The Best of Cinema Music
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电影配乐代表辑 The Best of Cinema Music ザ・ベスト・オブ・シネマミュージック | |
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艺术家 | 久石让 |
制作人 | 久石让 |
发行日期 | 2011年9月7日 |
时间长度 | 77:29 |
唱片公司 | UNIVERSAL SIGMA |
曲目列表
作曲、编曲:久石让
曲序 | 曲目 | 时长 | |||||||
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1. | 风之谷 (出自电影《风之谷》) NAUSICAÄ (映画『風の谷のナウシカ』より) |
9:54 | |||||||
2. | 幽灵公主 (出自电影《幽灵公主》) Princess Mononoke (映画『もののけ姫』より) |
8:15 | |||||||
3. | 将军列车 (出自电影《将军列车》) The GENERAL (映画『THE GENERAL(キートンの大列車追跡)』より) |
4:28 | |||||||
4. | 四海兄弟 (出自电影《大佬》) Reging Men (映画『Brother』より) |
1:47 | |||||||
5. | 花火 (出自电影《花火》) HANA-BI (映画『HANA-BI』より) |
3:32 | |||||||
6. | 坏孩子的天空 (出自电影《坏孩子的天空》) Kids Return (映画『Kids Return』より) |
4:19 | |||||||
7. | 让子弹飞 (出自电影《让子弹飞》) Let The Bullets Fly (映画『譲子弾飛』より) |
5:10 | |||||||
8. | 哈尔的移动城堡 (出自电影《哈尔的移动城堡》) Howl's Moving Castle (映画『ハウルの動く城』より) |
11:47 | |||||||
9. | 那年夏天 (出自电影《千与千寻》) One Summer's Day (映画『千と千尋の神隠し』より) |
4:22 | |||||||
10. | 夏天 (出自电影《菊次郎的夏天》) Summer (映画『菊次郎の夏』より) |
4:03 | |||||||
11. | 恶人 (出自电影《恶人》) Villain (映画『悪人』より) |
11:02 | |||||||
12. | 阿席达卡与珊 (出自电影《幽灵公主》) Ashitaka and San (映画『もののけ姫』より) |
4:40 | |||||||
13. | 龙猫 (出自电影《龙猫》) My Neighbour TOTORO (映画『となりのトトロ』より) |
4:10 | |||||||
总时长: |
77:29 | ||||||||
专辑解说
以下内容为中文翻译版,如需要日文对照请参见中日对照 |
”ぼくたちのストーリー”を語り始めた久石さんの音楽「オーケストラは社会の鏡(An orchestra is a reflection of society)」という言葉がある。オーケストラは弦楽器、管楽器、打楽器など、個性溢れるさまざまな楽器が集まり、共に手を携え、ひとつのハーモニー(調和)を生み出していく。では、オーケストラの楽器が欠けたらどうするか? 例えば、オーケストラが海外公演をする際、手荷物の不着なので楽器が届かなかった場合には、現地のオーケストラが手を差し伸べ、楽器を貸し出すのが普通である。ぼくたちが生きる現実社会についても、同じことがあてはまる。今回の東日本大震災において、”日本という名のオーケストラ”は本当に多くの支援-あたたかいメッセージや義援金など-を世界中から受け取った。だから、震災で楽器を失った子供たちのために、久石さんが楽器購入支援のチャリティーコンサートをオーケストラと共に(ここが重要だ。その気になれば、ピアノ一台でもチャリティーコンサートは出来るのだから)開催するというニュースを知った時、映画音楽とクラシックの演奏活動を通じてオーケストラと日常的に接している久石さんならではの、とても素晴しいアイディアだと思った。子供たちに再び楽器を与えることは、音楽の喜びを取り戻すだけでなく、アンサンブルをすることの大切さを通じて-それがバンドであれ、吹奏楽であれ、オーケストラであれ-子供たちが社会というものを意識していく、強力な手段のひとつとなるからだ。しかも久石さんは、今回のコンサートを単なる”自選ベスト”にはしなかった。3年前の武道館コンサートの時のように、舞台上に大スクリーンを設置し、映画と音楽が生み出す相乗効果-それこそが映画音楽の真の醍醐味である-を生の形で再現しようとしたのだ。幸運にもぼくは6月9日の東京公演を見ることができたが、『風の谷のナウシカ』~《風の伝説》のティンパニの強打で始まった約2時間のコンサートは、とても感慨深く、また新鮮な驚きに満ち溢れていた。映像付きの再演は困難と思われていた『THE GENERAL(キートンの大列車強盗)』の優雅なワルツが、白塗りのキートンの無表情と共に再び聴けたのは望外の喜びだったし、『Let the Bullets Fly(譲子弾飛)』の勇壮なマーチが、ダイナミックな銃撃戦の映像と共に演奏されるのを聴けば、一刻も早く本編を見たくなるのが人情というものである。だが、コンサートはそれだけでは終わらなかった。驚くべきことに、久石さんが指揮する音楽と、スクリーンに映し出された名場面の数々は、単に映画音楽の魅力と楽しさを伝えるだけでなく、映画の本編とは別の”もうひとつのストーリー”を語り始めたのである。『風の谷のナウシカ』-暴走する王蟲の大群に呑みこまれたナウシカと、彼女に再生の力を与える《遠い日々》の清らかなコーラス。『もののけ姫』-技術のために森を切り崩した傲慢な人間に襲いかかる、《タタリ神》の凶暴な和太鼓とホルンの咆哮。『菊次郎の夏』-健気に生きていく天涯孤独の少年を温かく見守る、《Summer》の軽やかなピアノのメロディ。『Brother』-閉塞した現状の中で怒りを爆発させるような、《Raging Men》の荒々しいパーカッション。『Kids Return』-「俺たち、もう終わっちゃったのかなあ」「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねえよ」というラストのセリフと共に始まる、躍動感溢れるミニマルビート・・・・。そう、このコンサートで演奏された曲たちは、震災を体験した”ぼくたちのストーリー”を語り始めていたのだ。社会の鏡たるオーケストラが、映画という鏡を通じて”今ここにある現実”を映し始めたのである。そのことに気づいた瞬間、ぼくはとてつもなく大きな衝撃を受けた。これまで30年近くに渡ってリアルタイムで親しみ、熟知してきたはずの久石さんの映画音楽が、全く違って聴こえ始めたからだ。「音楽は、あらゆる哲学や知識よりも高度な啓示である」とはベートーヴェンの言葉だが、この日演奏された曲たちは”今ここにある現実”を改めて目の前に突きつけたという点で、まさにひとつの啓示だった。ある人はそれを「既視感」と呼ぶかもしれないし、別の人はそれを「現実とのシンクロ」と表現するかもしれない。いずれにせよ、久石さんの指揮する音楽とスクリーン上に映し出された映像は、エンタテインメントという名の現実逃避から遠く離れ、”日本という名のオーケストラ”が置かれた現状を、ぼくたちに必死に認識させようとしていた。コンサートの終わり近く、久石さんはソプラノの林正子さんと共に『悪人』~《Your Story》を演奏し、久石さんが被災地で撮影してきた生々しい写真をスクリーン上に映し出した。What we both long a place, sweet home If I could un-wine the time and stay with you 僕たちが求めるもの、それは安らげる安堵の場 もっと側にいたい、時計の針を戻せるのならこの歌詞が歌われた瞬間、《Your Story》は映画音楽という枠を越え、”ぼくたちのストーリー”と完全に同化した。その場に居合わせた聴衆のすべてが、《Your Story》に込められた痛切な想いを”My Story”として受け止めたのである。おそらく、ポーランドでも大阪でおパリでも北京でも、聴衆の気持ちは同じだったはずだ。でも、久石さんは、震災の悲劇を嘆き悲しむだけでコンサートを終わらせなかった、「ともに生きること」の大切さを高らかに歌い上げた『もののけ姫』~《アシタカとサン》のコーラス。土の中から芽を出したドングリの大樹そのままに、明るく壮大な響きを奏でた『となりのトトロ』のオーケストラ。ぼくにはそれが、これから”日本という名のオーケストラ”が鳴らしていくべき”復興のシンフォニー”の序奏のように思えてならなかった。ぼくは、このコンサートを一生忘れないだろう。前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)
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もう今は夢を語るときではない - 東日本大震災に寄せて -4月9日サントリーホールで「久石譲 Classics vol.3」として、ベートーヴェンの交響曲5番「運命」と7番とともに新作「5th Dimension」を発表した。「運命」のモティーフを使って新たなミニマル曲を作る構想だったが、その作曲期間中に東日本大震災が起こり、その影響が色濃くでた悲痛な楽曲に仕上がった。癒し、安らぎと決定的に違うその曲を演奏していいのかコンサートの前日まで悩んだ。多くのコンサート・イヴェントが自粛で中止している最中のコンサートは大勢の人たちから賞賛の言葉をいただき、自分の震災に対する考え、行動は終えたはずだった。音楽家は音楽で伝えればいい、僕はそう考えていた。そして東日本大震災から2ヶ月が過ぎた。未曾有の危機の中で多くの人々が温かい視線で被災地、及び被災者を見守り、一人一人ができることを献身的に行い、我々はひとりではない、皆繋がっていると呼びかけ、このゴールデンウィークには大勢のボランティアが東北に集まった。日本人のマナーの良さは世界から称賛を浴び、2000億円もの義援金が集まった。だが、だからといって事態は良い方向に向かっているとは言いがたいと僕は考える。地震、津波は自然の猛威であるが原発は人災だ。かつて広島に投下された原子爆弾で我々は世界で初めてその脅威にさらされた。多くの人を失い、今なお苦しんでいる人たちが大勢いる。その国で原子力を扱うなら世界のどの国よりも神経質なまでに注意を払うべきだった。が、東電、政府関係者、学者と言われている人たちは「想定外」という。では想定内はどこまで指していたのか、そもそもその想定内のこととは何を基準に決定されていたのか?日本国を沈没させかねないこの総てを自分に都合良く解釈し、目の前の出来事を都合よく説明するこの日本人はどこから来たのか?震災の夜、西麻布の交差点で見た渋谷の駅を目指し整然と歩く人たちに驚いた。隊列を組んだように従順に歩くその姿は羊の群れのようで、この国の人たちはいつからこんなに飼いならされたのかと悄然とした。例えば若者は言葉が通じない海外に行くことを嫌がり草津の温泉で足湯につかり、男たちは場所もわきまえずキャンキャンと居酒屋しゃべりに熱中する。かつての男たちはあんなに甲高くベラベラと喋っていたのだろうか?海外の大学生はそれぞれの国の問題に対してデモなりで抗議の意思表示をするが、日本の学生のデモは久しく聞いていない。一事が万事、このような国の今のあり方に僕は憂慮する。今半分しか動いていない日本の経済はこの秋、そして1年後にボディーブロウのように効いてきて想像を絶するダメージが我々を襲うと考える。もう夢や安らぎ、癒しを語っているときではない。震災があったためにこの国がどうなるかではなく、もともとこの国はどうなるのかが問題だったのだ。怒れ、日本人! 自分の意思を鮮明にしろ!原発の内部で作業する人たちは本当に死を賭して頑張っているし、避難所の人たちは家族や友人、身内の大事な人を失っても健気に生きている。彼らの姿勢から非被災者である我々は本当に多くのことを学ばなければならない。音楽家は音楽で伝えればいい、僕の考えはそうである。が、社会の一員である自分ができることはまだまだ沢山ある。個人で寄付するだけではなく、もっと社会に貢献できることがあるはずだ。例えば、楽器を失った子どもたちにもう一度皆で演奏する喜びを取り戻してもらいたい。そのための楽器購入支援ができないか。そう考えていた矢先に多くのチャリティーコンサートがポップスやクラシックで組まれていることを知った。まるで免罪符のようにチャリティーをうたったコンサートの多くは、癒しや安らぎをテーマにしているものが多かった。それでいいのか?という疑問を持った。今は、そんな時ではない。その瞬間コンサートを行うことを決めた。折しもポーランドのクラクフで行われる映画音楽祭のために作った自作の映画音楽のプログラムをベースにして、音楽と映像の本格的で大規模なコンサートを行う。そして本物の感動を伝えたい。場所は東京と大阪、それにパリと北京も決定した。4月の末に気仙沼と陸前高田市、それに大船渡を訪れた。空気感を伴ったその惨状のまえで、自分のやろうとしていることは砂丘の一粒にもならないことを実感した。しかし、立ち止まってはいけない。できることがある人は、それをやらなくてはいけない。被災された方々のためにも、被災地の復興のためにも、我々は音楽、もっと言えば経済を止めてはいけない。昔から日本人はこの美しい国で自然災害に見舞われながら力強く生きて来た、自然と共生して来た、その力を信じたいと考えた。映画「もののけ姫」のラストで「ともに生きよう」というセリフがある。それはお互いの痛みを分かち合いながら、希望を持ってそれぞれの場所でしっかり行動せよという意味にも僕には取れる。慣れ合いのぬるま湯から、真の心の独立を目指し、僕は僕の場所でできることを精一杯行っていく覚悟である。2011年5月11日 久石譲
版本信息
日本 2011年9月7日 The Best of Cinema Music(CD) UNIVERSAL SIGMA℗&©2011 UNIVERSAL SIGMA, a division of UNIVERSAL MUSIC LLC Marketed & Distributed by UNIVERSAL MUSIC LLC, UMCK-1404, JAN:4988005674951, 3000日元(含税)税前价格2857日元(当年税率0.05)