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8月1日(水)
11時より、原画テスト説明会を行う。悩んだ末に課題も決まり、今回はレイアウトから原画までを4日の午前までかけて描くというものとなった。
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8月1日(星期三)
從11點開始,進行了原畫測試說明會。經過一番糾結,最終確定了課題,這次的任務是從佈局到原畫,需要在4號上午之前完成。
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8月2日(木)
美術館用短編作品のサントラCDのジャケット試作が到着。監督の稲村さん、芳尾さんから意見を聞き、ピクチャーレーベルの絵柄を数パターン出力してもらう。ちなみに、サントラとしては異例の低価格になるらしい。
ツール・ド・信州で毎年道を間違え、宮崎監督に「逃げているだろう」と言われ続けている野崎氏とともに、休暇を利用し信州へ。今年は逃げられないように野崎氏は宮崎監督から地図作成担当に任命されているのだ。写真をとりつつ信濃境駅に到着。昨年よりは景色もよくちょっとだけ楽かも・・・。
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8月2日(星期四)
美術館用短篇作品的配樂CD封面試作已經送達。聽取了導演稻村先生和芳尾先生的意見,讓他們輸出了幾種圖案的圖片標籤。順便一提,這張配樂CD的價格似乎異常低廉。
每年在「環信州」活動中都會迷路的野崎先生,一直被宮崎導演說「你是不是在逃避」,這次他利用假期和我一起去了信州。今年為了不讓野崎先生再迷路,宮崎導演任命他為地圖製作負責人。我們一邊拍照一邊到達了信濃境車站。今年的景色比去年好一些,感覺稍微輕鬆了一點……。
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8月3日(金)
試写室の映写機を操作できるのが今現在、ポスプロ班古城氏だけである事が前々から問題になっていたが、古城氏が休暇の間に、映写機を使う事となり、とうとう制作陣が古城氏が直々に操作の仕方を教わる。神村・居村は、以前講習を受けていたはずなのだが、何一つ覚えていない事が発覚。古城さんに手取り足取り教えてもらう。制作居村氏は、前回の事を教訓にしてしっかり図解メモを取るがあとの3人は、「よし、その居村メモをコピーして使おう」と全然やる気がない。こんなことで今度の試写は本当に大丈夫か。
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8月3日(星期五)
一直以來,試映室的放映機操作只能由後期製作組的古城先生負責,這已經成為一個問題。在古城先生休假期間,製作團隊需要使用放映機,最終他們決定親自向古城先生學習操作方法。神村和居村之前應該已經參加過培訓,但發現他們什麼都沒記住。於是,古城先生手把手地教他們。製作組的居村先生吸取了上次的教訓,認真做了圖解筆記,但其他三人卻完全沒有幹勁,只是想着「好吧,我們就複印居村的筆記來用吧」。這樣下去,這次的試映真的能順利進行嗎?
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8月4日(土)
昨日、あれほど「明日もう一度再確認しよう」と話したのに結局映写機の練習は、せずじまい。試写当日とんでもない事になりそうだ。
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8月4日(星期六)
昨天明明說了「明天再確認一次」,結果還是沒練習放映機。試映當天可能會出大問題。
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8月6日(月)
原画テストの結果が発表される。大橋、山田伸、佐藤、奥村、横田の若手5人が新たに原画スタッフとなる。これからどれだけ力を発揮してくれるか期待したいところ。
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8月6日(星期一)
原畫測試的結果公佈了。大橋、山田伸、佐藤、奧村、橫田這五位新人將加入原畫團隊。期待他們今後能發揮出多大的實力。
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8月7日(火)
クラシックな某自動車を取材するために某所へ取材の交渉へ行く。事務所に入るといきなり巨大でクラシックなベントレーが展示されており、日頃小さな、しかも先日駐車場で当て逃げされ前がボコッとへこんでいる日本車を乗り回している渡辺氏は、その迫力と美しさに圧倒され、萎縮したまま交渉の席へ。しかし、そこの社長がとても穏やかに対応をしてくれ、無事交渉もまとまり取材が可能に。取材を希望している車種は当時オーダーメイドのみで作られていたもので、英国ですら滅多に見つからないレアものにも拘わらず、埼玉にあるショールームには数台もあるということ。これらの車の美しさに興奮した渡辺と、同行した中村は、帰路の途中に様々な高級車論を論じていたが、結局僕らには一生乗ることはできないという結論の一致を見て会話は寂しく終了。
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8月7日(星期二)
為了採訪某款經典汽車,前往某地進行採訪協商。一進入事務所,就看到一輛巨大而經典的賓利展示在那裏。平時開着小型日本車,而且前幾天在停車場被撞後前部凹陷的渡邊先生,被其氣勢和美麗所震撼,畏縮地進入了談判席。然而,那裏的社長非常溫和地接待了我們,談判順利達成,採訪得以進行。我們想要採訪的車型當時只接受定製生產,即使在英國也很少見,但在埼玉的展廳里卻有好幾輛。渡邊和同行的中村對這些車的美麗感到興奮,在回程的路上討論了各種高級車的話題,但最終一致認為我們這輩子都不可能擁有這樣的車,對話在遺憾中結束。
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8月8日(水)
夕方より、原画テスト合格者5人の作打ちを全員同時に行う。本当に初めてということもあって、1人10カット前後を持ってもらう。
東小金井駅前に、松屋がオープン。さっそく偵察と称して制作部の面々が牛丼を食べに行く。松屋自体は普通に松屋だったのだが、工事中の2階をみて、一同驚愕。そこには「横綱屋」の看板が。たしか三鷹にある横綱屋は牛丼屋さんだったような・・・。東小金井牛丼戦争勃発か。
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8月8日(星期三)
傍晚開始,我們同時與五位通過原畫測試的創作者進行了作品討論。由於這是他們第一次參與,每人負責大約10個鏡頭。
東小金井站前,松屋新店開業。製作部的成員們以偵察為名,去吃了牛肉飯。松屋本身還是普通的松屋,但看到正在施工的二樓時,大家都驚呆了。那裏掛着「橫綱屋」的招牌。我記得三鷹的橫綱屋是一家牛肉飯店……東小金井的牛肉飯戰爭要爆發了嗎?
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8月9日(木)
休暇で日本へきているDR企画室のカクさんが日本人の旦那さんを連れて来社。社内を見学、韓国班の面々にもご挨拶。ところでよく聞いてみると、現在アメリカに永住している旦那さんの比留間氏は、テレコム一期生でカリオストロでは動画を担当していたとのこと。さっそくテレコムにいたこともある篠原さんに会いに行ったところ、比留間氏のことを当時のエピソードを含め、よく覚えていて、思い出話に花が咲く。篠原さんによれば比留間氏はどちらかと言えば日本的な人で、アメリカに移住するなど考えられなかったとのこと。人生って何が起こるかわかりません。
3時より今年入社した新人の研修卒業制作の合評会が試写室で行われる。それぞれ動かしたいという欲求にあふれた楽しい作品に仕上がっていた。
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8月9日(星期四)
正在休假期間來到日本的DR企劃室的Kaku女士帶着她的日本丈夫來到公司。他們參觀了公司,並向韓國團隊的成員們打了招呼。經過進一步了解,得知她的丈夫比留間先生目前在美國永久居住,並且是Telecom的第一期學員,曾在《卡里奧斯特羅》中負責動畫製作。於是,我們立刻帶他去見了曾在Telecom工作過的篠原先生。篠原先生對比留間先生印象深刻,包括當時的一些趣事,兩人聊得非常開心。據篠原先生說,比留間先生更偏向於日本風格,從未想過會移民到美國。人生真是充滿了未知。
下午3點,今年新入職的員工在試映室舉行了培訓畢業作品的評審會。每部作品都充滿了動感,非常有趣。
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8月10日(金)
明日から夏休み。夜には遅ればせながら今年の新人歓迎会が吉祥寺で行われる。○○○の監督細田氏も顔を出し、明日から夏休みという気分のよさも手伝って大いに盛り上がる。
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8月10日(星期五)
明天開始放暑假。晚上雖然有些晚,但今年的新人歡迎會在吉祥寺舉行。○○○的導演細田先生也出席了,加上明天開始放假的愉快心情,大家非常熱鬧。
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8月26日(日)
某クラシックカーの取材で加須へ。CGのモデリングスタッフも行くことになったので総勢12名となる。実際に走ってもらったり、内装や乗り降りの様子をカメラに収める。
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8月26日(星期日)
為了某款經典汽車的採訪,前往加須。由於CG建模團隊也決定一同前往,總人數達到12人。我們拍攝了汽車實際行駛、內飾以及上下車的情景。
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8月27日(月)
夏期休暇も終わり、社員は今日から出社。△△△監督はコンテに専念中。ただ△△△のコンテは今週中にはほぼ完成する予定。
休み終わってみれば、予想通り東小金井南口で牛丼戦争が勃発していた。せっかく出来た食事が出来る店屋なので、共倒れになるのだけは勘弁してほしい。
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8月27日(星期一)
暑假結束,員工們從今天開始上班。△△△導演正在專心繪製分鏡。預計△△△的分鏡將在本周內基本完成。
假期結束後,不出所料,東小金井南口爆發了牛肉蓋飯大戰。好不容易開起來的餐飲店,希望不要兩敗俱傷。
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8月28日(火)
7時から会議があったのだが、西岡さんが「夕飯にすしが出るよ」と言っていたので楽しみにしていたら、食事どころかお茶すら出ずじまい。西岡さんの言葉を信じて何の用意もしていなかったのに・・・。しょうがないので、高橋、島宮、渡辺氏等と、南口の松屋へ。
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8月28日(星期二)
原本從7點開始有個會議,西岡先生說「晚飯會有壽司哦」,所以我一直很期待。結果別說晚飯了,連茶都沒喝上。因為相信了西岡先生的話,我什麼都沒準備……沒辦法,只好和高橋、島宮、渡辺等人一起去了南口的松屋。
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8月29日(水)
9/1に予定している、3スタ2階への美術の引越しのため、美術田中さんと相談を行う。当初場所は空かないのではないかと危惧されていた作画のスペースは、なんとか確保できる模様。
宮崎監督が、道すがら幼い姉弟の二人に声をかけられ、質問を受ける。「ジブリの映画って、おじさんが全部作ったの?」当然、答えはNOで、正直に「ううん。違うよ。」と答えたところ、「お姉ちゃんのうそつき!」と弟がお姉ちゃんを責めだしたらしい。「幼い子供を傷つけてしまった。」と宮崎監督も浮かぬ顔。真実は時に残酷なものなのだ。
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8月29日(星期三)
為了準備9月1日計劃中的美術部門搬遷到3號樓2層的事宜,與美術部門的田中先生進行了商討。原本擔心作畫空間可能無法騰出,但似乎還是能夠設法確保。
宮崎導演在途中被一對年幼的姐弟叫住,並接受了他們的提問。「吉卜力的電影,都是叔叔一個人做的嗎?」當然,答案是否定的,宮崎導演誠實地回答:「不,不是的。」結果,弟弟開始責備姐姐:「姐姐在說謊!」宮崎導演也因此顯得有些沮喪。「傷害了年幼的孩子。」真相有時是殘酷的。
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