發給工作人員。