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99.4.1(木)
昨日夜、二泊三日で岡山、倉敷、福山、広島、呉、岩国、徳山、防府をの劇場を回って帰京。今日は朝からジブリへ出社。松竹関西支社、池方さんお世話になりました。近日中に劇場紹介ページをホームページ上に作成予定。請うご期待。
音楽表を作るため、アビッドからタイムコード入りで落としたビデオを見ながら、音楽の入っている部分の秒数をチェックする作業を行う。
内線動画が無くなったので、美術田中氏に頼んでチェック前のボードをコピーする。
リテーク分のラッシュチェックを行う。今回は、思った程リテークがでなかった。
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99年4月1日(星期四)
昨晚,經過兩晚三天的行程,走訪了岡山、倉敷、福山、廣島、吳、岩國、德山、防府等地的劇場後返回東京。今天一早便前往吉卜力工作室上班。感謝松竹關西支社的池方先生的關照。計劃近日內在官網上創建劇場介紹頁面,敬請期待。
為了製作音樂表,從Avid中導出帶有時間碼的視頻,一邊觀看一邊檢查有音樂部分的秒數。
由於內部視頻丟失,拜託美術部的田中先生複製檢查前的畫板。
進行重拍部分的樣片檢查。這次重拍的部分比預想的要少。
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99.4.2(金)
引き続き音楽表を作る作業の続き。
六時よりバーにて、明日行われる予定のジブリ合唱団収録に向けての簡単なリハーサルが行われる。まるで学校の放課後のようだ、と不評。
朝から、宣伝のメイジャーさんに今まで出来ている山田くんを通して見てもらう。
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99年4月2日(星期五)
繼續製作音樂表的工作。
從六點開始在酒吧進行明天即將進行的吉卜力合唱團錄音的簡單排練。感覺就像學校的課後活動一樣,評價不佳。
從早上開始,通過已經完成的山田君,讓宣傳的梅傑先生查看至今為止的成果。
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99.4.3(土)
プロジェクターによるラッシュチェックが行われる。
六時より二馬力の大広間(?)において、ジブリ合唱団の収録が行われる。これは本編内で使われる、素人っぽい合唱の一部を、若林さん、井上さん等が二馬力に録音機材を持ち込み、ジブリのスタッフで録音してしまおうという趣向。この呼びかけに賛同した、声自慢のジブリスタッフは男女合わせて約30名。それに飛び入りで参加した日本テレビ奥田さんや、博報堂の藤巻さんらも加え、堂々たるメンバー(?)にて収録が始まる。最初にボイストレーナーの方から声の出し方等の指導を受けた後、いよいよ録音がスタート。曲は混声合唱、女性合唱、男声合唱の三曲。歌っている間はそれなりにいい感じに聞こえていたが、いざプレイバックしてみると、まさに素人。一同愕然とするも、高畑監督は演出意図にはぴたりとはまったのか、それぞれ15分くらいの録音でOKが出る。しかし、たまにはみんなで大声を出すってのも気持ちが良いもの。
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99年4月3日(星期六)
今天進行了投影儀放映的樣片檢查。
從六點開始,在二馬力的大廳(?)里,進行了吉卜力合唱團的錄音。這是為了在本篇中使用一些業餘風格的合唱部分,由若林先生、井上先生等人將錄音設備帶到二馬力,由吉卜力的工作人員進行錄音。響應這一號召的吉卜力工作人員中,擅長唱歌的男女共計約30人。此外,還有日本電視台的奧田先生和博報堂的藤卷先生等人臨時加入,組成了龐大的陣容(?)開始錄音。首先由聲樂教練指導大家如何發聲,然後正式開始錄音。曲目包括混聲合唱、女聲合唱和男聲合唱三首。在唱歌的時候感覺還不錯,但回放時一聽,果然是業餘水平。大家都很驚訝,但高畑導演認為這正好符合演出意圖,每首曲子大約錄了15分鐘就通過了。不過,偶爾大家一起大聲唱歌也挺讓人心情愉快的。
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99.4.5(月)
プロジェクターによるラッシュチェックが行われる。
朝11時半より、今年度新入社員の入社式が行われる。今年は、作画6人、仕上げ2人、美術1人、演出(東小金井村塾の卒業生)3人の計12人という大量採用となる。仕上げ、美術は既にジブリ社内で研修、および作業を行っているが、「となりの山田くん」の作業で机がすべて埋まっている作画部門は、研修開始が15日からとなっている。
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99年4月5日(星期一)
今天進行了投影儀放映的樣片檢查。
上午11點半開始,舉行了今年新員工的入職儀式。今年共有12名新員工加入,包括6名作畫人員、2名後期製作人員、1名美術人員,以及3名導演(東小金井村塾的畢業生)。後期製作和美術部門的新員工已經在吉卜力公司內部開始了培訓和實際工作,但由於《我的鄰君山田君》的製作工作佔用了所有的工作枱,作畫部門的培訓將從15日開始。
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99.4.6(火)
今日は日帰りで、郡山、福島、仙台の劇場回り。
今日から東小金井村塾2の卒業生3人が、望月、居村、神村の各氏について研修開始。
近藤勝也氏が今日からスタジオIN。早速ボブスレー編作打ち。
ボブ編のラッシュチェックが行われる。内2カットフィルムレコーディングに出す予定。
所長が来社(?)、 スケジュールの遅れを指摘し、金魚鉢でスケジュール表を持ち込んで緊急トップ会議。
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99年4月6日(星期二)
今天一天內往返於郡山、福島、仙台的劇場。
從今天開始,東小金井村塾2的三位畢業生,望月、居村、神村,開始各自的研修。
近藤勝也先生從今天開始在工作室IN。立即開始了雪橇編的創作討論。
雪橇編的樣片檢查進行中。其中兩段計劃送去進行膠片錄音。
所長來到公司(?),指出了日程的延誤,帶着金魚缸里的日程表緊急召開了高層會議。
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99.4.7(水)
プロジェクター及び、35mmによるラッシュチェックが行われる。ものすごい勢いで物が流れているので、必然的にラッシュチェックの回数も増えている。
昨日の所長の指摘を受け、各部署の代表者が集まり、CUTの流れがスムースにいくように話し合いが行われる。
14-5の色打ち合わせが行われる。
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99年4月7日(星期三)
進行了投影儀及35毫米膠片的樣片檢查。由於工作進展非常迅速,樣片檢查的次數也必然增加了。
根據昨天所長的指示,各部門代表聚集在一起,討論了如何使剪輯流程更加順暢。
進行了14-5的色彩調整會議。
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99.4.8(木)
朝11時より、東京ホテルオークラにて「ホーホケキョ となりの山田くん」制作発表記者会見が行われる。会見の出席者は徳間書店 代表取締役社長 徳間康快氏、日本テレビ放送網 代表取締役社長 氏家齊一郎氏、博報堂 代表取締役社長 東海林隆氏、ブエナ ビスタ ホーム エンターテインメント 副社長(アジア・パシフィック担当) ティム・サリバン氏、松竹 代表取締役社長 大谷信義氏、たかし役の益岡徹氏、しげ役の荒木雅子氏、そして監督、脚本の高畑監督。まつ子役の朝丘雪路氏は、舞台スケジュ-ルの都合でビデオ出演となる。会場には新聞、テレビの取材陣が約千人も集まり、異様な熱気に包まれる。記者会見後のパ-ティには小渕首相も顔を出し、「私の顔はのぼるに似ている」と即席ギャグで会場を沸かせていた。
左から五十畑迅人君、高畑監督、宇野なおみちゃん、荒木雅子さん、益岡徹さん
夕方リテーク分のラッシュチェックが行われる。
7-09・14-07色打ち合わせ。
午後からジブリにて、熊本県民テレビ、福岡放送、札幌テレビの取材が行われる。
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99年4月8日(星期四)
上午11點,在東京大倉酒店舉行了《我的鄰君山田君》的製作發佈會。出席發佈會的有德間書店的代表董事社長德間康快先生、日本電視台的代表董事社長氏家齊一郎先生、博報堂的代表董事社長東海林隆先生、博偉家庭娛樂的副總裁(亞太地區負責人)蒂姆·沙利文先生、松竹的代表董事社長大谷信義先生、飾演隆的益岡徹先生、飾演茂的荒木雅子女士,以及導演兼編劇的高畑勳導演。飾演松子的朝丘雪路女士因舞台日程安排,通過視頻參與。會場聚集了約千名來自報紙和電視的記者,氣氛異常熱烈。發佈會後的派對上,小淵首相也現身,並用即興笑話「我的臉像升起的太陽」讓會場沸騰起來。
從左至右依次為五十畑迅人君、高畑勳導演、宇野直美醬、荒木雅子女士、益岡徹先生
傍晚進行了重拍部分的樣片檢查。
7-09・14-07色彩協調會。
下午,在吉卜力工作室接受了熊本縣民電視台、福岡廣播電台和札幌電視台的採訪。
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99.4.9(金)
朝の新幹線で名古屋へ。松竹中部営業所にに立ち寄り、松竹中部営業所宣伝の山田さんと車で、小牧市の小牧コロナシネマワ-ルド、春日井市の春日井コロナシネマワ-ルド、江南市の江南コロナシネマワ-ルドの各映画館へ。名古屋市泊まり。
朝からジブリにて、中京テレビ、読売テレビ、日本海テレビの取材が行われる。
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99年4月9日(星期五)
早上乘坐新幹線前往名古屋。順路去了松竹中部營業所,與松竹中部營業所宣傳部的山田先生一起乘車,前往小牧市的小牧Corona Cinema World、春日井市的春日井Corona Cinema World、江南市的江南Corona Cinema World等電影院。晚上住在名古屋市。
從早上開始,吉卜力工作室接受了中京電視台、讀賣電視台、日本海電視台的採訪。
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99.4.10(土)
今日も山田氏と劇場訪問。半田市の半田コロナシネマワ-ルド、豊田市の豊田ジャスコシアタ-、豊川市のワ-ナ-・マイカル・シネマズ豊川、豊川コロナシネマワ-ルドへ。豊橋から新幹線で帰京。
15時よりラッシュチェック。
17時より14-04色打ち合わせ。
17時半より13-07・08着彩ボードチェック。
アビッド用に、まだ声を録っていない13-7の兄ちゃん役の声を、居村氏があてる。監督曰く「声が軽くて駄目ですね」と一言。
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99年4月10日(星期六)
今天再次與山田先生一同訪問了劇場。我們去了半田市的半田Corona Cinema World、豐田市的豐田Jusco Theater、豐川市的Warner Mycal Cinemas豐川以及豐川Corona Cinema World。之後從豐橋乘坐新幹線返回東京。
下午3點開始進行rush check。
下午5點開始進行14-04的色彩討論。
下午5點半開始進行13-07和08的上色板檢查。
為了Avid,居村先生為尚未錄音的13-7中的哥哥角色配音。導演只說了一句:「聲音太輕了,不行。」
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99.4.12(月)
朝の飛行機で佐賀空港へ。毎度の事ながら朝の都内のラッシュは半端じゃない。ジブリは東小金井で良かったと痛感。松竹九州営業所の中原さんと、佐賀市の佐賀セントラル、上峰町のWMC上峰、日田市の日田シネマテ-クリベルテへ。久留米市泊まり。
13時半に高畑監督がニューヨークいる矢野顕子さんと国際電話で音楽打ち合わせ。因みに時差は13時間。
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99年4月12日(星期一)
早上乘飛機前往佐賀機場。每次早上的東京市內交通高峰都異常擁擠,深感吉卜力工作室選址在東小金井真是明智之舉。與松竹九州營業所的中原先生一起,走訪了佐賀市的佐賀中央、上峰町的WMC上峰、日田市的日田電影院Liberte。晚上住在久留米市。
下午1點半,高畑勳導演與在紐約的矢野顯子通過國際電話進行音樂討論。順便一提,時差為13小時。
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99.4.13(火)
今日も中原さんの車で、久留米市の松竹セントラル、大野城市のWMC大野城、筑紫野市の筑紫野とうきゅうシネマへ。博多泊まり。
ボブスレ-編のラッシュチェックが行われる。色等で少し問題有り。
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99年4月13日(星期二)
今天也是乘坐中原先生的車,去了久留米市的松竹中央、大野城市的WMC大野城、筑紫野市的筑紫野東急影院。住在博多。
進行了雪橇編的試映檢查。在顏色等方面有一些問題。
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99.4.14(水)
今日も車で中間市のAMC中間16、北九州市八幡西区黒崎の黒崎文化劇場へ。夜の飛行機で福岡から帰京。
ようやく13-7の色打ち合わせが行われる。
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99年4月14日(星期三)
今天開車去了中間市的AMC中間16,以及北九州市八幡西區黑崎的黑崎文化劇場。晚上從福岡乘飛機返回東京。
終於進行了13-7的顏色討論。
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99.4.15(木)
今日から作画の新入社員が出社。本来入る予定だった二スタがまだ工事中のため、今日はまず、宮崎監督の発案で、ジブリ最寄りの駅である東小金井からジブリまでの道を、竹箒とゴミ袋を持って徹底清掃を行う。たばこの吸い殻、空き缶等、10袋分のごみが回収される。
午後からは、研修に使う動画机を新人みんなで倉庫から運搬、ほこりだらけの机をぞうきんで磨き上げ、工事中の二スタ二階に運びあげる。
14-4-12、7-10色打ち
17時よりリテークラッシュチェック。
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99年4月15日(星期四)
今天新入職的作畫員工開始上班。原本計劃進入的二號工作室仍在施工中,因此今天首先按照宮崎導演的提議,從離吉卜力最近的車站東小金井到吉卜力的路上,大家手持竹掃帚和垃圾袋進行徹底清掃。共收集了10袋垃圾,包括煙蒂、空罐等。
下午開始,新員工們一起從倉庫搬運用於培訓的動畫機,用抹布擦去滿是灰塵的桌子,並將其搬到正在施工的二號工作室二樓。
14-4-12,7-10色打ち
從17點開始進行重拍檢查。
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99.4.16(金)
昨日運びあげた机だが、電気配線がオシャカなっていたり、ガラスが割れていたりと、使い物にならないものも多かったため、スタジオの備品を含め、近所のディスカウントショップに買い物に行く。結局、新人みんなで清掃修理等で一日中作業。
14時から部次長会議が行われる。
15時より14-6・7-8色打ち。
連日色打ちを行ってるため、それに合わせて背景が驚く程早いスピードで上がっている。
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99年4月16日(星期五)
昨天搬來的桌子中,有些電線損壞,有些玻璃破裂,很多都無法使用,因此包括工作室的備品在內,我們去了附近的折扣店購物。結果,新人們一整天都在進行清潔和修理工作。
下午2點開始舉行了部門副經理會議。
從下午3點開始進行了14-6和7-8的顏色打樣。
由於連日進行顏色打樣,背景的製作速度驚人地快。
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99.4.17(土)
今日からいよいよ先生となる松瀬氏のもと、研修開始、と意気込んでスタートしたものの、作業が遅れている1階部分の工事音のため、松瀬氏の声が全く聞こえず、研修がたびたび中断。過酷な条件下での研修となる。
工事中にも関わらず、1階の一部に商品部が引っ越し。夕方ようやく引っ越しが終了し、新人を含め、引っ越し記念ピザパーティが行われる。
5時より、プロジェクター及びフィルムによる、ラッシュチェックが行われる。
NYにいる矢野顕子さんから、事務所にISDN回線で送られてきた音楽を稲城さんがDATでコピーしジブリへ。早速高畑さんが試聴。
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99年4月17日(星期六)
今天終於開始在即將成為老師的松瀬先生指導下進行研修,雖然一開始充滿幹勁,但由於一樓部分施工進度延遲,施工噪音導致完全聽不到松瀬先生的聲音,研修多次中斷。在如此嚴酷的條件下進行研修。
儘管仍在施工中,商品部已搬至一樓的一部分。傍晚時分,搬遷終於完成,包括新人在內,舉行了搬遷紀念披薩派對。
從5點開始,使用投影儀和膠片進行樣片檢查。
矢野顯子從紐約通過ISDN線路將音樂發送到辦公室,稻城先生用DAT複製後送到吉卜力。高畑先生立即進行了試聽。
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99.4.19(月)
11時より音楽打ち合わせ。土曜日に聴いた音楽も含め検討。
「となりの山田くん」は一寸小さめな動画用紙で書いているため、研修に使っている150フレ-ムの動画用紙、レイアウト用紙がほとんどないことが今になって発覚。慌てて注文を出す。
シーン7-1の色打ち合わせが行われる。
夜の11時ころ、突然外で夜鳴そばの音が。早速ジブリに出社していた日テレの奥田さん、神村氏、美術部の二人がラーメンを食べに呼び止める。なんでもみんなが食べ終わった後、近所に店屋が無いため夜食が食べられないジブリスタッフのために、鈴木プロデューサーが「毎日来て」とお願いしたとか。
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99年4月19日(星期一)
上午11點開始進行音樂討論。包括周六聽過的音樂在內,進行了詳細探討。
由於《我的鄰君山田君》是用稍小尺寸的動畫紙繪製的,現在才發現用於研修的150幀動畫紙和佈局紙幾乎沒有了。急忙下單訂購。
進行了場景7-1的色彩討論。
晚上11點左右,突然聽到外面有夜宵蕎麥麵的叫賣聲。正好在吉卜力加班的日本電視台的奧田先生、神村先生以及美術部的兩位同事立刻叫住賣面的人,買了拉麵來吃。據說是因為附近沒有餐館,吉卜力的員工在大家吃完後沒有夜宵可吃,所以鈴木製作人特意請求賣面的人「每天都來」。
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99.4.20(火)
シーン9-12、7-7の色打ち合わせ。
三時よりボブスレー編とシーン3-2のラッシュチェックが行われる。
本日夜鳴きそばが現れず。前日鈴木プロデューサーが模造刀をもってお願いしたため、変な事務所と間違えられたという噂が。
訪問した劇場を全てインターネット上で紹介しようという企画を進めているが、演助の新人高橋氏がもとホームページに関わる仕事場にいたため、作業がとてもスムースに進んでいる。
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99年4月20日(星期二)
進行了場景9-12和7-7的色彩討論。
從三點開始進行了雪橇篇和場景3-2的樣片檢查。
今晚沒有出現夜鳴蕎麥麵。據說昨天鈴木製作人拿着仿製刀去請求,結果被誤認為是奇怪的事務所。
正在推進一個計劃,將所有訪問過的劇場在互聯網上介紹。由於演出助理新人高橋先生之前在與網頁相關的工作場所工作過,因此工作進展得非常順利。
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99.4.21(水)
二時より、若林さん、井上さん、伊藤さん等が来社し、音響の最終チェックが行われる。編集の瀬山さんから提案されたカッティングを早めるスケジュールを元に話し合いが持たれたため、前回の破滅的気分より、何とかなるぞ、という感じのスケジュールが組める。
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99年4月21日(星期三)
下午兩點,若林先生、井上先生、伊藤先生等人來到公司,進行了音響的最終檢查。基於編輯瀬山先生提出的加快剪輯進度的建議,大家進行了討論,因此相比上次那種絕望的情緒,這次感覺能夠制定出一個可行的日程安排。
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99.4.22(木)
シーン4-4、4-14の色打ち合わせが行われる。
フィルムによるラッシュチェックとイマジカのスタッフが来社しての色チェックが行われる。その後メインスタッフと打ち合わせ。
現在、エプソンさんの協力で、山田くん上映館に配付するポスターを制作しているが、その最終チェックが行われる。いくつか修正を加え、来週早々にもプリント開始。
夜11時過ぎに、一同待ち望んでいた夜鳴きそばがついに出現、チャルメラの音が聞こえて来た途端、制作部を中心に「ウォー」といううなり声が会社中に響き渡る。ジブリファンという店主さんのご好意で、今日はオール100円引き&卵サービスということもあり、約10人程が車の回りを取り囲む。
神村氏がクラッシュさせたシビックにかわり、スパシオが納車される。前の車が走行距離10万キロ以上という年季の入っていた車のため、全てが良く見えてしまう。
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99年4月22日(星期四)
進行了場景4-4和4-14的色彩調整會議。
進行了膠片放映檢查和Imagica公司員工的色彩檢查。之後與主要工作人員進行了討論。
目前,在Epson公司的協助下,正在製作將在山田君電影院分發的海報,並進行了最終檢查。進行了一些修改,預計下周初開始印刷。
晚上11點過後,大家期待已久的夜鳴蕎麥麵終於出現,一聽到喇叭聲,以製作部為中心,公司內響起了「哇」的歡呼聲。由於店主是吉卜力粉絲的好意,今天所有商品都減價100日元並贈送雞蛋,大約有10人圍在車旁。
神村先生撞壞的Civic被替換為Spacio交付。由於之前的車已經行駛了超過10萬公里,顯得非常老舊,新車的一切都顯得格外好。
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99.4.23(金)
夕方二馬力にて、先日行われたジブリ合唱団の再録音が行われる。今回は前回のメンバーに、作画の新人六人、見学に来ていた日本テレビの新入社員を加えて大増強。より厚みのある合唱となる。本来映画用の音楽やセリフは、外部の音が全く入らないスタジオやホールで録音されるが、今回も、ジブリに近くて天井が高いので録音に適している、という理由で二馬力が使われた。しかし、いくら立派な二馬力の建物とは言え、所詮は家、外の物音が結構聞こえてしまう。今回の収録でネックになったのが、雨と、日曜日に迫った統一地方選挙の選挙カー。そこでいろいろ考えたあげく実行したのが、まず雨の音をシャットアウトするため、窓やドアを完全密閉、また選挙カー対策としては、外に人を待機させ、選挙カーの声が聞こえてきたら走って静かにしてもらう、という実にアナログ的もの。結果は選挙カー対策はうまくいったものの、雨の音を消そうと建物を完全密閉したため、内部が酸欠状態になり、途中で休憩を入れ、換気をしないといけない結果に。それでもみんな酸欠のため必死になって歌ったのが良かったのか、前回よりも良いものが録音できる。
講談社「少年マガジン」の取材陣が来社。さまざまな人にインタビューをしていた。
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99年4月23日(星期五)
傍晚,在二馬力工作室進行了吉卜力合唱團的再次錄音。這次除了上次的成員外,還加入了六位新晉動畫師和前來參觀的日本電視台新員工,人數大幅增加,合唱更加厚重。通常電影的音樂和對白都是在完全隔音的工作室或大廳里錄製的,但這次因為二馬力工作室離吉卜力近且天花板高,適合錄音,所以被選為錄音地點。然而,儘管二馬力的建築很出色,但畢竟還是住宅,外面的噪音還是能聽到。這次錄音的難點是雨聲和即將到來的統一地方選舉的選舉車。為了解決這些問題,我們採取了以下措施:首先,為了隔絕雨聲,將窗戶和門完全密封;其次,為了應對選舉車,安排人在外面待命,一旦聽到選舉車的聲音就迅速跑過去讓他們安靜下來,這是一種非常原始的方法。結果是,選舉車的應對措施成功了,但由於為了消除雨聲而將建築完全密封,導致內部缺氧,中途不得不休息並進行通風。儘管如此,大家因為缺氧而拼命唱歌,反而錄出了比上次更好的效果。
講談社《少年雜誌》的採訪團隊來到公司,對許多人進行了採訪。
總人數達到40人的吉卜力合唱團。
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99.4.24(土)
稲城、石井両氏が昨日の合唱録音のために借りた機材を返しに久石譲氏のスタジオ「ワンダーステーション」へ。ちょうど久石氏が居合わせ、音楽を録音し直した米版「天空の城ラピュタ」の話で盛り上がる。
今日も講談社「少年マガジン」の取材が入る。
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99年4月24日(星期六)
稻城和石井兩位先生為了歸還昨天合唱錄音時借用的設備,前往久石讓先生的錄音室「Wonder Station」。正好久石先生也在場,大家聊起了重新錄製音樂的美版《天空之城》。
今天還有講談社《少年Magazine》的採訪。
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99.4.25(日)
演助の奥村くんが、アフレコ用台本を明日までに完成させるため出社。疲れているが、充実した表情である。
夜の11時にニューヨークの矢野さんから映画用に録音された音楽がISDN送信される。渋谷のスタジオで受信したため門屋、稲城両氏が待機し、着信と同時にジブリへ。高畑監督らもジブリに待機し、12時頃から持ってきたDATを試聴後、アビッドに取り込みチェック。監督が家に帰ったのは午前四時。
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99年4月25日(星期日)
演助的奧村君為了在明天之前完成配音用的劇本,來到公司。雖然很累,但表情很充實。
晚上11點,紐約的矢野先生通過ISDN發送了為電影錄製的音樂。由於在澀谷的錄音室接收,門屋和稻城兩位先生在那裏等待,收到後立即前往吉卜力。高畑導演等人也在吉卜力等待,從12點左右開始試聽帶來的DAT,然後導入到Avid中進行檢查。導演回到家時已經是凌晨四點。
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99.4.26(月)
演助新人の宮地、奥村両氏の電話応対があまりにあまりなので、神村氏が急遽「徹夜明けになんでこんなものをつくってやらにゃいかんのだ」とぶつぶつ言いながら電話応対マニュアルを作成。と、横で古城氏のとてもここには書けない毒舌が炸裂する。
今日から、制作陣の人手不足を補うため、QAR斎藤氏が制作に復帰。早速石井氏と共に外注回りに出る。
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99年4月26日(星期一)
由於新人宮地和奧村兩位的電話應對實在不盡如人意,神村先生緊急製作了電話應對手冊,一邊嘟囔着「為什麼熬夜之後還得做這種東西」。與此同時,古城先生在旁邊爆發出一些無法在此記錄的尖刻言辭。
從今天開始,為了彌補製作團隊的人手不足,QAR的齋藤先生重新回到製作崗位。他立即與石井先生一起外出拜訪外包商。
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99.4.27(火)
完成した劇場配布用のポスター先行60部がジブリに送られてくる。新人演助を中心に早速発送にとりかかる。
午後よりシーン13-7の色打ち合わせが行われる。月光仮面の夕景の背動について、仕上げ処理にするより背景を貼りあわせた方が良いのではないか、との意見が出たための話し合い。
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99年4月27日(星期二)
完成的劇場分發用海報先行60份被送到了吉卜力。以新晉助理為中心,大家立即開始着手發送。
下午開始進行場景13-7的色彩討論。關於月光假面的黃昏背景,有人提出與其進行後期處理,不如直接拼接背景,因此展開了討論。
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99.4.28(水)
午後一時より田町のMITスタジオにおいて、益岡さん、朝岡さん、荒木さん、五十畑君、宇野なおみちゃんが一堂に会し、修正及び追加分のアフレコが行われる。全員それぞれのキャラクターに慣れてきたのか、実に上手く演じている。順調に作業が進み9時頃に終了する。
左からしげ役の荒木雅子さん、まつ子役の朝丘雪路さん、のの子役の宇野なおみちゃん、
たかし役の益岡徹さん、のぼる役の五十畑迅人君
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99年4月28日(星期三)
下午1點開始在田町的MIT工作室,益岡先生、朝岡先生、荒木先生、五十畑君、宇野奈美小姐齊聚一堂,進行了修正和追加部分的配音。大家似乎都已經熟悉了各自的角色,表現得非常出色。工作進展順利,大約在9點結束。
從左至右分別是飾演Shige的荒木雅子小姐、飾演Matsuko的朝丘雪路小姐、飾演Nonoko的宇野奈美小姐、飾演Takashi的益岡徹先生、飾演Noboru的五十畑迅人君。
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99.4.29(木)
安藤氏が取り組んでいた本編ラストカットの原画がアップ(原画が全部終わった訳ではなく、ストーリーの最後が上がったという意味)。実線動画だけで1064枚の労作。
ラッシュチェックが行われる。
夜11時から渋谷のスタジオで、再びニューヨークから矢野さんの演奏した音楽をISDNで電送。1時頃からジブリで高畑監督等がチェック。作業は朝まで続く。
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99年4月29日(星期四)
安藤先生負責的最後一幕的原畫已經完成(並不是所有原畫都完成了,而是指故事的最後一幕已經完成)。僅實線動畫就有1064張,是一項巨大的工程。
進行了樣片檢查。
晚上11點開始在澀谷的工作室,再次通過ISDN從紐約傳送矢野先生演奏的音樂。凌晨1點左右,高畑導演等人在吉卜力進行審查。工作一直持續到早晨。
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99.4.30(金)
午後4時よりテレセンで古田新太、富田靖子、斉藤暁氏のアフレコが行われる。ほとんど徹夜状態の高畑監督を車に乗せテレセンに向かうも、都内は大渋滞&急いでアクセルをちょっと踏んだらネズミ取りに捕まってしまうの踏んだり蹴ったり状態。間に合いそうもないので、途中で高畑監督を降ろし、電車でテレセンに向かってもらう。結局約40分程遅刻させてしまい関係者から大ヒンシュクをくらう(引き続き車で向かった私がテレセンに到着したのが、三時間半たった午後六時前…)。ちなみに帰りは鈴木プロデューサーの助言に従って高速で帰ったら約一時間でジブリに到着。トホホ…。
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99年4月30日(星期五)
下午4點開始在テレセン進行古田新太、富田靖子、斉藤暁的後期錄音。幾乎熬夜的高畑導演被帶上車前往テレセン,但東京市內交通嚴重擁堵,稍微踩了一下油門就被抓到了超速,真是禍不單行。眼看趕不上了,中途讓高畑導演下車,讓他坐電車去テレセン。結果遲到了大約40分鐘,受到了相關人員的嚴厲批評(我繼續開車前往テレセン,到達時已經是三個半小時後的下午六點前…)。順便說一下,回程時聽從鈴木製作人的建議走高速,大約一個小時就回到了吉卜力。唉…。
從左到右是斉藤暁、富田靖子、古田新太。
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